リリスとノル
「昔、私たちの文明は光によって一度滅びたの。その時、兵器による光を浴びた私たちの遺伝子は、傷つけられ歪められ、やがて生物全体が変異していった。魔獣は——その成れの果て。もっとも、生体兵器として遺伝子改変された彼らは人間に対する攻撃性だけが残り、今の私たちにとっては旧時代の厄介な遺産でしかないけど」
「イデン、シ…?よくわからないけど…じゃあ、動物と魔獣の違いって…?」
「遺伝子は魂みたいなものかな。元をたどれば、魔獣は戦の道具として人の手によって創り出された兵器。だから、魔獣は人の肉を食べる食べないに関わらず、本能的に人間を襲うようにプログラムされてる。それが、動物と魔獣の違いかな」
「それじゃあ、ハンターの仕事っていうのは…」
「旧時代の人間の尻拭いみたいなものなのかも…」
ノルは、リリスの答えに押し黙った。立派なハンターという定義が揺らいでいる。リリスは、チラッとノルを見て慌てて訂正した。
「ごめんなさい、言い方が悪かった。ハンターは、今を生きる人々が安全に暮らせるために、必要不可欠で大事な職業。ただ、私が言いたかったのはそこじゃなくて。さっき、生物全体が変異したと言ったでしょ?あれは私たち人間にも起きてるってこと」
「それが、異能?」
リリスは頷いて先を続けた。
「うん。極稀だけど、人間の中にも超常的な力を持った者が生まれるようになった。それが、先天的に現れる者もいれば、ノル。あなたみたいに極限状態に直面して初めて発現する者もいる。ちょっと首元を見せてもらってもいい?」
リリスは自分の首の横を指差す。ノルは促されるようにして、少し姿勢を横にずらした。リリスは覗き込むようにして、ノルの首元に近づく。焚火の明かりで、何かを確認してるようだった。やがて、何かを確信したようにリリスは頷くと元の位置に座って話を続ける。
「やっぱりね、あなたの首の横に刻印が浮かび上がってる。それが異能者の証。異能と言っても様々。生活に便利なものから、戦闘系まで。ダークウルフのあの状態を見る限り、ノルのは間違いなく戦闘系だね。と言っても、後天的に発現した場合は制御に慣れる必要がある。でないと、暴走してしまう恐れがあるから」
首の刻印の話をされて、ノルの脳裏にダークウルフと戦っていた最中に見た映像が蘇って来た。幼子が大地に立ち、その子の首元には青白い刻印が浮かび上がっていた。
「血鬼の王…」
「血鬼の王……?」
「夢で…夢かわかんないけど、確かにそう言ってたんだ」
「血鬼」——リリスは、自分の記憶を辿るようにしてその言葉を思い出そうとしていた。遠い昔、戦史や歴史を学んでいたころに見たことがある気がする。神話の類だったかもしれない…。そうだ。確か、東の地に鬼を統べる鬼神が現れ腐敗した人の世を浄化した。そんな内容だった気がする。リリスはチラリとノルの顔を見た。黒髪に少年の雰囲気を残す、心根が優しそうな顔だ。鬼どころか戦士にも程遠い。だが、ダークウルフに全く歯が立たなかった彼がたった一人で倒した事実がある。異能が遺伝するなんて聞いたことがない。まして、神話の時代の異能が隔世遺伝したとでもいうのか?いずれにせよ、リリスには興味深いものだった。
「強くなりたいって言ってたよね。力の制御の仕方、教えようか?」
ノルはリリスの目を見つめて、頷いた。
「なりたい。本当は、もっと早く発現すれば良かったのに。そうすれば……」
リリスは微笑んで、ノルの手を小さな両手で握って首を振った。
「そう…だね。けど、ノルが戦ってくれたから、私は助かった。エレナのためにも、あなたは強くならなきゃ」
「ありがとう…」
その時初めて、ノルは少しだけ微笑んだ。
「リリスは物凄く色んなことを知ってるね。転生したって言ってたけど…?」
リリスはノルの問いに、十二年前、軍職に就いていたとだけ答えた。異能者の噂すら耳にしたことのない田舎者のノルにとって、リリスが語ることはすべてが衝撃的だった。それだけ稀有な能力であり、帝国軍が秘匿し、研究しているのだろう。だからこそ、リリスの一言で、ノルはあっさりと納得した。
二人は焚火を挟んで膝を抱え、夜明けまで語り合った。ノルはエレナとの思い出を、まるで糸を紡ぐようにぽつりぽつりと話していく。リリスは黙って聞き、時折小さく頷くだけだった。
星が傾き、空が薄紫に染まる頃、ノルが呟いた。
「……エレナを、ちゃんと埋葬したい」
リリスは静かに立ち上がる。
「夜が明けたら行こう。川で顔を洗ってから」
朝の光が森を淡く照らし始めたとき、二人は川辺で冷たい水を掬った。ノルは血と泥にまみれた顔を洗い、リリスはシーツを肩に羽織ったまま、濡れた銀髪を手で梳く。
それから、昨日の足跡を辿って歩き始めた。
やがて、あの岩場に辿り着く。
灰色の岩の根元に、エレナは横たわっていた。腹部は深く裂かれ、血はすでに黒く乾いている。朝露に濡れた金色の髪が、まるで眠っているように見えた。
ノルは膝から崩れ落ちた。
「エレナ……」
声にならない声が喉を震わせ、涙がぽろぽろとこぼれる。彼はエレナの手を握り、額をその冷たい指に押し当てた。
「ごめん……ごめん……」
嗚咽が森に響く。
「俺、必ず強くなる。だから……もう誰も死なせない」
リリスは少し離れて立っていたが、いつの間にか涙が頰を伝っていた。自分でも驚くほど熱い。転生前、こんなに泣いたことがあっただろうか?軍師として生きていた頃、涙は無駄な感情だと切り捨てていたはずだ。なのに、今、胸が締めつけられる。ノルの悲しみが、自分のもののように疼く。
一晩、語り明かしたから?
それとも、この少年があまりにもまっすぐで、痛々しいほど純粋だから?
二人は近くの土を掘り、エレナを埋めた。墓標代わりに、ノルはエレナの剣を地面に突き立てた。朝日が剣の柄を照らし、小さな虹を作っている。埋葬を終え、静かに手を合わせていると、リリスが口を開いた。




