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受け取ったもの

本日は、複数話投稿しております。

前話をお読みでない方は、前話もお読みいただきますよう。



「それと……ごめんね」


 腕で目元を隠したままの芳野がそう言った。


「え? なにがです?」

「先輩と二人っきりの時間、邪魔しちゃって……」


 その言葉に、ミーシャの口中に苦いものが広がった。


「……むしろ、芳野さんが来てくれてよかったんです。おかげで、わたしもご主人様も救われたと思う」

「救われる……?」


 顔から腕を離した芳野が、ミーシャに問うような視線を向けてくる。


「……わたしは汚い女なんです。欲望のままに、使ってはならないカードを切ってしまった。絶対に断れない呪いをかけて、精神的に押し倒したんです……」


 芳野はなんともいえない表情を浮かべた。


「重いよー、ミーシャちゃん」


 ミーシャはぷっと頬を膨らませる。

 真正面から真実を言われると、問答無用で怒りが沸くものだ。


「……分かってますよ、自分が重い女だって」

「重いのは見りゃ分かるけどさ、そうじゃなくて、重く考えすぎだって。女だって、ムラムラすることあるもん。しょうがないよ。先輩とどうしても、ヤリたくなっちゃったんでしょー?」

「言いかたっ!」


 芳野は寝転んだまま腕を組み、うんうん頷いている。


「分かる、分かるよー。先輩って、あれで色っぽいとこあるもんねえ。本人はまったく気づいてないところが、なおよし。何度、襲い掛かろうとしたことか……」


 あっけらかんと欲望をぶちまける芳野を見て、ミーシャは少し気が軽くなった。

 確かに、重く考えすぎていたかもしれない。自分だって、おにゃの子なのだ。そんな気分になるのはおかしなことではないのだ。しごく自然なことなのだ。わたしは悪くない、悪くない。

 ミーシャの胸に、由来不明の安堵が湧いてきた。


「だったらさー、いっそのこと、これから二人で襲っちゃうー?」


 芳野がとんでもないことを言いだした。

 冗談めかして言ってはいるが、その眼には得物を狙う猫科の動物のような光があった。

 一瞬だけ、それもいいかもしれない、と思ってしまった。


「……………………だ、だめです、だめー!」


 前頭葉に活を入れて、古き脳が囁く悪魔の誘惑を振り払う。


「ちょっと迷ったよね?」

「ま、迷ってませんっ。芳野さんは、それでいいんですか?」


 軽く首を傾げた芳野は、


「んー、処女を拗らせるぐらいならいいかなーって。でもやっぱり、ヤルなら好きな人がいいじゃん。いや別に、結婚しろとか思ってないんでー。私、重い女じゃないし。でもでも、少しぐらいは大事にしてくれてもいいかなーって。あっ、あっ、やっぱり愛されたいって思っちゃうのはしょうがないよねぇ」

「……そうです、ねー」


 むちゃ拗らせてますけども……と言いそうになったが、なんとか口をつぐむ。

 これは、自分の未来なのだ。無策のまま過ごせば、あと十年もたたないうちに訪れる、己の姿なのだ。

 ミーシャは目の前の女の姿を「こうはなるまい」と自戒を込めて脳裏に刻んだ。


 芳野はのろのろと体を起こし、たたまれていた毛布を両手で広げて背中にマントのように広げる。その姿勢のまま、ミーシャに抱き着いた。


「うりゃっ」


 さしずめ、ムササビに襲われる小ネズミのような恰好だ。


「はうっ」


 二人して毛布にくるまれるようにベッドに横になる。


「はー、ちっちゃくてやっこくて、温かーい。抱き枕としては、最高なのでは?」

「……芳野さんも、大きくて柔らかいです。ご主人様とは違う抱き心地で気持ちいいです」

「うわぁ……素でマウント取られたー。くやしぃ」


 ミーシャは芳野の言葉の意味が分からなかった。

 そもそも、女友達など最近までいなかったし、日本で暮らしていた頃は同世代の女子との会話らしい会話すらなかった。記憶としては三十五年分ありはするが、大人として過ごした経験などないのだ。


