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FATAL=零  作者: 叶あたる
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八章 〝覚醒〟

「ユルサ、ナイ……」

 アリスが怨嗟の声を上げながら苦悶の表情を見せる。

 顔の左側に微かしか残っていない生身の部分から覗かせる瞳は、変貌を遂げた体への負荷と苦痛から、もはや焦点が合っておらず、先ほど壁へと吹き飛ばした和真の姿を視界に捉えてはいなかった。

「アタシヲ、ヒテイスルモノヲ……アタシヲキズツケルモノスベテ――」

 今のアリスの心を支配しているものは、自身を否定したものに対する怒りと憎しみ、そして――。

「スベテ、スベテホロビレバイイィッ!」

 深い悲しみだけだった。

「そうやって、ただすべてを敵にすれば、お前は満足なのかよ」

 アリスの怨嗟の叫びに対し、和真が歯を食いしばりながら言葉を投げかける。

 アリスから受けた一撃は、致命傷ではないとはいえ、無傷だったわけではなく、ボロボロになった体を引きずりながら、和真はアリスの前へと立った。

「アタシヲヒテイシタクセニ、エラソウナコトヲイウナァッ!」

 アリスの目には、もはや和真を和真として認識することが出来なくなっていた。アリスにとって、自分の目の前に居るものは、自分を否定する存在、ただ、それだけだった。

「そうかもな……俺に、偉そうなことを言う権利なんて無いよな。それでも、俺は、まだ諦めていない!」

 自身の体に喝を入れ、和真は〝カゲホウシ〟を影へと戻していくと、自らの体に纏わせていき、〝影の鎧〟を形成していく。

「来いよ、決着をつけてやる」

 体中に覆った影を揺らめかせながら、和真は、アリスを真っ直ぐに見据えていくと、一直線に、アリスの下へと駆けていきながら、先ほど天寧から言われた言葉を思い出していた。



「そんなの無茶よ!」

 和真がアリスと相対する少し前、天寧の提案に、春香は否定の言葉を発した。

「ですが、あの人を救うには、これしかないと思うのです」

「確証はあるの? 絶対に上手くいく保証は? そんな危険なことをしなくたっていいじゃない!」

 天寧の提案は、春香の言葉通り無茶なものであった。

「私に声が聞こえてきたのは、きっと偶然ではないと思うのです。だから、和真さん、お願いします。私を、あの人の傍まで連れていってください!」

 天寧が出した提案は、はっきり言って無謀なものであった、春香でなくとも、普通ならば否定されて然るべきものである。

「そんなことをしたって、どうにかなるなんて分からないじゃない! わざわざ、そんな死にに行くような真似しなくなって……和真からも、何とか言ってやってよ!」

 出会ってから、決して長い時間を共に過ごしてきたわけではないが、春香が知った天寧は、とても意志が強く、誰かを救うためならば、無茶なことも平然と行える人であった。

「……確かに、春香の言う通り、確証の無い無謀な考えだと思う」

 自分の言葉に同意の意志を感じた和真の言葉に、和真の同意も得ることが出来れば、さすがの天寧も考えを改めてくれる。そんな考えを抱きながら、春香が微かに笑みを向けて、更に言葉を続けようと身を乗り出したが、「だけど……」という和真の言葉にさえぎられた。

「俺は、天寧さんの言葉を信じたい……俺を信じてくれた、天寧さんを」

「和真……」

 和真の言葉に、春香は不安そうな顔を向ける。

「大丈夫だ春香、何があったとしても、天寧さんだけは必ず守ってみせる。だから、そんな心配そうな顔をするなって」

 彼なりに、春香の不安を少しでも和らげるために発した言葉だったが、和真の言葉に、春香が怒り顔を見せていく。

「バカッ! 天寧さん〝だけ〟じゃないわよ!」

 春香から浴びせられる怒号に、和真は驚きのあまりきょとんと呆けたような様子になってしまった。

「和真も、天寧も、アイツも……みんな、みんな無事に戻らないと意味がないじゃない!」

 春香が和真に向けた不安そうな表情は、決して、自分の言葉に同意を得られなかったからではない。春香は知っていた、和真も、天寧に負けず劣らずに意志が強く、そして、自己を犠牲にすることを厭わない人間だということを、結局は、春香の想像通り、和真の言葉は、春香の期待を裏切らない内容ではあったが、同時に、春香は、どこか安心を感じていた。

