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御霊の娘子  作者: あかば
夏に至れ
3/25

その日、直之は新学期が始まってから初めて授業に遅刻した。


 特に前日のアルバイトが忙しかったわけでもないし、夜更かしをしてやりたかったゲームがあったわけでもない。

 けれども目覚めてすぐに見た携帯電話の画面には午後1時過ぎだと表示されていて、止めた覚えのないはずの目覚ましはきちんと止まっていた。


 画面の下の方で、不吉に点滅している不在着信のアイコンを押す。

 ピーッという発信音のあとに、中浦という同じ学科の友人の声が続く。


「今日のはサボるとまずいぞ」


 やたらに声を潜めているのは何故だろう。どこから電話をかけているのだろうか。着信時刻は、授業が始まったであろう時間から5分ほど後だった。


 自宅の最寄り駅から電車に乗り、2度乗り換えをして大学へと向かう間、まだ真新しい前期の時間割表を眺める。

 水曜日、午後1時から。

『卒業論文演習・前期』。


 今週から急に始まった授業というわけではない。重々しい名前の割に大した内容の授業ではないな、と直之は感じていた。


 いかにも論文らしい文章の書き方というのは『論文口座』という名前の授業が別に設けられていて、卒論演習で最初の1ヶ月の間に行われたことは何かと言うと、資料の検索の方法と、研究室書庫の資料の使い方と、学科の教授たちによる直之ら3年生への脅しつけだった。


 過去にはこんな愚か者がいた、いやあいつはもっと不届き者だった、等々。


 かつて提出され、研究室に所蔵されている卒業論文を片手に、先生方が直之らの見知らぬ先輩たちをめったうちにしながら、卒論に真面目に取り組まないことの恐ろしさを語っていた。

 そのうち半分くらいは、論文の内容よりも素行の悪さに関する比重の方が大きくなっていたように思う。『天誅』というあだ名がつけられている教授が言う「幽霊を車で轢いたと言い訳をして卒論の提出に遅刻した先輩」など、果たして本当に存在したのだろうか。


 車窓を通り過ぎていく見慣れた街は、朝から降り続けているらしい雨に打たれて白く煙っている。

切れ目なく頭上を覆う曇天は、天気予報に先んじて梅雨の訪れを高らかに宣言しているようだった。


 電車は定刻通りに、大学の最寄り駅のホームに2時45分に滑り込んだ。サボるとまずかったらしい授業は、15分前に終わってしまっていた。


 直之の水曜日の時間割表は卒論演習で終わっている。

 普段なら遅刻に気付いた後にそのまま自宅で寝て過ごしたであろう直之が電車に乗ったのは、中浦がわざわざ電話をかけてきた理由が気になったからだった。


 お世辞にも出席頻度が良いとは言えず、去年の後期にもあちこちの授業で出席日数が足らずに慌てふためいていた彼が警告を寄越すとは。よほど大切な内容の講義だったのだろうか。

もう肝心の授業は終わってしまっているけれども、と大きくため息をつきながら、自動改札を通り抜ける。

背後で駅員の声が、時刻と天候が相まって殆ど人の出入りがない駅の構内に響いている。


 朝晩は学生やサラリーマンの行き来で大層賑わっている円形の駅前広場は、嘘のように静まりかえっていた。

 雨に打たれながら不平一つ言わずに立ち尽くしているバス停の標識や街路樹を横目に、駅前を通る国道の向かいから始まって大学の手前まで続いている商店街のアーケードに向かって足を早める。


 雨は一歩進むごとに強くなっているように思われた。


 普段の半分も車の往来がない片側二車線の道路を見下ろしている歩行者信号が、渡っている間に赤色に変わる。直之の足下がアスファルトから黄土色のタイルに変わると同時に、ごおと音を立てて背後を大型車が通り過ぎていった。

 今日はよっぽど閑古鳥が鳴いているのか、アーケードの入り口にある喫茶店『シャングリラ』の軒先では、年齢不詳の仙人みたいな髭を生やした店主が椅子に足を投げ出して、大欠伸をしながら新聞を読んでいた。


 すれ違う人影のない商店街の中を、直之は空白の時間割が待ちかまえている大学に向かって早足で歩いていく。


ふと見上げた先にあった『ようこそ駅前商店街へ』と書かれた横断幕の中では、悪天候に負けじと自治体のキャラクターが愛想をふりまいていた。

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