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御霊の娘子  作者: あかば
怪文書
14/25

「お前、俺の授業を聞いてなかったのか。本を読んでも分からないなら著者に問い合わせるか現地調査だ。さっさとしろ」


 次は何を調べたらいいのか、という直之の問いかけに対して、天誅教授はそう吐き捨てた。

 2人連れの女子生徒が、憐憫の視線をこちらに向けながら足早に横を通り過ぎていく。

 考えなしに天誅教授の背中に声をかけたことを後悔しながら、直之は授業棟2階の踊り場を一目散に後にした。

 恥じらいの感情を持つ直之と違って、あの天誅教授が周囲を行き交う人目など気にするはずもなかった。


 研究棟に駆け込んでもまだ、耳の奥でどすの利いた声が反響し続けている。

 研究室ではパソコンに向かっている幾人かの上級生の他に、中浦が机に突っ伏していた。

 扉が開く音に反応して持ち上がったいがぐり頭が、直之を認めて破顔する。


「廊下で天誅にしばかれてたんだってな」


 いくら何でも話が広まるのが早すぎるだろう、とがくりと肩を落としながら荷物を机に置いた。


「問い合わせってどうすればいいんだろうな」


 自分に問いかけられていると思っていなかったらしく、中浦は返事をしなかった。肩をつついてやっと「おお、ええ」と間抜けな声が返ってくる。


「俺に聞いてんのかそれ」


「他に誰がいるんだよ」


「他にって、色々いるじゃねえか。どうなんすか先輩」


 研究室の左隅に置かれたモニターの向こうから、「俺に聞くなあ」と悲痛な返事がよこされる。

 その反対側のパソコンの前で、洋画の小道具のように立派な表装をされた大きな書籍と睨みあっていた女の先輩が、「それで天誅に怒られたの」と問いかけてくる。


「怒られたというか、これだと思った参考文献が全然大したことなくて、次はなにを調べたらいいですかって聞いたら」


「ソンナモン、俺ガ知ルカヨー、エエー」


「先輩、結構余裕っすね」


 中浦に言われて、天誅教授の声真似をした先輩がひひひと笑い、女の先輩は同情するかのように鼻を鳴らした。


「資料探しは参考文献から参考文献をどんどん辿っていくしかないけれど、それが途切れたんなら天誅の言うとおり、直接著者に問い合わせてみるか、まったく別の方向から調べるかのどちらかしらね」


「柳井と中浦はまだ3年だろ、そんなに急がなくてもいいんじゃねえのか」


「俺もそう思うんですけれど」


 相変わらず無秩序に文字列が書き殴られているホワイトボードを眺めながら、ため息混じりに返答する。

 卒業論文提出まで、あと161日!

 手製の日めくりカウントダウンには、何かのアニメの女の子の絵が高らかにそう宣言しているコラージュが印刷されている。

 あと半年もないんだな、と思う。

 あと161日で、夏は終わり、秋も過ぎ去り、4年生の先輩たちが研究室に入り浸る日々は終わる。

 そして新たに、直之らがカウントダウンの日めくりを作らねばならなくなる。


「大原そう言ってさ、ちょっと後悔してるんでしょ。あーあ、3年のときからちゃんと卒論の準備しとけばよかったー、って」


 返事はなかった。不満そうにぎいぎいと軋む椅子が、大原先輩の憤りを代弁しているかのようだ。


「けどなあ。資料がないなら直接書いた人に聞け、って無理難題だと思うわ。岩崎だって出来ないだろ。だって考えてもみろよ、相手は見たこともないようなお偉い先生様だぜ」


 俺らみたいな学生の相手なんてしてもらえるのかよ。

 寸分違わず内心を言い当てられて、直之は何度も勢いよく頷いた。岩崎先輩も嘆息して同意を示している。


「緊張するわよね。あたしも難しいかな。それより新しい資料を探しに逃げちゃう」


「でも先輩」


 天井に向かって息を吐き出しながら、直之の身体がどんどん椅子からずり落ちていく。

 手元の本を音を立てて閉じ、岩崎先輩がこちらに向き直る。

 肩の少し上で揃えられた黒髪がふわりと揺れ、直之らと比べると幾分か白い首もとに下げられたアクセサリが、陽光を反射して微かに輝く。


「それ、天誅先生にも言えますか」


 しばし、研究室は静寂に包まれた。


「天誅に」


「天誅にかあ」


 数秒、2人の先輩は思案していた。


「言えないよねえ」


「言えないよなあ」


 はあ、とつかれたため息は3人分だ。


「しょうがねえよ柳井。恨むんなら天誅に目をつけられた自分のテーマを恨め。なんて書いたんだよ卒論演習で」


 直之が答える前に、岩崎先輩が「それ」とホワイトボードを指さす。きれいに手入れされた薄桃色のネイルの先には、直之ら3年生の『卒業論文テーマ(仮)』と題された表が貼られている。

