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第四話 再会と絶望 ~もう声は届かない~

眩い日差しが、俺の網膜を白く焼いた。

湿り気とカビの臭いが充満していたダンジョンから数日ぶりに地上へ出ると、太陽の光があまりにも神々しく、そして暴力的に降り注いでくる。

俺、アルトは目を細め、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


「んーっ! お日様だぁ! マスター、見て見て、空が青いわ!」


隣では、銀髪の美少女――魔剣ブリュンヒルデが、はしゃいだ様子で俺の腕に抱きついている。

ダンジョン内では漆黒のドレスを纏っていた彼女だが、街中で目立ちすぎないよう、現在は俺の認識阻害魔法(これも彼女の能力だ)によって、一見すると少し派手な冒険者の衣装に見えるよう偽装している。それでも隠しきれない美貌と、全身から溢れ出る高貴なオーラに、すれ違う冒険者たちが皆、振り返ってはため息をついていた。


「ブリュン、あまりくっつくと歩きにくいんだけど」

「えー、いいじゃない。千年も寂しかったんだから、これくらい役得よ。それに、マスターが転ばないように支えてあげてるの」


そう言って、彼女はさらに豊満な胸を俺の二の腕に押し付けてくる。

柔らかさと温かさ。

かつて重い荷物を背負い、勇者たちの罵声に耐えながら歩いたこの道を、今は世界最強の魔剣と共に、恋人のように歩いている。

その事実に、俺はまだ少し現実感を持てずにいた。


「……ねえ、マスター。あっちの方から、すっごく不快な気配がしない?」


街のメインストリート、冒険者ギルドへと続く大通りに差し掛かった時、ブリュンヒルデが急に声を潜めた。

彼女の赤い瞳が、冷徹な剣の輝きを帯びて一点を見据えている。


「不快な気配?」

「ええ。なんていうか……錆びた鉄と、腐ったプライドの臭い。あと、私の天敵(聖剣)の、怯えきった情けない波動」


その言葉を聞いた瞬間、俺のスキル【武具共鳴】もまた、雑踏の中から懐かしくも忌々しい「悲鳴」を拾い上げた。


『うわああん! 痛いよぉ! 包帯がきついよぉ!』

『熱い! まだ熱が引かない! 誰か冷却水につけてくれ!』

『私の美しい木肌が……焦げ跡だらけ……もうお嫁に行けない……』


盾の泣き言、聖剣の悲鳴、杖の嘆き。

聞き間違えるはずがない。数日前まで、俺が毎日なだめすかしていた元・相棒たちの声だ。


「……まさか」


人波が割れる。

その先から、見るも無惨な姿をした集団が、足を引きずりながら歩いてきた。


先頭を行くのは、包帯で両手をぐるぐる巻きにし、顔半分にもガーゼを当てた金髪の男。勇者グレアムだ。かつての自信に満ちた表情は消え失せ、今は血走った目で周囲を威嚇している。

その後ろには、左腕を吊り、松葉杖をついた巨漢のガストン。

そして、見る影もなくチリチリに焦げた髪をフードで隠し、煤けたローブを纏った魔法使いミリア。

最後尾の聖女セレスティアだけは比較的軽傷だが、その表情は疲労困憊し、生気がない。


Sランクパーティ『栄光の翼』。

その成れの果ての姿が、そこにあった。


「おい、あれ見ろよ……」

「マジか? あれがあの『栄光の翼』か?」

「オーガ数匹に半壊させられたって噂、本当だったんだな」

「ザマァねえな。最近調子に乗ってたからバチが当たったんだろ」


周囲の冒険者たちから、容赦ない嘲笑と陰口が浴びせられている。

以前なら黄色い声援で迎えられていた彼らが、今は憐れみと軽蔑の対象になっていた。


俺は関わり合いになるのを避けようと、道を変えようとした。

だが、運悪くグレアムと目が合った。


「……あ?」


グレアムの足が止まる。

彼は信じられないものを見るように目を剥き、次の瞬間、その顔が激怒に染まった。


「アルト……ッ! アルトォォォォォッ!!」


街中に響き渡るような大声で叫び、グレアムが駆け寄ってきた。

手負いの獣のような剣幕に、周囲の人々が驚いて道を空ける。


「てめぇ……よくもぬけぬけと俺の前に顔を出せたなッ!」


俺の目の前まで来ると、グレアムは包帯だらけの手を振り回して唾を飛ばした。


「この疫病神が! お前が呪いをかけていったせいで、俺たちは散々な目に遭ったんだぞ!」

「呪い?」

「しらばっくれるな! 聖剣が抜けなくなったのも、アイギスが重くなったのも、ミリアの魔法が暴発したのも、全部お前が仕込んだ罠だろうが!」


あまりに身勝手な理屈に、俺は呆れて言葉を失った。

自分たちの不始末を、全て俺のせいにしようとしている。彼らはまだ、自分たちの実力不足を認めていないのだ。


「グレアム様、それは違います。俺は罠なんて仕掛けていません。ただ、あなたたちが装備の声を聞こうとしなかった結果です」

「うるさい! 言い訳をするな!」


グレアムの後ろから、ミリアがヒステリックに叫んだ。


「そうよ! 私の髪を返してよ! あんたがいなくなってから、杖が全然言うことを聞かないの! 『汚い』とか『下手くそ』とかいう幻聴まで聞こえてくるし……あんた、何をしたのよ!」


