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概念戦士・本物川4 〜三十体の偽非概念〜

作者: hiromaru712

概念は、怒りに燃えた。

概念戦士・本物川4 〜三十体の偽非概念〜




「刺突」の槍のような二本の腕を斬概念刀で凌ぎながら間合いを詰めた本物川は、その凌ぐ刃の運びをそのまま袈裟懸けの斬撃に繋げ、「刺突」を斜めに両断した。


げげげ、と血の泡を吹いて銀色の針金人間のような怪人は夜の路地裏の街路に倒れ、崩れたゼリーのような塊と化した。


「……五つ」


肩で息をしながら、本物川は倒した敵をカウントする。


『くそ、奴ら全部で何体いるんだ?』


ミノルはそう尋ねずにいられなかった。


「数が多すぎて正確には……だが少なくともあと二十はいるな」

『持つのか?お前の、概念の力は』

「白旗を上げたら許してもらえると思うか?」

『そうじゃない。一度戦闘から逃れて態勢を立て直して……』

「すまない。お喋りはここまでだ」


本物川が視線を上げると、夜の路地裏に異様な人影が集まりつつあった。

前方に、また振り向いた後方にも。狭い路地にひしめくように集まる異形の群れ。

小人のように小さな影。小山のように大きな影。四つん這いのけだもののような影もあれば金属部品で構成された機械のような影もある。機械のような影はご丁寧にパイプ状の部位から蒸気のようなものまで吹き上げている。

本物川は ちら、と視線だけを走らせて異形の軍団の位置関係をある程度把握すると、今度は人間にはない感覚ーー概念を走査する概念ならではの知覚の波紋を辺りに すぅ、と拡げた。

十七の、色や温度や形や大きさの違う概念が二手に分かれ挟み打ちの形で本物川を取り巻いているのが、彼女の感覚を通してミノルにも分かった。


「囲みを破って突破する。無理をするから、悪いが君にも負担を回す。苦痛だろうがなるべく耐えて、可能なら私にできるだけ深く同調してくれ」

『わ……分かった』


ミノルはそう言うしかなかった。


本物川は瞳を閉じた。

きゅんきゅん、と彼女の周囲の空気が鳴いた。

本物川が持てる概念の力でその周囲の物理法則を書き換える際、生じる落差が鳴らす空間ノイズだ。

初めは彼女が手にしたカッターの意匠を抽象化したような身の丈程の巨大な刀、斬概念刀の周囲に。

そしてそれを保持する腕に。肩口、両脚、胸、背中、耳や目鼻ーー。攻守、機動力、感覚に作用する様々な概念が並列励起されて本物川全体を包み込む。

本物川は瞳を開いた。

斬概念刀の刃が真っ赤な炎を纏い燃え上がる。

彼女が刀を握る手に く、と力を込めると、その炎は更に収束し魔物の咆哮のような音を立てながら青く、鋭く吹き上がった。


「行くぞ」

『お、おう』


ミノルは唾を飲み込もうとしたが、本物川のものとなった身体はそれを許さなかった。



ーーーーーーーーーーーーーーー




「集合ーーー!」


鹿野の号令でバラバラに遊んでいた子供と、子供会指導員として活動している大学生が集まる。

今日のくじら公園の土曜活動ーー通称「土活」には十数人の子供と、六人の大学生が参加していた。


くじら公園は北星ヶ谷の隣町、 先見台の団地の真ん中を四角く切り取る比較的大きな公園だ。

公園の大部分はだだっ広いグランドで、公園の入り口近くに鉄棒や屋根付きのベンチ、砂場、公園の名前の由来となった、くじらを模った滑り台とジムが合わさった遊具などが並ぶ。


指導案と呼ばれる計画書では、今日のメニューは「田んぼ鬼」、「やりたいこと会議の内容で決まった遊び」、「ドッジボール」の三種目。

そしておわりの会「言いたいこと言っちゃうぞ会」で締め、だった。


「今日はすくすく子供会からメイコお姉さんが遊びに来てくれていますー!拍手ー!」

ヘルプとして来ていた広澤メイコは立ち上がるとぺこりと頭を下げた。

メイコは集団の後方に立膝で待機する岸ミノルの様子をちらりと確認したが、彼は子供の様子に気を配っていて、彼女の方を見てはいなかった。メイコは小さく溜息をついた。



ーーーーーーーーーーーーーーー




休憩時間、ペットボトルのスポーツドリンクを煽りながら岸ミノルは少し離れた所で子供たちに囲まれる鹿野リョウコの様子を見るとはなしに見ていた。


彼女は高学年児童とも幼児とも上手にコミュニケーションを取りながら、段々自らはその会話の中心から身を引き、子供同士のコミュニケーションが活発になるように話題を振ってゆく。

学校では難しい、学年を超えた子供同士の交流ーー地域の子供同士の関係の活性化と深化は彼らの子供会活動の目標の一つである。とはいえ、それを表立って仰々しく教示するではなく、自然な形でその種を子供たちに撒くような鹿野の技術に、ミノルは舌を巻いた。

ミノルが鹿野を気に掛け意識するようになったのは、その子供会指導員としてのさりげない実力の高さへの感動とそれに対する素朴な敬意がきっかけだった。

ミノルの憧憬の視線に全く気がつく様子もなく、口に手を当てて笑う鹿野の周りで、子供たちが一際大きな笑い声を上げた。


そんなミノルの五歩隣で、広澤メイコは持参した水筒の煮出しの麦茶を飲みながらミノルの様子を伺っていた。

会報委員の活動でミスを助けられて以来、メイコは自分の感情に訪れた変化を認めまい認めまいとしていたが、今日、今、ここに来てその変化を痛みと共に受け入れざるを得ない状況まで追い詰められていた。

彼女の小さな胸を満たす黒いわだかまり。

それが嫉妬だと、メイコ自身が明確に理解してしまったからだ。

岸が、鹿野を見ている。

鹿野の楽しそうな様子に微笑を浮かべながら。

それが今のメイコには刺さるように辛かった。

風にそよぐ艶やかな髪、大きく黒眼がちな瞳と整った顔立ち、均整のとれたプロポーションと全体に柔らかそうな身体つき、長野の名家の次女だと言う出自、相手を選ばず慕われる人望や、快活でありながら優しさや気遣いを欠かさない振る舞いの気持ち良さ……同じ女性でありながら、メイコが鹿野に勝っている部分は何一つなかった。

彼女は暗澹たる気持ちで俯いた。

今日にそなえて新調した有名スポーツメーカーの真新しいスニーカーが視界に入る。そのよそよそしい新しさすら、今のメイコには虚しく、忌々しいものに感じられた。


「ミノルー!」

「おうリコ。どした?」


岸の元に子供会の低学年の女子が駆け寄り、抱きついた。

岸はペットボトルの蓋を閉めて膝を折り、屈んでリコと呼ばれた子供の目線まで自らの目線を降ろした。


「ミノルは今好きな人いるのー?」


リコの唐突な質問に、二人の大学生が息を飲んで固まった。


「……リコは?好きな人いるのか?」


全身を耳にして聴いていたメイコはその返しを 上手い、と思った。


「あたしはねー、好きな人が十五人いるのー」

「……マジかよ。ほぼ一クラス分の男子じゃん大変だな」

「そうなの。でもねー、好きな人いた方が楽しいよ。ミノルも誰か好きになった方がいいよー。モテそうだし」

「モテねーよ」

「嘘だー。ミノルかっこいいじゃん。優しいし。ミノルのこと狙ってる女子とかきっと一杯いるよー」


メイコは心の中でこっそり頷いた。

どうやらリコの中では普通より好きのハードルが大分低いらしい。


「どうかな……でも例えばさ。仮にそうだったとしても。俺が一杯の女子にモテモテだとしてもだぜ。自分が本当に好きなたった一人に振り向いてもらえなかったら……大した意味、ないよ」

「ふーん……?」


リコはどこか釈然としない様子だったが、聞かない振りをしながら全力で聴いていたメイコは一つ得心した。

彼も片思いなのだ。

岸ミノルと鹿野リョウコは少なくとも現段階では付き合ってはいない。

そうである以上、まだ自分にもチャンスはあるのだ、とメイコは自分の中にある前向きさを目一杯掻き集めて、俯いていた顔を上げた。



ーーーーーーーーーーーーーーー



「さ、好きなものを頼んでね。払いは私が持つから」


鹿野はそう言って二人の前にメニューを拡げた。

南星ヶ谷駅から徒歩で五分ほど、表通りから一本入った道にこじんまりと佇むレストラン「エヒトフルス」のボックス席で、である。


「そんな、いけませんよ」

「そ、そうです。私も自分の分は自分で……」

「はいはい。気持ちだけ貰っとくねー」

鹿野はミノルと広澤メイコの遠慮の言を遮り、おどけた仕草で手をひらひらさせて二人の意見に対する拒絶を示した。そしてアルバイトの給与が出たばかりであることを得意気に説明しながら鹿野はこの場を自分の奢りとすると押し切った。


