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帰還

 慌てて体を起こすと、胸の上に乗っかっていたミーシャが転がり落ちる。


「きゃうん!」


 ミーシャが可愛い鳴き声をもらした。

 なんか前にも同じようなことがあったような……。

 軽いデジャブを感じつつも、背景が違いすぎて脳がバグりそうになるが、まずは一つずつ確認していこう。

 首筋の傷を触ってみたが、完全に塞がっている。激しい倦怠感はあるが、意識を失うような危うさはない。かなり回復できていると思う。

 問題は、ここが本当に俺が暮らしていた日本なのかどうかだ。

 いやまあ、妙に見慣れたオレンジ色の怪しげなヤツが目の前にあるんだから、戻ってきたと考えるほうが自然だろうけども。


「…………とりあえず、家に帰ってみるか」


 ぶっちゃけ、厳しいとは思っている。異世界に転移して、三カ月は経っているのだ。とっくに引き払われているだろう。

 ただ、俺がヒョロ長に頭をホームランされてからどうなったのかは、まったく分からないのだ。俺の最後の映像は地面のドアップだったしな。事件になっているかもしれないし、捜索願いは……出てないだろうな。俺の近親者は縁が切れているか、あの世だ。

 マンションの大家さんには悪いことをしたなとは思う。部屋を片付けられていても文句は言えない。


「ミーシャ、移動するぞ」


 ゆっくりと立ち上がる。

 軽い立ち眩みをしたが、痛みはなかった。普通に歩くぐらいなら、問題なさそうだ。


「…………」


 ミーシャは目を見開いて自動販売機をじっと見つめていた。

 そして、つうっと涙を流した。


「ミーシャ……?」


 ミーシャが俺を見上げる。そして、あらん限りの力で抱き着ついてきた。ドワーフに手加減なしでハグされると、さすがに苦しい。


「グエッ……」

「よかった……本当に、よかった……生きててくれた……」


 温かい気持ちが俺に流れこんでくる。

 よかった……それは俺も同じ気持ちだ。ミーシャが攫われたと聞いて、心臓が冷たい手で握られたかのような苦しさを覚えたのだから。凍えた心臓が、ミーシャの高めの体温で溶かされていく。

 柔らかな感触が、黒の剛毛越しにも感じられ――剛毛? あれ、服はどうした?


 事ここに至って、ようやく俺は理解した。

 俺もミーシャも、マッパだ。

 お互い血にまみれ、肌色成分が少なかったせいで気づくのが遅れたが、それはもう見事なまでの全裸である。装備品はおろか、装身具も鞄もない。靴すら履いていなかった。なくしてはいけないはずの、マイ神様カードすらなかった。

 一瞬、転狼を解除しようかと考えたが、まだ剛毛の下に隠れている子狼がアオーンしそうなので思いとどまった。


「よ、よし、ミーシャ俺におぶされ。さっさと移動だ」

「え? はい」


 ミーシャは良く分かっていない顔をしながらも、俺の背によじ登る。

 直にミーシャの大きなマシュマロさんの柔らかさが感じられて、いろいろと危険が危ないである。


「心頭滅却すればマシュマロもまた硬し!」

「???」


 俺は心を無にして、夜の道路を走り始めた。

 街灯の少ない住宅街の路地とはいえ、何年も歩いた道だ。迷うはずもない。

 途中、一台の自動車とすれ違ったが、その車は急ブレーキで止まってしまった。振り向かずにそのまま走って逃げたので、どうなったかは知らない。

 もしかしたら、新たな都市伝説(フォークロア)――「全裸の少女をおんぶして夜の街を駆け抜ける狼男」が誕生したかもしれない。


 三分ほど走っただろうか、見慣れた我が家が見えてきた。家というかマンションだが。

 独り身には贅沢な1LDKの物件。鉄筋コンクリート造りで、壁が分厚いのでいたって静かだ。そもそも低層マンションなので、住人の数はさほど多くない。駅からそこそこ遠いので、綺麗な割には家賃は安かったりする。ちなみに大家さんは、同じ敷地にある向かいの家に住んでいる。この辺り一帯の地主だそうだ。

 まずは、暗がりからマンションの出入り口をチェック。人が居たらさすがにまずい。

 試しに〈生命探知〉を使ってみると、大家さんちと、手近な部屋にぼんやりと生命の炎が見えた。どれも小さな灯だが、異世界で見えていたものと同じ燃え方だった。

 こっちでもスキルが使えるのはラッキーだ。というか、俺が未だに転狼できているのだから、使えるのも当然か。

 マンション入り口に人が居ないことが確認できたので、ささっと移動する。俺の部屋は一階の一番奥なので、エントランスではなく外からフェンスを飛び越えてドアの前に到着。


 表札を見ると「尾上」と貼られていた。

 会社の複合機で印刷して透明テープで張り付けたコピー用紙の表札、そのままだった。

 三カ月も音沙汰なしなのによくもまあ……と思ったが、家賃は銀行口座引き落としなので、大家さんとしては特に困っていないのか。空き部屋にするぐらいなら、様子見ってことかもしれない。

