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御霊の娘子  作者: あかば
海辺の駅にて・序
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ゆっくりとですが、出来るだけ決まったペースで更新していきたいと思います。


誤字脱字、感想等ございましたら、お気軽にお願いします。

 年季の入ったポスターが1枚貼られているだけの、これまた年季の入った駅舎の壁と、柳井直之はじっと相対する。


 恐らく最初に貼られてから、それっきりにされているままなのだろう。

 駅の周辺図と、いくつか並んだ地元企業の広告は青白く褪せて薄れてしまっている。かろうじて読み取れるのは『ようこそ大室町へ』という文字だけだ。

 なんとか地図を読みとろうと悪戦苦闘していた直之が、小さく掠れつつも何とか生き残っていた注意書きに気付いたのは10分ほど前のことで、それからもうずっと物言わぬ壁とのにらみ合いが続いている。


『迎室島 は、次の静井港駅  お越しく さい 下畠駅 大室町役場 光課』


 何度見直しても、注意書きに書かれている駅名は、直之が降り立った現在地である下畠駅とは違う場所を示しているように見える。

 昨夜の宿の最寄り駅を出発してから、およそ1時間が経とうとしている。慣れない路線旅のせいか旅先の夜に疲れが取りきれなかったせいか、車内でぐっすりと寝入ってしまった直之が、けたたましい発車のベルと事前に調べていた駅名を連呼する車内放送に起こされて、慌てて電車を飛び降りたのが何分前のことだったか。


 それより後にこの小さな駅を通り過ぎたのは、外国の映画でしか見たことのないような途方もない長さの貨物列車だけである。


 もう随分と高くなった日光がじりじりと焼くレールの上に、誰かのため息だけでも霧散してしまいそうな陽炎が静かに揺らめいている。少し離れたところに小さく見える踏切の警報機は、さっきからずっと黙りっぱなしだ。


 ちらりと腕時計を見る。午前10時半を少しばかり過ぎていた。


 10メートル四方もないように思われる木造駅舎の中には古ぼけた券売機とベンチがあるだけで、人の気配らしいものが全くない。通勤通学の時間を過ぎているとはいえ、窓口のカーテンがぴしゃりと閉まったままで大丈夫なのだろうかと思う。


 普段はあんなにうるさく感じるアブラゼミの大合唱は、水を隔てているかのようにくぐもって、冷たいコンクリの床に反響している。

 線路と平行に走っている道路ではときどき車が行き交っているようだが、道路と比べて少し小高くなっている駅舎の正面に設けられた坂状の停留所に阻まれて、その音はほとんど聞こえない。

 無人の改札機を隔てた向こうには、駅名標がぽつねんと佇んでいる。遮るものがないホームの上で風雨や日差しを堪え忍び続けた「下畠」の文字のさらに背後には、真夏の色をした瀬戸内海がきらきらと輝いている。


 もう一度ポスターを見直してみる。確かに事前に調べた目的地への最寄り駅は、現在地で正しいはずだったのだが。


 静井港駅。


 聞いたことのない駅名が記された、もしかしたら直之よりも年上かもしれないポスターの注意書きが、迂闊な来訪者を無言で責め立てている。


 恐るべきことに、駅舎の中には時計がなかった。それどころか、時刻表さえも備え付けられていなかった。

 直之の住まいも3年間通っている大学も、お世辞にも都会とは言えない場所にあるが、それでも改札は自動だし、小さな駅にも駅員は1人か2人は常駐しているし、電車を1本乗り過ごしても15分から20分ほど待てば次の電車は来る。


 先ほど葡萄色のコンテナを満載した貨物列車を見送っている間、直之は今日はこの駅に次の電車が訪れないのではないかという恐ろしい空想に苛まれた。

 ひょっとしたら、自分は都市伝説に謳われている

ような、立ち入ってはいけない場所に迷い込んでしまってのではなかろうか。


 時の流れから取り残されたようなレールと駅舎が発する恐怖感と威圧感のようなものは、現代の喧噪の中ではもう神社や廃墟にしか存在しないようなそれとよく似ているように思われて、ますます直之の背筋を冷たくさせたのである。


 目的地への最寄り駅を教えてくれた友人の顔を思い出す。よくもやってくれたなと、恨みがましいため息を遙か彼方に向かってつく。

 なにも解決策を示してはくれないポスターから逃げるように目を背け、どうやら1駅分西にあるらしい静井港という場所に向かう方法を思案する。もちろん、駅で待っていればいつかは電車は来るだろう。


 いつ?


 ホテルの最寄り駅で見たうろ覚えの時刻表と、ホームの向こうを通り過ぎていった貨物列車を思い出す。


 しばらくそうしてから直之は、いつやってくるかも分からない次の電車を待つことをやめて駅舎を出て行くことを決めた。

 例え知らない町でも、1駅分の距離くらいなら歩いていけるに違いない。


 さあ行こう、と大きく伸びをする。そうしたらずっと狭いところにとらわれつづけていた視界が広がり、直之は薄く埃を被った路線図が券売機の上に掲げられていることに気付いた。下畠、静井港。そのあとにも終点と思しき最端まで、いくつかの駅名が並んでいる。


 ぽたりと水滴が落ちる音が聞こえたが、いつ降ったのか定かでない雨露の音だろうか。それとも額を伝っ

ていった汗の落ちる音だろうか。

 セミの声が少し大きくなったのは気のせいかもしれない。

 庇の向こうから、日差しがじりじりと改札口へと手を伸ばしている。直之はもう一度、昨日出発した自宅の最寄り駅と繋がっているはずのレールを見た。


 相変わらず窓口を覆っているカーテンは微動だにせず、小さな駅舎は静まり返ったままだ。


 電車が来る気配は、未だない。

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