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FATAL=零  作者: 叶あたる
4/14

二章 〝生贄〟

 ――気持ち的に、足取りが軽い気がした。

 汗もかいてきて、鼓動も少し早くなっているのを感じる。

 まるで、自分の体ではないぐらいに、今まで感じたことがないほどに気分は高揚し、そんな状態なのにも関わらず、悪くない気分だと思いながら、隣で、一緒に歩く少女を和真は見つめていた。

 姫野天寧、巣から落ちたひな鳥を助けようと、木の枝にしがみついていた少女、偶然にも、和真が宿泊している旅館の娘である。

 お互いの自己紹介を軽く済ませ、二人は旅館へと戻っていた。

「では、桐生さんは、この村には絵を描きにいらしたのですね」

 自己紹介の中で、村に来た理由も語った和真に、天寧が興味本位で尋ねてきた。

「ただの趣味だけどね」

 もう少し、洒落た言葉は出なかったのかと、心の中で毒づく和真、元々喋るほうではないことが災いし、会話が途切れてしまう。

 天寧も、見た目どおり大人しい性格なのだろう、接客となれば話は別かもしれないが、先ほどの質問でも、かなり気を遣って出した言葉に違いない、二人は、無言のまま、ギクシャクしながら旅館へとたどり着いた。

 ――旅館に帰ってきて、真っ先に和真たちを出迎えたのは、旅館の女将である真央ではなく、春香だった。

 仁王立ちで、和真を睨んでいる春香を一瞥し、何か虫の居所でも悪いのだろうかと考える和真だが、心当たりは……あるかも知れないが、今すぐは、思い当たるふしがなく、困惑した表情をしながら、春香に近付く。

