第五話 新婚夫婦の朝食
「もうじきお膳出しますから、ちょっとお待ちになってください」
「はい、ありがとうございます」
その時、食堂の引き戸が開いて、にぎやかな声とともに他のお客さんが入ってきました。それも6人いっぺんに。みんな年配の夫婦らしく、それぞれ別の席に座ったのですが、一度に入って来られたせいでわたしは一気に肩身が狭くなる思いがしました。
(りご三郎の奴、どこで何してるんだよ……)
わたしの中で苛立ちに火が付きそうになった瞬間、「王子様」が入ってきました。相変わらず変な髪形、奇妙な服装のままでした。
「早いね。いい湯だった?」
「……どこで何してたの」
「遊戯室でゲームやってた。期待してなかったけど、やっぱつまんないや」
ゲームをしていたというのはちょっと驚きでした。月から来たと言っているこの風体の座敷童子とゲームは、ちょっと結びつかないように思われたからです。
「お風呂は入ったの」
「シャワー浴びた」
「せっかく温泉に来たんだから入ればよかったのに」
「いいじゃん。温泉なんていつでも入れるんだから」
そんなことを言い合いながら、わたしはポットから急須にお湯を注ぎ、二人分のお茶を淹れてちょっとした女子力を見せつけました。彼は下を向いたまま「ありがと」と言って湯飲みに口を付けます。
「おいしい……!」
その、大袈裟でふざけたリアクションと棒読み口調に開いた口が塞がらないわたしの後ろで、障子が開き、さっきの女の人が盆に朝食を載せて現れました。
ご飯のお櫃と味噌汁、塩鮭の焼き物とゆで卵、焼き海苔といった旅館の定番朝食メニューが並べられます。わたしはお櫃からご飯をよそいながら、何の気なしに他のお客さんたちを眺めました。
そうです。他のお客さんたちはみんな、お年寄り夫婦ばかりでした。ついにわたしは気付いてしまいました。わたしは、保護者がいるわけでもなく、平日にこんな浴衣姿で旅館にいるわけです。これはいったい、どういう状況なのでしょう?
わたしたちは新婚夫婦で、目の前で、頭にトサカみたいな髪の毛を突っ立てている味噌汁を啜っているこの少年は、わたしの旦那なのでしょうか?
「ちょっと……」
「どうしたの?」
「今から制服に着替えてくる」
「部屋に戻るの? ご飯済んでからでいいじゃん」
やはり彼は、わたしと針の筵を共有してくれてはいないようでした。
「だって。これ、誰がどう見たって新婚夫婦でしょ」
「いいじゃん。気分だけでも味わってみたら?」
「冗談言わないで!」
相手によりけりです。仮にも15歳の乙女である以上、そんな気分を味わってみてもいい相手のハードルは、限りなく高いのです。並みのイケメンでは務まろうはずがありません。超絶イケメン+王子様でもなければ無理です!
妖怪か座敷童子相手というのは、あまりにも微妙過ぎます。せめてその髪型だけでもどうにかならないものでしょうか。
最悪なのは実年齢がバレて補導される可能性ですが、そこは考えないことにしました。りご三郎君はわたしの心中も知らぬげに、ご飯をおいしそうに食べています。
「誰も気にしてないって。自意識過剰なんだよ」
「のどかな世界で育ってきたんだね」
「そういうふうに考えるから余計に世界が殺伐とするの」
「その理屈、実社会ではきっと通用しないよ?」
「いいんじゃない。朝メシの間だけ通用してれば」
ああ言えばこういう彼が癪に障ったので、ちょっと意地悪をしたくなりました。
「ねえ」
「何?」
「今、家出してるんだって?」
焼き海苔に付けていた箸が止まりました。りご三郎君の顔に初めて動揺らしい動揺が見えて、わたしはいい気味だと思いました。
「何で知ってるの?」
「さっき露天風呂にお母さんが来てたよ」
「また余計なことを……」
りご三郎君はふくれっ面になり、急須からお茶を残りのご飯の上にかけて掻き込み始めました。これは、女子のわたしから見ていいお行儀とは言えません。
わたしが「どうして家出したの」と聞くと、彼はご飯を飲み込んでからひと呼吸置いて「秋だからだよ」と答えます。
「それって理由になるの?」
「ならないかな? 大抵はそれで納得するじゃん」
「するかな……」
「するでしょ。おれね、そういうのにいちいち理由つけるのは嫌いなの」
それはそれで、何となくわかる気がします。ご飯は一膳で十分と思ったわたしは、ゆで卵に塩をふって食べてみました。これがまた、本当においしくて驚きました。
「このゆで卵おいしい……」
「そう?」
りご三郎君は自分の前に置いた卵は食べようとしません。
「そんなに美味いんならあげるよ」
「いいよ。卵嫌いなの?」
「嫌いじゃないけど」
「じゃあ、どうして食べないの?」
「……秋だからだよ!」
なんだか変な会話。わたしはそう思ったけれど、口には出しませんでした。