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御霊の娘子  作者: あかば
怪文書
10/25

 青空にそびえ立つ入道雲の背丈は、日を追うごとにぐんぐん伸びていっている。

 梅雨明けの後にやってきていた初夏らしい快活な気候は、あっという間に失せてしまっていた。

 紫陽花の花はすっかり元気をなくして色あせてしまい、ニュースはついに今年1番の台風の発生を告げたところだ。

 たった数日の間に蝉の合唱団はすっかり勢いづいて、焼き付くように濃い緑色をしたそこかしこの街路樹で、夏の雄叫びをあげている。


 件の絵馬について、『山口県民俗史総覧 2』には次のように説明されていた。


『出産や育児に関連する絵馬奉納の風習については、釣絵馬と称するもの(図84)が中島郡に特有のもので興味深い。大魚と子供を描いた絵馬に、生まれた子供の名前を記して奉納するものである』


 天誅教授の「死ぬほど読み返せ」という指示を1週間かけてやり遂げた直之が、あまりのことに絶句したのは言うまでもない。


 たったの数行である。

 何度読み返しても、百数十ページはある分厚い本の中から見つけだすことができた成果は、『図84』という名前の1枚の写真と数行の文章だけだった。


 天誅教授は相変わらず校内を忙しげに歩き回っている。

 たまに研究室で見かけても、直之には目もくれずに何やらぶつぶつ言っているか、4年生の先輩が提出したのだろう紙束を睨みつけているばかりだった。


 卒業論文というのは、思っているよりもずっと大変な作業なのかもしれなかった。


 『山口県民俗史総覧 2』があまりにも頼りにならなかったせいで、直之は入学してから初めて他所の研究機関に宛ててメールを出すことにした。

 半日間パソコンと睨めっこをして何とか書き上げた、釣絵馬という代物に関する詳細を問い合わせる文章が、電子の海を通じて山口県の某国立大学に送られてから3日が経つ。

 某国立大学というのは『山口県民俗史総覧』全体の編集者としてその名前が挙げられていて、どうしてそこに問い合わせることを決めたのかというと、天誅教授が言うように参考文献のリストから次の手掛かりを探し出そうにも、直之にはどの書籍に自分の求めている情報かつながっているのか全く判別ができなかったからだった。


 専門課程の授業をちゃんと聞いていれば、何か違うものが見えるのだろうかと少し後悔した。3日間、授業中の居眠りが減っているのはそういう心境の変化のためである。


 午前最後の授業が終わるチャイムは数分前に鳴った。

 直之の今日の受講予定はこれで終わりである。

 連れだって帰ろうと中浦が受講している1つ上の階の教室に向かったら、帰り支度をした他学部の女生徒に彼は先ほど出て行ったところだと教えられた。

 珍しいなと思った。いつも自分が呼びに向かうまで教室で何やら他の友人らと話し込んでいるというのに。

 もしかしたら、ひと足違いで研究室に向かったのかもしれなかった。

 なにせ、教授から缶詰を強制されている身である。あの手この手で逃げおおせようとしていた中浦も、観念したのかここ数日は研究室で唸っていることが多いらしいと聞いた。

 初めて言葉を交わした入学式後のオリエンテーションから3年経つが、あの中浦が教授に強制された程度で真摯に学業に取り組むとは思っていなかったけれど、と直之は首を捻りながら階段を降りていく。


 校舎内には、各教室から微かに漏れ出ている冷気が漂っている。ぴしゃりと閉め切られた1階のガラス戸の外は真っ白に輝いていた。

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