「ただいま、どうしたのさ? そんなに怖い顔して?」

 和真の言葉に、春香が、目を大きく吊り上げ、本当に怖い顔になっていく。

「だ・れ・が! 怖い顔ですって!」

 相変わらず、凄い迫力だなと和真が心中でつぶやいた。

「あ、あの……」

 さすがに、二人の様子を見かねたのか、天寧が、うろたえながら、和真と春香の間に入る。

「……この子、誰よ?」

 さすがに、知らない子にまで怒鳴り散らすほど、春香は節度を持っていないわけではない、それでも、どこか釈然としない様子で、目を細めながら聞いてくる。

「あ、すみません、私は姫野天寧、この旅館の娘です」

 天寧は、自分の胸元に手を置き、春香の剣幕に負けないほど、しっかりとした口調で答えた。

「え? どういうことなの?」

 天寧の言葉に、春香は、きょとんとした様子で聞き返していた。

「面倒くさいな、説明するから、よく聞いとけよ?」

 春香の様子にあきれながら、和真は、先ほど起こったことを説明した。

「つまり、天寧さんは、巣から落ちたひな鳥を助けようと、木に登ったけど、降りられなくなって――」

 春香が、和真の説明を反復し始める。自分の失態の部分を聞いて、天寧は恥ずかしさからか、顔を赤く染めていた。

「そこを、たまたま通りかかったあんたが、〝助けた〟ってこと?」

 何かが気になったのか、〝助けた〟の部分をやたらと強調してくる。

「何だよ、俺が人助けをするのが、そんなに珍しいかよ?」

 春香の言葉に、苦笑交じりに答える和真。

「……そっか、ごめん、ごめん、私、変な勘違いしていたみたい」

 とりあえずは納得したのか、春香が、悪びれた様子で二人の顔を見ながら謝っている。

 何を勘違いしたのか、少し気になったが、余計なことを聞いて、やぶへびになるのも困ると思い、和真は、旅館の中に入ろうと、春香を横切りながら、歩き出そうとした。

「えっと、一体、何と勘違いしたのでしょうか?」

 天寧が、自分が控えていた言葉を、あっさりと言ったことに驚き、和真は、思わず噴出しそうになりながら、後ろを振り返ってしまった。

「何って……。例えば、実は、ここに来た理由が、あなたに会うためだったとか」

 あまりにも唐突な春香の言葉に、和真は、目を見開きながら、今度は噴き出してしまった。

「まぁ、私に会いにですか?」

 天寧は、口元に手をやり、春香の言葉に、驚きの表情をあげる。

「いやいや、いきなり何言い出すんだよ! 俺がここに来たのは、絵を描くためだって言っただろ!」

「あら? 意外な反応、いつもなら、聞き流すなりして相手にしないはずなのに」

 和真の焦りように、春香は、ケラケラと笑いながら、和真をからかっていく。

「あ、でも、こんな可愛い子なら、会いに来たくなってもしょうがないかな、女の私から見ても、凄く可愛いもん」

 春香から見ても、天寧は魅力的に映っているようだ、「お前なぁ」と、和真が春香に詰め寄るが、その言葉を聞いて、何故か、自分のことのように嬉しくなっていた。

「そんな、可愛いだなんて、で、でも、桐生さんなら、嬉しいかも……」

「へ?」

 二人のやり取りを聞きながら、一人つぶやいた天寧の言葉に、和真は、自分でも信じられないくらいに素っ頓狂な声をあげた。

「あ……い、いえ、何でもないですよ?」

 慌てながら、自分の言った言葉を訂正しようとする天寧。

――そんなやり取りを三人がしているのを、まるで見かねたように、旅館の扉が開いた。

「……あなたたち、そんな所で何をしているの?」

 旅館の中から真央が現れ、三人を見やった。その中に、娘である、天寧の姿も見かける。

「あら、お帰りなさい、天寧、遅かったじゃない?」

 真央の言葉に、天寧は、やや申し訳なさそうな顔をする。

「ただいま、お母様、色々あって、遅くなってしまいました」

 詳しい話は、旅館の中で話すことになり、ひとまず、三人は、旅館の中へと入っていった。

「――なるほどね、和真君、娘が迷惑かけたわね」

 事情を説明し終えると、真央が、和真に頭を下げてお礼を言ってきた。

「い、いえ、そんな、迷惑とは思わなかったし、それに……」

「それに……?」

 和真の言葉に、返事を返してきたのは、真央ではなく、何故か春香であった。

 旅館の外でもそうだったが、ずっと不機嫌そうな顔で和真を睨んでいる。

「い、いや、何でもないよ。ていうか、さっきから何なんだよ?」

 春香の不機嫌な態度に、うんざりした様子で問いかける和真だが、春香から「別に……」と返され、ぷいっと和真から顔をそむけた。

 その二人を見て、天寧は慌てていたが、真央は相変わらず、クスクスと微笑んでいた。

「さぁ、みんな、お腹が空いたでしょう? 食事の用意をするから、先に、お風呂に入ってきなさい」

 真央に風呂場へ案内される。

「お風呂から上がったら、みんなで一緒にご飯を食べましょうね」

 そう言って、真央は、食事の支度をしに、厨房へと向かっていった。



 風呂から上がり、支度をすませた和真と春香は、居間へと案内された。

 普通は、自室に料理が運ばれ、そこで食事をするのだが、真央の計らいと、今日は、和真たち以外にはお客が居ないこともあって、真央と天寧の四人で食卓を囲むことになった。

 居間は、四人が入っても余裕があるほどの広さがあり、明かりの光源として、電灯のほかに灯篭が飾られている。壁には、掛け軸もかけられていて、いかにも和風な部屋といった雰囲気を出していた。

 食卓に並べられた料理は、中々豪勢なものだったと思うが、天寧を意識してしまったこともあってか、緊張した和真の記憶に残っていたのは、刺身と、イノシシの料理が出てきたことぐらいだった。

