一話 アイス・フラぺッティーノ
その時の僕はカフェの中で、甘ったるいアイス・フラペッティーノをケルト音楽に溶かしながら読書してたんだ。
僕がサックスの速いテンポを全身で感じながらパタリとページをめくると、それに伴って視点が左下から右上に動いた。
虚しい時間だなと思いながらも僕にはどうすることもできなかった。
なんてったって他にするべき事もしたい事も無かったんだ。
僕はここで、時が過ぎ去り夜が地平線の向こうから迎えにくるのを待つしかなかった。
時刻は月曜の昼三時、世間一般の人間はそれぞれのルールを立派に果たしているのだろうけれど、そんな事は僕には全く関係がなかった。
事の原因は今朝の乱入者達と、とあるクソ女なんだ。
僕がいつものように大学で文学史の授業をうけていたら「幻想主義」を掲げた連中が演説にやってきた。
「幻想主義」っていうのは要するに宗教みたいなものなんだ。
この世の全てを記した「因果律」とやらを崇拝する宗教。
因果律というのは僕にはなんだか理解できないんだけれど、どっかに未来を予測できる機械があって、それが表した預言書のようなものらしい、都市伝説みたいなものだよ。
大学の構内で演説とかをしているのは見たことがあるのだけれど、講義室に乗り込んできたのは今朝がはじめてだった。
それで乱入してきた三人組のうち先頭、軍服をきたチビが何か叫びだした。
教授も生徒も呆気にとられちゃってさ。
幻想主義者っていうのは反社会的なヤバイやつらだっていう認識があったんだけど、なにしろそいつは声が異常に高かったんだよ、まるでカナリアのようだったね。
しかも所々見える歯が、まるでコケが生えてるみたいに汚かったんだ。
それで顔を真っ赤にして演説するものだから、次第に皆が笑い始めた、もちろん僕もね。
生徒の笑い声がだんだん大きくなっていって、そいつの声を完全に押しつぶした。
そいつはますます顔を赤くして怒鳴り始めたんだけどもう何も聞こえなかったね。
しばらくすると生徒達が色んなものを投げて、野次を飛ばし始めた。
講義室の中が異様な熱気に包まれていた。
三分前までジョバンニ・ボッカッチョについて熱く語っていた教授も、もういなくなっていた。
加熱していく他の生徒達とは対照的に、僕のボルテージは下がっていった、もう十分に満足したんだ。
その熱気に疲れた僕は、静かにその場を後にした。
すこし離れた食堂でアイス・フラペッティーノを眺めながら先程の熱の余韻に浸っていると、白衣の女性が近づいてきた。
腰まであるその黒髪を、ゆらゆら揺らして近づいてきたんだ。
コンクリートの床を鳴らす靴の音に魅せられていたら、彼女が僕の正面で立ち止まった。
「ねぇ、文学史の講義室ってどこかしら?」と彼女は言った。
「この食堂を出て左にまっすぐ進めば着きますよ。
けれど色々と危ないので行かない方が良いと思います、今は」
「え、何があったの?」
「幻想主義の連中が演説にきたんですよ。
それで講義室が色々と荒れてまして・・・」
僕は苦笑しながら目の前のアイス・フラペッティーノに右手をのばそうとした。
そしたら彼女がそれより先に僕のアイス・フラペッティーノを取り上げ、そして飲みやがった。
僕は自分のアイス・フラペッティーノが、彼女の喉にゴクゴク流し込まれていく様を見ているしかなかったんだ、悲しいかな。
あまりにも勢い良く飲むものだから液体が彼女の口元を伝わって、彼女の豊かな胸元に小さな茶色のシミを作った。
彼女は口元の茶色いしずくを真っ白な袖で拭き、空のコーヒー・カップをテーブルに戻した。
「コーヒーご馳走様、おいしかったよ。
私の名刺を置いておくから困ったらいつでも電話してくれ、コーヒーの礼だ」と彼女は言って、僕の忠告など聞かなかったかのように、講義室のほうに去って行った。
「・・・は?」
僕はテーブルの上の名刺をくしゃりと丸めて、ポケットに突っ込むと食堂を離れて大学の外に出た、精神の安定とアイス・フラペッティーノを求めてね。
そしてこのカフェにたどり着いたんだ、そういうワケさ。