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FATAL=零  作者: 叶あたる
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五章 〝儀式〟

 和真が生贄のことを知り数日が過ぎた――。

 あれから、天寧は儀式の準備に入ったらしく、今日まで、和真が天寧に会うことはなかった。

 そうこうしているうちに、予定していた宿泊日数も終わりを迎え、和真と春香は、自室で帰りの支度をしていた。

「…………」

 ひととおり荷物をまとめ終え、帰りの準備を済ませた和真は、自室に置いてある一つのキャンバスを眺めていた。

 キャンバスには、椅子に腰を下ろした、二人の女性の絵が描かれている。

 輪郭部分は、自身の記憶から整えることが出来たが、表情の細かさなどは描くことが出来ず、結局、未完成になってしまった絵。

「和真、居る?」

 和真が、未完成のキャンバスを無言で眺めていると、扉をノックする音が聞こえ、続くように、少女の声も聞こえてきた。

 扉の向こうから聞こえてきた声に、和真は反応を返さなかったが、沈黙を肯定と捉えたのか、少女は「入るよ?」と一言断りを入れ、扉を開いてきた。

 扉が開くと、そこには、春香が立っていた。ハーフパンツにノースリーブの赤いシャツを着た、彼女らしい活発的な服装をしている。

 和真は、部屋に入ってきた春香に一瞥すると、再び、キャンバスのほうへと視線を戻す。

「それ……あのときに描いたやつだよね?」

 和真の横に立ち、覗き込むように、春香も一緒にキャンバスを見る。

 春香の問いかけに、和真は、無言だった。

 いつもなら、彼の態度に怒るところだが、和真の様子と、数日前に起きた出来事のことを考えると、春香は、とてもそんなことをする気分にはなれなかった。

 しばらく沈黙が続くと、耐え切れなくなったのか、和真のほうへと振り向き、春香が口を開く。

「仕方ないよ……」

 自分でも納得することの出来ない言葉に、顔をうつむかせながら春香が続ける。

「昔からやってることなんでしょ? 私たちがどうにか出来ることじゃないよ……」

 言葉が上手くつむがれない、春香がそんなことを胸中に感じていた。

「天寧だって、覚悟は出来てるって言ってたじゃない、これ以上、私たちが口をはさむことじゃ……ないよ」

 ――自分は何を言っているのだ。

 和真を励ましているつもりのはずが、口からつむがれていくのは、自分が伝えたいこととはまったく関係ないことばかりだった。

「正直言うとね。実感湧かないんだ……」

 和真の隣に立ったまま、春香は顔をうつむかせる。

「生贄とか、掟とか……だってそうでしょ? ちょっと前までは、あんなに楽しそうに一緒にご飯を食べたり、天寧、笑ってたんだよ?」

 「笑ってたんだよ……」と、最後に言った言葉を、春香が再びつぶやき顔を上げる。

「そ、そうだ! なんなら、今から行けば、この絵の完成には間に合うかもよ?」

 ――最低だ。

 先ほどから発していく言葉に、春香は自己嫌悪を感じながら、心の中で、自分で自分に罵倒の言葉を浴びせる。

「春香……悪いけど、一人にしてくれないか……」

「ご、ごめん……」

 キャンバスを見つめながら、じっと聞いていた和真が発した言葉に、春香は、バツの悪そうな顔をしてうつむいた。

「じゃ……先に、外で待ってるね」

 部屋の外に出ようと、春香は扉へと向かう。

「春香……」

 ドアノブに手をかけ、春香が扉を開けようとすると、不意に後ろから声をかけられ、ドキッと体を震わせ、手を止める。

「ありがとう。もう、決めたから――」

 和真の言葉に、春香は微笑を浮かべる。

「止めたって無駄なのは分かってる」

ドアノブに手をかけたまま、後ろを振り返らずに、春香が続ける。

「でも、無理だけはしないで、無事に戻ってきてね……」

 春香のお願いに、「ああ!」と、和真が自信に溢れた返答をする。

 その返答に満足したのか、扉をゆっくりと開け、春香が廊下へと出ていく。

 廊下に出ると、ゆっくり扉を閉め、春香は壁にもたれかかった。