ミノルはメニューに視線を走らせながら自分の食欲の方向と高過ぎない価格の妥協点を満たす料理を探った。


『ミノル』

「なんだよ、こんな時に……」


ミノルの内に潜む概念世界の住人、本物川の声を初めは鬱陶しく感じたミノルだったが、すぐに はっとなって席を立った。


「ちょっと、手洗って来ます」


そう言って足早にトイレに入り施錠すると、本物川に語りかける。


「まさか……偽非概念か⁉︎ 距離は?種類はわかるか?」

『すまない。そうじゃない』

「じゃあなんだよ」

『……ハンバーグ』

「はぁ?」

『選択するメニューをハンバーグにしてくれないか。もし良ければ、だが』


ミノルは全身から力が抜けてしまった。長い溜息をつく。


「お前なぁ……先輩いるのに、俺すげえトイレ我慢してたみたいになったじゃねえか」

『すまない。……ハンバーグは諦める』

「……いや、いいよ。俺が早合点したのが悪かったんだ。ハンバーグな」

『そうか!ハンバーグにしてくれるか!ありがとう!話しかけ方については以後注意する。感謝するぞ、ミノル』

「へいへい」


取り敢えず手を洗い、洗った手をハンカチで拭きながらミノルは席に戻った。

戻ったミノルが席に着くのを待たず鹿野が問いかける。


「あ、ミノル君。メニュー決めた?」

「……季節野菜とハンバーグのプレートで」



ーーーーーーーーーーーーーーー



とりとめもない会話と、ファミリーレストランでは味わえない少し贅沢な料理。

憧れの先輩と、ちょっと気になる男の子。

普段、色恋のイの字もなく、ギリギリの仕送りとバイト代を切り詰めながら灰色の世界を暮らしている広澤メイコにとって、とても貴重な、色鮮やかで充実した時間だった。


「ミノル君、ハンバーグ好きなのね。意外。もっと辛いものとか好きそうなイメージだった」


鹿野はパスタとセットのバケットを千切りながらそう言った。


「……最近仲良くしてる奴が、ハンバーグにハマってまして。その影響で」

「へえ。ケンジ君じゃないよね?学部の友達?」

「ええ、まあ。基本、先輩の仰る通り辛いもの好きですよ」

「だよね。なんかいっとき学食でカレーばっか食べてたでしょう」

「わ……なんで知ってるんですか。あの頃は、なんか辛いもん食べないと元気出ない感じだったもんで」

「メイコちゃんはあれよね、カレー、ルーから作るのよね」


二人の会話を聞きながらお冷やを飲み掛けていたメイコはそう話題を振られたことに驚いて軽くむせた。


「えほっ……ん。あ、はい」

「確か、お母さんがカレー大好きで、一人暮らしになる時にそのレシピを持たされた……んだったっけ?」

「え、ええ。その通りです」


肯定しながらメイコは鹿野の記憶力の良さに驚いた。

確かに以前、一度だけ鹿野にそんな話をしたことがある。新入生歓迎企画の、カレーパーティーの時だったか。

正直メイコ自身、そんな話を鹿野としたことは今の今まですっかり忘れていた。だから余計に驚いたのだ。


「へえー。どんなカレー?」


その話題に岸ミノルが食いついた。彼がカレー好きと言うのは本当のようだ。


「あ、いや。でもそんな特殊なカレーでもなくて……焦がし玉ネギを多めに入れて、みりんとお出汁で味を整えてガーリックチップ乗せてバターライスで食べるっていう……」

「……美味しそうね」

「……美味しそうだな」


鹿野と岸がほぼ同時に同じようなリアクションをした。

二人が吹き出し、メイコも釣られて笑った。

笑いながらメイコはこんなに自然に誰かと笑うのはどれくらいぶりだろう、と思った。高揚した気持ちが、彼女を少しだけ大胆にさせた。


「実は丁度、昨日作って冷凍した分があるんです。良かったらお裾分けしましょうか?」


「是非お願い」

「是非頼む」


またも鹿野と岸のリアクションが重なる。そして再び三人は声を上げて笑った。



ーーーーーーーーーーーーーーー





『ミノル』

「なんだよ」

『なぜ洋服の一部分をそんなに加熱するんだ?』


夜の七時を回った自宅で、取り込んだシャツにアイロンを掛けていたミノルは、彼の身体の同居人からの素っ頓狂な質問に少し頬を緩めた。

観るとはなしに観ていたバラエティはいつの間にか終わり、テレビは変わってドラマを垂れ流していたが、ミノルはそれを全くと言っていいほど観ていなかった。


「加熱はしてるが、それが目的じゃない。この作業の最終目標は、服にできた皺を伸ばすことだ」

『皺を……伸ばす』

「皺が沢山入った服を着るのはみっともない、って文化上の価値観があるのさ」

『ふむ。……しかし繊維からなる生地に皺が寄るのは自然なことだろう。逆に皺がない状態が稀有な……不自然な状態の筈だ。なぜ不自然な方に上位の価値を見出すんだ?』

「自然に任せるより人為的に管理された状態のものを尊ぶのさ。多分……希少価値じゃないかな」

『なるほど……人為的な加工がされているということで、その分のコスト……付加価値が服に加算される、ということか』

「……なんかピンと来ないけど、まあそんなようなもんだ」

『もう一ついいか?』

「ああ」

『あれは何をしているんだ』

ミノルの顔が勝手にテレビの方を向く。本物川が質問の為に動かしたのだ。

テレビの画面では、ヒロインの女優と若手のイケメン俳優が熱烈なキスをしていた。

「あれは、キスだ」

『それは知っている。私は君の知識を参照できるから。愛し合うもの同士が愛を確かめ合う行為の内の一つなんだろう?』

「……そうだ」

『なぜ、唇と唇を触れ合わせることが、愛を確かめ合う意味になるんだ?』

「……」

『君の知識の中でもその辺りがぼやけていてよく分からない。説明してくれないか』

「えーと……」


【ピンポン】


その時、玄関のチャイムが鳴った。

ミノルは はい、と返事を返してアイロンの電源を落とし、誰だろうと訝しみながらアパートのドアに向かった。

魚眼レンズの嵌ったドアの覗き穴から表を確認する。

ミノルの鼓動が跳ね上がる。

そこに立っていたのは、彼が仄かに想いを寄せるサークルの先輩、鹿野リョウコだったのだ。

ミノルは慌てて玄関ドアを開けた。


「先輩……!どうされたんです?こんな夜中に」

「ちょっと話があって。お邪魔してもいい?」

「あ、ちょ……五分……いえ、三分ください」


ミノルはドアを閉めると、光の早さで室内の、鹿野に見られたくないものをスキャンした。




ーーーーーーーーーーーーーーー



広澤メイコは自転車で岸ミノルの家に向かっていた。


住所はサークルの名簿から。スマートフォンで位置情報を調べれば、道順はすぐに分かった。

前カゴにはナフキンでお弁当包みにしたタッパー。中身は冷凍してチャック付きビニールに納めた特製のカレールーだ。

アポの連絡をしようかとも思ったが、ルーを渡すだけだし、最悪無駄足なら出直してもいい。

大学の裏側に住む彼女は、大学を挟んだ反対側の通りを新鮮に感じながら、岸がアルバイトをしているという大型スーパーの前を横切る。

ウィンドウを通して見る限りは、岸は少なくともそのレジには入っていない様子だった。

顔がにやける。鼓動が早いのは自転車を懸命に漕いでいるからばかりではない。

好きな人の家を訪ねる。思えば彼女に取ってそれは初めての経験だ。

好きな人に自分の作った料理を食べて貰う。この歳になるまで、バレンタインデーすらまとも参加してこなかった彼女に取って、思えばこれも初めての経験だった。

岸はどんな反応をするだろう。彼の事だからお礼を言ってくれるのは間違いない。今日の今日でアクションが速いことにはコメントするだろうか。本当に嬉しそうに顔をくしゃくしゃにする、あの笑顔になってくれるだろうかーー。


最後の角を曲がり、岸のアパートが視界に入る。喜びに輝きかけた彼女の顔が、すぐ動揺に曇った。岸のアパートの二階の廊下に女性が立っており、それが彼女の知る人物によく似ていたからだ。


まさかーー


急ブレーキ。自転車を降り、自販機の影に身を寄せて様子を伺う。

岸の住む201号室の前、手持ち無沙汰な様子のその女性がくるりとこちらを向く。廊下の灯りに照らされて、その愛らしい顔立ちがはっきりと見えた。


まさかーー


メイコは冷や水を浴びたような思いだった。


手が震える。息の仕方が分からなくなって、酷く苦しい。寒気がするのに汗が出る。


まさかーーいや、でもーー


ドアが開く。笑顔で岸がその女を迎える。女は軽くお辞儀をすると、岸の部屋に入っていった。


ああ、そう。


ああ、そう。そういうこと。

そうよね。わたしがかってにもりあがっていただけ。

いつものことよ。

でもね。

そうならそうといってよね。


わたしみたいなみじめでねくらでバカなブスが


かんちがいしちゃうじゃないーー。




ーーーーーーーーーーーーーーー



「コーヒーでいいですか?」

「あ、うん」

「砂糖とミルクは?」

「ブラックで」


湯沸かしポットのにカップ二杯分の水を入れてスイッチを入れる。


ワンルームの真ん中の小さな座卓を挟んで鹿野の対面に座りながら、ミノルは鹿野の要件を想像し、嫌な予感がして身構えた。


「今、お湯が沸きますんで」

「ありがとう」

「で、先輩。お話、というのは……」

「……分かってるんじゃないの?」


やはり。先週、ミノルが鹿野を落ちて来た鉄骨から庇った件だろう。異常な能力と状況。その話を食事会でしよう、とミノルは鹿野に語っていたのだ。

対面に正座する鹿野は眼の奥に、どこか迫力のようなものを宿していた。元々整った顔立ちだけに少し冷たい表情になると、その鋭さは際立った。


「メイコちゃんが同席してたら確かに切り出しにくい話題よ?けど、私がそれで誤魔化されて、流すと思った?」

「……」


静かだが強い口調だった。ミノルはこんな様子の鹿野を見るのは初めてだった。


「ふわふわ優しい先輩ならなんとなくでやり過ごせると思ったんでしょう?残念ね。私がみんなの前で見せてるのは、私の一側面でしかない」


ミノルは返す言葉がなかった。普段の鹿野は優しさや人の良さが印象的だが、今の鹿野は知的で怜悧な、遣り手の弁護士のような油断ならなさが表に出ていた。


「あなたは後日話すと約束した。その約束を果たして欲しいの。今、ここで」


追い詰められながら、ミノルは更に深く鹿野に惹かれている自分を意識した。


この人は賢い。一筋縄ではいかない。下手な嘘は逆効果だ、ならばーー。


「分かりました。話せるギリギリまでお話します」


湯沸かしポットから沸かし終わりを示す電子音が鳴る。ミノルは一度席を立つと、二杯のインスタントコーヒーを携えて席に戻った。


「どうぞ。インスタントですが」

「ありがとう。頂きます」


言葉とは裏腹に鹿野はカップに手を付けず、見張るようにミノルを凝視する。


「まず、前提としてーー」


ミノルは深呼吸を一つすると、事態を彼なりに説明し初めた。


「僕が先輩に説明を渋ったのは二つの理由があります。一つ。とても信じて貰えないような内容なので、説明することによって先輩との関係が悪化するのを恐れたため。二つ。先輩をこの事案の……外側に置きたかったためです。万が一にも、巻き込みたくなかったし、今でもそう思っています」

「………」

「そういう事情だと知っても、説明を聞きたいですか?巻き込まれれば、最悪命の危険もあることは、前回の……鉄骨の時のことを思い出して頂ければ分かって貰いやすいと思うのですが」

「……続けて」

「分かりました」


ミノルは口の中に乾きを感じて、自分の分のコーヒーを一口すすった。


「結論から言うと、今この街は、ある特殊なテロリスト集団に狙われています」

「……特殊なテロリスト集団?」

「端的に言えば『超能力者のテロリスト集団』です」

「……」


鹿野の表情は動かない。ミノルは続けた。


「今まで隠していましたが、僕自身にもある種の超能力があり、ある人物に協力して、超能力によるテロを防ぎ、そのテロリスト達を排除する手伝いをしています」

「ある種の能力……って?」

「言えません」

「鉄骨を弾き飛ばしたのが、あなたの能力?」

「言えません」

「ある人物とは?警察とかそういう組織の人?」

「言えません」

「テロリストがこの街を狙う理由は?」

「言えません」

「先月の北星ヶ谷の連続放火事件。あれもそのテロリスト達の仕業?」

「言えません」

「証拠を見せて。あなたの超能力を」

「できません」

「……そんな話を信じろと?」

「だから言ったんです。これが僕に話せるギリギリです。これ以上は先輩や、もしかしたら先輩の周りの誰かにも危険が及ぶ。今話した内容も内密に。できたら忘れて欲しいです。誰よりも、先輩自身のために」

「……」


鹿野は席を立った。


「馬鹿にして」

「……」

「あなたがそんな人だとは思わなかった。あなたの言うとおり、この話は忘れることにする。憶えていて思い出したって、腹が立つだけだから」


ミノルは何も言わなかった。最早どんな言葉も、鹿野の心には届かないだろう。


「時間を取らせて悪かったわね。さようなら超能力者さん。せいぜい頑張って世界を救ってね!」


足早に部屋を去る鹿野が閉めたドアがバタンと大きな音を立てた。

その振動に座卓で湯気を立てる一口も飲まれなかったブラックコーヒーが、同心円の波を浮かべた。



ーーーーーーーーーーーーーーー



夜道に、ぱたん、ぱたんとサンダルの足音が響く。

ミノルはどこかぼんやりした頭でさっきの鹿野とのやり取りを反芻しながら、大した目的もなく最寄りのコンビニを目指していた。部屋に居ても落ち着かず、眠気も食欲もなく、テレビを観る気にも風呂に入る気にもなれず、なんとなく外に出て、ふらふらとコンビニに向かって歩き始めたのだ。

9月も半ば。外は意外に寒く、ミノルは一枚上着を羽織って出るべきだったなと思ったが、すぐにその思いもどうでも良いことと意識の外に流した。


『ミノル』

どこか遠慮がちに、本物川が話し掛けてくる。

「……なんすか?」

『力になれなくてすまない』

「お前が謝ることじゃねえよ」

『あの場で、鹿野リョウコに対して全てを打ち明けても良かったんじゃないか?』

「お前が変身して見せて、か?」

『そうだ。概念うんぬんは解りづらいかも知れないが、何か異常な事態に君が巻き込まれている証拠にはなっただろう。それだけで、鹿野リョウコが馬鹿にされたと感じる状況は避け得た筈だ』

「先輩にも言ったけどさ」


ミノルは足を止めて、深く息をしながら夜空を見上げた。


「先輩には、この件の……俺たちの戦いの外側にいて欲しいんだ。俺にはお前がいるから、奴らに対処できるが、先輩はそうじゃない」

『それは……その通りだ。だが、その為に君は、好意を寄せる鹿野リョウコと決別した』

「言葉選びに遠慮がないな」


ミノルは苦笑した。


「だからそれでいいんだ。逆にがっつりこの件に食いついて来られて、付きまとわれたりしたら……。俺とお前の近くにいればいた分だけ、危険な目に合うリスクは高まるわけで」

