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魔導人形は、心臓を返します ~「お前は感情の壊れた欠陥品だ」と婚約破棄されたので、正真正銘の人形として王家の心臓を持って去ります。なお修理の依頼は受け付けません~

作者: uta
掲載日:2026/09/11

「お前は感情を持たぬ人形だ。心なき欠陥品と、私が結婚できるわけがない」


王太子アルヴィスの声が、大広間の水晶シャンデリアの下に冷たく響き渡った。


居並ぶ貴族たちの視線が、一斉に私へ突き刺さる。


私――セラフィーナ・ヴェル・イグドラシアは、左胸でほのかに青光する魔導核を宿したまま、静かにその宣告を受け止めた。


(ふうん。婚約破棄ですか。しかも公衆の面前で。うちの王太子、なかなかドラマチックな演出がお好きなようで)


表情ひとつ動かさない私の内側で、前世の記憶――現代日本で過労死した精密機械技師・宮下深冬の魂が、乾いた笑みを浮かべていた。


(『感情がない』ねえ。前世の職場でも上司に言われたっけ。「宮下は淡々としすぎて何考えてるかわからん」って。……人間、いや、王太子も、見る目のなさは変わらないな)


「血の通わぬ女に、国母は務まらぬ!」


アルヴィスの隣で、栗色の巻き毛の令嬢がそっと目を伏せる。男爵令嬢ミレイユ・ドーン。


「アルヴィス様……わたし、こんな場に立ち会うのは、辛いですわ」


『太陽のように温かい令嬢』と評判の、感情豊かな彼女。アルヴィスの手は、しっかりと彼女の腰に添えられていた。


(なるほど。乗り換え先はもう確保済み、と。段取りは良いですね、殿下。腰に添えた手が雄弁ですよ)


私は無意識に、左胸に手を当てていた。


そこには、心臓の代わりに――この国の運命を握る『何か』が、静かに脈打っている。


だが、それを知る者はこの場に一人もいない。


「何か申し開きはあるか、セラフィーナ」


アルヴィスが勝ち誇ったように顎を上げる。


(申し開き。まるで私が罪人みたいな言い草ですね)


私は一歩前へ出て、スカートの裾をつまみ、完璧な角度で礼をした。


「承知いたしました」


それだけだった。


広間がざわめく。


「まあ……悔しがりもしないわ」

「やはり人形よ。血が通っていないのだわ」

「男爵令嬢のほうがよほど人間らしい」


嘲笑が、さざ波のように広がっていく。


(そう、私は人形。だからこそ――この国の“心臓”が、誰の指先で動いているか。あなたたちは一度も、考えたことがないでしょう)


大広間の隅で、私の侍女エルナが唇を噛んでいるのが見えた。実直な彼女は、拳を震わせている。


(エルナ。あなただけは、いつも見ていてくれましたね。深夜、魔導核の維持で疲れきった私が、ひとりだけ吐く小さな安堵の息を)


「では、これにて婚約は破棄する。二度とその欠陥の顔を王城で見せるな」


アルヴィスが手を振る。


私は再び一礼した。


「かしこまりました。――私は欠陥品ですので。修理も、維持も、もうできません」


その言葉の本当の意味を、誰も理解していなかった。


(この瞬間、王家は自ら、国の“心臓”を捨てたのです)



私が大広間を出て回廊を歩き始めた、その瞬間だった。


――ふつ。


王城の魔導灯が、一斉に消えた。


背後で、貴族たちの悲鳴が上がる。


「な、なんだ!? 灯りが……灯りが消えたぞ!」


(ああ、始まりましたね)


私は歩みを止めない。


私の傍を通り過ぎるとき、廊下の魔導灯だけが――私に呼応するように、ほのかに息を吹き返す。


それが私という存在の証明だった。


王家の魔導防壁『世界樹の心臓』。国境を魔物から守り、王都の灯りを支え、数百万の民の命を無言で守り続けてきた、国家の要。


その制御中枢は――私の左胸の魔導核と、完全に同期していた。


私が城を去るということは、防壁の管理者が消えるということ。


「お嬢様」


暗がりから、エルナが駆け寄ってきた。荷物はすでにまとめてあると、その眼差しが語っている。


「エルナ。あなたは残ってもいいのよ。私と共に行けば、あなたも“欠陥品の侍女”と呼ばれる」


「――お供いたします」


迷いのない即答だった。


「お嬢様は、誰よりも心をお持ちです。私はそれを、この目で見てまいりました」


(……ずるいですね、エルナ。人形のはずの私の、この胸の奥が、ちょっと熱くなるじゃないですか)


