運命の君、出会いはちいさな部屋のなか<前>
ずっと、親の作った箱庭に閉じ込められたまま生きてきた。
自由があるようで、でも、その自由には必ず終わりがある、そんな空間。
心はずっと、そんな空間に閉じ込められていて、私は一生、ここからは逃げられないんだと。そう思いながらも、それでもずっと、捨てきれなかった願いがあった。
(この箱庭から出て、自由になりたい)
そう思いながらも、結局、箱庭から出ることは叶わず。
時は過ぎて、制限付きの自由を手に入れ、それでもいつかはまたあの箱庭に戻らなくてはならないことを憂いて。そんなふうに暮らしていた、そんな時に。
私は出会ったのだ。
私の運命を、一生を変えてくれるような、そんな存在に。
**
その日も、普段と何一つ変わらない1日だった。
普段と同じように授業を受けて、いつもと同じように友人と話をして。授業が終われば学校を出て、家へと帰りながら、今日の晩御飯は何にしようか、とか、課題はなにがあっただろうか、なんて考えて。帰ったらご飯を食べ、風呂に入り、課題をこなして、それから、明日の弁当の仕込みをして、それから寝る。
そんないつも通りの、言ってしまえばなんの刺激も味気もない、つまらない日常を今日も繰り返して終わったなぁなんて。そう思いながら、家へとたどり着いてーー
(……人影?)
滅多に来客など来ないはずの自室ー高校生になり、一人暮らしをするべく借りた小さなマンションの1室だーの前に、小さな人影があることに気がつき、私は思わず足を止めた。
本当に小さな人影だ。おそらく自室の前で座り込んでいるのだろうが、それを加味したとしても私よりは小さな人だろうな、とぼんやり考える。しかも、その人影はぴくりとも動く気配がなく、生きているのか死んでいるのかの判断すらつかない。
そんな得体の知れない人影に、普段であればもっと警戒心を持って、警察に通報するなり、その場からそっと立ち去って、誰かに助けを求めたりしたのかもしれない。
だけどその日の私はなぜか、そのどちらの手段を取ろうと思わなかった。
何故か、なんて分からない。
分からないけれど、何故か、そんな行動を取ってはいけないと、そう思って。
何より、その人影の姿を一目見てみたいと、そう思ってしまって。
私は一歩一歩、ゆっくりと、自室へ向かって足を進めていく。こんな速度で自室へ向かうことなど滅多にないだろうな、なんて。思わずクスリと笑いたくなるほどゆっくりとしたスピードで、自室へ近づいていく。
そして、ようやく自室の前へとたどり着き、人影と対峙してー
私は、その容姿に思わず息を呑んだ。
滅多にお目にかかることのないような、美しく輝く金色の長髪。
日に焼けることを知らないような白い肌に、触り心地の良さそうな幼さの残る頬。
小柄で華奢な体格は、瞳を閉ざして微動だにしない様子と相まって、もしかしたら死んでしまっているのでは、などという不安を掻き立てる。
そして、極めつけにー真白な頬を一筋流れる、まっかな鮮血。
見れば見るほどボロボロに傷ついていて、もしかしたら死んでいるのではと不安を抱かせる、しかし、そんな状況が美しさを引き出しているような。
そんな美しい少女が、そこにはいた。
そんな少女にしばらく見惚れていた私だったが、は、と我に返り、ひとまず彼女の口元に手を当てる。すると、本当にか細いものではあるが、呼気を確認することができ、ひとまず死んではないことが判明したことで、私は安堵からふぅ、と息を吐き出した。いくら美少女だとはいえ、自分の家の前で死体と遭遇するなどという事態には立ち会いたくない。
しかし生きているとはいえ、息は細く、身体は傷だらけ、それも、滅多に見ることのないような流血を抱えている状態だ。このままではどっちにしろ死に至るのではないか、そう焦った私は、彼女の身体を抱えて、自室のドアを開ける。
助けられるかどうかなんて分からない。
それでもどうにかしなければ、と。今の私は、ただそれだけしか考えていなかった。
**
部屋に連れ帰った少女を自分のベッドに寝かせる。相手は女の子とはいえ、意識のない相手を運ぶのは骨が折れるだろうと思っていたが、そんな心配が杞憂になってしまうほど、抱き上げた身体は軽かった。その事実がますます、私の不安を加速させる。こんなボロボロになって意識を失っていて、その上食べてないのではないかと疑ってしまうほど軽い身体なんて、不安要素しかない。