『好きな相手を失うのが辛くはないのか?』

「自分の事情に巻き込んだ挙句、自分の腕に抱かれて息絶える好きな人を見るくらいなら、嫌われた方がマシさ」

『私は正直、人間の文化や感情を理解するのが苦手だ』

「……」

『私は君の脳の然るべき記憶領域から、それらをデータとして参照することができる。だが、データとして記憶されている君の感情、思い、文化や生き方みたいなものは、君によって再生されないかぎり、その本質を現さないのだ』

「楽譜は音楽じゃない、みたいなもんか」

『そうだ。だから私には君の正体というか、君そのものを評価するのが難しい。君の総体を私が完全に理解するには、理論上、ほぼ無限の時間が掛かる』

「その前に普通に死ぬな」

『だから、切り取ったほんの一部から君という存在の在り方を類推するのだが』

「道理だな。人間はみんなお互いにそうしてる」

『私は君に敬意を払う。君の考え方ややり方は美しい。そして何より、今のところ知れば知るほど、君を好きになっている』

「……んだよ急に。慰めのつもりか?」

『なるほど。これが照れる、という感情か』

「言ってろ。憑依合体ゴスロリ生命体が」


ゆっくりと近づく見慣れたコンビニの看板。煌々と灯りを漏らすそのウィンドウ。

少し理屈っぽい所があるが、ミノルは話し相手としての本物川を、今は素直にありがたいと感じた。


「……ハンバーグでも買って帰るか」

『……』

「ハンバーグ。好きだろ?」

『……』

「なんだよ。怒ったのか?」

『……偽非概念だ』


地上四メートルはゆうにあるコンビニの看板。そのロゴを、人型の黒い影が ふわり、と遮った。


『浮揚……』


本物川が緊張する。右手にはミノルの意図とは別のところで、既に黄色いカッターが握られている。

本物川が す、と周囲に感覚の波紋を拡げる。


『障壁、溶解、共振……刺突』

「え⁉︎ い、一体じゃないのか?五体?」

『それも違う』


火の点いた紙が下から上に燃え上がるように、ミノルの足元から揺らめく光が立ち登りミノルの身体を下から上に舐めてゆく。

光の通過した後は既に男子大学生の姿はなく、初秋の夜風にツインテールをなびかせるゴシックロリータの衣装に身を包んだ少女の姿があった。


「鹿野リョウコを遠ざけたのは英断だった。七、八……九……集まってくる。大勢だ」

『まさか……!』

「多数で少数を包囲殲滅する。戦術的には合理的、だな」


空気を割いて、本物川の右手のカッターが長大な刀身の剣と化した。



ーーーーーーーーーーーーーー



本物川は寸暇も置かずアスファルトを蹴って異形の人影の一つに駆けた。敵が体勢を整える前に先手を打とうという腹だ。

が、その足元が突然ふわふわと不確かになった。

「う……!」

遂には足そのものが地面から離れて、彼女の体はそれまでの慣性のまま回転しながら空中に浮いて漂った。

「これは……浮揚……?」

ちらと視線を夜空にやれば、コンビニの看板の側で浮揚の怪人の影が肩を揺すって笑っている。

ならばと本物川は、手にした斬概念刀を脇に抱えるように後ろに向け、強い燃焼の力を刀身に沿って後方に激しく噴射した。

その勢いで彼女はロケットのように地面すれすれを滑るように駆け抜け、そのまま異形の一人に殺到するとそれを斬って捨てようとした。

だが。


【ごおん!】


分厚い鉄板をハンマーで叩いたような音が辺りに響き渡る。

本物川の必殺の刃は、影の直前で見えない壁に弾かれ、跳ね返された。姿勢の維持に重力の助けを得られない彼女は大きく体勢を崩してまた空中にくるくると回転する。

「……障壁!」

影の中でも細身の、女性のようなシルエットが、爛々と光る眼を蔑むように細めた。その後ろから、カエルのように小さな影がジャンプして、姿勢の制御を取り戻そうとする本物川の頭上を取った。そいつは空中で器用に顔を本物川に向け、何かの液体を吐き掛けた。咄嗟に本物川はその大部分を斬概念刀をかざして受け止める。するとーー。

「なに⁉︎」

斬概念刀の液体を受け止めた箇所が、水飴のようにとろん、と溶け落ちる。受け切れずに飛び散った飛沫は、本物川のゴシックドレスのそこかしこに白い煙とともに穴を穿った。

「溶解!くっ」

溶解箇所が手元まで侵食し、堪らず本物川は愛刀から手を離す。

斬概念刀はその形を保てずに、光の粒子を放ってどろどろの黄色い粘液となり夜の闇へ落下して行った。

その時、不意に重力が元に戻った。半端な姿勢のまま不随意に地面に吸い寄せられる本物川は受け身も取れないまま、左半身を下にアスファルトに叩きつけられた。

「ぐうっ……」

地に伏し苦痛に唸る本物川が身を起こそうとしたその時。

「あぁあぁあぁあッッッ!!?」

衝撃波が彼女を包み込んだ。

いや、違う。その激しい振動は彼女自身の内側から湧き出ていた。

彼女の骨が、内蔵が、血肉が、何かの作用で細かく、しかし激烈に振動させられているのだ。

「げ、おっ!」

本物川の口から血が迸る。

その目が視界の端に捉えた彼女に向かって両手をのばす毛むくじゃらの怪人もまた、彼女と同じか、それ以上に振動している。

「共振……か!」

なんとか起き上がろうとする本物川だったが、骨と筋肉は像が滲む程に振動しており全く言うことを聞かない。

あと数分もすれば、まず骨の接合部が砕け、続いて骨そのものも文字通り粉砕され、本物川の体は陸に揚げられたクラゲのように支えのない肉の塊となって地面にだらしなく拡がるだろう。

だが、敵はそれすら待てないようだった。

本物川の前に進み出た鋭い槍のような腕を持つ怪人は、自らの腕同士を研ぐかのように擦り合わせた。

一瞬、その火花が明るく周囲を照らした。

「……刺……と……つ!」


じわじわと体を振動で破壊される苦痛と衝撃の中で、本物川の絶望がミノルの絶望と重なった。



ーーーーーーーーーーーーーーー



銭谷ケンジは憂鬱だった。


先月の連続放火事件の最中に遭遇した、怪人と戦う謎の美少女。

思い出しただけで背筋が泡立つようなその存在感。今まで出会ったどの女性にもない、冷水で清めた名刀のようなその美しさ。自分を炎の怪人から救ってくれた時の、迷いない行動力とその力強さ。

ほんの短い時間しか接することはできなかったが、彼女を知ってしまった今、他のどんな女性も、人生のパートナーとするには余りにも物足りなさすぎた。


だが、あれからあの謎のゴスロリ少女とは一度も出会えていない。

それどころか、全くなんの情報も得られていないのだ。


ネットで調べれば、例の連続放火のことはオカルト関連の掲示板や陰謀論関連の掲示板に幾つも記事を見つけることができた。中には離れた距離からではあるが、あの炎の怪人の放火の瞬間の動画がおどろおどろしいBGM付きのスローモーションとセットで投稿された、動画投稿サイトのリンクが貼られた記事もあった。


しかしあの少女のことに触れた記事は一つとして無かった。

彼は、あの怪人を少女が倒したのだと確信している。街を覆う災火を消した雨を降らせたのすら、あの少女かも知れない。あの夜、超常的な何かがこの街に起き、自分は、この街は、あの少女によって救われた。

その前後の事情に対する好奇心がないと言えば嘘になる。しかし彼の関心は専ら「超常的ゴスロリ少女」の方に大きく傾いて強かった。


ここ一カ月というもの、気が付けば彼女の事を考えている。


テレビを点けても本を拡げてもどこか頭に入らず、雑誌の今週号などに新奇性を求めてコンビニまで来てみたが、結果は同じだった。

ぱらぱらとめくり終わった漫画雑誌をマガジンラックに戻そうとした時、外で、ごおん、と大きな金属同士がぶつかったような重い音がした。

事故かな、と窓ガラス越しに表を伺うが、数人の人影が行き来している以外は事故や災害が起きている気配は無かった。だが、その行き来している人影の様子が、どうもおかしい。


(なんだ?ケンカか?)


明るいコンビニの内側から暗い外は良く見えない。ケンジはガラスに顔を近づけて目を細めたりしてみたが、何をしても舞い踊るように近づいたり離れたりを繰り返す影の正体もその動きの意味も正確に汲み取ることは叶わなかった。

直接外の様子を確かめようと、店を出ようかとしたその時、何かの大きな火花が辺りを照らした。


その数十分の一秒の一瞬に、彼は視た。


彼の想い人が、ゴシックロリータな衣装に身を包む美しい少女が、地に両膝を付き、口から血を流しているのを。



ーーーーーーーーーーーーーーー



「君!!!」

途切れ掛けた意識の中で、ぎりぎり呼ばれたことを認識した本物川は、その声のする方向に、コンビニの開きかけの自動ドアをこじ開けるように出てくる銭谷ケンジの姿を認めた。

「大丈夫か⁉︎」

「カッターだ!」

本物川は絞り出すように叫んだ。

「か、カッター?」

そこに銀色の異常な痩身の怪人ーー刺突ーーが尖った腕を突き出しながら突っ込んで来た。

本物川はすんでの所でそれを躱すとその槍の穂先状の怪人の腕を脇に抱えて動きを封じた。

「二つだ!早、く……‼︎」

「カッター二つ!分かった!待ってろ!」

ケンジは再びコンビニの店内に戻ると文具コーナーのフックに下がっていたカッターを二つ引っ掴み、レジに札一枚を投げて転がるように店外に飛び出す。カッター自体の尖った部分で包みのビニールに穴を開けるのももどかしく中身を取り出し、叫ぶ。

「受け取れ!」

黒くて四角い柄のカッターが二振り、弧を描いて宙を舞う。

本物川は握った拳を、自由な方の槍で本物川を突き刺そうと振り被る「刺突」の腹部に、ひた、と当てた。

瞬間、その拳に「殴打」の力が迸る。

安い花火のような炸裂音を残して、刺突の怪人が後方に吹き飛ばされた。そのまま倒れ込むように地面に手を付いた本物川は周囲の地面そのものに「燃焼」の概念を伝播させた。一瞬だが、広範囲の地面全体がフラッシュするように燃え上がる。


その一瞬、本物川以外の全員が足元の火炎に気を取られた。

彼女には、その一瞬で充分だった。


本物川は飛んで来たカッター二本を掴んだ。いや、掴んだのはほんの刹那。その刹那の間に本物川によって「斬撃」の力を付与され巨大な斬概念刀と化した二本のそれは、次の刹那には彼女による「概念飛ばし」の加速を受けて二方向にーー二つの怪人の影に向かって飛翔した。


ざむ!ぐし!


