夢の途中で、さよならを
近衛に案内された場所は、月夜が明るいテラス席。
給仕からは、そっと飲み物や、食べ物の数々が置かれ、舞踏会の喧騒が、どこか遠くへ聞こえてる。
「落ち着かれましたか?」
シンデレラが王子様を気遣う。
「あ、あぁ、すまない。なんだか、先程から其方には、失態ばかり見せているな⋯。ふ、ふ、普段はこうじゃないんだ⋯っ!えと、あの、あ、食事、そう!先程の肉だ、遠慮なく食せ⋯っ!」
そう、しどろもどろの王子様に、シンデレラは、微笑みながら口を開く。
「⋯1人では気が引けます。殿下がよろしければ一緒に、どうですか?」
「⋯いっしょ⋯む、うむ!そうだな、いただくとしよう!」
言うが早いか、給仕から、シンデレラが皿に盛った料理の数々と同じものが、王子様の前に置かれた。
先程まで、王子様の頭の中は、聞きたいこと言いたいことで、いっぱいだったのに、今は料理の味も分からない。なにを話したかったも分からない。
シンデレラの所作から、料理を運ぶ口元まで、彼女の瞳も、長い睫毛もキラキラして。
夜だと言うのに、眩しくて、目が、逸らせない。
(どうして、初めて会ったというのに⋯、何故こんなにも彼女に、僕の感情は、揺さぶられるんだろう⋯)
「とっても美味しいです、殿下。私は、今まで生きてて、こんなに美味しい料理は、食べたことがありません。」
にっこり微笑みながら、そう話す彼女の首元の細さに目がいった。
「そうか、⋯その、厳しいのか、生活が⋯、」
つい、聞いてしまった。
「そうですね、毎日、生きていくのが精一杯では、ありますね。今宵、夢のような、この場所に、いられるのが、信じられないほどです。」
「私の、この格好も、普段では、お目にかかれない物にございます。とある親切な方が今日のためにと、私をお城に送り出したのです。」
「そうなのか⋯。」
「ええ。幼い頃、絵物語で読んでいた、王子様と、こうやって会話をするだなんて、夢のような時間でございました。感謝申し上げます。」
「礼を言うほどではないし、私は、わ、私は、其方と、こ、今宵の事を、夢で終わらせるつもりは、毛頭にない⋯っ」
仮面の下の王子様の目は、どこか縋るようで。
「殿下⋯、」
シンデレラは、なんて答えて良いのか、分からなかった。
王子様の縋るような瞳に、自分が応えられるのか、シンデレラには分からなかった。
その時、遠くの喧騒から、奏でる曲に聞き覚えがあった。
義姉に付き合わされて、よく踊ったダンスだった。
「私は、殿下に、想われるような人ではございません。ダンスひとつも、女性のパートすらも知らないのです。」
シンデレラの、その言葉を聞くや、殿下はシンデレラの手を掴み、
「ここには、其方と私しかいない。心のままに、踊れば良い。」
と、シンデレラを導くのだった。
月明かりにふたつ、重なる影。
「ダンスは、嫌いじゃないんです。むしろ楽しいと言うか⋯、あの殿下、怒らないで下さいませね?」
と、言うがいなや、男性パートで王子様をリードするシンデレラ。
(なんだ、これは⋯っ)
自分より細身の女性が、しっかりとした足さばきで、王子である自分をリードする。
「ははっ!これは、愉快⋯っ」
花嫁選びの憂鬱だった気持ちなんて、彼方に飛んだ。
シンデレラと王子様のダンスは、ただただ、楽しかった。
王子様は、ダンスで身体が火照ったのか、汗を拭う際、あんなに人前に出るのを嫌がっていた、証の仮面は、迷いなく放り投げだされ、シンデレラとの踊りに、興じた。
時間の経過なんて、感じない。
まるでそこだけは、時が止まったかのように、2人は夢中になって踊った。
だが、時は有限。
今宵の終わりを告げる鐘が、鳴り響く。
『え!?12時!?』
踊るシンデレラの脳裏に、翌朝からの仕事が、雨のように降り注ぐ。
「申し訳ございません、殿下!」
踊りながらも動きは焦り気味だ。
「私は、もう行かなければなりません!」
王子様はその手を取り、まだステップを刻みながら必死に言葉を繋げる。
「え!?待って!もう少し、君と──!」
止める王子様を、男性ターンでリードしていたシンデレラが、抱きとめる。
「今宵のことは、私、忘れません。また、どこかで⋯」
会える可能性なんて、無きに等しいのに、そう言ってしまった。
「待って、待って!」
少女の名前を知らないことに、これほど後悔したことがあるか。
慌てて追いかけようと、現実に引き戻された王子様の耳には、舞踏会に来た来場者の気配。
放り投げた仮面を拾い、目元を隠し、振り向いた時には、少女の姿は、既に無かった。
1日中、屋敷の掃除に明け暮れ、バケツに入った水も零さず、階段を昇降するシンデレラの脚力と体幹は凄まじく、あっという間に馬車の中。
ドレスを翻し、風のように去った少女の目撃情報を元に、追跡した際、ガラスの靴の片方のみが王子の手元に残っただけだった。
「なんとしても彼女を見つけたい⋯」
切なく、別れの言葉を口にした彼女の顔を思い出しながら、そう王子様は心に誓うのだった。