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馬鹿騒ぎ

「ひどすぎます、あんまりです……!」


 ダイニングの椅子に座る芳野が、テーブルの上にボタボタと涙をこぼしている。ついでに鼻水も。

 元の顔が端正なだけに、その容貌はちょいと衝撃的ではある。

 そっと箱ティッシュを前に置く。


「あ〝りがどうごじゃいまず……」


 芳野は、派手にチーンと鳴らして鼻をかむ。ティッシュをちぎっては投げちぎっては投げ、あっという間にテーブルの上に丸まったティッシュの山ができる。

 鼻も目も赤く染めた芳野の顔は、いろいろと溶けていた。


 うん、こいつは変わらないな。

 見た目の印象と違って「雑」なのだ。様々な事項を考えてバランスを取るような仕事を投げると悲惨なことになるが、一点集中で根気強くやる仕事には向いている。雑だということを忘れなければ、アフターフォローも逆にやりやすかった。


「もういいか?」


 ティッシュの山を築いた芳野が、俺の黒い腕を抱えてスーハーしていた。


「えー、もうちょっと……この、ちょいゴワだけどフサッとした感触がたまりませんなー。しかも……クンカクンカしても臭くないのが素晴らしい」


 だらしない顔をした芳野の頭をガッと掴んで、引きはがす。


「転狼、解除……」


 芳野に抱えられていた腕が細くなり、黒の剛毛が空気に溶けて消えていく。


「ああっ! 私のモサモサが……」

「お前のじゃねえし」


 元の人間サイズに戻った腕を芳野の腕の中から引っこ抜き、椅子の後ろに引っ掛けてあったジャージに袖を通す。

 今まで転狼していたのは、俺がもはやただの人間ではないということを示すためだ。

 ちなみに、下着はミーシャに買ってきてもらった、めっちゃ伸びるストレッチ素材でできたものだ。サイズ大きめで、普段はちょいと緩めではあるが、ストレッチ素材なのでそう気にはならない。転狼すると、ピッチピチにはなるが、世紀末救世主状態になることはない。大そう便利ではあるが、異世界に持ち帰っても分解されちゃうんだよなぁ、残念。


 芳野にいろいろと説明して、納得してもらうまでにかなり時間を取られた。事あるごとに泣いたり叫んだりして、なだめすかすのに苦労したのだ。

 特に、俺が殺されて山に埋められたようだ、と語ったときは半狂乱になっていた。話の流れ上、亜佳梨のことも言わないわけにはいかず、ミーシャの口から語られた事実に芳野の涙腺は決壊した。


 それでも、俺たちが異世界に渡ってトンデモ能力を得た上で、〈転移〉スキルで日本に戻ってきた――という話は、信じられないようだった。もっとも、どちらかといえば信じたくない(・・・・・・)という感じだったが。

 なので、目の前で転狼をして見せたのだ。

 芳野は驚愕に目を見開いたまましばらく固まっていたが、漆黒の狼に変わった俺から前と同じ声が聞こえてきたことで、認めざるを得なかったようだ。だが、そこを認めてしまうと、自動的に俺もミーシャも死人だと認めることになる。

 かなりの葛藤があったようだが、無理やり飲み込んでもらった。

 そりゃ、酷い話だし、あんまりだと思う。


「他に聞きたいこと、あるか?」


 俺が訊くと、芳野は視線を泳がせた。


「えーと、山ほどありすぎて、どれから聞けばいいのか……」


 と言って、ハッとした。


「そうだ! 私も異世界行きます。それで、全部解決ですね!」

「……何を言っているんだ、お前は」

「一緒に行っちゃえば、いちいち聞くまでもないですよねー」

「アホか。俺たちは明日の24時に強制送還されるんだよ。連れていけるわけがない」

「でも、ミーシャちゃんのスキルで戻ってきたんですよね?」


 芳野がそう言うと、ミーシャはすまなさそうに首を横に振った。


「来るときはそうでしたけど、今はスキルが使えないようになってます」


 そうなのだ。神さまが消えてから気づいたのだが、ミーシャの〈転移〉スキルは使えないようになっていた。召喚勇者であることを思い出したミーシャは、ステータスウィンドウを見ることができるのだが、スキル欄の〈転移〉スキルが濃いグレー表示になっていた。