 談笑を交えた食事を終え、和真は自室へと戻った。

「楽しかったな……」

 ベッドに腰を下ろしながら、話の内容を思い出しながら、和真はつぶやいた。その顔には、言葉の内容とは裏腹に、どこか寂しげな表情をしていた。

 話と言っても、和真の中で重要だったのは、明日、天寧が、和真と春香の二人に、村の案内をしてくれるということぐらいで、それ以外は、本当に、他愛もない話ばかりだった。

 学校での成績の話、趣味や好き嫌い、合間に、春香との関係や、天寧のことを聞いてきたり、何故か、女性のタイプまで聞かれてしまったときは、春香の悪ノリもあって、恥ずかしい思いもしたが、それでも、とても楽しい時間だった。

 家では、叔父さんと叔母さんと一緒に食事をすることはあるが、話す内容は特にないし、従妹もいるが、そちらに関しては、部活の関係で、そもそも顔を合わせること自体が少ない。

 別に、叔父さんや叔母さんが嫌いなわけではない、むしろ、こんな自分を見放さず、家族同然のように接してくれている、感謝してもしきれないぐらいだ。

 ただ――。

 いくら居心地がよくても、いや、居心地がよければよいほど、ここは〝自分の居場所ではない〟のだということを実感させられてしまう。

 そんなことを考えながら、〝らしくない〟と自分の心に言い聞かせながら、和真はベッドに横になり、そのまま眠りについた。



 ――朝の光が窓から差し込み、和真は、目をしぼませながら体を起こす。目をこすりながら時計を見ると、八時を回っていた。

「……そろそろ準備しておくか」

 今日は、天寧が和真と春香に村の案内をしてくれることになっている。朝食を済ませたらしてくれることになっているので、和真は、普段着に着替え居間へと向かった。

 居間にたどり着くと、春香と天寧と真央の三人がテーブルを囲み、朝食を取っていた。

 味噌汁に魚の塩焼き、白ご飯と合わせて添えられた漬物と、正に、定番の朝食とでも言いたくなるような料理が並んでいた。

「おはよう、和真」

 春香が、居間に入ってきた和真に気付いた。

 春香に続いて、天寧と真央も気付き、お互いに挨拶を交わしていく。昨日の談笑もあってか、春香は、すっかり機嫌もなおして、天寧とも打ち解けていた。

「昨夜はよく眠れたかしら?」

 真央の問いかけに、腰を下ろしてテーブルに着きながら和真は「はい」と答え、そのまま食事を始める。

「それでは、村を案内しますね」

 朝食を済ませ、天寧が今日の予定を口にする。昨日のお礼も兼ねて、村の案内をしてくれることになっているのだ。



 旅館を出て、和真と春香は、天寧の案内を受けながら、村の中を散策する。

 気温は高いが、風が吹いていたこともあって、今日は、比較的に大分過ごしやすい気候だった。風が吹くたびに、稲穂が揺れ、それに同調するように、和真の前を歩く天寧の美しい黒髪も揺れる。