『幻聴じゃねえわよブス! 事実を言ってるだけよ! あんたの魔力制御が雑すぎて、こっちの回路が焼き切れそうなのよ!』


俺の脳内で、ミリアの持っている【賢者の杖】が口汚く罵っている。どうやら彼女にも、杖の怒りがなんとなく伝わり始めているらしい。


「ガストン、お前からも言ってやれ」

「ああ……アルト、お前には失望したぞ。盾に細工をして俺に怪我をさせるとはな。治療費と慰謝料、きっちり払ってもらうからな」


ガストンもまた、自分を棚に上げて俺を睨みつける。

彼らの目には、俺は「自分たちを陥れた卑劣な裏切り者」として映っているようだ。

これほどまでに救いようがないとは。


かつては仲間だと思っていた彼らに対し、俺の中にあったわずかな情も、完全に消え失せた。

怒りすら湧かない。ただ、底知れない徒労感と、冷めた感情だけが残る。


「……話が通じないようですね」


俺はため息をついた。


「金なら払いません。俺は追放された身です。あなたたちの失敗に責任を持つ義理はない」

「なんだと!? 無能のくせに口答えするか!」


グレアムが逆上して掴みかかろうとする。

その時だった。


「――汚い手を退けなさい、下等生物」


氷点下の声が響いた。

俺の隣にいたブリュンヒルデが、俺の前に一歩踏み出したのだ。

彼女から放たれた殺気は、鋭利な刃物のようにグレアムの肌を刺した。


「ひっ!?」


グレアムは反射的に飛び退いた。

そこで初めて、彼は俺の連れに気づいたようだった。


「な、なんだこの女は……?」

「美しい……」


ガストンが呆けたように呟く。

ミリアは嫉妬で顔を歪め、セレスティアは目を見開いてブリュンヒルデを見つめた。聖職者である彼女には、ブリュンヒルデから溢れる魔力の異質さがなんとなく分かるのだろう。