 さすがにこっちの神さまから物言いがついた以上、使わせるわけにはいかないのだろう。


「えー、ズルい。先輩が転移で、ミーシャちゃんが転生なんでしょ? 私も転移して、召喚勇者やります!」

「……なあ、お前、死にたいのか?」


 普段より一オクターブ低い俺の声に、芳野はビクりと背を揺らした。


「それは……嫌です。でも、私だけ置いていかれるのも嫌です……」

「諦めろ。死んだところで、神さまに拾われるとも限らんしな。俺としても、正直、死んでほしくない。これ以上、俺の知ってる人間に死なれるのは嫌なんだよ……」


 芳野は泣きそうな顔をしながらも、ぐっと唇を引き結んで耐えていた。

 そんなに異世界に行きたかったのか。


「そういや、何でお前、こんな時間に来たんだ?」


 俺の問いに、芳野は頬を赤らめてスッと視線を逸らした。


「……週に何回か、会社が終わった後に来てるんです。先輩が帰ってくるかもしれないって思って……次の日は、ここから出勤してます」


 そう言った芳野は、モジモジしていた。

 何故か、芳野の言葉を聞いたミーシャの視線が恐ろしいことになっていたが。


「マジか……そんなにヤバい状況になってんのか」

「へ……? ヤバいって何がです?」

「いや、プロジェクトが頓挫しそうなんだろ。俺が抜けた穴を塞ぎきれてないんだよな。だから、俺の帰りを手ぐすね引いて待ち構えてたんだろ?」


 俺がそう言うと、芳野は目をガラス玉にして、


「……そうですね、先輩って、そうでしたね。ぐひゅ……」


 何故か泣きはじめた。


「え、泣くほどキツイの!?」

「ご主人様、この話は、もうやめましょう……」


 さっきまで殺意をはらんだ視線を飛ばしていたミーシャが、芳野に同情的な目を向けていた。


「待って、ちょっと待って……『ご主人様』って、どういうことですかっ!?」


 涙を弾き飛ばした芳野が、俺に食ってかかる。


「あー、うん……」


 ミーシャのことは、追いはぎから助けて、同じパーティで冒険しているとしか説明していない。奴隷だとは言っていないのだ。

 正直、奴隷の話はしたくないんだよな。

 現代日本で奴隷という言葉は、ちょいと刺激が強すぎる。あらぬ誤解も受けそうだし。

 とはいえ、この期に及んで知らぬ存ぜぬは通らないだろうし……。


「わたしは、ご主人様に買っていただいた、奴隷です。ご主人様の所有物です」


 ミーシャが「ドヤァ」と有り余る胸を張って宣言した。

 なんでそんな爆弾発言を嬉しそうにするかな!


 芳野の視線が、俺とミーシャの顔を五往復ぐらいして、


「……やっぱ、買ってんじゃーん! この狼、唐変木、鈍感野郎、ロリコン、オッパイスキー、鬼畜ぅー!」


 訳の分からない罵詈雑言を受けてしまった。


「確かに、買ったってことになってんだが……うーん……」


 あまりミーシャの過去については言いたくないんだよな。

 俺の戸惑いの理由を感じ取ったのか、ミーシャが頷いて、


「ご主人様、大丈夫ですよ。わたしからお話しますね」


 ミーシャは自らの生い立ちと、ドーヴァで起こった事件、俺に助けられてルフリンの冒険者となって、日本に転移するまでの経緯を語った。

 それを聞いた芳野は、再び涙と鼻水を溢れさすことになった。


「よがっだねー、ミーシャちゃん……先輩に助けられて、ほんとよかった」


 チーンと鼻をかんで、ころっと表情を変える。


「でも、くやしいっ! 私も血まみれになった先輩に助けて欲しかったー。先輩に買われたかったなー」

「問題発言にもほどがある」

「先輩、私も買ってくださいよー」

「いらん。俺のメリットがまるでない」


 芳野は目をむいて、


「うっわ、しょっぱ、塩すぎる……! 今ならお買い得ですよー? 先輩だけの超特価、通常19800円のところを、なんと980円! 買うなら今です。このチャンスを逃すと、次はもうありませんよ?」

