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御霊の娘子  作者: あかば
怪文書
11/25

 アスファルトがじりじりと音を立てている。


 降り注ぐ太陽光からは、少しばかりの容赦も感じられない。水を得た魚のはずの蝉さえも閉口しているらしく、今日の彼らの声量は幾分か穏やかだ。

 わずかな憩いの場所である街路樹の影は足下に小さく落ちているばかりで、大学の敷地内はことごとく炎天下に晒されてしまっていた。


 日傘を手にだらだらと歩いている女生徒を追い抜き、直之は遮るもののない路面を駆けた。研究棟に飛び込んでようやく息をついたときには全身が汗びっしょりで、頭頂部に至っては少し焦げ臭く感じる気さえした。

 ますます中浦は研究室にいないように思われた。こんな熱射の下を歩いて勉強に勤しむような男なら、そもそも教授から缶詰を強制されるはずはなかった。


 3年目の大学生活が始まってからというもの、入学してからの2年間を合計したよりも多く通っている研究室の扉を開ける。

 蛍光灯は、部屋の後ろ半分だけが点いていた。

 冷房は未だに調子が悪いままらしく、壁際のスイッチの液晶にはなにも表示されていない。

 ぶうんと聞こえる音がパソコンのファンかと思ったら、卓上扇風機が首を振り続けているのが目に入った。少し前までは誰かが室内にいたのだろうと思われた。


 やはり中浦はいなかった。

 音を立てて腰掛けたソファからは、少しばかりの室外の熱が感じられた。書架のガラス戸に貼られている今年の時間割表によると、今日の昼からは4年生らの卒論指導が割り当てられているらしい。

 もうしばらくの間は、誰か入室してくる人がいるとは思われなかった。


 少し前から、ホワイトボードには様々な張り紙に加えて『卒論提出まで後○日』という日めくりが掲示されている。

 その右上に、見覚えのある汚い字で『メール確認 柳井』と書かれていた。

 茹だった頭でのろのろと立ち上がり、ホワイトボードに歩み寄って自分の名前を消す。


 直接言ってくれたらいいのに、と思った。


 入り口の側にあるパソコンの電源ボタンを押す。凶悪な音を立ててファンが回り出し、悲鳴のようなものを2、3度あげてからモニターに光が灯る。

 いつか発火するんじゃないかとはらはらしながら立ち上がるのを待ち、メールサーバーに接続する。受信フォルダには未読メッセージが3件格納されていて、1つはどこかの学会から、もう1つは就活を支援しているような団体からと思われた。

 最後の1つの送信者は、某国立大学の人文学部研究室、となっていた。タイトルには『お問い合わせの件について』とある。

 受信日は昨日の昼過ぎとなっていた。

 『前略』から始まる本文に目を通していく。

 これが物を問い合わせたり回答したりするときの文章の書き方か、と自分が発信したメールの内容のことを振り返り、少し情けなくなった。


『総覧を編集するにあたり参考に用いた資料の中で問い合わせられている絵馬に関するものは、参考文献一覧のうち、論文の項目の17番目の資料である』


 発信者の人柄が何となくわかるような丁寧な言葉回しで、おおよそこのような内容がメール本文には書かれており、最後はきちんと『草々』で締められていた。

 持ち歩くのが困難だからと、一通り読み終えてからは研究室の書架の空きスペースに置いたままにしてある『民俗史総覧』を取りに立ち上がる。

 時計を見上げると、直之が研究室に来てから20分ほどが経っていた。全く気付かないうちに、昼の授業の開始のチャイムは鳴っていたらしい。

 『業務用アルコール』とラベルが貼られた、1番右端の書架の1番下の引き戸を開ける。

 あれこれ乱雑に詰め込まれた書籍や資料や、飲み差しだったり未開封だったりする酒瓶が林立しているのをかき分けて、乱雑に諸人が詰め込んだ書籍や資料の山の中から目当てのものを引っ張り出した。

 もちろん、研究棟は禁酒である。教授らにはばれているに決まっているのに、誰も片付けないままに今も深まり続けている混沌の様相に、思わず嘆息する。


 厚いページを背表紙の側からめくっていくと、『参考文献 論文』という表題はすぐに見つかった。ずらりと箇条書きされた文字の並びを上から数えていく。


『出産儀礼と絵馬奉納 大室町誌 宮本』


 17と振られた番号の次にはそう書かれていた。その後ろに書かれている数字は参考文献の発刊年だろうか。

 思わず感嘆のため息が漏れた。ようやく宝の地図を捜し当てた気分である。

 天誅教授のところに向かおうかと思って、もう1度時計に目を向けた。今行われているだろう授業が終わるのには、あと1時間ほどかかるだろう。

 先に『大室町誌』なるものを探しに行こうと思った。と言うよりも、天誅教授らが戻ってくるのを無人の研究室で待ち続けるのは嫌だった。


 太陽は天頂をすでに通り過ぎ、今日の最高気温の時間までもう少しである。パソコンの元に戻って電源を切る操作をする。待ってましたとばかりに無音になるのは、起動する際よりもずっと早かった。

 少しはこもった熱気もましにならないかと、窓を少し開けて出て行くことにした。

 開閉のレバーを動かすと、風よりも先に蝉の鳴き声が入り込んできた。音こそ聞こえないが、中庭を挟んだ反対側の研究室の窓に吊されている風鈴がかすかに揺れているのが見える。

 サウナのような室内の熱と比べれば、外気は幾分か爽やかに思えた。これから向かおうとしている大学図書館は冷房が稼働しているはずなので、さらに快適だろう。

 電気は消したが、扇風機は動かしたままにして研究室を後にする。

 トレジャーハンターのような高揚感で頭が一杯になってしまっていたせいで、研究室の扉を閉めたときには、最初に探しにきていた中浦のことはさっぱり忘れてしまっていた。

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