 風が顔を撫でるたびに、心地いい感触を感じながら、春香の隣で歩く和真は、村を見渡す。

 昨日と変わらず、人通りは少なく、見かけるのは、畑や田んぼを耕している人たちばかりで、天気がいいこともあってか、大量の汗を流している。

 案内とは言っても、別に、観光地でも何でもない村である。景観そのものはいいが、はっきり言って、見るもの自体はない。

 もっとも、和真は、目の前を歩く天寧の姿を見ているだけで、満足そうではある。

「えっと……なんていうか、静かな村だよね」

 さすがに、ただ歩くだけの状況に耐えられなくなったのか、春香がそんなことを言ってきた。

「すみません。なにぶん、小さな村ですから」

 静かな、とは言っているが、彼女なりに控えめに言った言葉なのだろう、それに気付いてか、天寧は苦笑交じりに答えてきた。

「え! ち、違うのよ? 別に、つまらないとかそういうことじゃなくて」

 天寧の言葉に、はっとして、うろたえながら訂正しようとした春香だったが、余計なことを言ってしまったことに、口をつぐんでしまった。

「気にしないで下さい、普段はここまでじゃないのですが、それでも、静かな村には変わりはありませんので」

 春香の言葉に、悪気がないことは察していてか、天寧が笑顔で答えたが、天寧の言葉に、気になることがあり、和真は神妙な顔で尋ねた。

「普段はってことは、今は何かあってるってこと?」

「え、いえ、それは、その……」

 和真の質問に、天寧の足が止まり、言葉を濁した。その様子を見た和真は、〝しまった〟と胸中でつぶやいた。

「ね、ねぇ、それじゃ、人が居そうなところってどこかないの?」

 二人のやり取りを見た春香は、助け舟を出してきた。その行動に、和真は、二人に分からないように、ほっとため息をついて胸を撫で下ろした。

「そうですね……広場なら、誰か居るかもしれません」

 春香の言葉に、天寧は一瞬表情を曇らせるが、すぐに前を向いて歩き出した。

 一瞬だけ見せた天寧の表情に、和真は、胸が締め付けられるような感覚を感じたが、気にしないようにして歩き出した。

 数分ほどで、広場に到着した。

 広場には、ブランコや砂場などの子供の遊び場所があり、木陰になるところにはテーブルが設置されており、数人の大人が囲っていた。

 ブランコや砂場を見て、子供が見当たらないという、昨日感じていた、奇妙な違和感が杞憂だったのかもしれないと、少しほっとする和真。

 和真たちに気付いたのか、テーブルを囲っていた一人が、和真たちに目を向ける。

 髪型や顔つきは違うが、一人を除いて同じ服装をしている。長袖、長ズボンの作業着を着用しており、手袋をはめて、首には手ぬぐいをかけている。農作業の途中だったのか、服などは泥で汚れている。

 よそ者が珍しいのか、険しい顔で睨んでくる男に、和真は、わずかに目をすぼめる。

「天寧か?」

 その中で、特に存在感を放っている男が口を開いてきた。

 頬はこけ、頬骨が浮き出ている。浴衣の上には羽織を着用しており、こちらを見据える目つきは鋭く、その瞳に睨まれるだけで、その場の空気が萎縮させられそうなほどの威厳と威圧感を持っている。