 直之の名前の横には『絵馬(詳細不明)』と書かれているはずだった。


「なんだ詳細不明って」


「言葉通りです先輩。よく分からない絵馬について調べたいって言ったらそれがテーマにされて、資料を調べてるんですけどまだよく分からないままです」


「ああ、そういうの好きそうだね天誅って」


 再び資料との格闘に戻ったらしく、背中を向けたまま岩崎先輩はそう言った。

 しょうがねえよ、と大原先輩は言った。

 その通りなんだと思う。

 無理難題だと思えても、天誅教授がやれと言った以上はやるしかないのだろう。


「かわいそうに」


「憐れまないでください先輩」


 かわいそう、かわいそうと口ずさみながら大原先輩は席を立ち、机を挟んだ直之の向かい側に思い切り腰を下ろした。

 机の上に置いてあるガラス鉢を引き寄せ、中からつまみ上げた海苔煎餅をばりばりと咀嚼する。どうやら作業の中断を決め込んだらしい。

 岩崎先輩の不満そうな呻き声が背中越しに聞こえてくる。


「中浦、お前なんか考えてやれよ。お前ならお偉い先生だってぎゃふんと言わせられるだろ」


 眠っているのかと思われたくらいに黙り込んでいた中浦が、大原先輩に呼びかけられてバネのように顔を上げた。


「はい、えっ、なんですか」


「聞いてなかったのかよ、お前」


 聞いてましたよ、と中浦が胸を張って答える。


「ぎゃふんと言わせたらいいんでしょ」


「違うっての」


 ため息混じりに直之も煎餅に手を伸ばす。無言で伸ばしてきた中浦の手にも渡してやる。


「問い合わせなあ」


 煎餅をかみ砕く3人分の音が会話に混じる。

 先に食べ始めたはずの大原先輩よりも早く煎餅を飲み込んだ中浦が「どこに問い合わせんの」と直之に問いかけてくる。


「大学。その資料を作ってるところの」


「大学かあ」


 再びばりばりと音が鳴り始める。中浦が2枚目の煎餅を咀嚼し始めた音だった。


「適当でいいんじゃねえの。読んでもわけ分からないから分かる人から直接連絡欲しいっす、みたいな」


 どう思うかと、大原先輩に無言で伺う。直之の視線に気付いた先輩は無精髭を撫でながら「俺が知るかよお」と情けない声を出す。

 それでも自身の方を向いたままの後輩の視線にいたたまれなくなったのか、椅子の背もたれに倒れ込むようにして大きく大原先輩は身体を伸ばした。

 180センチを越える大柄を受け止めきれずに、新調したばかりの椅子がここにいない研究室事務員に助けを求めて悲鳴をあげる。


「いいんじゃねえか。正直に言っちまえよ、分からんから説明してくれって。どうせ知らん人なんだし、なんたらは掻き捨て、ってやつ」


 そうしようと思った。

 決め手は大原先輩の言った「どうせ恥は掻き捨て」という一言だと思う。


「そうします」


 言葉に出して、2人と、自分に言い聞かせた。


「よおし、じゃあパソコン交代ね。はい交代交代交代」


 急に岩崎先輩が立ち上がった。

 一気にまくしたてながら直之と中浦の間に割り込んで、思い切り両手を机について、ものすごく変な声を出しながらものすごく長い伸びをする。

 一挙一動のたびにいい匂いがして、どぎまぎした。


「あたしも煎餅食べる。ん」


 はい、と煎餅を差し出す中浦には鼻がついていないのだろうかと思った。


「やってられないよこんな作業。休憩休憩、休憩よ」


 小さな顔の小さな口から、ばりばりばりばりと信じられない音が鳴る。


「ヤナイーの卒論はともかくさ」


 ばりばり、ごくんと音を立てて岩崎先輩の喉が上下に動く。


「あんたはどうなのよ中浦」


 大丈夫なの、といがぐり頭がのぞき込まれる。健全な男子なら平静を保っていられるはずがない距離だというのに、中浦は虚空を見つめて欠伸のようなため息を発するばかりだ。

 鼻だけでなく目もついていないのだろうかと思う。


「いやあ、困ったもんですわ。ほんと」


「あんたも先生に言われて研究室に通ってるんでしょ。誰んところのゼミなのよ」


 中浦が答える前に、大原先輩がホワイトボードの一覧表を指さして言う。


「こいつ栗山さんのゼミ。岩崎と一緒」


 ああー、と次の煎餅に手を伸ばしながら岩崎先輩は呻いた。


「あんたも栗さんかあ。あの人ってあんまりくっついて教えてくれないからね、頑張ってねえ」


 くすくす笑いながら、岩崎先輩はパソコンの前へと戻っていく。

 大原先輩も「仕方ねえなあ」とぼやきながら作業を再開しようと椅子から立ち上がった。

 直之の頭の容量も、問い合わせの文章のことでどんどん埋められていく。

 中浦だけが変わらず煎餅をかじり続けながら、なにやら鼻歌のようなものを歌っている。

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