「バカ……」

 誰に聞かれることもないささやきを春香がこぼし、壁から離れると、そのまま廊下の先へと歩き出し姿を消した。



 春香が部屋を出てから数分がたち、一人残された和真は出かける準備をしていた。

――儀式の妨害――。

 具体的な方法は何も考えては居なかった。

だけど、それでも、もう一度会えば、何とかなるのではないかと、そんな短絡的で淡い期待を抱いていた。

 荷物は部屋に置いたままにし、和真は部屋を出た。

 どちらにしろ、外に出ないことには行動を起こすことが出来ない、そう考えながら、廊下を渡り、旅館の玄関にたどり着くと、この旅館の女将で、天寧の母でもある真央が立っていた。

「和真君」

 真央が和真を見据える。

 穏やかな物腰は変わらないが、その穏やかさが、かえって、和真に目をそらすことを許さない威圧感を与えていた。

「真央さん……俺は――」

 真央の雰囲気に、いたたまれない気分になり、和真が口を開こうしたが、和真が言葉をつむぐよりも前に、真央が和真の横に立ち、和真の手に印の書かれた地図を渡してきた。

「岩戸の裏には、この村でも一部の人しか知らない、専用の抜け道があるの」

「真央さん?」

 真央の突然の言葉に、和真は目を丸くして驚く。

「これはただの独り言よ。別に、誰かに言っているわけじゃないわ」

 真央から発せられた言葉の真意に気付き、和真は、そのまま真央の言葉に耳を傾ける。

「そこからなら、儀式が始まる前に、先回りすることが出来るわ。脱出するときも、そこから出れば問題はないでしょう」

 真央が説明を続けると、一息おいて、かすかに和真のほうへと顔を動かした。

「本当はね。村の掟とか、そんなこと全部放り出して、天寧を連れていきたいと思ってるの……」

 真央の口から発せられる言葉に、和真は黙って耳を傾ける。

「でもね、大人って面倒な生き物なの、それが、みんなの上に立つような立場の人間ならなおさらでね。一度決められことは、そう簡単には取り消すことが出来ないのよ」

 目を伏せながら、真央が正面に顔を向ける。

「あの子を……天寧をお願い……」

 村の掟などではない、一人の母親として、真央の心からの願いに、和真は静かにうなずき、真央に背を向けながら玄関から飛び出した。



 儀式の準備が行われているためか、村の建物のいたるところで、しめ縄などが飾られている。

 もしかしたら、自分の住んでいた場所で行われていた祭りや催しごとも、自分たちが知らないだけで、生贄とかで誰かを犠牲にしているのだろうか。

 ふと、そんな考えを頭によぎらせながら、和真は、真央に教えてもらった岩戸の裏口へと向かっていた。

 向かう途中、外で待っていると言っていたのに、春香の姿を見かけなかったことに疑問があったが、こちらの意図を理解して、きっと部屋で待っているのだろうと思った和真は、考えるのをやめて走り続けていた。

「あれか!」

 地図に書かれた印を頼りに、しばらく走り続けると、丘の上に出る形になり、そこから例の岩戸が見え、和真は足を止めて周りを見渡す。

 ほとんど使われることがないのか、見張りなどは一人もおらず、辺りに生えている、伸びきった雑草は、手入れが行き届いていないことがよく分かる。

 生贄の巫女が決まったら、その巫女が、一定の年齢に達したときに捧げられるのだということだ、頻繁に行われるのならば話は別だが、そうでないというのならば、わざわざ儀式自体とは関係ないこっちにまで気を配る必要はないのだ。

 辺りを分析しながら、和真は岩と草の陰から、裏口とは反対のほうへも近付き、様子を探ろうとする。

 裏口とは違い、こちらはしっかりと手入れがされており、儀式を行っていた。

 数十を越える村人が何かに懇願するように、両手で天を仰ぐと、そのまま地面に伏せると、体を起こし、再び天を仰ぐ動作を何度も繰り返していた。

 その異様な光景に、和真が、顔をしかめて眺めていると、見覚えのある顔を見つけた。

 この村の長と名乗る男で、天寧の父親でもある。男は、他の村人とは違い、岩戸の前に置かれた台座に座っている女性のほうを見ながら、何かの呪文を唱えているのか口元を動かしている。