 威厳のある雰囲気に違わず、低い声を響かせる。男の声が響くたび、天寧の体が強張っていく。

「何故、ここに居る。自分の立場が分かって……」

 何かを言おうとしたが、和真と春香に気付くと、途中で口を閉じた。

「……旅行者ですかな? 私は、この村の長をしている者です。何もない村ですが、ゆっくりしていってください」

 一瞬険しい表情を見せるが、すぐに元の厳格な表情に戻り、和真と春香は、村の長と名乗った男に挨拶を返した。

「天寧、今、話し合いをしているところだ。すまないが、他のところを案内してあげなさい」

「……はい」

 うながされ、天寧は「行きましょう」と言って、三人は、広場を後にした。ふと、和真が後ろを振り向くと、厳格そうな男の表情が曇っているように見えた。



――一通り村を見終えた和真たちは、旅館へと戻ってきた。

 結局、あれから、田んぼや畑を見るだけになり、歩きっぱなしになってしまった。

「あー、疲れた」

 居間に腰を下ろして、春香が軽くストレッチを始める。

「すみません」

 春香の言葉に、天寧が申し訳なさそうに答えてきた。

「なんで天寧が謝るのよ?」

「そうだよ。別に、姫野さんが悪いわけじゃないよ」

 春香に続いて、和真の励ましの言葉に、天寧はうっすらと微笑む。

「悪いのは、面白いことをしなかった和真が悪いのよ!」

 春香のむちゃくちゃな理屈に、和真は、思わず「はぁっ!」っと、驚きの声を上げる。

「何、とぼけた声出してるのよ? 当たり前でしょ!」

「はいはい、どうせ俺が悪いですよ……うぐっ!」

 そっけない態度を取る和真に、春香は、わき腹に突きを繰り出す。「テメェ……」っと、うなる和真を見ながら、春香は屈託のない笑顔を返してくる。

「ふふっ」

 そんな二人のやり取りを見て、天寧は思わず笑顔をもらしていた。

「あ、ご、ごめんなさい! その……お二人の仲の良さに、つい……」

 口元に手をやりながら、天寧が答える姿を見て、春香も笑顔になった。

「よかった。少しは元気になったみたいね」

 きょとんした顔をする天寧の顔を見ながら、春香が続ける。

「天寧、今日、ずっと謝ってばかりだったじゃない、だから、笑顔になってくれてほっとしたの」

「……だからって、もう少し穏やかなのにしろよな……体がいくつあっても足りやせん」

 毒づきながら、和真はよろよろと立ち上がり、春香を一瞥する。

「ごめんね」

 両手を合わせて、春香が、笑顔で謝りのポーズをする。まったく悪びれた様子の感じられない姿に、一瞬血管がひくひくと震えそうになるが、和真は、口の端を引きつらせながら、無理やり笑顔を作って落ち着かせようとしている。

「さぁ、今日は疲れたでしょう。先にお風呂に入って、ゆっくり休養なさってください」

 すっかり笑顔になった天寧が、食事の支度をしに台所へと向かっていった。



 風呂と食事を済ませ、和真はベッドの上で横になっていた。

「…………」

 案内の最中、言葉を濁した天寧の言葉、広場で会った男の言葉、そして、未だに感じるこの村の違和感に、和真は眠れずにいた。

 夏特有の寝苦しさも相まって、和真は旅館内を歩き回ることにした。

 時計は、もう十一時を回っており、夏場とは言え、すっかり暗くなってしまっている。

 旅館内は、光源が最低限しかないこともあり、思ったよりも薄暗く、虫の鳴き声のみが聞こえてくる。

 特に行き先もなく、和真が旅館内をぶらぶら歩いていると、先のほうから、水が床をはねるような音が聞こえてきた。

「なんだろう?」

 音のするほうへ近付くにつれ、水のはねる音が大きくなっていき、何かが沈む音が聞こえると、それから音がしなくなった。

「ここは……」

 辺りには、湯気がしきめいており、目を凝らすと、岩に囲まれた中に、大量のお湯が張っており、人影が映っていた。

「やばっ!」

 露天風呂に来てしまったことに気付いた和真は、急いでこの場から離れようと、体をひるがえした。

――が、慌てていたせいか、足がもつれてバランスを崩してしまい、そのまま無様に転んでしまった。

「っ! 誰ですか!」

 和真が転んだ音に驚き、湯気に浮かんでいた人影が声を上げる。

「す、すみません! ここに来たのはたまたまで……!」

「え……き、桐生さん?」

気が動転しながら、和真が言い訳をしていると、人影を覆っていた湯気が晴れ、天寧の姿が現れた。

 その姿を見て、和真は驚くことすら忘れ、見惚れてしまっていた。

 湯船に浸かっていたことで、カラスの濡れ羽色になった黒髪は、月の光を反射させ、幻想的な美しさを放っている。白く透き通った肌からは、雫が下のほうへと滴り、両手で隠されているが、女性らしい体つきは、常人ならば興奮させるだろう。