毛むくじゃらの影の顔の真ん中と、細身の女性らしい影の胸に、二本の斬概念刀が深く突き刺さる。

毛むくじゃらの怪人ーー「共振」はそのままばたりと倒れ、女性シルエットの怪人ーー「障壁」は、きいい、とガラスを掻いたような声を上げた。

その顔面に、みしり、と白い拳がめり込んだ。「共振」の狂気の振動攻撃から解き放たれた本物川が体重を載せた渾身の殴打を「障壁」の眉間に見舞ったのだ。左手でその胸に刺さる斬概念刀の柄を握ると、本物川は拳をそのまま振り抜いた。「障壁」はアスファルトを舐めるように地面を滑り、夜の道路の先に消えた向こうで、がしゃん、と何かにぶつかった音を立てた。


「二つ」


パンチのフォロースルー中の本物川がそう数を数えた時、その両足がふわり、と地面から浮く。

「浮揚」が本物川から再び重力を奪おうとしているのだ。

すかさず本物川は右手を「浮揚」に向けて激しく振動させた。途端にコンビニの看板を遮る「浮揚」の影が滲むように振動ーー共振ーーし始め、本物川は重力を取り戻した。間髪入れず本物川の左手から「概念飛ばし」の力を得た斬概念刀が闇を裂いて飛ぶ。それが「浮揚」を貫いてコンビニの看板に釘付けにしたのと、地を蹴った本物川が倒れた「共振」からもう一本の斬概念刀を引き抜いたのが同時だった。


「三つ」


そこに小さな獣のような影が踊り込んで来た。影ーー「溶解」は高濃度の溶解液を次々と本物川に吐き掛ける。しかしそれらは本物川の手前で不可視の壁ーー障壁ーーに阻まれ、目に見えない障壁の平面をなぞって露わにしながらだらしなく地面に流れ落ち、もうもうと白い煙を立てて落下地点に穴を開けた。

一陣の風に撒かれてその白い煙が晴れた時、そこに本物川の姿はなく、ただ倒れた毛むくじゃらの怪人だけが、ぐつぐつと煮立つように崩れ始めているだけだった。

「溶解」はキョロキョロと辺りを見回す。


「こっちだ」


声は上から聞こえてきた。

「溶解」が振り仰げば頭上ーーコンビニの看板の上に既に「共振」と、更に「浮揚」とから引き抜いた斬概念刀を得て、左右の両の手に一振りずつそれらを構えた本物川がいた。

その左手から、斬概念刀が「溶解」目掛けて飛ぶ。「溶解」は溶解液を飛来する斬概念刀に向かって吐き掛ける。どろりと空中で形を失う斬概念刀。その粘液質の塊を防御障壁で四方に弾き飛ばしながら、「溶解」に向けて真っ直ぐ殺到してくるものがあった。

両手持ちに巨大な刀を構えたツインテールの少女。

視界の中で急速に大きさを増す彼女が、上体を捻るように刀を振り被る。


それが、「溶解」が認識した最後の知覚だった。



ーーーーーーーーーーーーーーー




「君、大丈夫か?」


近づいてくる巨大な剣を携えた少女にそう声を掛けられて、ケンジは初めて自分が地面にへたり込んでいることを知った。

「あ、ああ……大丈夫」

そう答えたものの腰から下は他人のものであるかのように言うことを聞かず、全く力が入らない。

ついに手の届く距離までやって来た少女が、ケンジに手を差し伸べた。

ケンジはその手をしっかり握った。

少し冷たい、潤いのある掌だった。

見た目の細さとは裏腹に、ぐい、と力強く少女はケンジを引き起こした。

それでもなお、ケンジの左足はかくかくと小刻みに震えており、ケンジは左手に拳を作って自分の左膝の上あたりを叩いた。

そんなケンジの様子に構わずに、少女はしっかりとした口調で話し掛けて来た。


「助かった。君の手助けがなければやられていた。ありがとう」


少女は真っ直ぐケンジを見つめてはっきりと礼を言った。

「お互い様だよ。僕もこの前、君に助けて貰った。あの時はありがとう」

少女は黙って微笑んだ。

可愛い、とケンジは素直にそう感じた。

しかし彼女はすぐ真剣な表情に戻ると言った。

「すぐにここを離れた方がいい。奴らはまだ沢山いる。私は奴らと戦わなければならない」

「君は……その、一体……」

ケンジが言葉を選びながら質問を紡ごうとしたその時。


【が、きん!】


ケンジのすぐ目の前で鋭い金属音と共に火花が散った。

飛び込んで来た槍状の手を持つ怪人が、少女の後ろから突きを見舞って来たのだ。

少女は斬り上げるようにその矛先をそらし、無防備な怪人の腹に痛烈な蹴りを放った。怪人は大通りと細い路地の交差する角の方へすっ飛んで行った。

「走れ!ここから離れろ!死ぬぞ!」

少女はそう言うと、蹴り飛ばした怪人の方向へ駆け出そうとした。

その左手をケンジの両手がぎゅっ、と力一杯に捕まえた。

少女の動きが止まる。

「離してくれ。君を巻き込みたくない」

少女は困ったような顔でそう告げた。

「せめて!名前を教えてくれ!君の、名前を!」

ケンジは懇願した。必死の形相だった。一瞬でも気を抜けば、少女の力ならケンジの手も容易に振り解くことができそうだ。

そんなケンジの様子と口から出た言葉に、少女はふ、と頬を緩めた。


「本物川、だ」

「本物川。本物の、川?下の名前は?」

「上も下もない。私は本物川。概念戦士・本物川」

「概念戦士・本物川……」


ケンジはその名前を強く記憶に刻もうと、口の中で小さく繰り返した。その時、意識が本物川を捕まえている手から逸れた。するり、とケンジの手から逃れた本物川は剣を肩に担ぎながら怪人の飛んだ先に駆け出して行った。

「あ!あの……!」

「私は大丈夫。ここから離れろ。間違っても様子を見に来たりするな。誰かを護りながらでは私は力を発揮できない。いいな!」


振り返りもせず、そう叫んだ本物川は夜の闇の先に消えて行った。

後には去った少女の背中に虚しく手を伸ばすケンジが残された。


「本物川……概念戦士・本物川……」


伸ばしたままの手には、さっきまで握っていた彼女の腕の、張りのあるしなやかな感触が残っていた。



ーーーーーーーーーーーーーーー



人気のない夜の細い路地に金属同士が打ち合わされる剣戟の音が響く。

その度に閃いた火花が、ツインテールの美しい少女の姿と彼女と対峙する銀の怪人の姿を闇に浮かび上がらせる。


「刺突」の槍のような二本の腕を斬概念刀で凌ぎながら間合いを詰めた本物川は、その凌ぐ刃の運びをそのまま袈裟懸けの斬撃に繋げ、「刺突」を斜めに両断した。


げげげ、と血の泡を吹いて銀色の針金人間のような怪人は夜の路地裏の街路に倒れ、崩れたゼリーのような塊と化した。


「……五つ」


肩で息をしながら、本物川は倒した敵をカウントする。


『くそ、奴ら全部で何体いるんだ?』


ミノルはそう尋ねずにいられなかった。


「数が多すぎて正確には……だが少なくともあと二十はいるな」

『持つのか?お前の、概念の力は』

「白旗を上げたら許してもらえると思うか?」

『そうじゃない。一度戦闘から逃れて態勢を立て直して……』

「すまない。お喋りはここまでだ」


本物川が視線を上げると、夜の路地裏に異様な人影が集まりつつあった。

前方に、また振り向いた後方にも。狭い路地にひしめくように集まる異形の群れ。

小人のように小さな影。小山のように大きな影。四つん這いのけだもののような影もあれば金属部品で構成された機械のような影もある。機械のような影はご丁寧にパイプ状の部位から蒸気のようなものまで吹き上げている。

本物川は ちら、と視線だけを走らせて異形の軍団の位置関係をある程度把握すると、今度は人間にはない感覚ーー概念を走査する概念ならではの知覚の波紋を辺りに すぅ、と拡げた。

十七の、色や温度や形や大きさの違う概念が二手に分かれ挟み打ちの形で本物川を取り巻いているのが、彼女の感覚を通してミノルにも分かった。


「囲みを破って突破する。無理をするから、悪いが君にも負担を回す。苦痛だろうがなるべく耐えて、可能なら私にできるだけ深く同調してくれ」

『わ……分かった』


ミノルはそう言うしかなかった。


本物川は瞳を閉じた。

きゅんきゅん、と彼女の周囲の空気が鳴いた。

本物川が持てる概念の力でその周囲の物理法則を書き換える際、生じる落差が鳴らす空間ノイズだ。

初めは彼女が手にしたカッターの意匠を抽象化したような身の丈程の巨大な刀、斬概念刀の周囲に。

そしてそれを保持する腕に。肩口、両脚、胸、背中、耳や目鼻ーー。攻守、機動力、感覚に作用する様々な概念が並列励起されて本物川全体を包み込む。

本物川は瞳を開いた。

斬概念刀の刃が真っ赤な炎を纏い燃え上がる。

彼女が刀を握る手に く、と力を込めると、その炎は更に収束し魔物の咆哮のような音を立てながら青く、鋭く吹き上がった。


「行くぞ」

『お、おう』


ミノルは唾を飲み込もうとしたが、本物川のものとなった身体はそれを許さなかった。



ーーーーーーーーーーーーーーー



暗がりに蠢く異形の集団の中から、一体の怪人が雑居ビル裏口脇の壁面に取り付けられた黄ばんだ蛍光ランプの灯りの中に進み出た。


肌色の水袋を束ねたような四肢と体。ハロウィンの南瓜お化けのような大きな頭。顔が膨れ上がり過ぎて潰れた目鼻のデザイン。キルトの縫取りのようなその口が動いて、意外に朗々とした声を発した。


「ついに追い詰めたぞ本物っ、かっ」


斬光一閃。ひと抱えあるそのぶよぶよの頭が言いかけた言葉を口に含んだまま宙を舞う。

息を飲む異形の群れ。

本物川の能力なのかミノル側のコンディションなのか、ミノルには夜の路地裏を敵集団のど真ん中に向けて跳躍している最中の彼女の見る景色がやけにゆっくり感じられた。


「……六つ」


緩やかに流れる時間の中、本物川が屠った敵の数を小さくカウントする。

その呟きが合図だったかのように、太った袋怪人の宙を舞う首が、またゆっくりと仰向けに倒れつつある首から下が、蒼い炎を吹いて燃え上がった。


たんっ


自らに纏っていた浮揚の力を一度緩めた本物川が右足で地面を蹴る。

その音は辺りにやけに大きく響き渡った。

その音を境に、世界は再び元の速さで目まぐるしく動き始めた。


「殺せ!」


誰かがそう叫ぶ。だが、一度飛び出した本物川を捉えることはその場の誰にもできなかった。そう、一瞬たりとも。


大小の不気味な黒い影の間を蒼い光の閃きが疾る。

その通った後には様々な異形の体のパーツが飛んだ。闇にジグザグに引かれた蒼い光の線の周囲で、ある者は業火に包まれ、またある者は頭頂から胸までを裂かれてヘドロのような液体を吹き上げた。ある者は水飴のようになって崩れさり、ある者は激しく振動しながら地面に倒れマンホールの蓋に触れてベベベベベ、と携帯のバイブ通知のような音を立てた。