「マスターに触れていいのは私だけよ。その包帯だらけの薄汚い手で、私の大切な人に近づかないでくれる?」


ブリュンヒルデは妖艶な笑みを浮かべているが、その瞳は笑っていない。深紅の瞳孔が、獲物を狩る捕食者のように細められている。


「マスターだと……? アルト、お前、まさかその女を新しいパーティに入れたのか?」


グレアムが俺とブリュンヒルデを交互に見る。

そして、下卑た笑みを浮かべた。


「ははぁ、なるほど。追放されて寂しいからって、女を買ったのか? それともどこかの世間知らずを騙したか? まあいい」


グレアムは尊大な態度を取り戻し、ニヤニヤと笑いながら言った。


「アルト、チャンスをやるよ」

「チャンス?」

「ああ。俺たちは寛大だ。お前が泣いて謝るなら、もう一度パーティに戻してやってもいい。ただし条件がある」


彼は親指でブリュンヒルデを指差した。


「その女を置いていけ。見たところ、そこそこ魔力はありそうだ。ミリアの補助要員として使ってやる。あと、俺の世話係としてもな」

「……は?」

「お前のような無能には過ぎた女だ。俺のような選ばれた勇者のそばにいる方が、彼女にとっても幸せだろう?」


正気を疑う。

この期に及んで、まだ自分が世界の中心だと思っているのか。

俺が口を開こうとするより先に、ブリュンヒルデがクスクスと笑い出した。


「あはは、あはははは! 面白い冗談ね。あなたが『選ばれた勇者』? 笑わせないで」


彼女は冷ややかな目でグレアムを見下した。

身長差はグレアムの方が高いはずなのに、精神的な位置関係は完全に彼女の方が上回っていた。


「鏡を見たことある? 今のあなたは、ただの負け犬よ。自分の剣にすら拒絶された、哀れな道化」

「な、なにを……!」

「聞こえているわよ、その腰の『聖剣』の悲鳴が」


ブリュンヒルデの視線が、グレアムの腰にあるエクスカリバーに向けられた。

すると、奇妙なことが起きた。

鞘に収まっているはずの聖剣が、カタカタと小刻みに震え始めたのだ。


『ひぃぃぃぃッ! 魔剣ブリュンヒルデ!? 神殺しの魔女!? なんでこんなところに!?』

『ごめんなさいごめんなさい! 目を合わせないで! 斬らないで! 俺なんかただのなまくらです! 爪楊枝です!』


俺の【武具共鳴】を通じて、聖剣の絶叫が聞こえてくる。

それは恐怖による錯乱だった。

伝説の聖剣にとって、神すら殺す上位存在であるブリュンヒルデは、本能的に逆らえない「捕食者」なのだ。


「お、おい、どうしたエクスカリバー? なんで震えて……」


グレアムが慌てて剣の柄を押さえるが、震えは止まらない。

それどころか、剣の震えはグレアムの腰を揺らすほど激しくなっていく。


「あらあら、怯えちゃって。ご主人様に似て臆病な剣ね」

「黙れッ! 貴様、何をした! また何かの妖術か!」


グレアムは顔を真っ赤にして叫んだ。

衆人環視の中で恥をかかされた彼は、理性を失っていた。


「許さん……この女も、アルトも、ここで教育してやる! 俺の聖剣の錆にしてくれるわ!」


彼は震える聖剣の柄に手をかけた。

抜こうとする。

だが、剣は恐怖で鞘に張り付いているのか、あるいはグレアムを拒絶しているのか、やはり抜けない。


「抜けろ! 抜けろよクソがッ!」


『嫌だ! 抜くな! あの女の前で裸(抜身)になるなんて死んでも嫌だ! 殺される! 絶対殺される!』

『お前なんかのために、俺が折られてたまるか!』


聖剣の必死の抵抗。

しかし、腐ってもSランク冒険者。グレアムは火事場の馬鹿力で、強引に剣を引き抜こうとした。


ギチチチチ……!


金属が悲鳴を上げるような音が響く。


「無駄だ。その剣はもう、あなたのものじゃない」


俺は静かに告げた。

憐れみを持って。


「あなたは道具を愛さなかった。だから道具からも愛されなくなった。ただそれだけの話です」

「うるさい! 俺は勇者だ! 選ばれた人間だ! 剣ごときが俺に逆らうなァァァッ!!」


グレアムが渾身の力を込め、腰を捻って引き抜いた、その瞬間。


バキィッ!!


乾いた音が、大通りに響き渡った。


「……あ?」


グレアムの手には、柄だけが握られていた。

刀身は鞘の中に残ったまま、根元からへし折れていたのだ。

無理な力と、聖剣自身の「折れてでも戦いたくない」という強烈な拒絶が、伝説の武器を自壊させたのだ。


「お……折れ……た……?」


グレアムは呆然と、手の中の残骸を見つめた。

周囲の冒険者たちも、息を飲んで静まり返る。

聖剣エクスカリバー。勇者の象徴。それが、戦闘でもない、ただ抜こうとしただけで折れた。

それは、勇者としての資格が完全に失墜したことを意味していた。


「あ、あああ……俺の聖剣が……嘘だ……嘘だ……」


膝から崩れ落ちるグレアム。

その光景を見下ろしながら、ブリュンヒルデはつまらなそうに鼻を鳴らした。


「あら、あっけない。私の出る幕もなかったわね」


そして、彼女は俺の方を向き、とろけるような甘い笑顔を見せた。


「行きましょう、マスター。あんな粗大ゴミと関わってると、運気が下がっちゃう。美味しいご飯、冷めちゃうわよ?」

「……そうだな」


俺は最後に一度だけ、地面に這いつくばって絶望する元仲間たちを見た。

ガストンは顔面蒼白で震え、ミリアは腰を抜かして失禁し、セレスティアは天を仰いで祈っている(が、神からの応答はないだろう)。


彼らにかける言葉は、もう何もない。

ざまぁみろ、と思うよりも先に、「さよなら」という言葉だけが胸に浮かんだ。


「待っ……待ってくれ、アルト!」


背後から、グレアムの掠れた声が聞こえた。


「お前がいないと……俺たちは……直せ! これを直してくれ! お前ならできるだろ!? 金ならやる! 言うことも聞く! だから!」


すがるような叫び。

だが、俺は振り返らなかった。

ブリュンヒルデが、俺の背中を押すように歩き出す。


「聞こえないふりしましょ、マスター。負け犬の遠吠えなんて、雑音でしかないもの」

「ああ。行くよ、ブリュン」


俺たちは歩き出した。

光の射す方へ。

背後で、勇者の絶叫と慟哭が響いていたが、それはすぐに街の喧騒にかき消され、俺の耳にはもう届かなくなった。


こうして俺は、過去と決別した。

これから始まるのは、最強の魔剣と共に歩む、自由で、刺激的で、とびきり騒がしい冒険の日々だ。


「ねえマスター、私、オムライスって食べてみたい!」

「わかったわかった。大盛りにしてやるよ」

「大好き!」


俺の新しい相棒は、世界を滅ぼせる力を持ちながら、今日も今日とて食い気と色気が優先らしい。

やれやれ、と肩をすくめながらも、俺の顔には自然と笑みが浮かんでいた。

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