私は魔導炉室へと向かった。


最後の仕事――いや、最初の“自分のための行動”を、果たすために。



王家の魔導炉室。


巨大な『世界樹の心臓』が、青白い光を放ちながら鼓動していた。


その中枢に、私は自らのコアを接続していた管を、静かに指でなぞる。


(前世で覚えた設計思想が、まさかこの世界で役に立つとはね。……さあ、最後の仕事。いいえ、最初の“自分のための行動”を)


この防壁の制御構造は、私が十年かけて組み上げたものだ。


有機魔法と機械技術の狭間――誰にも理解できない領域を、前世の技師知識で完璧に掌握してきた。


そして、私は最初から仕込んでいた。この魔導核は、私以外の誰にも複製できず、修理できず、代替できない構造にしてあると。


「切り離します」


短く告げ、私は接続を断った。


――ゴォン、と重い音を立てて、世界樹の心臓の光が揺らぐ。


防壁が、緩み始める。


ちょうどそのとき、魔導炉室の扉が乱暴に開いた。


「セラフィーナ! 貴様、何をしている!」


アルヴィスだ。青ざめた顔で駆け込んでくる。


「灯りが消え、防壁が揺らいでいる! 貴様、何か細工をしたな!?」


私は振り返り、淡々と答えた。


「細工などしておりません。ただ、管理者がいなくなっただけです」


「なに……?」


「殿下。この防壁は、私の魔導核と同期して動いておりました。私が去れば、防壁は止まります。とても、単純な話です」


アルヴィスの顔から、血の気が引いていく。


「そ、そんな話は聞いていない!」


「ええ。あなたは一度も、お尋ねになりませんでしたから」


私は最後の礼をした。


「私は欠陥品ですので、修理も維持もできません。どうぞ――“心ある”方々で、お続けください」



王城を出た私を待っていたのは、漆黒の鱗を持つ長身の男だった。


隣国ドラケンフェルスの竜人技師――ヴォルフ・グラーフェンハイト。


琥珀色の縦長の瞳が、月明かりの下で静かに私を捉える。


戦場では『氷刃の竜将』と恐れられる男。だが、私の前でだけ、彼はいつも少し違った。


「……来たか」


「お約束通りに。ヴォルフ様」


彼は私の左胸――ほのかに光る魔導核へ、視線を落とした。


かつて、王国じゅうの医師団が『欠陥』『不良品』と診断した、この核を。ただ一人、彼だけが違う言葉をくれた。


『……美しい構造だ。不完全ゆえに完全。こんなもの、二度と生まれない』


「切り離してきたのだな。防壁から」


「ええ。もう、この国のために鼓動する義務はありませんので」


ヴォルフの喉が、微かに鳴った。そして、ふいに堰を切ったように言葉が溢れ出す。


「その決断、素晴らしい。君の核の同期構造は本来、双方向の負荷が集中する設計で、常人なら三日で焼き切れる。それを十年維持したのは奇跡だ。いや奇跡ではない、君の演算精度が――」


「ヴォルフ様」


「……あ」


国宝級の竜将が、耳まで真っ赤になって口を閉じた。


(この人、私の話になると途端に饒舌になるんですよね。普段はあんなに寡黙なのに。……国宝級の竜将が、耳まで真っ赤ですよ)


彼は咳払いをして、ぶっきらぼうに手を差し出した。


「……君の隣の席は、その、空いているだろうか」


(――ああ、まただ。人形のはずの私の胸が、変な音を立てる)