本物川の特殊な知覚は、倒したそれぞれの概念の意味が途切れ、自分に統合されて行くのを察知する。

彼女が使える能力は、倒した敵、「偽非概念」の分だけ増えてゆく。

その奪った能力も駆使して、本物川は並みいる異形たちを次々となぎ倒す。

一見すれば数の不利を覆して敵を圧倒している彼女。


だが本物川がひり付くように焦っているのを、またその理由を、彼女の中にいるミノルは嫌と言うほど感じていた。


本物川の持つ能力の行使の限界。

ーー電池切れだ。

電池を使う便利な道具が何個あろうと、それを動かす電池が無ければ何も動かない。

本物川の概念を物理世界に行使する為のエネルギーが秒刻みで減ってゆく。

並列に励起させた概念の力をそれぞれ全開にしているのだ。

ミノルには快進撃の幕切れはすぐそこのように感じられた。


「十五……」


荒い息を吐きながら彼女がまた数を数える。

気が付けば立っている敵は三分の一程に数を減らしており、残った敵も何かしらダメージを負っていて動きは鈍い。

本物川は膝を折り、地面に掌を突くと新たに得た概念の力を発動した。


「爆発」だ。


バレーボールコート程の面積が二度チカチカと光を放ったかと思うと、次の瞬間強い衝撃波を伴いながら吹き飛んだ。

彼女自身は跳躍すると同時に「浮揚」の力を全開にし、爆風の煽りを利用して路地を形成しているビルの屋上へと一気に飛び上がった。

五階建ての雑居ビルの屋上のへりに着地した彼女はふらついて屋上のコンクリートに膝をついた。

眼下では上手く爆発に巻き込んでダメージは与えたものの、倒し切れなかった偽非概念の怪人たち数体が蠢いていた。

「浅い、か」

『お前……もう一杯一杯だろ。一旦逃げよう。概念の力を回復させないと』

苦しそうに息をする本物川に、思わずミノルは助言する。

「正しい主張だ」

ぜえぜえと喘ぎながら彼女は短く答えた。

「不可能だという点を除けば」

ミノルがその理由を本物川に尋ねようとした瞬間ーー。


どん、と彼女の体全体に目に見えない巨大な何かがのしかかった。

「ぐあっ……!」

本物川は咄嗟に、つい先程身に付けた「複製」の概念を行使してその場に実体を持った自分の分身を二人作り出した。

その二人がそれぞれ不可視の「障壁」を形成して彼女たちを押し潰そうとする「重圧」に抗い、支えようとする。

しかしパワー不足の半端な発現では「障壁」も強度が出ず、ぎゅうう、と軋みを上げて潰れ始めた。

本物川は分身の二人を残して転がるように退避する。

間を置かず「重圧」はその本懐を遂げ、ずしん、と地響きを立てて二人の少女をまとめて血と肉の大きな染みにかえた。

ぐちゅん、というくぐもった嫌な音が本物川の耳に残った。

雑居ビルの傷みだらけのコンクリートの屋上に膝をついた姿勢の本物川。彼女の視線の先で筋骨隆々の巨漢の影が真っ赤に裂けた口だけで笑う。こいつが「重圧」の本体だろう。


と、本物川を支える足が、コンクリートに付けた掌が、白い冷気をふわり、と纏った。

見る間に足が、手がびしびしと音を立てて凍り付いてゆく。


ミノルは本物川の中で声にならない悲鳴を上げた。


それまで感じなかった本物川の苦痛が、ダイレクトに彼の意識に伝わったからだ。

本物川の様々な要素が限界に来ており、ミノルの意識を、本物川の身体の感覚から隔離する機能が不全に陥ったためなのだが、勿論ミノルにはそんなことに考えを巡らせる余裕などなかった。

彼女はそこに「燃焼」の概念を励起し、生じた「凍結」を相殺して後ろに飛びのいた。左側から透明な結晶の体の怪人が、白い霧を纏いながらゆっくり姿を表す。きし、きし、とそいつが立てた不快な音は、どうやら笑い声であるらしかった。


ちゃぷ、と足元でした液体が跳ねる音に本物川がどきりとしたのと、彼女の右足首を何者かの濡れた手がひたり、と掴んだのとが同時だった。

下を向いた彼女が見たのは水のように波打つ足元のコンクリートと、その水面からにゅっと突き出したそこに「潜行」している何者かの鱗だらけの黒い腕だった。

波打つコンクリートから更に何かが浮かび上がって来る。

それは魚とヒトを掛け合わせたような不気味な顔で、その顔もまたにやにやと嫌らしい笑いを浮かべていた。

手にした斬概念刀で足元を払い、自分を捉える生臭い腕を薙ごうとする彼女の試みは失敗した。腕が彼女の足を離し、とぷん、とコンクリートに沈んだからだ。


その隙に更に退いた本物川は疲労の余りよろめいて、屋上に建つ階下への階段棟の壁にとん、と肩を付けて寄りかかった。体勢を立て直そうとした彼女は、その左肩が壁に強力に「粘着」して剥がれないことを知った。階段棟の上からどろりとした濁った粘液の塊が頭部と思しき部分を覗かせる。

その真ん中の単眼が本物川を凝視し、その周囲がぽこぽこと泡立った。笑っているのだ。

本物川は愛刀で自らの肩の肉を薄く削ぎ落とす。

その傷みに、中のミノルは再度悶絶する。


本物川は残る力で「浮揚」を発動し、高く跳躍して偽非概念の怪人たちの囲いから逃れようとした。

取り敢えず道を挟んだ隣のビルへーー。


だが、その進路を黒い影が遮った。

鳥のように夜空を「飛翔」する翼。その翼にぶらさがる何者かが、跳躍中の本物川の頬を強かに打った。

途端に彼女の頬に引きつるような傷みが走り、それが焼けるようなしみるような不快な感覚に変わった。

五階の高さから地面に向かって真っ逆さまに落下してゆく彼女の顔面は、打たれた左頬からずぶずぶと「腐敗」し始めていた。


落下する本物川の中でミノルは、絶望と共に自分と本物川の数秒先の死を意識した。



ーーーーーーーーーーーーーーー



落下し、地面に叩きつけられる直前で、本物川は浮揚の概念を発動した。


だがそれは瞬くほどのほんの一瞬で、当然五階の高さからの重力加速による運動エネルギーを打ち消すには至らず、彼女の体は強くアスファルトの地面に衝突した。


「う……」

『ぐ、う……』


最早立ち上がる力どころか首を巡らすだけの余力もなく、彼女は力なく地に伏したまま身じろぎ一つしない。

手にしていた斬概念刀は、彼女の右手の中でありふれた普通のカッターに戻っていた。

勿論、中のミノルも感覚的に彼女と等しく疲弊し切っており、無力そのものだった。


「すまない……ミノル……」


掠れた吐息のような声で、本物川が呟く。


『……いいさ』


ミノルはそう答えるのが精一杯だった。


彼と彼女の周囲に、不気味に忍び笑いをする複数の黒い影が集まってくる。

その輪はゆっくりと、だが着実にぼろぼろの有り様で地面に倒れた本物川を中心に小さくなってゆく。


全てを諦めた二人が、瞳と意識とを閉じようとしたその時ーー。


【ウォォーーンンン!】


路地の向こうから、何かのエンジンの音が高らかに鳴り響いた。

間を置かずバイクの走行音が凄い勢いで近づいて来る。

ギリギリまで接近してライトを点けたバイクに乗った何者かは、さらにスロットルを吹かして加速を掛ける。そして異形の怪人たちの集団に臆することなく、またスピードを少しも緩めることもなく、加速したマシンの勢いに任せてその輪の一角に突っ込んだ。

それは異形を二人ほど引っ掛けて跳ね飛ばし、急ブレーキをかけながら本物川のすぐ隣で止まった。

ハーフヘルメットを被り、原付バイクに跨った銭谷ケンジだ。


「乗れ!早く!」


彼は身を乗り出して手を伸ばし、強引に本物川の手を取ると力任せに引き起こした。

本物川は身を捩り、なんとかケンジの後ろに収まる。


「馬鹿が……来るなと、言ったはず……」

「話は後だ!マフラーに気を付けろ!飛ばすからしっかり掴まって!」


ケンジはゴーグルを降ろすとその場でアクセルターンする。

甲高いスキール音。空転する後輪が焦げたゴム臭を伴って白い煙を噴き上げる。

ケンジが前輪ブレーキを離すと同時に地面に伝わった駆動力は、二人を乗せた原付バイクをウィリー気味に夜の路地へと力強く押し出した。


「逃すな!追え!」


異形の内の誰かが叫ぶ。


本物川は手にしたカッターに残る最後の概念の力をありったけ込めると、景色と共に後ろに滑ってゆく地面に、ころんころん、と投げて落とした。

原付バイクを追撃しようと動き出した異形たちの真ん中でそれはチカチカ、と二回点滅し、次の瞬間巨大な炎を上げて爆発した。


その爆炎と立ち昇った煙を尻目に、どこへともなく夜の街を疾走する原付バイク。


ケンジの胴に腕を回し、その背中に頬を寄せる本物川。

伝わる体温と周期的なエンジンの振動が心地よい。

本物川は更に体重を全面的にケンジの背中に預けると、深い谷に転がり落ちるように、意識を失った。



ーーーーーーーーーーーーーーー



「ん……」


本物川は薄く目を開けた。


薄暗い空間。見知らぬ天井。

照明の色はオレンジに近いピンクだった。


「気が付いた?」


すぐ近くで男の声がした。

本物川は身を固くしてそちらを見た。


何かに腰掛けてこちらを伺う人影。

銭谷ケンジだ。

本物川は自分が清潔なベットに寝かされていることに改めて気が付いた。


「ここは……?」

「四号線沿いのラブホテル。おっと大丈夫。君には手出ししてない」

「あの場所からどれくらいの距離だ?あれから何時間経った?」

「ちょっと待って……」


ケンジはスマートフォンを取り出すとひとしきりぽんぽんとその画面を叩き、出た画面を本物川に示した。


「地図アプリによると直線距離で五十二キロ、時間は……午前二時十四分。あれから四時間くらいかな。あのまま一時間半ほど国道を北上してこのホテルに転がり込んだ。君は二時間ちょっと眠ってたんだ」

「すぐここから離れないと……奴らの中に『追跡』の能力の奴がいる。そいつのコンディションにもよるが、遅くとも半日以内にここに……」


起き上がろうとした本物川は小さく呻いて再びベットに体を預けた。


「その体じゃ無理だよ。少し休まないと」

「どうやら……そのようだ」


ケンジは本物川が身を起こすのを手伝い、二人分の枕をその背中と腰に挟んで彼女をそれに寄りかからせた。

そして傍らに置いてあったビニール袋をガサゴソと漁ると、ミネラルウォーターのペットボトルの蓋を一度開け、緩く締めてから本物川に渡した。


「水で良かった?つまり君は……少し変わってるから、飲み物の好みが分からなくて」

「ああ、充分だ。ありがとう」


本物川はその応答が真であることを示すようにペットボトルの水を一口呷って見せた。

それを飲み下すと、彼女はケンジに向き直ってきっぱりと言った。


「さて……まずは助けて貰ったことについて改めてお礼を言いたい。いや、危機を救ってくれたことだけじゃない。休める場所を手配し、飲み物まで用意してくれた。本当にありがとう」

本物川はぺこり、と頭を下げるとそのまま続けた。

「本来なら、かかった代金は返すべきなのだろうが、生憎と私はこの世界の通貨の持ち合わせが……」

「いや!いいよ。頭上げてよ。僕がもっと金持ちなら、替えの服や何か食べ物も買って来たんだけど、最初のコンビニで一万円札投げてお釣り貰わずに出ちゃって……ここのホテル代とこれ買ったら、買えるのは二人分の飲み物くらいで」

ガサゴソとビニール袋を再度漁ったケンジは新品の黄色い柄のカッターナイフを三本取り出した。

「二軒回ったけど、三本しか……余り君を一人のままにもできないし……」

「助かる。力の媒体があるかないかでその威力は大きく変わるから」


本物川はカッターを包みから出すとベットのサイドボードに綺麗に並べた。


「君の名前をまだ聞いていなかったな」


本物川は嘯いた。彼女の中でまだ意識を失っているミノルの知識として、彼が銭谷ケンジであること自体は知っていたからだ。


「ああ、僕は銭谷ケンジ」

「ケンジ。私は休みたい。私の見積もりでは五時間休めば再び奴らと戦えるくらいには回復する。現状、これは最優先事項だ」

「あ、ああ。だろうね。ごめん。どうぞ」

「だが、君は私の命の恩人だ。可能な範囲でその恩に報いたい」

「え?あ……うん。いや!気にしないでいいよ。僕が好きでやったことだし」

「そこでだ。三つだけ、君の質問に答えようと思う。とんでもない事態に巻き込んだ君への、せめてもの罪滅ぼしに」

「え?」

「そしてその答えを聴いたら、この部屋を出て、バイクに乗り、来た道とは違う道を通って家に帰るんだ」

「君は……どうするんだ?」

「その質問が、一つ目、ということでいいのか?」

「ちょっと待って」

「ケンジ。私を見ろ。この腐りかけて爛れた顔を」


本物川は「腐敗」の力にやられてどろどろに爛れた自分の左頬を示した。

暗めの照明に浮かび上がるその生々しさにケンジは改めて息を呑む。


「奴らは危険だ。それぞれが様々な破壊的な能力を自由に行使できる。私はそれにある程度対抗する能力があるからこれで済んでいるが、もしこれを受けたのが君だったら、君は一瞬で腐汁の水溜りになっている。そんな人生の幕切れは君も望んではいないだろう」

