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人でなし

「おいこらまてー!」


 タオルで前を隠したミーシャが悪そうな笑みを浮かべた。


「ふっふっふー、意趣返しというやつです。因果応報ですよ、ご主人様」

「まるで俺が悪いことをしたかのように言うのやめてもらえませんか?」


 もしかして、昨日の風呂のことを言っているのかな。


「自分が悪いことをしたと自覚がない! なんと度し難い……有罪です有罪。罰として背中流し流されの刑です!」

「……それ罰になるのか」


 ちんまいミーシャの後ろに隠れるように芳野がいた。

 芳野は恥ずかしがって、顔を隠しているつもりなのだろうが、あまり大きいタオルではないので、顔を隠せばどうなるか……推して知るべし。

 不覚にも、スタイルがいいなと思ってしまった。ディアーネのように引き締まった美しさではないが、柔らかなシルエットがどこか母性を感じさせる。

 いやいやいや、そうじゃないだろ。

 まだまだ若い芳野の名誉のためにも、俺は何も見なかったことにしなくてはならない。

 俺は心を無にすべく、目を瞑って浴槽の中で般若心経を唱えた。


「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」


 いきなり間違えた気がする。


「ご主人様は意気地なしですねぇ」


 ミーシャの挑発には乗らない。

 ここで「なにおう」とか言おうものなら、怒涛の物理攻撃ラッシュをかけてくるに違いないのだ。


「先輩って、肝心なとこでヘタレになるんですねー。でもいいんですよ? 見てもセクハラ扱いしないんでー。どうですか、ほらほらー」


 ここでヘタレずして、いつヘタレるというのだ。


「悪魔よ去れ……」


 俺は目を瞑ったまま、心の中で十字を斬り続け、悪魔の誘惑に耐えるしかなかった。

 俺の対魔結界が思いのほか強固であったからか、ミーシャと芳野は二人して体を洗いっこしながら、魅惑のボイス攻撃をしかけてきた。


「むほほほほ……芳野さんってお肌がきめ細かくて綺麗ですねぇ」

「ミーシャちゃんのこのケシカランはまったくもってケシカランですなー、でゅふふふ……」


 なかなか狡猾である。

 こちらの脱出プランを封じる搦め手だ。

 直接攻撃を仕掛けてきたタイミングで強行突破を敢行し、背後を振り向くことなく脱出をするつもりだった。しかし、今のポジショニングでは、二人を見ず、かつ物理接触なしですり抜けることは不可能だ。

 こうなりゃ持久戦だ。

 知らぬ間に西方の宗教に改宗した俺の脳が、憐れみの賛歌(キリエ・エレイソン)を謡いはじめる。


(……キリエ・エレイソン、クリステ・エレイソン、キリエ・エレイソン)


 俺は目を瞑ったまま、ひたすら救済を願う。

 あれ、これって、死人の俺が浄化されて消滅しちゃうとかないよな?


「え、まって、まって……先輩ってこんなにバッキバキだったの? うわぁすごい腹筋」


 思いのほか近い芳野の声にドキリとする。


「そうですよー、素敵ですよねぇ」


 ミーシャの声が聞こえたのとほぼ同時に、浴槽に誰かが入ってくる気配があった。

 声の位置的にミーシャだ。

 このお嬢さん、男と同じ風呂に浸かろうというのか。なんと剛毅な。

 ミーシャと芳野の攻勢に、封印していたはずの子狼が「よんだ?」と目を覚ました。

 いかん、このままでは俺の子狼が転狼してしまう。


 俺は目を瞑ったまま、ダメ元で竜眼を発動。

 人体の電位差を視る――視えた!

 まぶた越しでノイジーなイメージではあるが、ミーシャと芳野の身体を走る微弱な電気パルスを可視化できた。当然、きめ細かな肌やケシカランなケシカランは見えない。見てない、見てないぞ。