「……分かったわよ、その代わり、約束してよね? 絶対に、絶対にみんなで無事に戻るって!」

 春香は内心不安だった、自分の知らない和真を知ったことを、今まで、春香へ見せていた和真の姿は、あくまで表向きの顔で、本当は、春香の知っている和真はすべて偽りだったのではいかと。

 しかし、和真の言葉と、春香が怒ったときに見せてくれた表情、それらから、春香は、目の前に居る和真は、自分の知っている和真で、何も変わっていないことに安心した。

「ああ、約束する。春香も、天寧さんも、アイツ等も、みんな守ってみせるさ!」

 呆けた様子から一転して、春香へと和真が力強く答える。

 和真の力強い言葉に、春香は、自分を納得させるように胸中で静かに頷いた。

「待ってるから……」

 春香の言葉に応えるように、和真は笑みを作りながら小さく頷き、天寧へと向き直っていく。

「行こう、天寧さん!」

「はい」

 先行していく和真の背中を追うように、天寧がゆっくりと歩きはじめると、一瞬だけ後ろを向き、春香へ呟いた。

「行ってきます」

 天寧の言葉を合図にするかのように、和真と天寧は、アリスの下へと向かっていった。



「キエテナクナレェッ!」

 アリスへと駆けてきた和真に向かって、アリスは硬質化させた右腕を振り抜いていく、和真はアリスの一撃を影で構成されたナイフで受け止めるが、和真が圧倒していたときと比べ、スピードもパワーも上がっているのか、受け止めた腕に強い衝撃が走り、和真の足元を微かに地面へめり込ませていく。

 和真と天寧の二人が考えた作戦は、至ってシンプルなものであった。

 天寧をアリスの傍へと寄らせるためにも、まずは、アリスの体力を消耗させて、動きが緩慢になったところを見計らい、和真がアリスの動きを封じ、その隙に天寧がアリスへ接触するというものだ。

 作戦というにはお粗末なものではあるが、時間を掛けて作戦を考えることが出来ない現状、即興で考えられる方法はこれしか二人は思い浮かばなかった。

「和真さん……」

 アリスの攻撃をすんでのところでいなしていく和真の様子を見守る天寧。アリスの体力を出来るだけ消耗させるために、極力、大振りを狙っていくスタイルで和真は挑んでいるが、その姿は見守る者からすれば、いつ和真の体が吹き飛ばされないか不安で仕方がないものであった。

 だが、天寧は、和真とアリスの姿から目を逸らすようなことはしなかった、そもそもは自分が言いだしたことでもあるが、それだけではない、天寧は和真を信じていた、信頼の意思があるが故に、天寧は二人の姿をしっかりと見据えることが出来たのだ。

「何なんだよ、お前ら……訳が分かんねぇよ」

 弘毅は、アリスと和真が争っている場所から離れた位置におり、幸い、アリスから弘毅の姿は視界に入っておらず、遠目に様子を窺っていた弘毅は、毒づく姿を隠せなかった。

 所詮は他人で、あまつさえ、先ほどまでは争っていた相手だ、そんな相手にどうしてそこまでのことが出来るのか、弘毅には理解できない範疇の考えに、「イカれてるぜ」と、最後に小さく吐き捨てていた。

「まあいい、俺にはどうでもいことだしな、高みの見物とさせてもらうぜ」

 皮肉を込めながら弘毅は独り言ちるが、彼の魂胆としては、このまま和真とアリスの二人が争い合ってお互いを疲弊したところを漁夫の利を狙おうと考えを巡らせてもいた。

 そもそも、彼の実力では、アリスにも和真にも、まともに太刀打ちすることは到底かなわないほどに実力の差もあり、それを理解していながら、闇雲に挑むような真似をするほど、弘毅は感情的に行動できる男ではなかった。