「……」

「それに私は醜くなった。この顔の傷は、回復した後も恐らく完全には消えない。服もぼろぼろで皺だらけだ。君から見て私の価値はかなり落ちているはず」

「そんな!そんなことはない‼︎」


ケンジは立ち上がって叫んだ。

そのケンジの剣幕に本物川は驚いた。


「確かに一目見た時に君を、君のことを可愛い、美しいと思った。だけどそれはほんのきっかけだ。君の戦う姿や、僕への接し方にこうして間近で改めて触れて、ますますその……この気持ちは、君の顔形や身なり多少変わっても消えたりするものじゃない。そうだ。僕は……僕は君のことが」

「ケンジ」


本物川はケンジの言葉を遮った。


「私と日常的に連れ添うには、君は脆弱すぎる。普段私の身の回りで起きる事柄に鑑みるとな。例えばだ。常日頃ポケットに生玉子を入れて暮らしたいとは思わないだろう。それはポケットにとっても生玉子にとっても不幸なアイデアだ」

「……命がけで身体を鍛えるよ。ゆで玉子くらいには。ゆで玉子なら持って回る人もいる。割れて壊れたら捨ててくれていい。それでも玉子は満足だし、決してポケットを恨んだりしない」

「……見かけによらずハードボイルドだな」

『固ゆでが好みなんだろ……』


本物川の内側でミノルの声が響く。

本物川は内なる声でミノルだけに語り掛ける。

「気がついたかミノル」

『どうやら生きてるみたいだけど、どういう状況?』

「ここは戦闘があった場所からある程度離れたラブホテル。私への銭谷ケンジの告白を遮って、私が玉子の話をしていた所だ」

『……いや訳わからんわ』

「後で順を追って説明する。ここは私に任せろ」

『頼む……だけど変なことはすんなよ』


「分かった」

本物川はケンジに向き直る。

「この話は機会を改めよう。こうしてる間にも奴らは我々を血眼で探している。申し訳ないが私は一刻も早く休息に入りたい。三つ質問してくれ。なるべく手短に。質問がないなら、私は休む」

「……ごめん」

「謝ることはない」


ケンジは視線を一旦上に向けて考えを纏めると、本物川に質問した。


「奴らは……何者?」

「端的に言えば異次元人だ。こちらの世界で言う超能力を持った危険な犯罪者」

「君は?」

「私は奴らを追って来た。同じ異次元から。君たちの世界でいう警察官のような立場の者だ」

「例の連続放火犯も……いや、今のなし」


ケンジは少し俯いて躊躇したような素振りを見せたが、結局、心を決めて最後の質問をした。


「君はたった五時間休んで戦って……奴らに勝てるのか?」


本物川は即答しなかった。


「……分からない」

「だったら逃げよう。逃げてもっとしっかり休んで、万全の体制で戦えば……」

「ケンジ。それは向こうも同じなんだ」

「は?」

「こちらの世界に逃亡した重隔離偽非概念……いや、異次元犯罪者は四十二体。私は今迄にその内の十八体を無意味化した。残る二十四体の内の、まだ恐らく十体以上が今回の戦いに加わっている。確かに多対一の状況や私のコンディションが万全でない今はピンチではある。だが、だからこそ奴らは散り散りに逃げ出さずに纏まって私を追っている。つまり同時にこれらを纏めて無意味化するチャンスでもあるんだ」


本物川は一度言葉を切って一つ大きく息を吐いた。


「戦いは今日のこの一戦で終わりではない。事態が長期化すれば、奴らの私に対する情報の収集も進み、より高度な対抗策を練られ、その分私は戦い辛くなる。それぞれが私を狙いながらも、ばらばらにこちらの社会に潜伏されたりすれば圧倒的に不利になる。長い目でみれば、単に数を頼んで襲って来ている今に私にとっての勝機があるのだ」

「僕に何か……できることは?」

「その質問は四つ目だ。銭谷ケンジ」


本物川は微笑んだ。


「君はいい奴だ、ケンジ。私はこれから五時間眠る。五時間後、君と一緒にこのラブホテルを出て更に北上して街から遠ざかる。他の人間がいれば私は力を削がれるが、奴らはそんなことを気にしないからだ。君も眠っておけ。命懸けの場面があるかもしれない」


それだけを言うと本物川はベッドに横たわって目を閉じた。

途端に彼女全体を白い光の繭が包んだ。

ケンジは一旦その輝く繭に手を伸ばしたが、その指先が光の領域に触れるか触れないかの手前で、ふ、と息を吐いてその手を引っ込めた。


「に、しても」


一人ラブホテルの部屋に残されたケンジは今夜の自分の寝床になる固そうなスツールを振り返った。


「なんて夢のない寝姿だ」


ケンジは改めて深く溜息を吐いた。



ーーーーーーーーーーーーーーー



「ケンジ……ケンジ!」


自分を呼ぶ声に目を覚ましたケンジはすぐ目の前に自分を揺するツインテールの美しい少女を認めた。

その顔の傷は塞がってはいたが、腐敗の影響を受けていた部分は他の肌より青白く模様を成していた。


「ん、おはよう」

「身支度しろ。奴らが来る」

「え⁉︎マジ⁉︎ 今何時⁉︎」

「六時前だ」

「力は?」

「予定通りではないがそうも言っていられない。すぐ出るぞ。バイクを貸してくれ」


言いながら本物川は既に部屋を出ようとしている。ケンジはベッドのサイドボードに視線を走らせたが、そこに並んでいたカッターは無かった。


「ちょ、待って!免許あんの?」

「免許はない。だが運転は可能だ。急げ」


まだ暗い明け方の冷たい空気。一階の薄暗い駐車場の片隅に停められていたケンジの原付に彼が駆け寄りキーを挿そうとする。


「待て、その必要はない」

「え?なんで?」


本物川はケンジを後ろに下がらせると黄色の柄のカッターを取り出し原付の上にかざした。

本物川が手を離すとそれは少しの間空中にとどまり、その後ゆっくりと下降して原付の座席に吸い込まれた。

次の瞬間、原付の周囲が ふ、と暗くなった。

途端に原付はぐにゃぐにゃとその姿を変えハンドルとアクセルペダルの付いた巨大なカッターのような何かになった。しかも少しだけ宙に浮いている。

啞然とする彼を尻目に本物川はそれに跨ってハンドルを握った。


「乗れ。急げ!」

「え!あ、はい!」


どかん、と駐車場の壁に大きな穴が開いた。

その穴から機械仕掛けのハンマー状の腕のロボットのような怪人がのそり、と姿を現す。


「なんだあれ⁉︎」

「『破砕』だ。あれに捕まるわけにはいかない。出すぞ。落ちても拾いには戻らない。死ぬ気で掴まれ、固ゆで玉子」

「わ、分かった!」


ぷん、と糸が切れるような音を立ててカッター型の飛行バイクは発進した。


四車線の暗い道路には他に車の通りはない。

広い道に出た本物川はアクセルを吹かして加速する。

形は巨大なカッターだが、どうやらその運転の仕方は元になった原付バイクに準拠しているらしかった。


「まるで道を切るカッターだな」


本物川のしまったウエストに必死でしがみ付きなが、ケンジはぼそり、と感想を漏らした。前を向いて運転しながら、本物川が応えた。


「ロードカッターか。そのネーミングは採用だ」


山あいの幹線道路を北に向かって疾駆する二人を乗せた黄色い浮揚バイク。

その後ろから、たたたたたた、と何かの足音が高速で接近してくる。

ケンジが何事かと振り返って確認すれば、それは軽自動車ほどもある巨大な狼だった。いや、よく見ればその眼に当たる部分は三つの大きさの違う機械的なレンズ状のパーツで構成されていて、ケンジが見ている前でかしゃり、と回転して一番大きいレンズが一番上に来た。そしてケンジにピントを合わせるようにちー、と焦点距離を変えた。


「『追跡』だ。ここで倒す。マシンを振るぞ。落ちるなよ」


本物川の言葉にケンジは前に向き直りしっかりと彼女の体に掴まり直す。

本物川は高速で「追跡」と併走しつつ、すー、とロードカッターを「追跡」に寄せた。「追跡」もそれに気付き、走りながらその口を大きく開け首を振り立て、その牙に本物川を捉えようと噛みついて来た。

その瞬間、ロードカッターがばうん、と跳ねた。


「くうんっっ!!!」

叫ぶのを堪えたケンジの鼻から妙な息が漏れる。

世界がぐるり、と回転した。


「追跡」の牙撃を躱しつつ空中で八の字を描いた浮揚バイクは「追跡」の真後ろを取った。本物川がアクセルを全開にする。ぐん、とスピードを増したロードカッターはそのまま前を走る「追跡」の尾の付け根にテーブルの天板ほどの大きさに巨大に具現化されたカッターの刃を突き立てた。

ぎゃうん、と犬のような鳴き声が「追跡」から上がった。

受けたダメージとその痛みからか走行速度を保てなくなった「追跡」は、ロードカッターの刃と高速で後方に流れ去るアスファルトとの間に引き摺りこまれるように切り裂かれながら通り過ぎて行った。


「……十六」


本物川がそう倒した敵をカウントした直後。

ずむん、と地響きを立ててロードカッターの直後の道路がドーム型に凹んだ。

煽りをくったロードカッターはバランスを崩しかけて蛇行する。

その右に、左に、マシンを丸々叩き潰すほどの大きさの見えない力が、道路に次々と凹みを穿つ。


「上だ!本物川!」


ケンジが叫ぶ。

肩越しにちらりと振り返る本物川。


「『飛翔』と『重圧』……」


東から明るくなり始めた瑠璃色の空を黒々と遮る巨大な翼。その翼からぶら下がる巨漢のシルエットの口元が赤々と亀裂のような笑みを浮かべた。


朝もやを切り裂くように疾走する本物川たちの乗るロードカッターの上の空間が次々とレンズのように歪む。


寸暇も置かずにそれらは巨大な質量を持った空気の槌となって彼女たちを叩き潰さんと振り下ろされる。

加速や急減速、フェイントを織り交ぜた細かい進路変更を駆使してぎりぎりの所でそれらを回避する本物川。幾つもの地響きと砕けたアスファルトとが、彼女が走り去る後に残される。

そして明け方の道路を滑るように走るその浮揚バイクは、一直線に山の尾根を貫くトンネルに進入した。


「重圧」をその足で捉えて吊り下げたまま空を舞う「飛翔」はその羽ばたきを一層せわしくし、トンネルの出口に先回りしようと試みた。それを察した「重圧」が、力を蓄えて重力レンズによる攻撃に備える。

それを警戒してか、入った時よりも高速でトンネルを飛び出すロードカッター。はためくツインテールが、少女の背中にしがみついて振り向く青年の恐怖に見開かれた目が、はっきり見て取れる距離まで「飛翔」は距離を詰めた。


ズシン!


必殺のタイミングで「重圧」が重力レンズを叩きつける。

そしてそれは、躱そうと斜めに移動しかけた黄色い浮揚バイクを丸ごと効力圏内に収め、問答無用の圧力で一気に押しつぶした。

飛び散る機械の破片。水っぽい音を立てて弾ける二人分の人肉の飛沫。


勝利を確信した「重圧」の視界を、舞い踊る黒い羽毛が埋めた。


次の瞬間、「飛翔」はそのバランスを完全に失い、錐揉みに回転しながら真っ逆さまに落下し始めた。「重圧」の視野を、鋭角に切断されたその片方の翼が回転しながら通り過ぎていく。怪鳥の背中に突き立つ刃が、昇り始めた朝日を反射してぎらりと輝く。

攻撃を受けたのだ、と「重圧」が理解した瞬間、カッターの意匠を色濃く残す巨大な刀が、何者かの意思に操られて下方に飛んだ。

それを目で追った「重圧」は見た。

下方から誰かが自分目掛けて跳躍し急速に接近しつつあるのを。

その誰かが、ツインテールの美しい少女であるのを。

その少女の細く白い手が、不釣り合いな巨大な刀の柄をしっかりと捉えるのを。


やったのは「複製」か……!