 その男の視線の先に顔を向け、台座に座っている女性を見て、和真は言葉を漏らす。

「天寧さん……」

 天寧だった。

 和真の記憶に残っている着物姿ではなく、白い装束に身を包み、リボンで結っていた髪は解かれ、長い髪を下ろしている。

 岩戸の前に置かれた台座に座り、岩戸から見て向かい合うようになっている。

 天寧の姿を見たことで、今すぐにも、あの場に飛び出してしまいそうになる衝動に駆られそうになるが、和真は、拳を握りながら、その衝動を抑え、裏口の方へと戻っていく。

 雑草をかき分けながら、坂を下りていくと、丁度、先ほどの儀式が行われているところから反対側に、もう一つの岩戸があった。

「これが……」

 固唾を呑んで、決心を固めなおした和真は、岩戸の前に立とうと身を乗り出す。

「がっ!」

 岩戸に手を触れようとした瞬間、後頭部に鈍い衝撃が走り、和真の体はバランスを崩し昏倒してしまう。

 鈍い痛みが後頭部から広がっていき、腰と足に力が入らない感覚に、まるで自分の体ではないかのような錯覚を感じながらも、和真は、意識だけは手放さないようにする。

 何とか、両手に力を入れて体を持ち上がらせようとするが、目の焦点が合わせられず、景色が歪んで見え、軽い吐き気を感じ、上手く力を入れることが出来ない。

「ニャハハッ! げきちーん!」

 何とか、意識を保とうしていると、楽しそうにしている耳障りな声が聞こえてきた。声の質からして、女性だと思いながら、和真が視線を動かしていると、別の方向からも声が聞こえてきた。

「悪いな、小僧。任務の達成に必要……ってわけでもないが、利用させて貰うぜ」

 低い声から、男の声と予想する和真だったが、徐々に薄れていく意識に、視界がぼやけていく。

「そろそろ限界なんじゃない? 無理しないで、ゆっくりおやすみなさい」

 先ほどの耳障りな声が聞こえてくるが、和真は、薄れいく意識の中、一人の少女の笑顔を思い出していた。

「いい悪夢ユメが、見れますように」

 あの笑顔がもう一度見たい――。

 まるで、そんな和真の願いをあざ笑うかのような言葉を最後に、和真の視界は真っ黒に染まり、意識の糸が途絶えた――。



「っ!」

 突如、奇妙な感覚を感じ、天寧は顔を上げた。

 誰かの声が聞こえたような不思議な感覚に、ゆっくりと左右を見渡すが、天寧の視界に映るのは、先ほどから、これから自分を生贄に捧げようとする〝祟り様〟への祈りを行っている村人と、この村の長でもあり、父親でもある男が、経文のようなものを唱えている姿しか見当たらない。

「これにて儀式の祈りを終了する」

 気のせいかと考えていると、天寧の父親が経文を唱え終え、天寧を岩戸の中へと先導しようと岩戸の中へと入っていき、それに続くように天寧が歩き出す。

 父親の後を追いながら、ふと天寧が後ろを振り返ると、岩戸の中へと入っていく二人を村人が見つめていた。

 村人の表情は様々で、中には、申し訳なさそうな顔をしている者も居れば、災厄を免れることに嬉しそうな顔をしている者や、次は、自分の娘が選ばれるのではないかと、心配するように見える顔の者も居る。