「マウントって何ですか? 馬に乗ること……じゃないですよね」

「ごめん……自分が汚れ果てた大人なんだって、自覚させられちゃった。自意識過剰で被害妄想だよね。ミーシャちゃんは今のままでいてね……」


 何故か頭を撫でられた。


「??」


 芳野はミーシャをやんわりと抱きしめて、


「……先輩はずっと隣にいてくれるって、勝手に思ってた」

「はい……」

「気づいときはいつも遅すぎるのさ……って誰かが言ってた」

「そういうものかも、しれませんね」


 芳野はミーシャの相づちに反応することもなく、過去を見つめるような目をしていた。


「忙しい時なんて、16時間ぐらい隣に座ってるし。いっぱい(仕事の)お喋りして、昼も夜も一緒にご飯たべて……」


 不意に焦点をミーシャの目に合わせ、


「これってもう、付き合ってるってことだよね?」

「え……? そう、かなあ?」

「一日の大半を一緒にすごすって、これって恋人同士……もはや社内同棲と言ってもいいのでは?」

「……初めて聞きました、そんな言葉」

「うん、私も初めて言った。でもね、恋人の私をほっぽって、一人でお酒を飲みにいくんですよっ! 許せませんよねー」


 ミーシャは、あちこちに転移しまくる芳野の話にしばし混乱した。


「…………? 恋人かどうかはともかく……昔からそうだったんですね……」

「だから尾行して、店を突き止めたんだー。次から偶然を装って、先回りしてやりましたよ。それからはもう夢のような時間でしたね。先輩と一緒にお酒を飲めて幸せでした……」


 少しばかり頭痛がしてきた。

 ご主人様風に言うなら「これアカンやつや……」である。


「あの、それって……」


 芳野は酸っぱい物でも食べたような顔をして、


「そう、今なら理解できるんだけど、あの時に限って私はアホの子だった……」


(限って……?)


 と言いそうになったが、ミーシャはなんとか飲みこんだ。


「お店のマスターに言われたんですよ……お嬢さん、逆効果だよ……って。先輩の一人になりたい時間を奪ってたんです。やっちまってました。ただの痛いストーカーだったかも」


 かも――などという助詞を付けてはいけないとミーシャは思った。

 どこからどう見ても、まごうことなき、立派なストーカーである。

 だが、ミーシャとてほぼ同じことをやったことがあるのだ。まるで「お前は周りからこう見えてるんだぞ」と突き付けられているような気がして、嫌な汗がにじみ出てきた。


「……そこまでしても、ご主人様は、気づいてくれなかったんですね?」


 芳野の態度を見ていれば、聞くまでもないことだった。

 だが、これほどまでにアプローチをかけられておきながら、まるで気がつかなかったのだとすると、今後の「対ご主人様戦略」に若干の修正が必要であると感じたのだ。

 そもそも、芳野はミーシャのように「助けられた可哀想な子供」ではないのだ。スタートラインが保護すべき対象ではなく、一人の女性として相対していたはずなのだ。

 芳野は渋い顔をして、


「これっぽっちも気づいてないよね。だいたいさ、男なんて、女が思ってることなんて、十中八九気づいてないじゃん」

「ですよね! ご主人様って、びっくりするぐらい鈍感……というか、思考方向が、わたしたちとまるで違うんです」

「やっぱそうだったかー」


 芳野は盛大に溜息をついて、


「……真正面から告白して、受け入れてもらおうかなーって思ったこともあるんだよ」


 それは、たぶんダメだろう――ミーシャは即座にそう思った。

 ミーシャの目を見て、芳野は頷いた。


「うん、ダメだよね、やっぱ。一刀両断される。それはもう縦に真っ二つ。そんな未来しか視えなかった……」


 芳野の言葉にミーシャも頷く。

 心の懐に直接踏み込もうとすれば、絶対に弾かれるという確信がある。

 たぶん、ご主人様は何か重大な欠落を抱えているのだ。過去に起因する何かを……。

 儚げな笑みを浮かべた芳野が、


「私に恋しろなんて言いません。望んじゃいますけどね……恋は燃えるもの。燃料が少ないとすぐに燃え尽きちゃう。でも、愛は育てるもの。水を与え続ければちゃんと育つ。大きく育った愛は簡単には枯れない……だから、諦めずに水をやり続けろ、って先輩見守り隊のオジサンが言ってた」

「育てる……とても良いことを聞いた気がします。ところで、先輩見守り隊って、何です?」

「会社の偉い人。先輩のお父さんの友達だったんだってー。小さい頃から先輩の見守り隊やってた筋金入りのストーカー」

「……あなたがそれ言いますか」


 芳野は何のことだか分からないと言った顔をして、首を傾げた。


「ふえ……? まぁ、そう言われて気づかされましたね。実は私って、お水をあげてたんじゃなくて、小さな芽を引っ張ってたんだって……こっち向けー、はやく大きくなれーって」


 その言葉は、ミーシャの心に刺さった。

 自分はどうだったろう。ご主人様に尽くすと言いながら、何を与えられたというのだろう。

 実際問題、自分が居ても居なくても結果が変わらなかったであろうことはいくらでもある。むしろ、自分が足を引いていた事のほうが多いとすら思う。大人として扱って欲しいと言いながら、保護された子供のように、ただ甘えていたんじゃないのか。そのくせ、女を振りかざして自分を見ろと迫る。

