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記憶と

本日は、複数話投稿しております。

前話をお読みでない方は、前話もお読みいただきますよう。

 十月とはいえ月末が近いので、日が沈むのはかなり早い。「秋の日はつるべ落とし」と言われるぐらい、昼の時間が短くなっていくのだ。

 西の空に沈みゆく太陽は、山の稜線越しにギリギリ見えるぐらいだった。


 ミーシャが少し歩きたいというので、川っぺりの道を歩く。車が入ってこられない道なので、静かなものだ。

 買い物はしていないので、お互い手ぶらだ。

 家までそこそこの距離があるので、食材は近くの店で買うつもりだ。そういや、ミーシャの替えの下着も、部屋着も買ってなかった。また買いに行かないとな。

 俺がそんなことを考えながら歩いていると、ミーシャは繋いだ手をブンブンと振りながら、


「映画はすごかったし、ハンバーガーもポテトも美味しかったです! 今度は、ネズミ王国に行ってみたいです!」

「ネズミ王国……? ああ、ハハッと笑うネズミのランドか。ちょっと遠いけど、行けなくはないな……」

「実は、その昔、召喚勇者が再現しようとしたらしいんですけど、あまりにハードルが高すぎて頓挫したそうです。特に乗って遊ぶ遊具が不可能だったらしくて……」

「そりゃそうだわな」


 いくら知識があろうとも、いきなりローラーコースターは無理だよなあ。しかも、俺が転移した時代よりも昔だというのだから、無理もない。


「やりたかったことが、今日一日でいっぱいかないました。もう思い残すことはありません……」


 どこか遠い目をして、ミーシャがそんな言葉を洩らした。


「いやいや、死んだらいかんぞ。このままルフリンに戻れなきゃ、ずっとここで暮らすんだし、映画やハンバーガーなんて、いくらでも……」


 ミーシャが突然足を止めた。


「もし……もし、ルフリンに戻れると言われたら、戻りますか?」


 すがるような目を向けてくるミーシャ。菫色(バイオレット)の瞳が、不安げに揺れていた。


「そりゃ、もちろん……俺は死人だ。こっちはリビングデッドがウロウロしていい世界観じゃないだろ? 何より、ダニエルやディアーネのことが心配だ。ヴァリドの奴には引導を渡さなにゃならんし。やり残したことが多すぎる」

「分かりました……」


 悲しげな表情を浮かべ、ミーシャが頷く。

 そしてミーシャは俺の前を歩きだした。


「……ミーシャ?」

「一つだけ……一つだけ、確かめておきたいことがあるんです……」


 ミーシャはそれだけ言って、ひたすらに歩いた。まるで、これから向かう場所がどこか分かっているかのように。

 川岸の歩道を随分と歩いた。

 その間、ミーシャは一言も言葉を発しなかった。

 足を止めたのは、舗装されていない土の駐車場だった。近くにある河川敷グラウンドを使う人が車を停める場所なのだろう。

 敷地の端には、角が錆びた鉄の単管で組まれた粗末な柵があった。

 その前に立ったミーシャが、じっと赤錆を見つめている。


「…………ご主人様、ここについているニオイ、辿れますか?」

「え……?」


 ミーシャが何を望んでいるのか、理解しかねた。

 ただ、鉄柵から漂ってくるニオイは、異世界に転移してから嗅ぎ慣れたものだった。


「これは……錆じゃない、血か……? 何故……?」

「……お願いです」


 悲壮感を漂わせたミーシャの顔は、決意に満ちていた。

 ミーシャの願いは、この血のニオイの先にあるのだ――そう直感した。

 単管の柵から続く血のニオイは、点々と続いていた。

 血のニオイは独特で、かなり長い間残る。転狼するまでもなく、かすかに残された痕跡を辿ることができた。

 大きな川の河川敷はほったらかしの場所が多い。

 不法投棄されたゴミが山になっているところもあるし、酷いところになると車が何台も捨ててあったりする。

 そんな現代の荒野とも言うべき場所を抜けていき、灌木がもっさりと生えて薄暗い藪の中を進むことしばし、ぽっかりと開いた場所に出た。

 低木に囲まれ、日の当たらない小さな池があった。

 いや、池と呼ぶのもおこがましい、脛ぐらいしか水深がない水溜りだ。

 水溜りの中に、紺色の布が沈んでいた。

 それは――県立高校のセーラー服を着た女子高生。


「……間違いであってほしかった……夢であってほしかった」


 ミーシャは目をガラス玉にして、水溜りに沈む物言わぬ女子高生を見ていた。


「嘘だ、嘘だろ! なんでだよ、なんでこんなことになってんだよっ!!」


 真っ白に変色した手の甲に、同じように白くなった変な形の絆創膏(・・・・・・・)が張りついていた。

 間違えようがない。俺が拾って、飯を食わせた女子高生が、うつ伏せで水溜りに沈んでいたのだ。


「オオオォォォォォッ!」


 やり場のない怒りが爆発して、俺の意志とは関係なく獣がその姿を現した。せっかく買った一張羅が、わずか半日でボロ雑巾だ。

 水溜りに沈む女子高生を引き上げようと一歩を踏み出す。

 そんな俺の手をミーシャが両手で掴んだ。

 鋭い爪のせいで、小さな手から血が滴り落ちる。

 血の赤さに、俺の視線が釘付けになった。

 実に美味そうな――。

 漏れ出た己の欲望に気づいて、背筋が冷えた。


「転狼……解除……」


 黒の剛毛が空気に溶けて消えていき、怒りもいくばくかは薄まった。

 俺の手を握ったままのミーシャが、涙を溜めた目で俺を見上げていた。


「ミーシャ、教えてくれ。どうしてなんだ、どうして君は……なんで、ここにこの子が……」


 俺の要領を得ない問いに、ミーシャは頷いて水溜りに沈む女子高生を見据える。


「この女の名前は木藤亜佳梨(きどう あかり)。たった半歩を踏み出すことができず、初めて好きになった人を死に追いやって、自らも死んでしまった……愚かで、哀れな女です……」