 そんな打算的なことを考えながら、弘毅はアリスと和真の攻防を眺めていく。

 異形化したことによって、アリスの動きは数分前とは比べ物にならないほどに向上しており、弘毅の力量では、腕の振り降ろし一つを取っても、何とか軌道を捉えるので精一杯である。もっとも、それは和真に対しても同様で、アリスから放たれる攻めの一撃一撃を確実に受け止めてはいなしているのは分かるが、弘毅からすれば一瞬の出来事が即座に次々と起こっているように見えており、完璧に両者の動きを把握するのは不可能であった。

「ちっ、一見すると五分と五分といったところか、だが……」

 憎らしいほどに力の差を痛感させられながらも、弘毅は冷静に二人の攻防から、完璧とは言えないまでも分析していた。

 異形化したことにより、アリスの能力が飛躍的に向上したとはいえ、その力は非常に不安定で制御が難しく、どうしても動きの中にぎこちなさが残っている。

 しかし、和真のほうが有利かといえば、そうとはいえなかった、油断していたとはいえ、和真は、先ほど異形化したアリスから直撃を受けており、そのダメージは決して少なくはなく、アリスを圧倒していたときのような動きのキレは弱まっていた。

 和真は、〝カゲホウシ〟の力を身に纏うことで弱まった動きのキレを補っており、それは弘毅の目からも十分に理解できるほどであった。

 そうやって分析していった結果、弘毅の口から出た言葉は、五分と五分というものであり、異形化したアリスの力、〝異能〟の性質によって年数を重ねたことによって弘毅たちを大きく上回る力を持った和真、力の性質に違いはあるが、両者の力は互角と言っても差し支えはなかった。

 だがそれは、お互いが本気を出していればの話ではあった――。

「ぐっ!」

 異形と化したアリスの左腕から放たれた貫手が和真の右わき腹を掠めた。

 影の鎧で身を守っているはいえ、肉体能力の補強が主であり、和真の身を完全に守る鎧としては若干心もとないものであり、垂直に並べられた指先から発せられるアリスの鋭い突きを防ぐには至らず、掠めた個所からは血を滲ませていき、僅かながら血の雫を滴らせていく。

「キャハハッハハハッ!」

 和真へ一撃を浴びせたのがよほど嬉しかったのか、アリスの口からはもはや狂気としか形容することが出来ない、耳をつんざくような笑い声を響かせていった。

 血を滲ませるわき腹には見向きもせずに、和真はアリスへと構え直す、外観からは分かりづらいが、傷つけられた箇所からは激痛が走っていた。しかし、激痛から生じる隙を見せないように、和真は苦悶の表情を押し殺すように右手に携えた影のナイフを強く握りしめていく。

「やっぱり、手加減していやがるな、あの小僧」

 和真が手傷を負った姿を見て、弘毅は呟いた。

 弘毅の言う通り、和真は、アリスに対して手加減をしていた、手加減とは言っても、自分からは積極的に攻めるような真似をしないだけで、アリスからの攻撃にのみ意識を集中させ、防戦に徹しているだけである。

 弘毅の見立てでは、五分とはいえ、和真が本気を出せば、まだ完全に異形化していないアリスに勝てる可能性は十分にあり、自分が和真に手助けさえすれば、勝てる可能性は更に跳ね上がるだろう、しかし――。

「ちょっとおっさん! ぼーっと突っ立って見てないで、アンタも手伝ったらどうなの!」

 弘毅が和真とアリスの姿を分析し、じっと二人の様子を静観していた弘毅の姿に、春香は問い詰めるように声を掛ける。

「うっせぇ、俺はおっさんじゃない! それに、分の悪い賭けをするほどお人好しでもねぇ!」

 春香の言葉に苛立ちを感じた弘毅は、春香を睨みつけながら言葉を続ける。

「何をしようとしているのかは知らないが、お前らはアイツを救おうとしているんだろうが、出来るかどうかも分からない博打に乗るほど、俺は人が出来てねぇんだよ!」

 苛立ちを隠せずに発した弘毅の言葉に、感情的になりながらも、春香も負けじと口を開いて問いかけていく。

「何よそれ! 要は、自信がないってことじゃない! あの人はおっさんの仲間じゃないの? 助けようと思わないの? 和真だって、天寧だって、自信があるから助けに行っているんじゃないんだよ? あの人を助けたいって、ただそれだけなんだよ! それなのに――!」