「重圧」が重力レンズを形成する為に焦点を定めようとしたその時、その体は空中で縦に二つに割れた。

もう一閃、輝きの直線が割れた体を横薙ぎに絶つ。

一瞬前まで「重圧」だった四つの破片は、回転しながら羽毛を撒き散らす黒い塊と共に、道路とその脇の森林な落下して行った。


「……十八」


山の稜線から顔を覗かせた太陽の眩しい光に目を細めながら、本物川は倒した敵の数を数えた。




ーーーーーーーーーーーーーーー




「良かった。無事だったか」


トンネルの中で黄色い浮揚バイクに跨って本物川を待っていたケンジは、大きな剣を担いで戻ってきた彼女を見てそう呟いた。


「首尾は?」

「飛んでいた二体は倒した。君はここまででいい」


本物川がバイクに手をかざすと、浮揚バイクはまたぐにゃりと形を歪めて、見る間に元の原付バイクに戻った。

ハンドルの辺りから飛び出したカッターが、彼女の手に収まる。


「ここから離れろ。引き返すんだ」

「ここまで来たんだ。最後まで付き合うよ」


本物川は目を伏せて首を横に振る。


「君のお陰で私が今回最も倒したかった『追跡』と『飛翔』を倒す事が出来た。これでここから先は、危なくなれば逃げ出すことも可能だ」

「でも……」

「君が人質に取られたら私の負けだ。その後に確実に君も殺される」

「……」

「認めるよ。銭谷ケンジ。私は君を過小評価していたようだ。生玉子だなんて言って悪かった。君は充分にハードボイルド。男の中の男だ」

「……約束してくれ。無茶はしない。危なくなったら必ず逃げる、と」

「約束しよう。私はその辺りは合理主義者だからな」

「また会えるか?」

「奴らは君の街……星ヶ谷を侵略の橋頭堡に選んだ。私の活動圏は君の生活圏と重なるだろう。どこかでまた会える可能性は高い。だが君が死んだら二度と再び絶対に会えない。君も約束しろ。私に会いたいが為に、危険に自分から近づいたりしない、と」

「分かった。約束する。指切りだ」

「指切り……?」


本物川はミノルの記憶を検索する。


「ああ。約束を印象付けて忘れないようにする為の手遊びか。いいだろう」


二人は朝日の差し込み始めたトンネルの中で小指を絡めた。


「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます。指切った」


「無事でな、本物川」

「君も。銭谷ケンジ」


本物川はケンジに微笑むと、くるりと踵を返し、トンネルの口から差し込む朝の眩しい日差しの中に駆け出して行った。


ケンジはバイクをUターンさせる。

トンネルの逆の出口側はまだ暗い。

彼はきっかり二秒の間、完全に動きを止め、そして何かを振り切るように、まだ夜の空気を漂わせる出口へと、原付バイクのアクセルを吹かした。



ーーーーーーーーーーーーーーー



『あと何体だ?』


朝焼けを跳ね返して輝くアスファルト。国道をひた走る本物川の中で、事の成り行きを見守っていたミノルはそう本物川に問い掛けた。


「探査範囲では十二だな。今回は恐らくそれで全部だ」

『本物川』

「なんだ?」

『ありがとうな、その……銭谷を上手く帰らせてくれて』

「優しいな、ミノル」

『なんだよ急に』

「何故そんなにも他者の危険やストレスが気になるのか。君は奴ら……偽非概念すら、なんとか無意味化せずに対処できないか、と考えている」

『そんなことねえよ』

「じゃあ無意識なんだな。心の底でそう思っているんだ。君や、あの銭谷ケンジ。よくもまあ……こんな利他的な精神構造が醸成されたものだ」

『お人好し過ぎる、って言いたいのか?』

「純粋に感動しているんだ。そんな君だから、私は引き寄せられたのかも知れないな」


ミノルは何故かやたらに気恥ずかしくなって、違う話題を振った。


『作戦はあるのか?まだ十二対一だぞ』

「相手次第だ。さっきから何かの作用で、十一体それぞれがなんの概念か分からないんだ」

『それも敵の能力?』

「恐らく。『撹乱』かも知れない」

『こっちは十八体分の新しい概念能力を得てるんだ。楽勝、じゃないのか?』

「今回改めて分かったんだが、複数の概念の並列励起は消耗が極めて激しい。今の私は休息が不充分で物理干渉力のストックが乏しいから、使用するのはなるべく単一の概念にする。最悪でも同時に使う概念は二つまでに抑えたい。そうでもしないと、残り十二体とはとてもじゃないが戦いきれない」

『逃げる力は残しといてくれよ』

「君の体だ。大事にするさ」

『よく言うぜ』

「……来たぞ。十九体目。こいつはーー」


本物川は山あいの国道を斜めに横切るように駆け、崖淵のガードレールを飛び越えると虚空に身を踊らせる。それを追うように地を這う影が宙に舞った。空中で本物川は身を翻し、その敵を迎え撃とうと斬概念刀を構えた。


敵の手刀を受け止める斬概念刀。

だがそれは敵に触れた箇所からみるみる赤く錆び、強度を失ってボロボロと崩れ始めた。浸食は本物川の握るグリップの近くまで及び、彼女はそれを投棄した。カッター意匠の巨大な刀は眼下の森林に吸い込まれるように落ちてゆく。


「ーー『腐敗』だ」


二本目のカッターを取り出しながら、本物川はやたらと乾く唇を少しだけ舐めた。



ーーーーーーーーーーーーーーー



ぶくぶくと泡だつ地面の泥濘は、「撹乱」だったもののなれの果てだ。


「これで……二十一」


国道から外れた森の中。本物川はまた倒した敵の数をカウントし、新たな敵を求めて駆け出した。


『力は?』


ミノルは本物川の戦いの為の余力を尋ねた。

「残りはあと九体。斬撃と移動系の概念に絞って戦えば、充分戦える」

『残ってる奴の概念の種類は?』

「遭遇した中で倒していないのは『凍結』と『粘着』。あとの七体は……」

『虚弱とか減塩とか、なんか情けない奴だといいんだけど』


森を駆けながら本物川は概念を探知する知覚の波紋を周囲に拡げる。


「どうやら一体は『再生』、だ。あと六体は纏まって近くにいるらしく、反応が干渉してよく分からないな」

『再生?』

「奴らの回復役だろう。どうりで追っ手の足が速い筈だ。去り際に与えたダメージも『再生』に回復させられてしまっていたんだ」

『じゃあそいつから倒さないと』

「いや。恐らく『再生』の概念行使には一定の時間が掛かる。でなければ前の戦闘中に傷付いた仲間を次々再生させながら私を追い詰めた筈。『再生』は後回しにして実効戦闘力の高い奴を優先する。そして一体一体を確実に倒す」

『無理するなよ』

「その概念は身につけていない」


森が開けた。

現れた登山道に沿って、本物川は風のように駆ける。

折からの強い風に乗って来た雲が空を覆い、昇った筈の朝日は隠されてまだ周囲は薄暗い。


ぽつ、と本物川の顔に水滴が当たる。


「雨、か……」


彼女は斬概念刀を握る手に、少し力を込めた。


ーーーーーーーーーーーーーーー



目の前に大きな橋が見えて来た。

雲は更にその厚さを増し、ぱらぱらと小雨が降り始めている。


本物川はその橋の手前の広場のようになった場所の真ん中で立ち止まった。

周囲を油断なく伺う彼女。


その眼前に、タキシードを着てシルクハットを被った場違いな男が現れた。


「お見事。いやーお見事」


手入れの行き届いた髭を何かの油で撫でつけた口元をわざとらしいくらいに動かして、その男は朗らかに話し掛けて来る。


「おっと。それはお待ちになられた方がいい」


本物川が一足飛びに斬り捨てようと、じりっ、と足元を踏み締めた瞬間、男がそう言って彼女の動きを制した。


「本日のゲストをご紹介しましょう」


芝居がかった仕草で男が差し伸べた手の先から人の身の丈ほどもある巨大な拳が姿を現す。

その拳は、何かを握っていた。

本物川は目を見開いた。


「銭谷ケンジ……!」

「すまない、本物川。ぐうっ……」


拳はケンジを捕らえたままゆらゆらと空中を移動すると、タキシードの男の傍らに控えた。


「彼は『捕縛』。その中の彼は、もうご存知ですね」


タキシードの男はどこからともなく取り出したステッキを手元でくるくると回すと、楽しそうに言った。


「自己紹介が遅れました。私は此度のゲームを取り仕切らせて頂いております」


ぱし、とステッキの回転を止め、シルクハットの鍔を少し持ち上げながらその男は名乗った。


「『統率』、と申します。さてーー」


「統率」の背後にわらわらと不気味な異形の影が浮かび上がる。


「ゲームを始めましょうか」


雨はやがて本降りに変わり、激しく朝の森を叩いて、辺り一面に白い水煙を立てた。



ーーーーーーーーーーーーーーー



「とは言っても、あなたにして頂くことは殆どないんですよ。これは我々の為のゲームでね」


降りしきる雨の中、どの怪人も一様にニヤニヤと笑っていた。


「まずはあなたには動かないで頂きたい」

「とうにそうしている。銭谷ケンジを離せ」

「武器も、捨てて頂きましょう」


どちゃ、と重い音を立てて水溜りの水を跳ね飛ばしながら巨大な斬概念刀が地面を叩く。途端にそれは泥水の中で小さな元のカッターに戻った。


「次は?服でも脱ぐか?」

「ご安心を。それはこちらで取り計います」


本物川の足元がびしり、と音を立てて凍りつく。

氷は降る雨を次々に取り込みながらその膝上までを覆い、白い冷気を放ちながら凍結させた。


「くっ……」

「ダメだ!本物川!僕に構うな!畜生、離せ!!!」


ケンジの悲痛な叫びが辺りに響く。

「統率」はより愉快そうに言った。


「ゲェェムのルールを、説明しましょう!」


透明な粘液質の体の怪人「粘着」が、捻れるように細く長く伸びる。そいつはびしょ濡れで立ち尽くす本物川の右手に、ひゅる、と巻きつくと反対の端を数本の立木を経由して、彼女の左手に幾重にも巻き付けた。そしてそのまま長さを縮め、ツインテールのゴスロリ少女を広場の真ん中に磔にした。

本物川は一瞬それに抗おうとした。

しかしその様子を察した「捕縛」が橋の上に移動し、ケンジを掴んだままの拳を空中に差し出すと、彼女はその力を抜いた。


「ルールは簡単です。誰が初めにあなたに苦痛の悲鳴を……」


「統率」は豪雨を全く意に介さない様子で愉快そうに本物川に近づくと、いきなりその頬を張った。

彼女は、きっ、と「統率」を睨んだ。その口元から、一筋血が滲んだが、それはすぐに彼女の顔を洗い続ける雨に溶けて消えた。


「……上げさせるか?」


「統率」は満足気に頷いた。


「そして誰が初めにあなたに快楽の嬌声を……」


言いながら「統率」は、わし、と本物川の左の乳房を掴んだ。


「……上げさせるかァ?」


紳士の風体だからこそ余計に、その笑みの品の無さは際立った。

本物川は何も言わず、そんな「統率」を侮蔑を込めた眼で睨んだだけだった。


「やめろォォォ」


叫んだのはケンジだった。


「本物川!すまない、頼む!戦ってくれ!こいつらと!僕は!……僕は!」

「いけない!やめろケンジ!」


ケンジが何をする気か察した本物川はそれを制止しようと叫んだ。

ケンジは食いちぎるような勢いで「捕縛」の指に噛み付いた。びくり、となって一瞬緩む「捕縛」の拳。ケンジはその一瞬で飛び出すように逃れ、


「お前が好きだ。本物川」


それだけ言うと、雨の峡谷に身を踊らせた。


「ケンジーーーーッッッ!!!」


本物川の絶叫が木霊する。


「あははははははははははははははっっっっ……」


その木霊に、「統率」の下卑た笑いが重なった。



ーーーーーーーーーーーーーーー



「これは面白い。彼が逃走先にこの世界を選んだのは本当に英断でした。この具象世界!そしてここに生きる人間!それが演じる喜劇!それが生み出す笑いはまさに……」


言い掛けた「統率」の顔が、くの字にひしゃげた。

そのまま「統率」は凄い勢いで回転しながら左の茂みに飛ばされて行った。

ぎゃぁぁぁ、と叫んだのは体を千切られたロープ状の粘液怪人「粘着」だ。「粘着」はバネのように螺旋に縮れながら水浸しの地面を飛沫を立てながらのたうった。

本物川が「統率」の台詞を遮って、「粘着」による拘束を引き千切りながらエセ紳士を殴ったのだ。降りしきる雨に張り付いた彼女の髪の毛でその表情は伺いしれないが、唇は真一文字に結ばれていた。