 そんな村人の顔をひととおり見終え、天寧は岩戸のほうへと向き直り父親の元へと向かった。

 夏の昼頃にしては、岩戸の中はひんやりしており、壁には光源として、炭鉱で使用されるようなランプが取り付けられている。

「天寧……」

 岩戸の中へと先導していた父親の近くまで天寧が来ると、肩に手をかけ口を開く。

「許してくれとは言わん……村のためとはいえ、お前をどうすることも出来なかった私は、駄目な父親だ」

 天寧の肩に手を置いたまま、目を瞑りながら、父親は自分の娘に謝罪の言葉をかけた。

「だが、これだけは知っていて欲しい、私は、村の長ではあったが、その前に、一人の父親として、お前を愛していたのだと……」

 父親の言葉に、天寧は、自分の肩に乗せられた手に、自身の手を重ねる。

 父親に重ねた手から温もりを感じると、ふと一人の青年の顔が頭をよぎり、天寧は自然と笑みを浮かべていた。

「ありがとう。お父様」

 父を、これ以上苦しませないように。

 これ以上、自分のために、父親が自分を責めてしまわないように。

 天寧は笑顔で答えた。

 その笑顔にすべてを悟ったのか、父親は天寧の肩から手を外すと、背を向け岩戸の入り口へと戻っていく。

 天寧は、父親の背中を見つめながら、岩戸の入り口に戻ったのを確認すると、入り口に背を向けた。

 大岩が引きずられ、地面がこすれる音が背後から響くと、それと同時に、岩戸の中を照らしていた光も収縮して消えていく。

 光が完全に消失すると、辺りには暗闇が広がり、壁に取り付けられていた、唯一の光源であるランプの火がゆらゆらと揺れていた。

「…………」

 ランプが発せられる明かりを頼りに、天寧は奥へと進んでいく。

 岩戸の中は、ドーム状の形をした洞窟になっており、奥に進むにしたがい、天井が高くなり横が広がっていく。

 しばらく進んでいくと、一際広い場所にたどり着き、天寧は足を止める。

 上を見上げると、天井の中心から広がるように松明が備え付けられており、洞窟の中にしては、道中と比べるとかなりの明るさを放ち、禍々しい雰囲気になっていた。

「お? どうやら来たみたいだな」

 そんな光景を天寧が眺めていると、突如、広間の奥から声が聞こえ、天寧が体を震わせながら身構え、声が聞こえたほうを見つめる。

 大きな瓶から液体が流れている絵が描かれたエンブレムを付けた、茶色のコートに身を包んだ男が奥から姿を現した。

 精悍な顔つきからはカミソリで引いたような鋭い目つきを覗かせ、しっかりと手入れがされていそうな 髪は、後ろに束ねオールバックにしている。

 天寧は、奥から現れた男を注意深く見やると、ありえない考えが頭をよぎる。

 この岩戸の中には自分以外の人は居ないはずである。

しかし、目の前に居る男は、どう見ても普通の男性にしか見えなかった。

「あ、あなたは――」

「コウちーん! ほらぁ、これ見てー」

 天寧が困惑した様子で男に尋ねようとすると、彼女の言葉をさえぎるように、大声で洞窟の中を反響させながら、男と同じような服装をした女性が走ってきた。

 女性としては背が高めで、眠そうな垂れ目に、ピンク色をしたボサボサの髪の毛からは、だらしない雰囲気が感じられ、それだけなら、普通の女性ですんだかも知れないが、その女性の胸に抱えられているものを見て、天寧は「ひっ……!」と小さな悲鳴を上げた。

「うっせーよアリス! ただでさえオマエの声は響くんだからよ!」

「えー、だって骨だよ? 人骨だよ? こんなのめったにお目にかかれないんだよ?」

 アリスと呼ばれた女性の胸には、完全に白骨化した人間の遺体と思わしきものをが抱きかかえられていた。

 走ってきた女性の姿に、うんざりした様子で男が答えるが、そんなことを意に介さないように楽しそうにはしゃいでいると、天寧に気付いたのか、彼女へと視線を向け、口を開く。