 なんて、美しいのだろう……。

 どうして、こんなにも惹かれるのだろう……。

「綺麗だ……」

 あまりの美しさに、和真が言葉を漏らす。

「あ、あの……桐生さん?」

 呆けている和真を見ながら、恥ずかしさで顔を真っ赤にしていた天寧が声をかけてきた。

「ッ! ご、ゴメン! 覗くつもりは……って、ここに来ている時点で無理があるかも知れないけど、悪気があったわけじゃないんだ!」

 天寧の言葉に、我に返った和真は「本当にゴメン!」と言って、その場から急いで立ち去ろうした。

「あ、いいのですよ! あ、覗いていいという意味じゃなくて……その、少しお話をしませんか?」

 急いで立ち去ろうとした和真を天寧が引き止める。予想外の言葉に、うっかり振り返りそうになったが、和真は、背を向けた姿勢のまま立ち止まる。

「は、話?」

 どぎまぎした調子で、心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、和真が尋ねた。

「はい」

 和真の問いに、湯船につかりながら天寧が答え、言葉を続ける。

「……桐生さんは、どうして、私を助けてくれたのですか?」

 天寧の質問に、一瞬、何のことか分からなかったが、昨日のことだということに気付き、和真が口を開く。

「何か、気になることでもあった?」

「だって、昨日まで、見ず知らずの他人だったのですよ?」

 天寧は、自分の髪を指ですきながら尋ねてきて、和真は、その場に腰を下ろし、眉間に指を当てながら、少し考えてから答える。

「……姫野さんは、どうして、あのひな鳥を助けたの?」

 質問に質問で返してしまう形になってしまい、はっとする和真。訂正をしようとするが、和真が答えるよりも早く、天寧が答えてきた。

「え、どうしてって……どうしてでしょう? 私って、もしかして、変なのでしょうか?」

 和真の質問に対して、意に介した様子も見せずに、天寧は自分の顎に指をあて、首を傾けている。背中越しのため、天寧がどのような仕草をしているか、和真には分からないが、それでも、自分の言葉が気になった感じがないことだけは分かる。