その彼女の周囲に異変が起きた。

ちゅんちゅん、と細かな音が幾つも立つと、本物川が白い蒸気を纏ったのだ。

見ると彼女にかかる雨粒が、白い蒸気を上げながら彼女やその服の表面を雨滴の形を保ったまま滑り落ちてゆく。彼女の体の温度が急速に、異常に、ライデンフロスト効果を起こす程に上昇しているのだ。


きゅう、という音の後に、ばきん、と音を立てて本物川の膝上までを覆っていた氷にヒビが入った。

ぎやあ、と今度は「凍結」が悲鳴を上げた。人の形を取り戻そうとした「凍結」の首を無造作に掴んだ本物川はそのまま「凍結」を吊り上げる。

本物川が力を込めると、その体は瞬く間に燃え上がる。

「凍結」は体を痙攣させたが、やがて跡形もなく溶け去り、もうもうと立ち込める蒸気に変わって、降りしきる雨に消えた。


「やってくれましたねェ!本物川!」


左の頬を押さえながら「統率」が戻って来た。


「捕縛!破砕!踏破!跳躍!そして合体!……行きますよ!!!」


残った偽非概念の内の六体が集まる。

奴らは「合体」を中心に文字どおり合体すると、身の丈十メートルを超える巨人と化した。

「統率」を頭とする「合体」の体には「破砕」と「捕縛」の腕が生え、それらを「踏破」と「跳躍」の足が支えていた。


「けけけけけ!おののくがいい本物川!これぞ究極の合体概念!コンセプテ・ラ・シス!!!」


異様な体躯の巨大な人型は、両手を雨の空に掲げてそう宣言すると、高らかに笑った。




『本物川……俺は……俺は奴を許せない。初めてだ。誰かをこんなに……憎むのは』


本物川の中でミノルは無力感に打ちのめされていた。


「分かっているさミノル。私も同じ気持ちだ」

『だが奴は……勝てるか?』

「君の心のリミッターは今、全て外れた。奴を倒す。その一点で、我々二人は今までになく完璧に同期している。私の概念の行使の妨げとなるものはもはや何もない。今の我々は言わばーー」


雨滴は既に、本物川の体や髪に到達さえできなくなっていた。彼女が纏う熱が、空中で無数の雨滴を片っ端から蒸気へと変え、辺りには濃い霧が立ち込め初めていた。

その中心で本物川は黄色く輝いた。

そして彼女の体は、ぼっ、と音を立てて真っ赤な炎を吹き上げた。


「ーースーパー本物川だ」



ーーーーーーーーーーーーーーー



「ゲェェムオォォバァァァです本物川!」


右腕になった「破砕」の力が唸りを上げて本物川に迫る。

本物川はその拳の側面を平手で、ぱん、と叩いた。

それた破砕の拳は地面を撃ち、地響きとともに、水と泥の巨大なミルククラウンを創出する。

地面に刺さった「破砕」の腕はしかし黒ずんでプリンのように崩れ去った。

「腐敗」の力だ。

苦痛の呻きを上げながら、概念の巨人は左腕で本物川を「捕縛」しようとする。

その迫る腕に手を付いて、それを支点にとんぼを切った本物川は巨人の左肩に着地する。

その時には既に、巨人の左手は氷河のように凍て付いて微動だにしなくなっていた。

「凍結」の力だ。

本物川が軽く握った拳の甲で、こん、と叩くとその腕型の氷河は粉々に砕けて辺り一帯に散らばった。


「なっ……なにィィィィ!?!?」


狼狽した「統率」は本物川を見失った。キョロキョロと見回す内、自らの両脚に違和感を感じた。小さな柔らかい何かが両足同時に、つ、と触れたのだ。途端に両脚は黒い粘液となって、どろりと溶けて広がった。

「溶解」の力だ。

胴体の「合体」と頭の「統率」は四肢を失い、なす術なく地に伏した。

いつの間にか、雨は小降りになっている。


「バ……馬鹿な……!この私が……!この……私が……!」


泥溜まりに顔を伏せる「統率」のすぐ側に、ヒールの付いた赤いメリージェーンシューズが水を跳ねた。


「ま、待て!あの人質のことは悪かった!まさか飛び降りるとは思わなかったんだ!下は川だ!今行けばまだ助かるかも知れないぞ!」


「統率」の言葉を無視した本物川は少し腰を落とす。

そして右の拳を、すう、と引いた。


「許してくれ!もう人間に悪さはしない!頼む!残りの概念の連中の情報も教える!だから……なっ?許すよなっ?許しテェェェェッッ!!!」


本物川の拳が、きぃぃん、と澄んだ音を立てる。彼女は今まで得た攻撃的な概念の全てを、その拳に並列励起させていた。


「答えはこれだ」


本物川の拳が何色もの色彩で強く、複雑に煌めく。


「ヒィィィィィィッッ!?」


周囲から一切の音が消える。


煌めく拳は光の矢となって四肢を失った巨人の頭部から末端までを綺麗に貫いた。


巨人は燃え、凍り、振動し、潰れ、溶け、捻れ、裂け、砕け、散り散りに爆発して、欠片すら微塵も残らなかった。


世界に、音が戻った。


「……重積概念パンチ」


本物川はそう呟くと、左手で顔に張り付く前髪を払った。


雨はすっかり上がり、辺りには朝の爽やかな陽射しが降り注いでいた。



ーーーーーーーーーーーーーーー



本物川は橋から身を乗り出すと、ケンジが落ちた先を覗き込んだ。


五階建てのビルほどの高さを経て、さっき「統率」が言った通り、確かに谷底には川が流れていた。ケンジの姿はどこにも見えない。


「ケンジを探す。下に行くぞ」

『ああ』


「そのネセサリはありまセーン」


橋の向こう側に現れたのは、デニムの上下の背の高い白人青年だった。


「お探しなのはこのボーイでショウ?」


その白人青年の腕に、気を失った銭谷ケンジが抱かれている。


「ケンジ!」


本物川は駆け寄ると、その無事を確かめた。

白人青年は舗装された橋の上に、ゆっくりとケンジを横たえた。


『様子は?』

「無事だ。どうやら無傷みたいだな」


本物川は白人青年に向き直った。


「ありがとう。君が助けてくれたのか?」

「助けた?落ちてきたものを受けとめただけデース」


答えた青年はヒラヒラと手を振ると立ち去ろうとする。


「待て」


青年は立ち止まる。だが、振り返りはしなかった。


「君。名は?」

「……名。ネームですか。そう言えば、まだ決めてまセーン」


青年は再び歩き出すと、橋の向こうに去って行った。


『……変な外人だな』

「……」

『どうした?本物川』

「……いや。なんでもない」


「う……」

「ケンジ。気が付いたか」

「うわぁっ!ああっ!」

「大丈夫!大丈夫だケンジ」

「ああっ……本物川。無事……無事だったのか」

「ああ、お陰で全て片が付いた。どうやら一体だけは逃げられてしまったようだが。バイクをどこに置いて来た?そこまで送る」

「良かった。君が無事で。すまない本物川。迷惑を掛けて」

「全く君は。私がやめろと言うことばかり実行に移す。困った奴だ」

「悪かったよ。ただ……もう場面場面で必死で。本当に、すまない」

「罪には罰が必要だ。目を瞑れ」


ケンジは固く目を閉じた。

本物川はその襟首を雑に掴むと、ケンジを引き起こし、そのまま強引にキスをした。




ーーーーーーーーーーーーーーー


ーーーーーーーーーーーーーーー



真っ暗な室内に、大きな三枚のモニターだけが煌々と輝いていた。


正面のモニターは一回り大きく、その左右に、同じ大きさの少し小さなモニターが並ぶ。


中央のモニターにはかなり乱れた画像が映っている。黄色いボディーの細長い乗り物に、二人の人物が乗っているようだが、判然としない。


「今で何倍だ?」


男の声が尋ねる。


「24倍ですね。更に拡大しますか?」


若い男の声が答える。


「いや。逆だ。20倍にしてコントラストを強くしてみてくれ」


中央モニターの画像に変化があり、陰影が強調されて形が少しだけ分かりやすくなった。しかし、走行中を固定カメラで捉えた画像のようで、そもそもの被写体がブレているらしく、そこまで鮮明な像にはならなかった。


「……何だと思う?」


問う男の声。今度は若い女の声が答えた。


「乗り物、ですよね。ほら、ここ、人が二人乗りしてるように見えます。でも、バイクではない」

「タイヤがないように見えるんですよねー。つまり、宙に浮いてる」


若い男の声が続けた。

どうやら男が上司で若い男女はその部下であるらしかった。

男の声が更に質問する。


「そんな乗り物に心当たりはあるか?」

「映画やPVではありますが。スターウォーズのスピーダーバイクとか」

映画を引き合いに出したのは若い男だ。

「冷戦時代に米軍が『エアジープ』という一人乗りの飛行偵察機を開発していた、と聞いたことがあります。騒音と舞い立つ粉塵が凄くて隠密性に欠け、横風や地形効果で機体制御が不能になる問題点を解決できずに開発は中止になったそうですが」

「飛行はローターで?」

「はい。画像を出します」


向かって右のモニターに、前後に巨大なローターを配した全長十メーターくらいの乗り物の白黒画像が映る。


「似てないな」

「ですね。一応スピーダーバイクの画像も出します」


向かって左の画面にSF映画の登場ガジェットである反重力バイクの画像が映る。


「どちらかと言うとこちらの方が似てるが、別物だな。ま、当然と言えば当然だが。曹長、二枚目の画像を」


中央モニターの画像が変わる。

歪んで凹んだヒビだらけのアスファルト路面の映像だ。


「こりゃあ……」

「爆発物による損傷じゃなさそうですね。燃焼痕がない。何かこう……重たいものを叩き付けたような」

「……ふむ。公安からの事前資料は以上か?」

「はい」

「二曹、公安の担当官に追加資料を請求だ。連中、こっちの足元を見て出し惜しみしてる」

「了解」

「曹長、二曹を伴って実地調査を命ずる。可能な限り早急に。計画を立て、必要な装備を見積もってこちらに送れ。ベタ打ちでいい。ヒトナナまでに」

「そんなに掛かりませんよ。一次案はヒトサンまでに。『小石』は連れだしても?」

「許可する。出払ってる間のこちらのことは心配するな。必要な対外手続きはこちらでやる」

「お願いします。今回『スサノオ』は?」

「現段階では公道に出す許可が下りないな。何より目立ち過ぎる。まずは民間を偽装する形で装備や車両を見積もれ。多少予算が掛かってもいい。九ミリの携行は許可する。二曹も『タマモ』のアンダースーツは装備してゆけ。事態がそれ以上になりそうなら、迷わず撤退していい。こちらの命令を待たずにな」

「了解」

「了解」


男は自分の端末を短く操作する。

中央モニターの画像が黄色い未確認物体の動画に戻った。

主幹道路に設置されたNシステムと呼ばれる自動撮影装置から抜粋した2秒に満たない動画。

それがリピートで流れ始める。


「さて諸君……情報自衛隊の非公然調査班、我々『備品管理部別室』の能力が試される時だ」


たん、とキーを叩く音。

バイクに乗る二人組みのブレた画像で画面が止まる。


「……こいつらを丸裸にするぞ」

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