「おー? どうやら来たみたいだね。へー、……間近で見ると、結構可愛いじゃない」

 アリスの視線に、天寧が軽く身じろぎする姿を眺めながら、「ま、私ほどじゃないけどね」と一言付け加える。

「あ、あなたは……あなたたちは一体何者なのですか?」

 あまりにも突拍子もない事態に、困惑した様子のまま、天寧は二人に問いかける。

「こいつは失礼したな、俺は玖珂弘毅、こっちは同僚のアリスだ。これで満足か?」

 天寧の問いかけに、まるでとぼけるような態度で、玖珂弘毅と名乗った男が返してくる。

 相変わらず、要領の得ることの出来ない状況に、天寧は二人を見つめていると、アリスが天寧に詰め寄ってきた。

「アンタさ、この村の生贄なんだってね?」

「っ!」

 アリスの突然の言葉に、天寧は驚きのあまり後ずさりする。

「えっと、〝祟り様〟だっけ? あの化け物の生贄にされるなんて、アンタも運がなかったのねぇ」

 同情しているようにも捉えられる言葉だったが、アリスの面白がるような口調と表情からは、とてもそんな感情があるようには感じられなかった。

「……あの化け物?」

 アリスから発せられた言葉に、天寧は、はっとして目の前の彼女を見据える。

「〝祟り様〟に何かしたのですか!」

 先ほどまでの困惑していた態度から一転して、アリスに詰め寄っていく天寧の言葉に、面白がるような調子で答えてくる。

「ンフフフ。何だと思う?」

 相変わらず面白がるような調子で答えてくるアリスが、親指を後ろに向けながら、横に広がり天寧に道をあける。

 彼女に示されたほうへと目を向けると、天寧は、何かが横たわっているのに気付き、目を凝らす。

「ひっ……!」

 天寧の瞳に映ったのは、蒼白い皮膚を破るほどに筋肉が肥大化し、血まみれの筋繊維が露わになり、猛獣の牙と見間違うほどに伸びた犬歯と、異様に伸びた爪を持つ人のような何かであった。

「これは……なんなのですか……」

 目の前を横たわるそれは、よく見ると、全身を鋭利なもので切り裂かれたようなあとと弾痕があり、すでに絶命していることが見て分かる。

「嬢ちゃんは、〝異形〟というのを知っているか?」

 目の前に横たわる何かを、天寧がじっと見つめていると、後ろから声をかけられ振り返る。そこには、弘毅と名乗った男が天寧のそばに立っており、天寧が見つめていた何かに、指を指しながら口を開く。

