仮面の王子と、灰の従者
この国には、1人の王子様がいる。
王妃である母に、溺愛され、後継者だと、皆に大事にされ、読み書きが得意な、利発な子である。
けれど、獅子王と呼び名高い、父とは違い、勇気がなく、気弱な子でもある。
父は嘆いていたが、母は、戦を好まない治世は、人々が平和に暮らせると、息子を自由にさせた。
いつしか王子様も年頃となったが、その気弱さは、幼い頃のまま。
異性から追われることも、皆から注目されることも厭い、『顔に、大きなあばたがある。』と、言い、仮面を付け過ごすようになる。
しかし、毎年、描かれる絵姿に、件の仮面を付け忘れ、稀有なまでの美しさが、自国おろか他国にまでに知れ渡っているせいか、その詰めの甘さなところも含め、“妖精王子”と呼ばれ慕われていた。
王の一声で王子様の花嫁候補選びが、数日にわたり開催されることとなり、連日連夜、舞踏会が開かれることとなった。
雲ひとつない空からは、容赦ない陽射しが射し込み、窓辺の床はほんのり温かくなっていた。
午後の陽が、磨かれた床に反射して、まぶしいほどにきらきらと光っている。
屋敷の中では、ひとりの少女が黙々と雑巾を動かしていた。
右手に雑巾、足元には木製のバケツ。腰まで届く金髪を後ろに一つ結びにし、身につけているのは、男物の従者服。
その少女の名は、――。
「シンデレラー!シンデレラー!」
屋敷中に響く義姉の声に、1人の少女が振り返る。
拭き掃除の、最中だったが、この声を聞いては、なによりも声の主を、優先しなければならない。
少女は、タッ、と床を蹴ると、まるで子鹿のような速さで階段を駆け上がり、声の主の元へ急ぐのだった。
「お呼びでしょうか、お義姉様。」
開け放たれた扉から、颯爽と参ったシンデレラに、喜色の笑みを浮かべた義姉は、『ンンッ』と、咳払いをし、怒った表情を作って、
「遅いじゃない、シンデレラ!今日がどれだけ大事か、何度も言ったのに!」
と、声を荒らげた。
シンデレラは、長い睫毛を伏せ、
「申し訳ございません。
お義姉様のドレスを汚すまいと、つい、そればかり考えてしまい、夢中になって床を磨いておりました。」
と、言った。
その、言葉を聞いた義姉は、『私のため⋯』と、ポッと、頬を赤く染めると、『んー、なら、まぁ、しょうがないわね。』と、機嫌を直した。
「それで、用事とは?」
シンデレラが、義姉に問うと、
「ドレスとアクセサリーは拵えたでしょう?
でも、髪型が決まらないの!決まらないのよ、シンデレラ!」
と、答えた。
「髪型が⋯。」
シンデレラは、暫し、義姉を眺め、思案げな面持ちをすると、『失礼。』と、近寄り、すっと正面から義姉の髪に触れ、
「お義姉様は、肌の白さが自慢でしょう?
髪を結わえて、うなじを見せてあげますと、月夜が反射して、発光したように白く輝き、よりお義姉様の美しさを際立たせると思いますが、いかがでしょう?」
と、尋ねてみた。
至近距離で、シンデレラの青く輝く瞳に見つめられ、うっとりと見惚れていた、義姉は『じゃあ、それにするわ⋯。貴方が結って下さる⋯?』と、問うた。
『勿論です。』と、義姉を見つめ、にっこりと微笑むシンデレラに、義姉は胸を押さえるのだった。
鏡台の椅子に座り直す義姉の後ろに立ち、髪を梳くシンデレラ。
義姉は、鏡に映るシンデレラを盗み見ては、頬を染めた。
うねる赤毛を、丁寧に解きほぐすシンデレラの細い指が、優雅に動く。
時折、シンデレラの青い瞳と義姉の緑の瞳が交差すると、フッと微笑むその表情に、義姉は、どうしようもなく胸がときめいた。
ひと房、ひと房、壊れ物を大事に扱うように、義姉の髪を梳くシンデレラを義姉は、ただじっと見つめた。
(あんなに、綺麗で可愛くて、憎くてたまらなかったのに、男の子の格好になった途端、こんなに素敵に見えちゃうなんて反則よ⋯。)
(この前の、王子様に見立ててダンスの練習をした時も、またリードが上手になってたわ。⋯あたしが、仕込んだんだけど。)
(お母様がシンデレラのお仕着せを、男物に替えてから、仕草も表情も、会話の返しも、なにもかも、あたし好みに全て変えたわ。そしたらこんなに、素敵になっちゃうなんて。
その辺の男の子が、芋虫にしか見えなくなる日がくるなんて、あの時は、思わなかったわ⋯。)鏡越しのシンデレラをぼーっと見つめながら物思いに耽るのだった。
「浮かない顔ですね。お気に召しませんか。」
シンデレラの言葉に、ハッとした義姉は、鏡の向こうの自分を見る。
ふわりとうねる赤毛は、後ろで丹念に結い上げられている。
耳の横からは、ゆるやかなカーブを描く毛束がそっとこぼれ、華やかさの中に、少女らしいあどけなさを添えていた。
「いいえ、とても、素敵よ⋯。」
(あなたも、⋯そう思ってくれる?)
つい鏡越しに、上目遣いでシンデレラを見上げた。
シンデレラがその目線に気付き、ニッコリと微笑むと、
「そうですか。良かった。今宵のお義姉様は、誰よりも一等素敵ですよ。」
と、安心させるかのように、言うのだった。