③
防波堤の横をゆっくりとカーブしながら下畠駅へと入り込んでいた線路は、駅舎を越えると西へと一直線に進んでいた。ホームからは線路を飲み込むトンネルのようなものが遠くに見えていて、それより先の様子は知れなかった。
この道路に沿って歩いていけば、いずれは隣の駅にたどり着けるだろうと算段した。
バスの待合から日射の下へと出ていこうと決心するのに、五分ほどを要した。
ロータリーをまっすぐに横切って道路へと歩み出て、西方を見据えた。
駅舎のすぐ向こうまで海が来ている、巨人のような入道雲と潮騒を遮るのは小さな甍とバスの待合いと駐輪場のトタン屋根と、1本だけ寂しくうなだれている向日葵の花くらいである。
一方で、道路の右側は少しばかりの畑になっていて、そのすぐ背後には小高い山がどしりと腰を下ろしている。
稜線はそのまま直之が見据える西へと伸びており、500メートルほど先で急激に海側へと落ち込んでいた。行く手を遮られている道路は緩やかに左へとカーブを描いている。
何軒かの瓦葺きの列が、道路脇から山の上へと続いているのが見える。
ちょうどカーブを見下ろす位置にはびっくりするくらい赤い三角屋根が見えていた。物干し場だろうか、布らしき白いものがはたはたと揺れる度にクリーム色の外壁が見え隠れしている。
荒い舗装の歩道を歩き始めてからすぐに、右手に並んだ民家の軒に『たばこ』の看板を見つけた。
静井港駅までの距離を聞こうと歩み寄ってみたが、ぴしゃりと閉められたガラス戸の向こうには人の気配が微塵も感じられなかった。
等間隔に並んだ電柱の横で、追い越し禁止の赤い標識が負けじと背筋を伸ばしている。
青色の軽自動車が音を立てて直之を追い抜いていき、ゆらゆらと揺れている逃げ水を蹴散らしてカーブの向こうへ姿を消していった。
中浦は確かに下畠駅が最寄り駅だと言っていたはずだった。今更どうにもならないことだが、聞き間違いをしていたのかとズボンのポケットから携帯電話を取り出す。
直射日光の照り返しのせいでよく見えないが、確かに『しもばたけ』と入力されたメモ画面に、ぼたりと汗のしずくが落ちた。
しばらく聞こえていた軽自動車のエンジン音の残響も消え失せて、周囲は蝉の声ばかりである。
山の側面を塗り固めたコンクリがどんどんと近付いてくる。
落石防止のフェンスに覆い被さるように腕を伸ばした木々が、日差しのせいでぼんやりと霞んでいる。
道路の右脇に並んだ民家の列は、打ち捨てられた廃墟を最後に終わっていた。原型こそ保ってはいるが、家屋としての役目は随分昔に終えていた。
背後で突然、甲高いクラクションの音がした。
何事かと立ち止まって振り返ると、白い軽トラックが駅前のロータリーから道路に出ようとしている。
行き交う車どころか、道路には直之と電柱らの影しか落ちていないというのに、不思議な運転手だなと思った。
軽トラックはこちらに顔を向け、後輪まで道路に出てからようやく左折の方向指示器を点灯させている。
普段見慣れた車と同じ乗り物とは思えない乱暴なエンジン音が、地鳴りのように大きくなる。
軽トラックは轟音とともに直之を追い抜いていった。
遅れてやってきた熱風が直之の髪を揺らす。
反対側の歩道に突っ立っている電柱に目がいく。
『オオムロチヨウ シンバタ』と書かれた街区表示板の下に、笑顔の女性の写真と『生活を大切に』と書かれた看板が立てられている。
もう1度クラクションの音がしたので、直之は視線を進行方向へと移した。
軽トラックが、カーブの手前で停車している。思い出したようにハザードランプをつけて、運転席の窓から黄色いタオルを巻いた男の頭が突き出てきた。
ごお、と今度は山から風が吹き下ろしてきた。
蝉の合唱が一気に大きくなって、またすぐに彼方へと消えていく。
黄色いタオルが忙しなく周囲を見回してから、直之に向けて何やら言っている。
そのとき初めて、潮の匂いらしいものを感じた。
電柱の上にいた海鳥が、みゃあと鳴いて飛び立っていった。
線路際のフェンスの向こうに、坊主頭のような島影が見える。
所々にぐりぐりと白い刷毛を塗りたくった、見たこともない色をした空を見上げる。
海と直接繋がっているのだろうそれは、とても昨日まで直之が見上げていた空と同じとは思えない。
夏が終わり始めているなんてとんでもない、と思った。
おおい、と大声をあげながら黄色いタオルが不審そうな顔でこちらを見ている。
「柳井くんかあ」
自分の名前が呼ばれている。