とりあえず止血が先か。そう思って手頃な布を持ってきて、血の出どころを探すと、彼女のちいさな額に、これまた小さな傷口があることに気がついた。額は血管が多い故に少しの傷でも多量の出血となる、と、どこかの漫画で見かけた知識をふと思い出し、それなら病院にかかるほどの怪我ではないのだろうか、と少し安堵して、彼女の真白な頬を流れる真赤なそれを拭うように、傷口に布をあてがった。その後で、確か切り傷に効く薬も常備していた筈だ。それも塗ったほうがいいのかもしれないと思い至り、救急箱の中を探ると、お目当ての薬を手に取って、ベッドに眠る少女の額にその薬をそっと塗った。
次は何をしようかと彼女の顔をのぞき込めば、暗がりでは気づけなかった、彼女の手足や顔を汚す土埃の存在に気付く。汚れたままでは可哀想だと、湯に浸したタオルで、見える範囲についた汚れをそっと拭ってやれば、彼女の美しさが更に増したような気がした。眠っているようにしか見えないその様子に、自分の家に眠り姫がやってきたかのような錯覚を覚える。
土埃を拭き終え、手持ち無沙汰になった私は、少女のさらさらとした綺麗な金髪を指先で弄ぶ。すると、自身の腹から聞こえてくる、ぐぅ、という気の抜けた音。そういえばこんなことになったから完全に忘れかけていたが、夕飯をまだ食べられていなかったか。気が抜けた途端に気づいてしまった空腹には抗うことは叶わず、ひとまず食事の準備をしようとキッチンへと向かう。
簡単に野菜炒めでも作ろうか、などと考えつつ、もしも目を覚ました時に、あの子が食べられるものもあったほうがいいのかもしれないと思い、胃に優しい卵粥も作ろうと、冷蔵庫を漁る。
(そういえば、誰かのためにご飯を作るなんて、久しぶりのことかもしれない)
自分のためだけではない、誰かのために食事を作ることができることに、彼女が目覚める保証もないことも忘れて、私は思わず笑みを浮かべるのだった。
**
(しかし、目、覚めないみたいですね……)
夕飯も食べ終え、片付けも終わり、なんとなく目を離すのも気が引けるため、ベッドの傍らに教材を広げて課題をこなしつつ、彼女の顔を盗み見る。
相変わらず死んだように眠り続ける少女に、忘れていた不安がじわじわと膨らんでいく。既に出血は止まっているし、先ほどまでは死んでいるのではないかと思うほど細かった呼吸も、耳を澄ませば寝息を聞き取れるくらいになっている。少しずつであるが回復している。そのはずである。
それなのに、目が覚めない。その事実が、私の不安を加速させる。
そもそも、どうして私は見ず知らずの他人を拾って、目が覚めないことに対して一喜一憂しているのか。どうして、こんな綺麗で自分よりも年下のように見える少女とはいえ、知らない子を家に連れ帰り、必死で看病しているのだろう。そんな今更すぎる疑問が浮かんでは消えていく。不安に押しつぶされそうな思考が、今まで考えることのなかった疑問に答えを求めて、ぐるぐると回る。
(どうして、なんでー)
ぐるぐる、ぐるぐる。回る不安と疑問に、思わず俯いたその時。
月明かりに照らされた、少女の綺麗な金髪が目に入った。
その金髪を視線でなぞり、行き着いた先にあったのは、美しい、人形じみた彼女の寝顔。
その、どこか作りものめいた美しさを目にした瞬間、私の頭の中で、なにかが弾けた気がした。
「ー私は、あなたの、人間らしいところが見たいんですよ」
無意識に、ぽつりと、そう呟く。
あぁ、そうだ。
私がこんな行動に出たのは。
こんな、得体の知れない他人を部屋に連れ込んでまで看病をして、面倒を見ているのは。
そして、目が覚めないことをこんなに不安に思っているのは。
「目を覚ました、あなたの瞳の色が知りたい。その人形じみた顔が、どんな表情を作るのか見てみたい。その唇が、どんな言葉を紡ぐのか、この耳で聞きたい」
そう思ってしまうくらい、私は、
「あなたに、見惚れてしまったんですよ」
一目見ただけの彼女に、どうしようもなく、恋している。
この子のことをもっと知りたいのだと、そう思うくらい、
「ーあなたと、話がしてみたい」
そう言って、彼女の右手をぎゅっと握る。彼女が生きていることの証であるかのように、ぬくもりをつたえてくる、小さな手。そんな小さな手を、自身の願いを伝えるように、優しく、けれども力強く、自身の両手で包み込む。
(どうか、お願いだから。
お願いだから、はやく、目を開けて)
そんな私の願いが通じたのだろうか。
「…ん……」
そんなむずがるような声が聞こえ、包み込んでいた手が弱々しく、それでも確かに、私の手を握り返した。
その感触にはっとして、私は眠っているはずの彼女を見やる。
彼女の長い睫毛が震え、ゆるゆると瞼が持ち上がり。そして。
赤紫と青。2つの色を持つ宝石のような瞳が、確かに、私の姿を捉えたのだ。