「黙れッ!」

 春香の批判の言葉をさえぎるように、弘毅は怒号を帯びた声で制止していく。

「だったら、お前はここで何をしている? 何故、お前はあの小僧共と一緒に行ってない?」

「っ……」

 弘毅から発せられた容赦のない言葉に、春香は思わず口をつぐんでしまった。

「さしずめ、あの小僧の足手まといならないようとかだろうが、力が無いのを理由にして、結局はここで待つことしか出来ない奴にあれこれ言われる筋合いはねぇんだよ!」

「私はっ!」

 弘毅から浴びせられる言葉に、悔しさで胸が一杯になったのか、春香は表情を曇らせて顔を落としていく。

「へっ……精々、自分の立場っていうのを理解できたんだったら、大人しくここで待っ――」

 弘毅が言い終わるよりも早く、春香は何かに駆られるように走り去っていった。

「お、おい!」

 予想外の春香の行動に、弘毅は、思わず右手を伸ばして止めようとしたが、すでに春香の背中は、弘毅から遠ざかっており、見つめることしか出来なかった。

「ハッ……ダッセェな、俺は……」

 自嘲を含めた嘲笑を上げると、弘毅は、空を切って宙ぶらりんになってしまった右手をじっと眺めていた。



「はぁ……はぁ……」

「グゥ……ガァ……アァッ……」

 和真とアリスが交戦してから数十分が過ぎていた。

 和真は、アリスに対して大振りを誘うように、常に付かず離れずの距離で立ち回っていた、アリスはというと、その巨体から力任せの振り降ろしや振り上げ、または振り回しを何度も繰り出してきていたが、和真のわき腹を掠めた突きの後は直撃らしい直撃は受けておらず、影のナイフでいなし、身をよじってはすんでのところで躱し、そんな攻防をひたすら繰り返していた。

 次第に、お互いに息も乱れてきたようで、体力の限界も近づいてきていたが、それは、和真たちからすれば、作戦通りに進んでいることも示していた。

 アリスと違い、極力小さな動きで対処をしたおかげか、アリスと比べて、和真の体力にはまだ余裕が残っていた、しかし、全神経を集中させて防戦に徹しきるのは、精神的な疲労は尋常ではなく、チャンスは一度しかないというプレッシャーも合わさってか、和真の神経は体力とは裏腹に、かなりすり減っていた。

 そろそろ決着をつけなければ――。

 「イイカゲンニィッ、シネェッ!」

そう和真が胸中で呟くと、その胸中を察したのか、もしくは、単にしびれを切らしただけか、アリスに動きが生じたのを和真は見逃さなかった。

「天寧さん!」

「はい!」

 アリスが全体重を乗せた一撃を繰り出すために右腕を大きく振りかぶると、和真は、アリスの軸足になる左足に影のナイフを投擲していく。

「ガッ!」

 不意をつかれたアリスは、軸足にナイフが刺さったことでバランスを大きく崩していった。

 バランスを大きく崩していくアリスに、和真は立て直させる暇を与える前に、アリスの体目掛けて体当たりで追撃を掛けていく。

「キ、キサマァッ!」

 和真の体当たりを受けたアリスは、何とか踏ん張ろうとしたが、態勢を整えるのに間に合わずに、片膝をついていった。和真と異形化したアリスでは体重差もあってか、アリスを組み伏せるには至らなかったが、それでも、跪く態勢となってしまっては、異形化し、肥大化しすぎた右腕を振るうには踏ん張りが足りず、振りかぶった姿勢のまま右腕を下ろしていった。