「どっちにしても、安っしーなー」

「私は安い女じゃありませんからね!」

「……980円が何を言うか」


 俺と芳野の漫才を、ミーシャはどこか羨ましそうに眺めていた。


「ふー、ちょっと汗かいたので、お風呂入りますねー」


 そう言って、芳野は勝手知ったる他人の家状態で、鞄を下げてスタスタと浴室へと向かう。


「待て……着替えは、てか、このまま居座るつもりか?」

「どうせ電車ありませんから。それに、大丈夫ですよ、全部ここに置いてるんで。おかまいなくー」

「おかまいなく……じゃねえよ! おい……」


 俺の言葉をスルーして、芳野は浴室に入った。

 全部置いてるって、何を……?

 まさか、あいつここに住んでるのか。知らない間に、自分の家が他人の家になっていくような薄ら寒い気分を味わった。

 ミーシャはというと、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「なんか、ごめん……」

「すごい、人ですね」

「悪い奴じゃないんだよ。基本、真面目だからな。たまにキテレツな言動をするだけだ」

「それ、たぶん、ご主人様にしか見せてないですよ」


 そう言われて、会社での芳野の言動を思い出す。

 確かに、他の人がいるところでは、ただの真面目な眼鏡ちゃんだった。


「うん? もしかして、俺って、なめられてた?」


 ミーシャは何故か溜息をついた。


「……違いますよ。ご主人様にだけ、本当の自分を見せてたってことですっ」

「そうなのか……まぁ、ちょいちょい面倒見てたしな。信頼を得てたってことか」


 何か言いたそうな顔をしていたミーシャだったが、きゅっと口をつぐんだ。

 テレビを見ると、よく知らないドラマの再放送をやっていた。

 ソファにミーシャと二人で並んで座ってはいるが、先ほどあった危うい雰囲気はもうない。芳野の馬鹿騒ぎのおかげで吹き飛んだ格好だ。

 お互いかける言葉もなく、ぼんやりとテレビを見ていると、芳野がペタペタとスリッパの音を響かせて浴室から出てきた。


「ふぁー、さっぱりしたー」


 パイル生地のロングワンピースに厚手のタイツという、すごく楽そうな恰好だった。頭にはターバン。そしてスリッパは犬顔だ。


「どこにそれ置いてたんだ……?」

「え? 着替えは持ってきてますよ。置いてあるのは、スリッパとタオルターバン……あと、歯ブラシとかー、マグカップとかー」

「マジで……? 気づかなかったな……」


 ミーシャが意外そうな顔をした。


「え、あれってご主人様のじゃなかったんですか……なんかカワイイなと思ってたのに……」


 どうやらミーシャは気づいていたようだ。


「そういえば、先輩って、エッチな本ってどこに隠してるんですか? ベッドの周りにはそれっぽいの全然なかったんですよねー」

「お前は……人のベッド漁ってんじゃねえ」


 ミーシャが顔を赤くしてチラチラとこちらを見てくる。


「エッチな本……ご主人様は、どんなのが好みなんですか?」


 いかん、ミーシャが芳野に毒されていく。


「ないからな! そんな本、買ったことねえし」


 そもそも、紙の本なんて、しばらく買ってない。家にあるのは仕事で使う専門系の本だけだ。それに、漫画にせよ小説にせよ、ほぼ電子書籍だ。当然、エッチな本……というか、そういうのはネットで済ませているので物理媒体はないのだ。


「あー、橋の下で拾ってくるんですよねー。聞いたことあります」

「拾わねえよ!」


 いやまあ、ガキの頃に拾ったことはある。

 なんでエロ本って、橋の下に落ちてんだろう。今でも落ちているのだろうか。


お読みいただき、ありがとうございます。

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