「変じゃないよ。俺も同じさ、姫野さんが困っている姿を見て、気付いたら、助けようとしていたんだ」

 眉間に当てていた指を離し、その場で腕を組みながら、和真が答えた。

「優しいのですね」

「……多分、違うと思う」

「え?」

 和真の言葉に疑問を抱き、後ろを振り返りそうになって、天寧は顔だけを横に向ける。

「俺は、そうすることで、自分を何とか保とうしているんだと思う……」

「でも……」

 和真の言葉の真意までは分からない。天寧は、きゅっと自分の手を握る。

「それでも、桐生さんが優しいことには変わらないですよ」

「姫野さん……」

 天寧の言葉に、和真は、自分の気持ちが高揚していくのを感じる。

「あ、あのさ――」

「何ですか?」

 高揚する気持ちを抑えながら尋ねてきた和真に、天寧は笑顔で返す。

「絵――」

「絵?」

 天寧が首をかしげながら、和真の言葉を繰り返した。

「姫野さんの絵、描かせてもらっても、いいかな?」

 突然の和真の言葉に、天寧と和真本人も顔を真っ赤に染める。

「え、それって?」

「自分でも、よく分からないけど、姫野さんのことを描きたくなってさ」

 和真の勇気を振り絞った言葉に、しばしの沈黙となる。

「駄目……かな?」

 天寧の沈黙を、否定と感じたのか、和真はかすかに顔をうつむかせる。

「……いいですよ」

「本当!」

 天寧の了承の言葉に、和真は、あまりの嬉しさに小躍りしそうになった。

「その代わり、一つお願いをしてもいいですか?」

 お願いと言った天寧の言葉に、浮かれていた和真の体が緊張する。

「私のこと、これからは、天寧って呼んでもらえませんか?」

「え?」

 覗きだけじゃなくて、絵にさせて欲しいと頼んだのだ、一体、どのような頼みをさせられるか心配していた和真は、天寧の言葉に、思わず疑問の声をあげた。

「……うん、分かったよ。天寧……さん」

 さすがに、呼び捨てにするのは恥ずかしく、和真は天寧の名を呼ぶ。和真の恥ずかしさを汲み取ったのか、天寧は、クスクスと微笑んできた。

「じゃ、じゃあ、俺のことも、和真って呼んでよ」

 恥ずかしさに、いたたまれなくなった和真は、天寧と同じように、自分を名前で呼んで欲しいと頼んだ。

「ふふ、それじゃあ、私の頼みごとが増えてしまうじゃないですか」

「あ……」

 天寧の絵を描かせてもらう条件に、自分を名前で呼んで欲しいと言ったのだ。これでは、またもや自分が天寧にお願いをしてしまう形になってしまう。

「でも、いいですよ。むしろ、呼ばせてもらえて嬉しいです」

 そんなことを考えていた和真に、笑顔のまま天寧が答えてきた。和真からは表情は見えないが、声の調子からして、悪い感じではなさそうで、ほっと胸を撫で下ろした。

「そろそろ、あがりますね」

 天寧の言葉に、結構な時間が経っていたことに気付く。

「明日は、よろしくお願いしますね」

「うん、それじゃ、おやすみ」

「おやすみなさい、和真さん」

 そのまま天寧に背を向けた形で和真は自室へと歩き出す。背後からは、水をはねる音が響いていた……。



 ――予想はするべきだった。

 いや、普通に考えれば、分かりきっていたことでもある。

 昨日は、頭が動転して嬉しさで一杯になっていたから、そこまでの思考が働かなかったのだろう。

 とはいえ、なってしまったものは仕方がない、今、この場で起きている現状に満足するしかないのだろう。

 そんなことを考えながら、筆を握りしめて、和真は、目の前に居る〝二人〟のモデルに目を向け、今朝の出来事を思い出す。


 ――結局、昨日は、あの後ベッドに潜ったが、興奮してしまって、よく眠ることが出来ず、起きたら、お昼前になってしまっていた。

「おはよう」

 眠気眼をこすりながら、和真は居間へとやって来た。

「おはようじゃないわよ。もうお昼前だよ!」

 和真のだらしない態度に、春香が怒鳴ってきた。

「あ、ごめん、ちょっと、色々あって……」

 適当に春香をあしらおうと思った和真だったが、天寧と目が合い、昨日のことを思い出して言葉が止まる。

「あ……」

 天寧も、昨日のことを思い出したのか、頬を赤らめて顔をそらした。二人の様子に、春香が首を傾ける。

「どしたの二人とも?」

 春香の問いかけに、二人は「なんでもない」と返して、三人でテーブルを囲って、昼食を取ることになった。

「そういえば、真央さんは?」

 真央が居ないことに気付き、和真が何気なく尋ねた。

「お母様は……用事があって出かけています」

 若干、声を詰まらせるように答えてきた天寧に「そう……なんだ」と、和真は深くは聞かないように返事する。

「あ、ところで、絵は、いつ描いてくれるのですか?」

「そうだね。よかったら、食事が終わったら描かせてもらってもいいかな?」

 昨日の約束の話をし、天寧は嬉しそうに二つ返事で返してくれた。嬉しそうな天寧の姿に、和真は、喜んでいいはずなのだが、何故か嫌な予感がしていた。

「何の話をしているの?」

 春香が震えたような含みのある声で、二人に尋ねてくる。

 嫌な予感の正体を理解した和真は、額から汗が流れ出した。

「和真さんが、私の絵を描いてくれることになったのですよ」

 そんな和真の胸中はいざ知らず、春香の質問に天寧が笑顔で答える。

「へー、そうなんだー……。そんな約束をいつの間にかしていたんだー、和真クンも隅に置けませんねー」

「は、はは……」

 春香の喋り方に、夏なのに寒気を感じ、和真の顔が引きつった。



 ――その後は簡単なことだった。春香が「天寧も描くのなら私を描いても別にいいよね!」と、半ば、押し売りに近い勢いで和真に言い寄ってきて、渋々和真が了承したことで、現在に至る。

 さすがに、何故、天寧を描くことになったかまでは言わなかったが、その辺は、「下手な風景を描くよりかは、天寧さんを描いたほうがいいだろ?」的なことを言って、かなり苦しいごまかしをしたが、意外なことに、その言葉で春香は納得していた。やはり、春香から見ても、天寧は、魅力的に映っていたのだろう。

