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御霊の娘子  作者: あかば
手招く島
24/25

 ぐねぐねと海の横を走る道路を10分ほど走り続けただろうか。時折集落の前を横切るだけだった道路脇が唐突に開け、『道の駅 サンシャイン大室』と大きな看板を掲げた駐車場へと軽トラックは滑り込んだ。

 中浦の兄は運転中ずっとカーステレオに負けない声量で、大学はどうだ、弟はどうしてる、仲良くしてくれてありがとう、あんなのと友達でいると疲れるだろう、とずっとまくし立て続けていた。


「色々と旨い飯屋はあるんだがな。とりあえずここなら間違いない。魚は食えるか、食えるよな」


 この笑い声を、もう何度耳にしただろう。

 天井の高い建物の中には人っ子ひとりいなかった。頭上のガラス窓から刺さるような陽光に負けじと業務用の大きな扇風機が唸り声をあげている。物産店も食堂も静まり返っているのは、時期か時間か過疎か、一体どのせいだろうか。

 埃一つない机に置かれたメニュー表に記載されているのは4品だけだった。何度見返してもそれだけだった。裏面には醤油かなにかだろうか、錆のような色の滲みがついていた。

 注文を取りに来た老婆に、中浦の兄はメニューなどまったく見ずに「丼」とだけ言ってお冷やを取りにさっさと席を立ってしまった。残された直之の顔を、老婆の猛禽のような目がじっと射竦める。

 同じで、と小声で言うと老婆は大きく頷いてカウンターの向こうへ戻っていった。慣れない客が頼む品物などお見通しだ、と言わんばかりの応対だった。

 しばらくしてから出てきた丼には、名前の分からない赤身や白身がどさりと載せられていた。見た目こそただの海鮮丼だったが、流石に海の傍なだけあって、普段口にしている魚と味が全く違うように思われた。

 直之の顔色を見て、中浦の兄は満足げにがははと笑った。


「で、どこに行くんだったか」


 中浦の兄の前に出てきていた噐はあっという間に空っぽになっていた。未だ器に半分ほど残っている米を忙しく口に運びながら、直之は先ほど駅舎に貼られていた観光協会の注意書きの内容を思い返す。


「静井港駅というところに行きたいんですけれど」


 ええ、と頓狂な声に驚いて、思わず箸を動かす手を止めた。

 中浦の兄は目を丸くして、一気にお冷やを飲み干してからもう1度「ええ」と言った。


「静井の駅に行くのか。なんじゃ、大室に用事があるのではなかったんか」


 駅1つ隣と高を括っていた直之が思っていた以上に、両駅は距離が離れているかのような口振りだった。


「大学の授業で、大室町の方から手紙をいただいたので、差出人さんを訪ねに行きたいんです。駅の張り紙には、静井港駅が最寄りだと書いてあったから」


「駅の張り紙って、あれか。観光協会の奴か。あんなもん当てにならんぞ。大室の住所で静井の方が近いというと少ないぞ。どっから手紙を貰ったんじゃ」


 直之もお冷やを口にしてから、手紙の差出人を写しておいた携帯のメモ画面を呼び出す。結局、地名の正しい読み方は調べないままに現地を訪れてしまっていた。中浦に聞いておけば良かった、と小さく嘆息する。


「送迎のゲイ、お迎えっていう字に、大室町の室と書いて」


「ああ、ムカエムロか」


 なるほどなあ、と中浦の兄はピッチャーを傾ける手を止めて嘆息した。


「そりゃ静井の方が近いわ。いや、参ったな。迎室か」


「遠いんですか」


「遠いていうほど遠くはないんだけどな」


 ジーンズのポケットに右手をつっこんだ中浦の兄は、「ああっ」と大声を出したと思うと椅子をはね飛ばして立ち上がった。

 目を丸くして見上げた直之には目もくれず、左手も突っ込んで頓狂なダンスのようなものを踊りながら、中浦の兄はもう1度「ああっ」と叫んだ。

 おそらくこの地域特有の食後の運動、ではないだろう。財布か携帯電話をなくしたんだろうな、と直之は好意的に解釈しておくことにした。


「車か」


 中浦の兄はそう呟いて、脱兎のように駐車場に向かって駆けだしていった。が、自動扉の前で急に立ち止まってなにやら思案していたと思うと、どかどかと置いてある椅子にぶつかりながら食堂のカウンターの方へと歩いていく。

 歩くときに周りのものにぶつかる感じは、中浦とそっくりだなと思った。

 自分の丼の中身ももう空になっている。回転寿司で見かけるものよりも妙に濃い色をしたガリをかじりながら、カウンターのところで注文を取りに来ていた老婆になにやら頼みごとをしているらしい中浦の兄のでかい背中を眺める。直之は1度も見たことがないが、ヒグマが食堂で注文をしているとしたら、あんな光景なんだろうなとぼんやり思った。

 からん、と氷とプラスチックが音を立てた。直之の額と同じように、コップにも珠のような水滴がにじんでいる。重苦しい音のわりに、食堂の中は扇風機の働きが効いているようにはとても感じられない。

 いっそ窓を開け放してくれたらいいのに、と思った。遮るもの1つない駐車場の向こうには名前の分からない南国のような木々が数本、等間隔で微かに揺れている。おそらくその向こうは海が広がっているのだろう。海風というものを、もっと味わってみたかった。

 再びどかどかと音を立てて、椅子や机にぶつかりながら中浦の兄が戻ってくるのが見えたので、慌てて最後に残っていた米粒をかきこむ。

 椅子に腰掛けるよりも早く、中浦の兄はコップに手を伸ばした。それは自分のだ、と直之が制止するより早く、あっという間にそれを呷る。殆ど飲み干してから直之の何かを言わんとする表情に気づいて「しまった」と大声で言った。

