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詩とか考察とか

僕はいただきますを言わない

作者: Saturn

 僕はいただきますを言わない。


 何を言うんだ、言うべきだろと言う人もいると思うけど、そう言えば言わないなって人もいるだろう。


 そして僕は絶対に何があっても口が裂けても言わないという訳では無い。


 大勢で一緒に食べる時に皆で言うときは言うし、気分で言うときだってある。

 でも基本言わない方が多い。


 それには自分でも思うが面倒くさい理由がある。


 まず、いただきますと言っている時、常に必ず犠牲になった生き物やこれを作った育てた獲った生産者、加工業者、卸売業者、小売業者、本当に様々で多くのものに感謝の念を込めている人がいるだろうか。


 たまに意識する時もあるだろうけど、いただきますと言うのが食前の習慣、無意識になっている人ほどそれができている人は少ないだろう。


 否、反対にいただきますと感謝を表す行為を儀式化している方がこめる感謝の念は薄くなるのかもしれない。


 ここで一つ提起するが、いただきますを言わない=感謝していないとはならない。別にいただきますと言わないからと言って感謝していないとは決して言えないからだ。


 言葉にすればなんらおかしくないと思うのだが、いただきますを言わない=感謝が薄いと無意識に感じる人は少しぐらいいると思う。


 そもそも、いただきますと何故感謝するのは当たり前なのにわざわざ一つの儀式にしているのだろうか。誰に向けてやっているか、これも言ってみれば当然だと思うが先程言った生き物等に向けているのではなく自分自身に向けて言っているのだ。


 ただ感謝するのにここにいない人に向けて言葉を発す。良いことじゃないかと思うかも知れないが、これは感謝の表れではなく、感謝の有無に関係なく自分自身に自分は感謝しているんだと実感させるための行為だ。感謝の免償符に近いと思う。


 とはいえ皆大抵子供の頃はいただきますと言いましょうと教えられ素直に何も考えず言っていたはずだ。そしていつの間にか言わなくなった。感謝もせず、生き物を食べていると意識もせず、ただ食べて、いただきますは言わない。それならばまだ薄くてもいただきますと言うべきだろう。


 でも淡々と儀式的にいただきますを言っているのなら、いただきますを敢えて言わないことで生き物を食べている自覚を毎回覚える方がいいと僕は思う。だから僕はいただきますを言わない。


 

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