「巷では、都市伝説などと呼ばれていてな、どこから現れて、何で存在するのか分からないが、それに接触することで、人は超常の力を手に入れることが出来ると言われている」

 説明をしながら、弘毅は胸元からタバコを取り出し、火を点けてから一服すると、言葉を続ける。

「だが、生憎と、それは伝説でもなければ作り話でもなく、現実に存在して、様々な怪奇現象とかを引き起こしているってわけだ」

「例えば、〝祟り様〟とかね」

 弘毅の説明に、彼の背中から、顔を出しながらアリスが付け加える。

「まさか……」

 弘毅とアリスの言葉に、天寧は、両手で口元を押さえながら、顔だけを動かし、横たわる何かに視線を向ける。

「そうよ、そこに倒れてる肉の塊が、アンタたちが崇めていた〝祟り様〟だよ。アンタが来る前に、アタシたちが片付けておいたのよ。感謝しないとね」

 視線を〝祟り様〟だったものに向けている天寧に、アリスが彼女の隣に立ち、天寧へと視線を向けている。

「……して……」

「ん?」

 天寧のつぶやきに、アリスが首を傾げる。

「どうしてこんなことをしたのですか!」

 予想外の反応だったのか、天寧の怒号に、弘毅とアリスが、驚きに目を丸くして天寧を見つめた。

「これでは、この村が、みんなが助けられなくなってしまいます!」

 二人に詰め寄るようにしゃべり続ける天寧に、弘毅とアリスの二人がお互いを一瞥すると、肩をすくめてから、アリスは右手を振り上げる。

「キャッ!」

 そのまま右手を振り下ろし、アリスが天寧に平手打ちを放った。

 身長差があることもあり、アリスと比べて体の小さい天寧は、地面に倒れてしまう。

「アンタさ。何で嬉しくないの?」

 地面に倒れた天寧を見下ろしてから腰を下ろすと、アリスは、天寧の髪を掴みながら顔を近づける。

「アンタ殺されかけたんでしょ? 感謝されてもさ、罵倒される筋合いはないんだよ?」

「うっ……」

 アリスの口調は穏やかながらも、天寧の髪を掴んでいる手に力が入っていく。

「そっかぁ! 生贄だからってことで、みんなに大切に育てられたからなんだね! だから、そんな風に、ふざけた考え方が出来るんだぁ!」

 興奮しているのか、アリスの目がやや血走っていき、口も早くなっていく彼女の姿に、天寧は苦悶の表情を浮かべながらも口を開く。

「あなた……もしかして、一人なの……?」

「ッッッ!」

 天寧の言葉に、アリスは顔を怒りで歪ませながら、天寧を突き飛ばした。

「おいおい、あまり傷つけるなよ?」

 二人のやり取りを傍観しながら、あきれた様子で弘毅がタバコを吹かしながら注意する。

「アンタに何が分かるの? 生まれながらに他と違うだけで、不当な扱いを受けてきた人間の気持ちが!」

 地面に突っ伏せられた形になりながらも、天寧がよろよろと体を起こし、それでも意思のこもった声で続ける。

「人の温もりを知らないのですね。本当は、ただ愛されたいだけなのに」

「オマエェェッ!」

 天寧の言葉が、アリスの逆鱗に触れたのか、彼女の怒号が響き渡るのと同時に、ピンク色の髪が真紅に染まっていき、徐々に伸びていく。

「っ!」

「アタシに! アタシに同情するなぁっ!」

 アリスの変化に、天寧は驚きを隠すことが出来ずに、その場に立ち尽くしてしまった。

「アリス!」

 鋭く変異したアリスの髪が天寧へと迫ろうとした瞬間、弘毅の声が彼女を制止する。

「ハァ……分かってるわよ。冗談よ、じょ・う・だ・ん、ちょっと、驚かせただけよ……」

 弘毅の言葉に従うように、彼女の髪が収縮していき天寧から離れていく、怒り自体は収まっていないのか、髪の色は真紅のままだ。

「さて、それじゃ、話を戻そうか」

 アリスが天寧から離れたのを確認して、弘毅がくわえていたタバコをその辺に投げ捨て、天寧に近付きながら話を続ける。

「俺たちは、その〝異形〟ってやつを処理するのが仕事の人間だ。今回、この村にやってきたのも、その〝祟り様〟っていう〝異形〟を確認して処理するためだ」

 淡々とした口調で弘毅が説明していく、天寧へと近付いていくと、彼から発せられるタバコの臭いに、天寧は嫌な顔をしていた。

 天寧の表情に気付いたのか、弘毅は自分のコートを払いながら更に続けてくる。

「で、さっき説明したように、〝異形〟である〝祟り様〟を無事処理できたわけだが、少々、予定外のことがあってな」

「予定外?」

 弘毅が近付くたび、後ろへと下がっていた天寧の背が壁にぶつかる。

「オマエのことだよ。譲ちゃん」

「私……?」

 弘毅の言葉の意味は分からず、天寧は困惑した表情を浮かべる。

「心当たりはあるんじゃないか? 例えば、体のどこかが他のやつらと違う、とかな」

「っ!」

 弘毅から発せられた言葉に、天寧は顔を強張らせる。

〝祟り様〟に接触したことで、背中に表れた天使の羽のような模様を思い出し、自分の体を抱きしめる。

 天寧の沈黙に、肯定の意を感じた弘毅が続ける。

「どうやら心当たりがあるらしいな。俺たちには、もう一つの仕事があってな、それは〝異形〟の力を取り込んだ人間、つまり、〝異能〟を使うことの出来る人間をスカウトすることだ」