「待っていてください、今からあなたを――」

 何とかアリスを和真が抑えている隙に、天寧がアリスに触れようと駆け寄ろうとした瞬間。

「っ!」

「アタシニ、フレルナァッ!」

 天寧が近づいてくるのを感じ取ったのか、アリスが自由になっていた左腕を天寧へと振りかぶっていく。

「させない!」

 天寧へ振りかぶった左腕を突きだそうとした刹那、春香が、アリスの背中へと体当たりを繰り出していた。

「春香!」

 後方で避難していたはずの彼女が居たことに、戸惑いと驚きの表情を上げながら、和真は春香の名前を呼ぶが、アリスの体を押さえ込んでいるので背一杯だった。

「ドイツモコイツモ、ジャマスルナァッ!」

 天寧を目掛けて振りかぶっていた左腕は、春香へと左の甲を当てるようにしながら、急遽方向を変えていく。方向を変えたことで、勢いはかなり弱まっていくが、何の力もない春香に、アリスの一撃を耐えることは不可能である。

「やめろーッ!」

 和真の悲痛の叫びが虚しく響き渡り、春香は、自信へ迫ってくる無慈悲な一撃を、ただ茫然と眺めることしか出来なかった。

 実感の湧かない死を覚悟したとき、春香の目の前を人影が立ちふさがった。

「いッ……てぇッ――!」

 春香を庇ったのは、カミソリで引いたような鋭い目つきを苦悶の表情で歪ませ、手入れされていたオールバックは、汗と激しい動きで崩れてしまい、清潔感のあった身なりの面影はなくなり、数刻前まで和真と争っていた男、弘毅だった。

「コウ……チン?」

 自分の左腕を全力で受け止めている弘毅の姿に、アリスは一瞬だけ、僅かに残った生身の顔から覗かせる表情を和らげた。

「早くしろ、俺たちがコイツを押さえつけている間に、コイツを……コイツを救ってやってくれ!」

 弘毅の願いの言葉を聞き入れると、天寧は小さく頷き、静かに目を瞑りながら、アリスの体に優しく手を触れさせていく。

 アリスの体に天寧が手を触れていくと、天寧の背中からまばゆい光の奔流が発せられていき、洞窟内を覆い尽くしていった。



「……ここは?」

 天寧がゆっくりと目を開いていくと、そこは先ほどの洞窟とは違い、暗闇のみが広がる空間だった。

 足元も含めて暗闇のみが広がる空間で、足場のようなものはなく、妙に体中が宙に浮いているような落ち着きがない感覚ではあったが、天寧は、不思議と恐怖のようなものは感じていなかった、しばらく宙の上を歩くように移動しながら辺りを見回していくと、天寧は、暗闇の中に、一人ぽつんと座り込んでいる少女を見つけた。