 部屋に入っても不法侵入とならないようで、一安心だ。

 換気口のカバーの裏に張り付けてある、もしもの時用に隠してある家の鍵をひっぺがす。転狼状態だと、高い位置にある換気口にそのまま手が届くので助かった。


「……ふぅ、ただいま」


 懐かしの我が家に入った。

 さすがに、玄関をくぐるときに頭をぶつけそうだったので、転狼は解除した。


「お帰りなさい」


 俺の後ろから入ってきたミーシャが、優しい声で言ってくれた。

 生きているうちに、この部屋ではついぞ聞けることのなかった言葉だった。死んでから異世界の少女に言ってもらうとは、因果なものだ。金髪野郎? あれは「よう、おかえり」だったのでノーカンだ。

 三カ月ぶりの部屋は、かつてのままだった。いや、むしろ片付いているのか?

 そもそも、俺は物をあまり買わないので部屋はすっきりしているのだが、こんなに綺麗にしてたかな……。


 妙なところに引っかかってしまったが、とりあえずは風呂だな。

 俺の毛皮は血まみれではあったが、転狼を解除して黒の剛毛が消え去ると、赤黒い粉がパラパラと落ちていき、体にはほとんど血の跡が残らなかった。対して、ミーシャは上半身がヤバいことになっていた。頭と顔、腕から首にかけて。その辺りが真っ赤だ。逆に服に隠されていた胴体や下半身は綺麗なままなので、そのコントラストが目に痛かった。


「ミーシャ、風呂で血を落とそう」

「………………」


 ミーシャは上がり框に突っ立ったまま、部屋の中を凝視していた。


「ミーシャ?」

「え、はい……なんでしょう?」


 現代日本の部屋に驚いているのか。見たことのない物ばかりだろうし、むしろ、召喚勇者の逸話に出てきた物を目の当たりにして、感激しているのかもしれない。


「血を落とすぞ、こっちだ」


 俺はミーシャの返事を待たずに、浴室へと向かう。

 さすがにシャワーの使い方は分からないであろうから、給湯器のスイッチを入れ、温水を出しっぱにする。後はまあ、シャンプーやリンスの使い方を教えれば大丈夫か。

 だが、ミーシャは何を思ったのか、浴室の扉を閉めて、


「ご主人様、そこに座ってください。お背中を流しますから」


 と言って、俺の背を押してきた。

 さすがに慌てた。なんだかんだで、ミーシャの裸体は見てしまっているが、見るのと触られるのでは、危険度が段違いだ。


「ちょ、ちょっと待って!」

「いまさらですよ、ご主人様。もう何度も見ちゃってますよね?」

「…………」

「そんなに嫌ですか?」

「嫌なわけじゃないんだが……」

「じゃあ、問題ないですね」


 ミーシャは戸惑う俺をグイグイ押して、風呂の椅子に座らせる。

 事ここに至っては、腹を括るしかない。

 俺の子狼が雄叫びを上げなければいいのだ。そうだ、こういうときは素数を数えればいいと教わったな。

 えーと、1、2、4、8、16、32、64、128……違う、これは素数じゃない。素数のつもりが2の累乗を唱えていた。プログラマーあるあるだな。

 などと脳内で漫才をやっていたら、すぐに洗い終えたようだ。背中だけならそんなものか。


「……わたしの背中、洗ってくれますか?」


 そう言ったミーシャが、するりと俺の前に背を向けて座った。

 いきなりのことで驚いてしまったが、それ以上に体の小ささと赤黒く染まった髪に胸が締め付けられた。

 こんな小さな娘さんを死地に連れまわしたあげく、持ち帰ったお宝のせいで誘拐までされてしまったのだ。親御さんが健在なら、土下座をして謝るレベルの失態だろう。

 本当に、この子を無傷で助けられてよかったと思う。

 シャンプーを手に取り、撫でるように優しく髪を洗っていると、ほぼ無意識に言葉が漏れた。


「……ごめんな、ミーシャ」

「謝ることなんて、何一つないですよ。すべてわたしの意志でやってきたことですし……それに、ちょっと失礼です、ご主人様。わたしはちゃんとした大人なんです。子ども扱いしないでください」


 ミーシャの言葉に、ハッとさせられた。

 そうだ、この子は大人なのだ。十八歳といえば、日本でも成人だ。なのに俺は、保護した子供のように扱っていた。


「すまん……」

「ふふ、だから謝らないでください。わたしは叱られても仕方ないんですよ? ころっと誘拐されちゃって、ごめんなさい」

「今回は相手が悪かった……むしろ、下手に抵抗しなくてよかった」


 ヴァリドの「反射」がどんなものでも跳ね返せる凶悪なスキルなら、火魔法なんかぶちかましたらとんでもないことになる。全身火達磨のミーシャなんか見た日にゃ、頭の筋肉が血を噴き出して死んでしまうだろう。