 弘毅の言葉に、天寧は黙って耳を傾ける。

「アンタ、そんなに頭が悪そうには見えねぇ、ここまで言えば、俺の言いたいことは分かるよな?」

 弘毅の脅しとも取れる誘いの言葉に、天寧は一瞬眼を瞑り、ある青年の顔を思い浮かべ、眼を開く。

 明らかに、否定の意思を宿した彼女の強い瞳に、弘毅は鼻を鳴らしながら、壁に手をつき天寧を見下ろす。

「それがアンタの答えってわけか、いいんだな? 見たところ、完全には〝異能〟の力には目覚めていない、そんなんじゃ、二人どころか、俺一人にも勝てねえぜ?」

 弘毅が最後通告とも言うべき言葉を発するが、天寧の瞳は、ひるむことなく目の前の男を見据えていた。

「……そうかい、覚悟は出来ているってわけか」

 壁につけていた手を離し、天寧から背を向けると、弘毅はやれやれといった様子でため息をつき、天寧から数歩離れた。

「私を……どうするつもりですか……」

 自分から離れた弘毅の背中を見つめながら、天寧は抱きしめていた手を胸元に寄せ、決意を固めるようにぎゅっと握り締める。

「安心しな、殺しはしねーよ。ただ、譲ちゃんの力を頂こうと思ってな」

 頭をかきながら弘毅が天寧へと向き直る。

 そこには、にやりと笑みを作り、先ほどの彼にはなかったはずの牙を生やした弘毅が立っていた。

「この俺の力、〝ワイルドファング〟でな」

 犬歯に当たる部分が獣の牙のように変異しており、顎の部分まで伸びたそれは赤く染まっている。

「俺の能力は、アリスの〝フランベルジュ〟のように、遠近多様の戦闘には向かないが、代わりに、相手の生命力を吸収する力を持っている。ま、簡単に言うと、この牙の餌食になった奴は、その力を吸い取られるってわけだ」