 これでは、ただのお荷物ではないか……。


「おーい、帰ってこーい。目がグルグル回ってるぞー」


 芳野にペチペチと頬を叩かれた。


「あ……」

「ミーシャちゃん、重いって。ブラックホールに落っこちる思考はやめたほうがいいよ」


 ミーシャは涙目になった。


「ふぐぅ……治したい、です……」

「お姉さんがいいことを教えてあげよう。それは――都合の悪いことは忘れる。これにつきるね」

「ぇぇぇ……」

「忘れるって、救いだよー」


 芳野は神さまと同じようなことを言った。

 不意に悲し気な表情をした芳野が、


「私も……忘れちゃうのかな、先輩のこと。お水をあげようって思ってたのに。一緒に泣いて笑って。悲しいときには慰めあって、辛い時には励ましあって。少しずつ育てていこうって思ったのに……」


 芳野には、その未来が訪れることはもうない。

 愛を育てる相手は、もはやこの世界の住人ではない。十二時の鐘が鳴ると消えてしまうのだ。

 表情を変えることなく、はらはらと涙を流す芳野の頭を、ミーシャはたまらず抱きしめた。


「……都合の悪いことじゃないから、忘れなくていいです」

「…………」


 しばらくして、芳野がミーシャの腕をベシベシと叩き始めた。

 どことなく必死感があった。

 抱きしめていた腕の力を緩めると、


「ぶっはー、異世界行くとこだったー。ミーシャちゃん、力強すぎでしょ……どうなってんの?」

「あっ、ごめんなさい!」


 ミーシャは自分が怪力ドワーフであることを忘れていた。柔らかく顔全体を包み込む分厚い胸部装甲のことも。


「ミーシャちゃんは優しいなぁ。そんなミーシャちゃんに、とっておきの情報を教えてあげよう。ほんとは黙ってようって思ったんだけどね……だって、ミーシャちゃんって敵じゃん?」


 どこか悪戯小僧っぽい表情を見せる芳野に、ミーシャは笑みを返す。


「そうですね……芳野さんは敵、ですね」

「見守り隊のオジサンが言ってたんだ……先輩は、根っこの部分で女の人が怖いんだって。子供の頃に、お母さんに捨てられたせいだって。捨てられた時の辛さを思い出すから、女の人を懐に入れられないって……」

「捨てられた……!?」

「さらにね……先輩のお父さんは、愛していた奥さんに捨てられて壊れたの。壊れたお父さんは、先輩を虐待する暴力機械になってしまった……」


 そう言った芳野の顔は、とても悲しそうだった。

 ミーシャもいたたまれない気持ちになった。


「愛さなければ、居なくなっても捨てられたと思うことはない。傷つくこともない……」


 芳野はゆっくりと頷いた。


「痛がりだなあっておもうけど、ね……とても、悲しい考え方だと思う」

「痛みは、他人には感じられませんから。それに、ご主人様、自分でも気づいてないと思います」


 トラウマ、という言葉がミーシャの脳裏をよぎった。

 ご主人様は精神が強い人だから、無意識下に押し込んでしまったのだ。それでも、女性に対する不信感を消し去ることはできないのだろう。鈍感なのだと考えていたが、そうではなかったのだ。

 女性と深い仲にならない(・・・・・・・・)ように、無意識の恐怖が思考を誘導しているのではないだろうか。

 自分が迫ったときに身を固くしていたのは、緊張や驚きのせいだけではなかったのだ。あれは、ひょっこりと顔を出した「怖い」という感情の現れだったのだ。

 それに、壊れた父親からの虐待も、悪い方向に拍車をかけている。

 愛した女性に捨てられたら、自分もああなる。ただの暴力機械になってしまう――そう学習してしまったのだ。理性ある人間なら、暴力機械になりたいなどとは思わないだろう。

 なんて惨いことだろう。


 愛する方法を親に見せてもらえなかった。

 愛を紡ぐ言葉を誰も教えてくれなかった。

 愛の残滓で傷ついただけの過去。


 人を愛せなくなる呪いをかけられたとしか言いようがない。

 少なくとも、ミーシャは愛を知っている。両親どころか、様々な人に愛されていたと自覚できている。

 だが、ご主人様は……。


「……好きなものは、呪うか殺すか争うか」


 唐突に思い出した言葉だった。どこで読んだのかは忘れてしまった。たぶん、唯一自由に使えた小説が読めるアプリだろう。


「え、なにそれ、怖い……」

「昔読んだ本にあったんです。難しくて良く分からなかったんですけど、愛しかたを知らない主人公がご主人様と被ってしまって……」


 芳野も納得できるところがあってようで、ゆっくりと頷いた。


「ミーシャちゃん、先輩に愛を教えてあげてね。私はもう、お水をあげられないから……」


 芳野はミーシャを包み込むように抱きしめた。

 ミーシャは、何かを受け取ったような気がした。


お読みいただき、ありがとうございます。

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