 二人の位置がこれではっきりと分かった。

 すかさず立ち上がり、芳野とミーシャの間をすり抜けて脱衣場へと突破。

 逃げ切った俺は、素早く浴室の扉を閉めた。


「あーっ!」

「うわ……! え? いない」


 その後、風呂から出てきた二人にさんざん罵られた。「女に恥をかかせた」だの「甲斐性なしにもほどがある」だの、好き勝手に言われたが、ひたすらに耐えてやりすごした。

 おやっさんの教えその七か八――「女の嵐は耐えるしかない。立ち向かおうなどと考えるな。嵐がひどくなる」だ。

 ミーシャと芳野はむしゃくしゃした様子で、色の濃い酒を二人で酌み交わしていた。


 突然、芳野のスマホが震えた。

 久しぶりに聞いた音で、ちょっとビックリしてしまった。

 芳野が電話に出ると、かすかに女の人の声が聞こえてきた。

 黙って話を聞いていた芳野の顔がどんどん硬くなる。


「……嫌です。見たくありません。認めません。だって……だって、目の前にいるんだもん」


 そう言って、芳野はポロポロと涙をこぼしはじめた。


 電話を終えた芳野が落ち着くのを待って話を聞いた。

 さっきの電話は、警察からの電話だったのだ。

 どうやらヒョロ長が自主したようだ。俺の脅しがかなり効いたのだろう。

 「俺」を殺して、山に埋めたと自白したらしい。

 もし、死体が出たら確認してほしい。どうしても辛いようなら相談にのる。

 そういう話だった。警察も気を利かせて、女性警察官に電話をさせたのだろう。


 しばらく無言で酒を飲んだ。


「ほんとは、先輩を酔いつぶーして、押し倒してにゃろうって思ってたのに……」


 ぐでんぐでんに酔っ払った芳野が絡んできた。

 こいつ、いっつも飲みすぎるんだよな。


「そりゃ危なかったな」


 俺は元々酒に強いほうだったが、今の体になってさらに酔わなくなった。

 自動再生さんが仕事をしすぎている気がする。


「先輩はー、恋する辛さや苦しさなんか、わっかんないでしょうねー。とても怖いんです、痛いんです……でも、知りたいし、近づきたいし、視てほしいんです」

「そうか」

「会えると嬉しいんですー、お話できると心躍るんですよー。触られるとお腹がゴロゴロいうんです」

「……そうか」

「ばかー、ばかー」


 芳野にペシペシ叩かれた。


 不意に、場の空気がピリッとした。

 とてつもない何かが来る――うなじの毛が逆立った。

 瞬時に冒険者の心に切り替わり、脳内に「メインシステム、戦闘モード起動」と、どこかで聞いた合成音声が響く。

 立ち上がって、芳野を背にかばう。ミーシャも真剣な表情で立ち上がった。

 俺たちの目の前で空間が歪んだと思った瞬間、人間が突然現れた。

 艶のある漆黒の肌に燃えさかる炎のような赤い髪――破壊の神だった。


「……神さま?」

「えっ、えっ、えー!?」


 芳野は目をまん丸にして、突然に沸いて出た破壊の神を見つめていた。


「迎えにきたぞ。こちらの時間であと五分だ」


 時計を見ると、もうすぐ日付が変わる時間だった。

 芳野のダル絡みに気を取られて時間の確認を怠っていた。

 破壊の神は、ソファにどかりと腰を下ろし、芳野が飲んでいた濃い色の酒を一息にあおった。


「うむ、たまにはこの時代の酒もいいな」

「わざわざ迎えにきてくれたんですか?」

「間違いがあってもいかんからな。座標の固定は我らが居たほうが確実だ。異世界の方では忘却の神が待機している」

「ありがとうございます、神さま」

「気にするな。これは我々の不手際の後始末だ」


 ホゲーっとしていた芳野が我に返り、


「……え、え、え、神さま??」

「そうだぞー、俺を異世界に呼んでくれた破壊の神様だ」

「う、うちの先輩がお世話になってます」


 と言って、芳野が綺麗にお辞儀した。

 破壊の神は、ふっと笑って頷いた。


「心残りはないな?」


 ミーシャを見ると、彼女はゆっくりと頷き、俺に手を伸ばしてきた。

 俺はミーシャの手を握り返す。〈転移〉スキルは、術者に触れてないといけないからな。今回は神さまの力による転移だろうけども、念のためだ。


「はい、おおかげさまで。心残りは……ありません」


 俺がそう言うと、芳野は愕然とした顔を俺に向けてきた。


「まって、まって、まって……ほんとに、ほんとに消えちゃうんですか?」

「なんだ、本気にしてなかったのか」

「うそ、ウソ、嘘って言ってよ……! 信じたくなかったのに、こんなのあんまりだよー、私を独りにしないでよー!」


 俺の胸にすがりつく芳野の頭を撫でてやる。


「……おやっさんによろしく伝えといてくれ。あなたから受けた恩は、死んでも忘れてませんって」

「嫌です、自分で言ってください。私を置いてかないでください……好きなんです、先輩が大好きなんです。だから、消えないでください! お願いだから……消えないでよ……消えないで……」


 芳野は滝のように涙を流しながら、俺を逃がすまいとしがみついてきた。

 破壊の神が顔を背け、目頭を押さえた。


「あっ……こういうのダメなんだ、私……」


 声が小さくて、何と言ったかは聞き取れなかった。


 俺は芳野の頭を引きはがし、


「芳野、俺はお前のことが嫌いだった。死んじまった男のことなんか忘れて幸せになれよ」


 ビクリと背を揺らした芳野が俺を見上げてきた。


「……嘘つき! 先輩気づいてないですよねっ。先輩、嘘つくとき、耳の後ろに手を当てるんですよ!」


 慌てて耳の後ろから手を離す。


「マジで……?」


 俺の視線を受けたミーシャが無言でコクコクと頷いた。

 ミーシャにまでバレテーラ。


「うおっほん……とにかく、これでお別れだ。ちゃんと生きろよ」

「お別れのキスぐらい、してくれてもいいですよね? 先輩、お願いです!」


 と言った芳野が口を「3」にして目を瞑った。

 俺は芳野の額に、デコピンをお見舞いしてやった。


「あいったー!」


 たまらず芳野が額を押さえてうずくまる。


「んな未練残してどうすんだよ。じゃあな」

「人でなしーっ!」


 時計の針が「12」を差した。

 日本で聞いた最後の言葉が「人でなし」か。

 いやまあ人間やめてるしな、間違いじゃない。


 一瞬で芳野の顔が消え、ルフリンの常宿の壁が目に入った。

 俺のちょっとした里帰りは、こうして終わった。



お読みいただき、ありがとうございます。

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