異なる地へ降り注ぐ雨
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「薫という字は、周りを巻き込んで他の人の幸せを奪って自分の物にしてしまうらしいから、好きじゃないんだ。だから薫じゃなくて、かおるかカオルで呼んでほしいんだ」
放課後授業を終えた僕たちは、帰宅するため廊下を歩きながら話しをしていた。掃除当番の者、部活動のため部室へ急ぐ者、廊下で駄弁る者、その生徒たちをかき分け、すり抜けていくように下駄箱へ向かう。たまに振り向く女子や男子がいたが薫君を見ていたようだった。
「いや、イントネーション同じでしょ?」
僕はその違いが未だによく分からない。漢字にルビを打ったものがひらがなやカタカナだろうに。それに漢字、ひらがなとカタカナとで音がどう違ってくるというのだ。
「ううん、まだまだまさ君は違いが分かっていないようだね? ひらがなは柔らかく、漢字は固く、カタカナはその中間のイメージでニュアンスを変えるんだ」
ちなみにまさ君は僕の愛称だ。雅治のまさ。高校生にもなって名前をあだ名で呼ばれるのは妙に小っ恥ずかしい。今までは名字で呼ばれることの方が多かったので、それに慣れていたのだ。
「…薫」
「だめだね、全然固いよ。それでは君は幸せになれないよ。僕に吸いとられてしまう」
駄目出しされた。僕の今後に影響するほど重要な事案みたいだ。結構柔らかいイメージで言ったつもりだったのに…。
「薫ぅ」
「気持ち悪くなっただけだね…」
諦めよう。渾身の一声も呆気なく砕け散った。僕には無理だ。
薫君は僕の表情から諦めを読み取ったのか、呆れた顔をしている。そして話題を変えてきた。
「そういえば、異世界って知ってる?」
「異世界?」
また恒例の中二病ってやつでしょうか? 薫君はこうやって自分の趣味の世界に僕を連れていこうとしているのだ。ちなみにオカルトは彼女の影響だ。
天使薫。
彼女は実家の神社の手伝いでお祓いをしている。修行はまだみたいだがその実力は今ではお墨付きだ。幼い頃から幽霊に気づいていたと言っていたが、僕には最初のうちは信じられなかった。まあ、自分に憑かれた霊を祓ってもらったら嫌でも信じざるを得なかったけど。
彼女と知り合ったのは入学式当日、その日からズカズカと僕の領域に入り込み、友達になろうと言った。周りは僕に近寄ろうとしなかったのに、彼女だけは違った。僕にはそのことが嬉しくて頷くことしか出来なかったのを今でもよく覚えている。
彼女は黒髪のボブスタイルでボーイッシュの出で立ちに、健康的に引き締まった体の美少女だ。胸もスリムだが、これを言ったら殺される。その見た目から男子にモテるが、それ以上に女子に人気がある。
自分のことを僕と呼ぶくらい、彼女は男より格好いい。ちなみに薫君と君づけで呼んでほしいと彼女からお願いされたのだ。
困っている人を見捨てず助けてあげる行動力に、話を聞いて悩み相談を受ける解決力、スポーツに勉強と成績はかなり優秀だ。それよりもなによりも、彼女は優しい。
薫の名のことをいつどこで知ったのか分からないが、本気で気にしている。自分のせいで周りが不幸になってしまうのが嫌だと言い、クラスメイトや知り合い連中には伝え済みだった。無理そうなら名字で呼べと。
そして彼女から心霊を教えてもらう。
オカルトは半信半疑だったが実物を見てからは世界が変わった気がした。僕はまだ世界のことを知らない無知な人間であるのに、決めつけて否定してはいけないと。
それから僕は色々曰く付きの場所へ赴き、取り憑かれ彼女にお祓いをしてもらい、そのあとでこっぴどく叱られた。もうしませんとも言えなかったので、危険な行動は絶対しないでほしいと涙を目に溜めてお願いされた。彼女に許してもらうまでの対応にとても苦労した。それから極力秘密裏にやろうとしているが多分筒抜けだと思う。
オカルトの件も含め、彼女の趣味や思考に影響される。漫画やドラマ、映画、小説、バラエティ番組と今までは敬遠していたものもよく見るようになった。それらも合わせて僕の世界は拡がりを見せた。
そして次は異世界という物みたいだ。これが僕にどんな世界を見せてくれるのだろうと少しワクワクしていた。彼女はまだ話の途中ということでバイト先である喫茶店についてきた。結構長い話なのかもしれない……。
※
異世界やオカルト、その他の知らない多くのことを彼女の影響で出会うことが出来た。多分一人なら辿り着けなかっただろう。きっと一人で黙々と体を鍛え、一般企業に就職してごく普通の当たり前だけど幸せな生活をしていたことだろう。
彼女には感謝している。友達付き合いを諦めてた自分にも高校生活で唯一無二の友達が出来た。彼女の周りには人が集まってくるので、そのお陰か僕にも話し掛けてくる人が前より増えた。その交友は僕の精神面でのゆとりを生み、修練にも身が入った。
心霊を知り、ゆとりが出来たからこそ、呼吸法の練習に至り、精神を分けれることが出来たお陰で、異世界の土地で敗北を期してもこうして生きる希望を繋げれるのだ。
分裂した精神の数は分からない。それは流星群のように、降りしきる雨のように、部屋の中に落ちていく。
見えるのは蜘蛛の巣だった。それは僕が意図せずとも乗り移れたのは巣にかかった何かなのだと思う。
蜘蛛が僕に向かってくる。きっと獲物を捕食しようとしているのだ。
僕はいつでも蜘蛛に乗り移れるように準備をした。自分ではないとはいえ、食べられる感じは気持ちいいものではない。我慢できずにそのまま蜘蛛の口の中に飛んだ。
蜘蛛の精神核には先客がいた。それはもう一人の僕だった。
自然と主導権争いが始まる。いくら同じ僕とはいえ、融合すれば人格はひとつ消えることになる。それは新たに生まれたばかりの僕が死ぬことと同じ。
だが、ここで人間の手が蜘蛛の巣を払い除ける。そのせいで蜘蛛は床に叩きつけられた。そして踏みつけられる。
潰れかけた蜘蛛は窓から捨てられた。その一連の崖から転げ落ちるような流れは、僕たちの精神もぐちゃぐちゃにしてどちらが主導権を握ったかを分からなくした。それでも僕はここにいるという実感がある。主導権とか気にしなくても、融合すればこんなものなのかもしれない。
問題は蜘蛛が死にかけているということだ。肉体が死ねば強制的に外に排出される。外気に触れ続ければ、精神は徐々に崩れ崩壊していく。どうしても肉体という鎧が精神には必要なのだ。
数匹の蟻が蜘蛛を連れていく。心の中でドナドナが流れる。きっと余裕が生まれたからだろう。
実際には獲物の立場は逆なのだ。わざわざ向こうからやって来てくれたことに感謝する。とりあえずぎりぎりまで待とう。
蟻の巣まで蜘蛛が保ってくれれば、女王蟻を手に入れることが出来る。無理そうなら立場の弱そうな蟻でいいや。
そんなことを思いながら、ドナドナされていく。
雨の一粒が蟻の巣に吸い込まれた。染みの広がりはまるで浸食していく暗示のようだった。
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