 今度はなんだとカウンター越しに覗いた老婆の顔が、呆れた様子で奥へ引っ込んでいく。


「俺の親方みたいな人でな、迎室の人がおるんだわ。その人に迎えに来てくれって電話しといたから、もう少しここで時間潰しにつきあってくれな。土産屋でも見に行くか、まだ早いか」


「中浦さんが、連れて行ってくれるわけじゃないんですか」


「俺か。俺なあ。いやまあ、俺が行ってもいいんじゃろうけど」


 もう電話してしもうたしなあ、と水差しを傾けながら中浦の兄は頭を掻いた。直之のコップをいっぱいにして空になったそれを隣の机にどかして、カウンターに向かってお代わりを叫ぶ声は地鳴りのようだ。


「俺もあんまり行ったことないし、今は祭りの前じゃからシマソトのもんは行っても邪魔になるだけじゃからな。シマウチのもんにつれてってもらうのが一番ええ」


「祭りですか」


 おお、と中浦の兄は少し拍子抜けたような顔をした。


「なんじゃ、二郎の友達だからそういうことを調べに来たのかと思った。違うんか」


 自分の目的は絵馬だと言ったが、中浦の兄はさっぱりピンと来ないようだった。そんなものは見たことも聞いたこともないという。


「まあそれも、じっさんが来たら教えてもらえるじゃろ。じっさんてのがシマウチのおっちゃんでな。さっき電話したらまだ市場におる言うてたから、もうちょっとかかると思うが」


「そのお祭りについて教えてくださいよ」


 いやあ、と中浦の兄は申し訳なさそうに頭を掻いて高笑いした。この人は、喜怒哀楽すべてに笑いがついてくるのだろうか。


「俺もよう知らん。行ったことないからな。シマソトのもんは行ったらあかん祭りなんだわ。それに、祭りそのものはもうずうっと前からやらんくなったって聞いとるぞ」


「お祭りをもうやらないのに行ったらだめなんですか」


「おお。昔からそう決まってるんだと。来るなとかシマウチのもんが言って回るようなことでもないんだけどな。俺は小さい頃から爺さんによく言われてたんじゃ。8月のこの時分は迎室にはあがったらあかんぞ、ってな。二郎も知っとる」


 なにやら不思議な話だなと思った。お祭りはとうに廃れて、ルールのようなものだけが残っているということなのだろうか。

 直之の表情から何かを察したのか、中浦の兄は茶化すように笑って言った。


「なにもそんな不思議な理由があるわけでないと思うぞ。ずっと昔のことは知らんけどな。この時期は迎室から出たもんがみんな帰ってくるから、邪魔しにいくなくらいの意味じゃないのか」


 中浦の兄の説明は、びっくりするくらい淀みがなかった。観光地のガイドのように、同じ事を説明する慣れのようなものが感じ取れた。

 きっと中浦のせいだろうと思った。進学先にあんな学部を選んでいることだし、以前に興味を持った中浦につきあったことがあるのだろうな、と直之は微笑ましくなった。自分の家族は、いわゆる民俗学というものにこれっぽっちも興味がない。


「俺はそれよりその絵馬とかいうもんの方が気になるなあ。ばあちゃん、絵馬って知っとるかあ」


 なんじゃあ、とカウンターの向こうから大声がした。両手に水差しを持った老婆が、肩を怒らせながら歩み寄ってくる。


「おかわりかえ」


「いやな。俺の弟の連れなんだけどなこの子。大室の古いもんとかを調べに来たんだと、わざわざ。絵馬って知っとるか、おばちゃん」


「知っとるに決まっとるやろ。絵馬なんか大室でなくても、どこの神社にもあるわ」


 違う違う、と中浦の兄が右手を振った。慌てて直之は鞄からコピー紙を取り出す。興味がないと公言している直之の父や母よりも、この老婆にツリエマについて説明することの方が遙かに骨が折れそうに思われた。

 直之の腰が引けるくらいに顔を近付けてきた老婆は、コピー紙を睨みつけてウミガメのように顔を歪ませ、大きく鼻を鳴らした。目元の皺が、二重にも三重にも深くなっていく。


「知らんわ。ほんまに大室のもんなんかこれは。静井か津戸の間違いでないのか」


「それを調べに迎室に行きたいんだとさ」


 ああ迎室か、と老婆は得心したように唸った。


「そらワシらに訪ねても無駄じゃ。シマウチのことはシマウチのもんしか知らん。滅多な用事でもないと迎室になんぞ行くことがないからなあ」


「だから舟波のじっさんに頼んどいたんだよ」


「ああ舟波のけえ」


 老婆は直之の顔をじっと見て、それからもう1度「ああ」と呟いた。目元の皺は、まったく動かず深まったままだった。


「ワシら迎室のしきたりはよう知らんが、舟波のはシマソトのもんが今時分に島に渡りたい言うて怒りはせんのけ」


「電話では、特に怒ったりはしてなかったがなあ」


 直之は思わず首を竦ませた。迎室島というものの実態は見えてこないままだ。知らない土地で、自分を迎えにくるのは全く見ず知らずの、何やら気難しそうな年寄りだという。もっと気楽な小旅行のようには行かないものなのだろうか。ため息を隠そうと手にしたコップは空っぽで、ピッチャーを両の手に持った老婆の顔は、とてもお代わりが欲しいと言い出せる雰囲気ではなかった。

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