 和真は、真剣な表情で、二人の輪郭をキャンバスに描いていく。

 最初は、春香も描く羽目になってしまって、少々やる気がそがれてしまったが、こうやって、二人が椅子に座って並んでいるのを見ると、自分でも意外なほどに筆が進んでいく。

 天寧は、長い黒髪を真っ赤なリボンで後ろを結んでおり、やはり着物姿で、非常に落ち着いた佇まいを出している。

 一方、春香は、ノースリーブのピンクのシャツに、ホットパンツ姿で、非常にラフな服装をしているが、天寧とは対称的で、活発で明るい印象を出しており、非常に似合っている。

 こうやって二人が並ぶと、その差が顕著に感じられるが、不思議と、アンバランスには感じられない。そもそも春香は、整った顔立ちとスレンダーな体系で、女性としては十分な魅力を持っているのだ。

 正反対の魅力を持っているがゆえか、お互いがお互いの魅力を引き立てあう形となっている。

 骨組みを済ませ、顔、体、服と順に、二人の女性の形を描き終え、細かいところを整えようとしたところで、和真は絵の具が尽きてしまったことに気付いた。

「しまった、絵の具が足りないや」

「雑貨屋さんはありますから、そこに行けば、絵の具が売っていると思いますよ」

 そう言って、天寧が、案内しようとしたが、二人には休憩をして貰おうと思い、場所だけ教えてもらって、和真が一人で行くことにした。

 旅館の外に出ると、やや曇り気味の空で、雨は降りそうにはないが、それでも、大事を取って、急ぐことにした。



 ――無事、雑貨店に到着した和真は、画材用の絵の具を探す。

 よそ者が珍しいのか、お店の主人が老眼鏡越しに、和真の姿をちらちら見ている。

「あんた、最近、この村に来た子だよね?」

「ええ、まあ……」

 レジに絵の具を持っていった和真に、店の主人が尋ねてきた。

 気のない返事を返す和真をチラ見しながら、主人が絵の具を袋に詰めていく。

「悪いタイミングで来てしまったねぇ、今じゃなければ、もう少し活気があっただろうに」

「え?」

「おや? 聞いてないのかい?」

 絵の具を袋に詰め終え、主人が。周りを気にするように、首を左右に向けてから、和真に、耳打ちしてくる。

「今、この村ではね。数年に一度行われる。〝祟り様〟を静める儀式が行われてるんだよ」

「〝祟り様〟?」

 聞いたこともない言葉に、和真が眉を寄せる。

「この村に、厄をもたらすという神様だよ。作物などの出来は、その祟り様にかかってるんだ」

 主人の説明を聞いて、和真の頭に、ある単語が浮かんでいた。

迷信、都会にも都市伝説と呼ばれるようなものがあるのだ、そういう話があっても不思議ではないだろう。

要は、作物の出荷数が悪いと、〝祟り様〟が怒っているから、儀式を行って、怒りを静めて貰おうということらしい。

「その儀式の内容ってのは?」

 迷信などに、付き合う気はないので、聞くだけ聞いて早いところ旅館に戻ろうと、和真が袋を掴んで、続きをうながした。

「この村に、代々から伝わる巫女を捧げるのさ」

「捧げるって……」

 主人の口から発せられた言葉に、和真の表情がこわばる。

「生贄さ、〝祟り様〟は、巫女の体を憑代にすることで、その怒りを静めることができるのさ」

 口早に言ったせいか、和真は、主人の言葉に熱がこもってきていたのを感じた。

「……生贄にされるのは、一体誰なんです?」

 馬鹿馬鹿しい……胸中で呟きながら、和真が主人を睨むように尋ねたが、気付かなかったのか、もしくは、意に介さなかったのか、熱のこもった調子で主人が口を開いた。

「姫野天寧、あんたが宿泊している旅館の一人娘だよ」

 言葉の意味が理解できず、一瞬、和真は、まるで、自分の周りの時間が停止したかのような錯覚に襲われた。

 言葉の意味を理解し、停止した時間が動き出したとき、和真は、自分でも気付かないうちに、雑貨店を飛び出していた。

 和真が出て行くのを見送り、主人が上を見上げると、空には暗雲が立ち込めていた。

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