 少女は、両膝を抱えるようにして座り込んでおり、顔は両ひざに押し当てていて表情をうかがい知ることは出来ない。

 天寧は、少女の傍へと近づいていくと、少女のものと思われる、すすり泣くような声が聞こえてきて立ち止まった。

「どうして、誰もアタシの話を聞いてくれないの……」

 少女から発せられた言葉に、天寧は聞き覚えがあった。

「ちゃんと、アタシを見てよ……」

 少女から続けられる言葉に耳を傾けながら、天寧は少女の傍へと近寄り、背後に立っていく。

「アタシは、ここに居るんだよ……だから、だから……」

 今にも泣きだしてしまいそうな悲しい声で言葉を続ける少女に、天寧は、そっと少女の体を包み込むように抱きしめていく。

「もう、大丈夫だよ」

「あっ……」

 小さな子供を宥めるように、天寧は、慈愛に満ちた言葉を少女に囁いていくと、少女は溜め込んでいたものが溢れ出すかのように、瞳から大粒の雫を零していった。

「アタシは……アタシは……」

「うん、大丈夫だよ、貴女の声は、ちゃんと聞こえていたよ」

 少女がゆっくりと顔を上げて行くと、天寧の表情を覗き込んでいく。

 どこかやんちゃな雰囲気と眠そうな目つきを見せた少女の表情は涙でくしゃくしゃになり、ピンクに染まった髪を揺らしていた。

「貴女は、ちゃんとここに居るよ。ちゃんと見ているよ。だから、もう大丈夫だよ」

 天寧の言葉は、決して特別な意味を持つ言葉ではなかった、だが、目の前に居る少女にとって、天寧から発せられた言葉は、少女の心を救うには十分な言葉だった。

 瞳に大きな雫を浮かべた少女は、天寧に向き直り強く抱きしめていくと、箍が外れたように涙を流しながら大声で泣きじゃくっていた。

 自分の胸の中でむせび泣く少女を、天寧は優しく抱きとめていくと、暗闇に包まれていた空間に光が差し込んでいき、天寧と少女を優しく照らし出し、辺りを光が覆い尽くしていった。



「っ! 今のは……」

 洞窟を満たしていた光が収まり、元の洞窟に戻っていた。

 天寧から放たれた光の奔流が満たしたとき、天寧だけではなく、この場に居た全員が、先ほどの空間に意識がいっていたようであった。

「今のは、アリス……?」

 突然起きた出来事に呆けてしまっていたが、すぐに思考を回復させると、弘毅は自分の相方だった女に視線を向ける。弘毅が視線を向けた先には、和真と弘毅の拘束から気づけば解かれ、頭を抱えながら苦しみに身悶えするアリスが立っていた。

 尋常ではない苦しみ方に、不安をよぎらせる弘毅だったが、異形化された肉体の中心が蠢いていくのが見えた。

「アリスッ!」

 アリスの名前を呼びながら、彼女の傍へ弘毅が駆け寄っていくと、異形化したアリスの両腕は大きく左右に広げられていき、蠢いていた中心からアリスの体が抜け落ちてきた。

「アリス! しっかりしろ、アリス!」

 抜け落ちて地面へ横たわりそうになるアリスの体を弘毅が抱きとめていくと、弘毅は、アリスの名前を何度も呼んでいく。

「彼女なら、もう大丈夫です……」

「天寧さん!」

 天寧の言葉に、弘毅とアリスのやり取りを見ていた和真は、微かに息を切らしている天寧の体を支えていく。

「私なら、大丈夫です。それよりも……」

 和真の手を借りて体の調子を整えた天寧は、アリスが抜け落ちた〝抜け殻〟へと視線を向けた。

 視線の先には、異形の〝抜け殻〟が主を失ったからか、ぽっかり空いた肉体の穴を埋めるように、体を再構築させ始めていた。

「まだ動けるのか」

 再生を始める異形の存在に気付いた和真が、天寧を春香に任せようと目配せをしていき、天寧の身を春香に託すと、弘毅とアリスの傍へと歩を進めていく。

「へっ、美味しいところを……と言いたいところだが、ここは若い奴に手柄を譲ってやるよ」

「それだけ元気なら、大丈夫そうだな」

 弘毅の強がりの言葉を聞くと、和真は弘毅とアリスを後ろへ避難するように促していく。

「さぁ、仕上げだ」

 弘毅とアリスの二人が避難していくのを和真が見送ると、少しずつ肉体を元の異形の姿へと変容させていく様子を見て、和真は天寧へと顔を向けていく。

 異形とはいえ、〝祟り様〟として、天寧の村では、代々崇められてきた存在を今から打ち倒そうとすることに、僅かながら躊躇してしまった和真に、天寧は笑顔で力強く頷いて見せた。

 天寧の仕草に、和真は、安易な躊躇をしたことに微かに恥ずかしさを感じてしまったが、拳を握り直すと、目の前の異形に向き直った。

「あばよ、〝祟り様〟!」

 影の力を拳に集めた一撃を、再構築を始める異形の〝穴〟へ目掛けて自らの体ごと振り抜いていく。

「もう、出てくんなよ」

 和真の体が異形の体を貫き、慟哭のような呻き声が洞窟内をしばらく響き渡らせていき、異形は、静かにその肉体を霧散させていった――。

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