    ○



 木藤亜佳梨という女の特徴を上げるとするなら、極めて臆病で意志が薄弱なことだろうか。

 行きずりの男――表札には「尾上」と書いてあった――のバスルームで、亜佳梨は鏡の中の己の顔を見ながら、そう胸中で呟いた。

 黄色く変色した鎖骨の上を撫でる。ほぼ痛みはなかった。


「体中がカラフルだった……」


 亜佳梨は自らの痣をなぞりつつ、尾上が言った言葉を反芻した。

 たぶん、あの人も体中に痣があったのだ。同類――という言葉が脳裏をよぎる。

 母親も、母親の再婚相手の連れ子だった義兄も、暴力は日常的だった。

 

 鏡に映る自分の姿に、見慣れぬ色が混じっていることに亜佳梨は気づいた。

 前腕と膝上に、赤い線状の腫れがあった。母親も義兄もこういう分かりやすい痕が残る暴力は振るわない。服の下に隠れる場所を、殴るか蹴るかだ。

 これは今日の客につけられたものだ。

 母親に言われるままに、これまでも見ず知らずの男を客として取ってきた。いつもなら、吐き気を我慢して横になるだけでよかった。

 だが、あの客だけは無理だった。

 細くて硬い木の棒で叩いてきたのだ。骨折をするほどの凶器ではなかったが、痛がる亜佳梨に興奮して、さらに叩いた。

 たまらず逃げだした。

 本来なら、終わった客から金を貰っていつもの場所に向かうはずだったが、そのままあてもなく夜の街を彷徨った。

 自分の金など持っていない。身元がばれそうな学生証なども持ち歩かない。ポケットに入っているのは、義兄に持たされたスマホだけ。そのスマホにしたって、すぐにバッテリーが切れてしまう型落ちの数世代前の機種。アプリなどを自分でインストールする権限もなく、ただ入っているモノを使うだけ。アクセスできるサイトすら制限されていた。唯一、亜佳梨が自由に使えたものは、著作権の切れた本が読めるアプリだった。

 途中で逃げだしたので、客から金を受け取っていない。手ぶらで帰ったら、すごく殴られる。

 亜佳梨は、このまま逃げてしまおうかと思い詰めたが、すぐに不安に苛まれた。

 ご飯は? お風呂は? 寝るとこは?

 橋の下で雨露をしのげるのだろうか。でも、そんなことをしたら、ホームレスに襲われて川に棄てられるに違いない。今の家のほうがまだマシだ。むしろ、橋の上から身を投げた方が楽になれるだろうと思いはする。思いはするが、そんな怖いことは無理だ。

 恐怖と答えの出ない内心の問答に疲れ果てた亜佳梨は、すべてがどうでもよくなって、変な色の自動販売機の横で座り込んだ。

 そこを尾上という男に拾われたのだ。

 

 赤い腫れを指でなぞる。ヒリヒリとして痛かった。

 不意に、あの人にはこの汚らわしい体を見せたくないと思ってしまった。


 亜佳梨の記憶にある限り、赤の他人から優しくされたことなどなかった。

 学校の教師も同級生も、いつも遠巻きで、視線を合わせようとすらしなかった。みんな知っていたからだ。あの母子は関わってはいけないと。

 なのにあの人は温かい飲み物を、体の芯から温まるお風呂を与えてくれた。そして、傷の治療をしてくれた。


 亜佳梨がおっかなびっくりで風呂を出ると、驚くべきことに食事が用意されていた。

 尾上は手ずからオムライスを作り、食べさせてくれたのだ。

 生まれて初めての経験だった。他人が、自分のためだけに作ってくれた料理を食べる。

 親のオマケで外食のおこぼれにあずかったことはあるが、それすら数えられる程度。ぎりぎり記憶に残るほどの幼少期ですら、母親はスーパーの総菜を出していた。いわんや、物心ついてからは、もっぱら自分が作る側に回らされたのだ。


 その夜、亜佳梨は久しぶりの安眠を得た。

 尾上のベッドは、ヤニやアルコール、カビの生えたようなすえたニオイ、そんな悪臭のない落ち着く匂いがした。ほんのりとシャンプーの香りが移った枕。そして、中年男のような加齢臭のない雄の匂い。下腹部がかすかにうずいた。

 不安はあった。自分が寝静まった頃を見計らって、あの人が寝室に入ってくるのではないかと。

 亜佳梨は、男なんてみんな同じだろうと思っていた。どんなみすぼらしい姿をしていても、若い女というだけで獣になる。

 それはそれで仕方がない。優しくしてくれたお礼と思えば、吐き気をもよおすこともないだろう。そう考えつつも、あの人はたぶん何もしないだろうという予感があった。

 実際そうなった。尾上という男は、亜佳梨に何も求めなかったのだ。


お読みいただき、ありがとうございます。

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