「空いております。……ずっと」


私は、その手を取った。



――一方、王国イグドラシアは。


防壁『世界樹の心臓』は完全に沈黙し、国境の結界が消滅していた。


魔物の群れが、堰を切ったように王国へ雪崩れ込む。


王都の魔導灯はすべて消え、闇と混乱が街を覆っていた。


「なぜだ……なぜ防壁が動かない!」


玉座の間で、アルヴィスは技術官たちを怒鳴りつけていた。


「ミレイユ! お前は温かい心を持つのだろう! ならばこの防壁を動かせるはずだ!」


栗色の巻き毛の令嬢は、震えながら制御盤の前に立っていた。


だが――彼女には魔導核がない。制御術式のひとつも、扱えない。


「わ、わたし……わたし、何もできません……っ」


ミレイユの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。


温かい感情は、この非常時に、何ひとつ国を救えなかった。


「そんな……愛が、あれば……」


そのとき、アルヴィスの脳裏に、ある光景がよみがえった。


無意識に胸を押さえる、セラフィーナの癖。彼女の傍でだけ、明るく灯った魔導灯。深夜、誰も知らぬ場所で防壁を維持し続けていた、あの無表情な女。


「――まさか」


膝から、力が抜けた。


「あの女が……セラフィーナが……国の、心臓……だったのか」


国民数百万の命を、無言で支えていた者。彼が『人形』『欠陥品』と嘲笑い、公衆の面前で切り捨てた、その女こそが。


「呼び戻せ! すぐにセラフィーナを呼び戻すのだ! 修理を……防壁の修理を依頼しろ!」


だが、時すでに遅く。


「……あの人形、時々笑ってる気がして、怖いって……わたし、言いましたよね。あれは、本当は……」


ミレイユの声だけが、崩れゆく玉座の間に虚しくこだましていた。


その『怖い』は――本当は、『尊い』ものだったのだと。誰も、気づけないまま。



隣国ドラケンフェルスへと続く、国境の丘。


馬車の窓から、私は遠く王都の空を見ていた。魔導灯の消えた王都は、闇に沈んでいる。


そこへ――一騎の使者が、必死の形相で追いすがってきた。王家の紋章を掲げた、修理依頼の使者だ。


「セラフィーナ様! どうか、どうかお戻りを! 防壁を、防壁を修理していただきたく――!」


馬車が止まる。


私は窓を開け、使者を静かに見下ろした。


(ずいぶん都合のいい話ですね。欠陥品を捨てておいて、いざとなれば呼び戻す)


「使者殿。感情がない、と仰ったのは、あなた方です。心なき欠陥品だと」


「そ、それは……」


「ならば、人形らしく。契約通り――“心臓”を持って去るだけです」


私は左胸に手を当てた。そこに宿る魔導核が、青く、確かに脈打っている。


「修理の依頼は、受け付けておりません」


使者が絶望の表情で崩れ落ちる。


馬車が、再び動き出した。王都が、視界から遠ざかっていく。


(――おかしいですね。ああ、涙が出そう。おかしいですね。欠陥品のはずなのに)


私は、目元にそっと指を当てた。そこには、微かに――本当に微かに、熱いものが滲んでいた。


十年間、誰のためにも流さなかった涙が、今、自分自身のために滲もうとしている。


向かいの席で、ヴォルフが静かに手巾を差し出した。何も言わず、ただ、そこにいてくれた。


(ヴォルフ様。あなたは、そういう人ですね)



ドラケンフェルスの城――その一角に、私の工房が与えられた。


窓の外には、竜人たちの都が広がっている。作業台の上には、真新しい魔導核の設計図。


(これは、誰のためでもない。誰かを守るためでも、国を支えるためでもない)


ペンを走らせながら、私は静かに微笑んだ。


人形令嬢と嗤われた私が、初めて浮かべた――誰にも見せたことのない、本物の笑み。


「セラフィーナ」


工房の扉を開けて、ヴォルフが入ってくる。手には、二人分の茶。


「進んでいるか。新しい核の研究は」


「ええ。おかげさまで」


彼は私の隣に腰を下ろし、設計図を覗き込むなり、また目を輝かせ始めた。


「この演算層の配置、見事だ。従来の有機魔法では不可能とされた双方向制御を――」


「ヴォルフ様」


「……つい、な」


照れたように鱗の頬を掻く竜将に、私は小さく笑った。


エルナが茶器を並べながら、そっと微笑む。


「お嬢様。よくお笑いになるようになりました」


「……そう?」


「ええ。人形などでは、決してございません」


窓の外で、この工房の魔導灯が、私に呼応してほのかに明るく灯る。


かつて『心臓は誰かのためでなく、君自身のために鼓動していい』と、ヴォルフは言った。


今、その言葉の意味が、胸の奥で確かに脈打っている。


「ねえ、ヴォルフ様」


「なんだ」


「次に作る魔導核は、誰のためでもありません。私が――私が、動かしたいものを、動かすんです」


「……ああ。君の心臓は、誰かのためでなく、君自身のために鼓動していい。前にそう言ったな」


「ええ。今、その言葉の意味が、胸の奥で確かに脈打っています」


窓の彼方、崩れゆく祖国からは、今日も修理依頼の使者が絶えず訪れているという。


だが、私はもう振り返らない。


この手が組み上げる新しい心臓は、私だけのために鼓動する。


――さあ、始めましょう。


人形令嬢の、二度目の人生を。


(了)

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