兄と弟
城に帰り着けば慌ただしくしていたメイドが目を見開いて固まったが、瞬時に解除されて思い出したように頭を下げてロザリアの斜め前に立った。
「何か?」
歩みを止められた事にロザリアは機嫌を氷点下まで下げてメイドを見下ろす。
「っ、次期様、も、申し訳ございません! 兄上様がお探しにっ」
「あら、そう。部屋に戻っているからそう伝えなさい」
ガタガタと震えるまだ若いメイドは吸血鬼の中でも力の弱いもので、時に力のある吸血鬼の餌になり、時にはメイドや奴隷のようなものになる。
彼ら彼女らは絶対に長やその一族、またはそれらに連なる力のある者たちの名を呼んではいけないという掟があった。なぜなら、対等ではないからだ。
メイドをそのままにロザリアは優雅に部屋へ戻ろうと歩を進めていれば、後ろから親しい気配を感じて振り返るより先に抱き竦められる。
「姉様、まーた濃厚な人の匂い」
「フィード。またって前の時は知らないんじゃなくて?」
髪に唇を寄せて匂いを嗅いで、顔を埋める様に頬擦りして、ちらりとロザリアと同じ紅の瞳を向ける。
フィードとロザリアは吸血鬼に珍しい双子で性別以外の容姿はほぼ同じだった。違うのは力の差。それも僅かな。
「知ってるよ、姉様のことは。兄様も機嫌悪かったし?それに暫くメイドたちの貰ってたって聞いたよ」
「誰かしら、口の軽い……。あの子たち、美味しくなかったのよ」
だから美味しい餌を求めるのは仕方ないとばかりに頬を少し膨らまして顔を逸らした。ついでとばかりにフィードの体を引き離して、足早に自室を目指すロザリア。
「だからといってそこまでの濃い匂いがするのはおかしいだろう」
腕を組んだルーディスがロザリアの手を取り、その甲を睨みつける。その場所は、とロザリアは鼓動が跳ねた様な気がして青白い頬が熱くなったようで落ち着かなくなっていた。
「お、お兄様の気のせいだわっ。気になるなら上書きでもすればいかが?」
「ああ、そうしよう。お前に触れて香りを残すのは我ら高貴なる一族でも一部だけだからな」
「次の長だからね。愚かな家畜の匂いなんてすぐ消さないと」
胸ポケットから清潔なハンカチーフを取り出したルーディスは睨み付けていた手の甲を丁寧に拭って、恭しく掬い上げた手に唇を落とせば満足げに頷いて、人の匂いがする体を抱き上げ部屋に入っていく。
「兄様は本当、姉様好きだね」
「そんな簡単な単語で済ませるな。ロザリアは我が至宝、一族の全てだ」
「そうだけど。部屋に入るくらい僕に譲ってくれてもいいじゃないか」
「だめだ」
即答したルーディスにフィードは肩を落として、いつも通りとばかりにイスへ座る。真紅の皮がいい具合に背を受け止めるのを知っていてなお、ロザリアに贈ったのだ。自分が心地良いなら相手もそうだろうと。
ベッドに座らされたロザリアはモヤモヤしたものを抱えながら手の甲を見つめては逸らすを繰り返していた。着替えさせられる間も。
暫くして匂いが消えたらしいと納得したルーディスとフィードが出て行くのを見つめ、今日あったことを考えれば無意識に胸を押さえた。
「アレはただの食事。お気に入りのワインと同じよね……?」
浮かんだ疑問は答えがないまま、虚空に消えていく。その答えをロザリアは知らない。