 自分の力を自慢げに説明しながら、天寧を威嚇するように、弘毅は牙を剥き出しにする。

「最初は、ちぃーっとイテェかも知れないが、なあに、麻酔効果もあるから、すぐに気分がよくなるって」

 そんなことを説明しながら、弘毅が歩を進めようとすると、天寧がかすかに口を開こうとする。

「おっと、忘れるところだったぜ、まさかと思うが、自害しようなんてチャチなマネだけはしないでくれよ? せっかくの能力が台無しになってしまう」

 自身の思惑に気付かれ、天寧は一瞬躊躇するが、それでも、目の前の男にいいようにされるならば、と考え弘毅を見据えながら、舌を噛み切ろうと口を開く。

「そういうことをすると、アンタの大切なお友達が、大変なことになってしまうぜ?」

「え……?」

 弘毅の言葉に、天寧は気の抜けた声をあげ、ふと、アリスのほうへと視線を向けると、彼女の目に映った光景に、驚愕のあまり目を見開きながら声を上げた。

「か、和真さん!」

 天寧の目に映ったのは、アリスの足元で苦悶の表情を上げながら、地面に倒れている和真の姿だった。

「なんで? どうして和真さんが!」

 信じられない状況に、天寧は和真へと駆け寄ろうとするが、彼女の前に弘毅が立ちはだかり、天寧の進行を妨げた。

「感動のご対面って奴だ。ま、俗に言う人質ってやつさ、必要ないとは思ったんだが、まさか、アリスの提案が役に立つとはな」

 弘毅の言葉に、アリスが「ヘヘン」とふんぞり返りながら無造作に和真を蹴り上げる。

「うぐっ……」

 アリスの蹴りを腹に受け、衝撃から和真がうめき声を上げる。反射的に腹部を押さえるが、気絶しているのか、起き上がる様子はない。

「やめてください!」

 アリスの行動に、天寧が悲痛の叫び声をあげながら呼びかける。

「やーだよ」

 天寧の懇願を嘲るように、アリスは再び和真を蹴り上げる。彼女の蹴りが放たれる度、和真の口からうめき声が漏れ、痛みで顔を歪ませていく。

「お願いします! 和真さんが、このままでは、和真さんが死んでしまいます!」

 目の前で行われる仕打ちに、とうとう我慢しきれなくなった天寧は、涙を流しながら顔を伏せ懇願する。

「楽しい! あなたみたいな綺麗な人のそんな表情が見れるなんて、こんな素敵な目にあったら、アリスちゃん嬉しくて失神しちゃうかも!」

 涙を流しながら懇願する天寧の姿を見て、アリスの頬は赤く染まり快感に身を震わせていた。

 両の手を頬に当て、うっとりと快感に溺れているアリスの姿に、さすがの弘毅もあきれた様子を見せている。

「お願い……します……私は、どうなってもいいですから……その人は、和真さんは助けてください……」

「や――」

「そこまでにしておけよ」

 先ほどと変わらず、必死に懇願する天寧の姿に、アリスが否定の言葉を発しようとするが、彼女の言葉を弘毅が制止した。

「なんでよコウちん! せっかく楽しいところだったのに!」

 弘毅の制止が気に入らなかったのか、アリスが口を尖らせながら、あからさまに不満の態度を取る。

「その前にやることがあるだろ、うっかり殺したりでもしてみろ? あの女、何をしでかすか分からないぞ」

 一見すると、弘毅が和真を庇ったようにも見えるが、彼には、そんな寛容の心もなければ、余裕もないのだ。

 力を手にするチャンスを手に入れた――。

 彼にしてみれば、これは千載一遇のチャンスであり、逃がすわけにはいかないのだ。

「……分かったよ」

 そんな弘毅の思惑をかすかに感じ取ったのか、不機嫌ながらも、アリスは和真から足をどかし離れる。

 その様子に、天寧は胸を撫で下ろし、ほっとため息を漏らす。

「さて、そういうわけだ。覚悟は出来ているな?」

「……はい」

 天寧が、安心に胸を撫で下ろしたのも束の間で、弘毅が牙を剥き出しにしながら、天寧へと飛び掛ろうと構えている。

 きっと、あの牙の餌食になれば、もう二度と自分は普通の生活には戻れないのだろう。

 恐怖がなかったかと問われれば、嘘になる。

 それでも、村のためにと、自分を納得させてきた。

 彼に出会うまでは、そう思っていた。

 和真さん……。

 今までの人生を振り返るように思いを巡らせながら、天寧は、胸中で和真の名を呼んだ。

 胸を締め付けられるような気持ち、それが何なのか、未だに天寧には分からなかった。

 そして、もう分かることは出来ないのだろう――。

「さよなら……和真さん……」

 弘毅が天寧へと飛び掛っていく姿を最後に、天寧はゆっくりと目を瞑った――。



 ――静寂。

 もう自分の首筋かどこかに、あの男の牙が突き立てられてもおかしくないはずだ。

 麻酔があるとか言っていたが、痛みや感触を感じないのはそのせいだろうか?

 いくらなんでも不自然を感じ、天寧がゆっくりと目を開けていく。

「え……」

 これだけのことが起こってしまっているのだ。もう何が起きても驚くことはないと思っていた天寧だったが、目の前で起こった光景に、驚きを隠すことが出来なかった。

 彼女の前に現れたのは、髪、顔、体、服装、それらすべてが、黒ずくめのシルエットだけの男で、それは、弘毅とアリスがこの村に来る前に遭遇した、〝カゲホウシ〟と呼ばれる正体不明の〝異能〟だった。

「が……あぁ……」

〝カゲホウシ〟は弘毅と天寧の間に立ち、弘毅の顔を鷲掴みにしていた。

「〝カゲホウシ〟!」

「テ……テメェ……なんでここに……?」

 突然の〝カゲホウシ〟の出現に動揺する弘毅とアリスだったが、〝カゲホウシ〟は、彼の疑問に答えることはなく、鷲掴みにしたまま無造作に放り投げ、弘毅を壁に叩きつけた。

「がぁっ!」

「コウちん!」

 壁に叩きつけられた衝撃で、岩の破片を撒き散らしながら、弘毅が大の字で壁にめり込む。

 壁にめり込んだ状態になり、壁から抜け出そうとする弘毅に、アリスが駆け寄っていき、彼の腕を彼女の細い両腕で掴み、引っ張り上げようとする。

 アリスの力を借りて、弘毅はよろよろと壁から這い出ると、切れ長の目を見開きながら、敵意をむき出しにした瞳で〝カゲホウシ〟を睨みつける。

「…………」

 相対するように〝カゲホウシ〟が二人へと体を向けると、天寧に背を向ける形になる。

 そんな〝カゲホウシ〟の行動に、まるで自分を守ろうとするかのような感覚に、何故か、覚えのある温もりを天寧は感じたような気がした。

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