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御霊の娘子  作者: あかば
怪文書
13/25

 山口県の南東部、瀬戸内海に浮かぶ大小いくつかの有人・無人島と、本土側の自治体1つを総じた行政区を中島郡というらしい。

 大室町というのはそのうち本土に置かれた、農業と漁業が中心産業の、人口1万人ほどの小さな町。それでも中島郡の中では唯一鉄道が通る、言わば核となる自治体なのだという。


 『大室町誌』の『第2章 大室町の歴史』のうち、『近世』の項目の中に、『出産儀礼と絵馬奉納』と題された小論文は取り上げられていた。

 研究紀要などではなく、市町村誌に個人が書いた研究論文が用いられているのはなんだか不思議な感じだな、と思った。


 【地域の住民が『ツリエマ』と称する絵馬の奉納は、大室町大字迎室の蛭子神社に特有の風習である。

 迎室地区に子供が産まれると、1辺40センチメートルほどの板絵馬を用意し、子供の誕生年月と名前を記して奉納する。用いられる図像はおおよそ決められており、宝物や縁起物とともに着飾った童子の絵が描かれる。鯨や鮫と思われる大魚が併せて描かれることもある。

 風習や図像の由来は古老の話でも定かではないが、迎室地区に集落が営まれ始めるのは大室町の他の地区と比べて古くはなく、江戸時代になってからと思われている。この風習もそのころに他から持ち込まれ、その後地域の実情にあわせて変質したものではないか。】


 おおよそこのような内容の論文から、『大字 迎室』という項目は始められていた。

 あとは迎室地区の歴史について書かれているばかりである。交通の要地として幕末に代官所が置かれたこと、近代になって漁業で財を成した住民が多かったこと、戦後は住民が離れていくばかりで、大室町の中でも特に高齢化が著しく進んでいること。

 その次のページからは、もう別の地区についての記述が始まっていた。


 大きな欠伸とともに本を閉じる。

 これだけしか記述がないのに、よく『山口県民俗史総覧』の編者はこの絵馬について取り上げたな、と思った。

 これだけの内容なら、わざわざ家まで持って帰らなくてもよかった、と少し後悔する。

 天誅教授に気圧されずに、研究室で目を通しておけばよかった。ベッドに倒れ込み枕に顔を埋めて、大学から帰宅する間中ずっと悲鳴を上げていた右肩を労る。

 南向きの自室の中では、夜も更けているというのに未だに熱気が渦巻いている。

 開け放された窓から、階下でなにやら話している父親の声が聞こえてくる。おそらく高校野球の県大会のことだろう。10何年かぶりに父親の母校がいいところまで勝ち進んでいる、と数日前からその話ばかりをしている。

 時折その声が途切れるのは、母親が相づちを打っているのだろう。話の半分も聞いていないだろうに。


 これからどうしようか。

 身体を横たえた途端に、津波のように押し寄せてくる眠気に抗いながら考える。

 たった数ページ分の資料だけで卒論が書けるはずがないことくらい、直之にもよく分かっている。

 とはいえ、『大室町誌』はいわゆる一次資料というやつだ。参考文献リストに目を通してみても、『出産儀礼と絵馬奉納』はどこかから転載されたものではなかった。

 おそらく、町誌の編集にあたって寄稿されたものだろう。


 腕だけ伸ばして、『大室町誌』を枕元に引き寄せる。

 付箋をつけたページの先頭行に、『出産儀礼と絵馬奉納 宮本神代』と記されている。

 この宮本という人はどんな人なのだろう。

 どんな史料を集めて、どうしてこの論文を書こうと思ったのだろうか。


 茹だった頭では思考がそれ以上前に進まず、ごろりと仰向けになって目を閉じた。

 抱え込んだ『大室町誌』の重みが、少し心地良く胸元を圧迫する。

 寝るなら電気を消さないとな、と夢うつつに思った。

 微かに揺れるカーテンの音や、くだを巻き続けている父親の声や、少し向こうの幹線道路で鳴っているクラクションが、あっという間に意識の彼方へ遠ざかっていく。

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