「助けてくれて、ありがとうございました、ご主人様。とても……とても嬉しかったんですよ」

「いろいろあったけど、ミーシャが無事でよかったよ」


 俺の血でカリカリになった髪はなかなか手ごわかった。

 さらにシャンプーを投入して、モミモミする。


「わたしは心臓が止まりそうでしたけど……ご主人様が、死んじゃうかもしれないって」

「まぁ……ヤバかったな。それでも、俺は生きてる。結果オーライさ」


 赤く染まった泡をシャワーで洗い流すと、艶やかなピンクブロンドの髪が蘇った。

 シャンプーで溶けだした血が、ミーシャの頬を伝い滴り落ちていく。

 血が混じった泡を手にすくって、ミーシャはうっとりとした声で言った。


「わたしを助けるために、血を流してくれる勇者さま……すごく……素敵です……」


 そう言って振り向いた顔は赤く染まり、かすかにすがめられた流し目は驚くほど妖艶な光を放っていた。

 俺の子狼が雄叫びを上げそうになった。

 動揺を誤魔化すように、ミーシャの髪にリンスをガシガシともみこんでいく。


「……お客さん、痒い所はアリマセンカー?」

「何ですかそれ……頭はもういいですから、前も洗ってください」


 そう言いながら、ミーシャが俺の手を握り、自らの体の前へと回す。

 いかーん!

 これはいかんですよ。子狼が雄叫びを上げるどころか、転狼してまう。

 大人扱いすることと、手を出すことはまた別の話なのだ。ワドワ連合王国の常識で言うなら、女の奴隷に手を出すなど当たり前のことかもしれない。

 だが、俺は――怖かった。

 何が怖いのかは分からない。ミーシャとの関係性が変わってしまいそうだからか、我が身に潜む獣の本性をさらけ出しそうだからか、とにかく怖かった。


 俺は慌てて立ち上がり、


「そのレバーを下げればお湯は止まるから! もう大丈夫だよなっ!」


 そう言い残して浴室を飛び出し、バスタオルをひっ掴んで逃げだした。

 風呂の中から、「もうっ」というミーシャの鳴き声が聞こえてきたが、牛さんに返事をするわけにはいかない。


 寝室に逃げ込んだ俺は、まずはマッパをなんとかすべく、パンツとTシャツを引っ張り出す。ついでにジャージも。箪笥の中の衣類は死ぬ前と何も変わっていないようで一安心だ。

 ぱぱっと着替えて、子狼をパンツの中に蟄居せしめる。

 あとはミーシャに何を着せるかだ。男物しかないのは当然なので我慢してもらうとして……。


「小柄女子が着れそうな服なんてあったかな……」


 不意に、「カッターシャツ」という戦術核級の単語が頭をよぎったが、それだけはアカンと俺の前頭葉が囁いた。ムチムチぷりんな小柄女子に男物のシャツとか、まさに寝た子狼を起こす暴挙と言えよう。

 とりあえず、トレーニング用の圧着系下着とインナー、あとは寝巻用のスウェットでも着ててもらおう。

 朝方は冷えそうなので、エアコンを入れて……ミーシャにはベッドで寝てもらって、俺はリビングのソファでいいな。

 毛布はちゃんと二枚あるな……よし。


「ん……?」


 ベッドの上には、綺麗にたたまれた毛布が二枚あった。

 俺はそこに、強烈な違和感を感じた。


「……俺じゃない」


 俺は毛布をこんなたたみ方をしない。

 誰かが入ったのだ。そして、片付けや掃除をしてくれたのだ。

 たぶん大家さんだ。この部屋に入れる鍵を持っているのは、あの人だけだからだ。

 何かにつけて俺を気にかけてくれていた気のいい婆さんだ。見合いまで勧めてきたのは閉口したが、悪い人ではない。会社の上司の遠縁だと言っていたか。

 そもそも俺がここに住むことになったのも、会社の上司であり恩人――おやっさんの紹介だったからだ。入社の際に、法律上の身寄りがない俺の身元保証人になってくれた人だ。あの人はまだ会社だろうか。世話になりっぱなしだったのに、何も恩返しできなかったな。


 妙に気疲れしてしまった俺は、綺麗に整えられたベッドにゴロンと横になる。


「〈指揮〉スキルに映るのは……俺とミーシャだけか……」


 〈指揮〉スキルは機能するものの、マーカーが表示されるのはミーシャだけだった。

 ダニエルとディアーネはパーティを組んだままだが、メンバーの項目が濃いグレー文字になっている。まるでゲームのログアウト中メンバーみたいな表示だ。

 何も言わずに消えてしまったので、ダニエルがどうなったのか心配だ。彼の実力ならそう酷いことにはならないとは思うのだが。

 ヒムロは呼びかけても返事がない。あの、お喋り駄竜が異世界日本の景色を見て声を上げないわけがないので、やはり繋がりが切れていると考えるべきだろう。

 だが、竜眼自体は機能している。風の流れは見えるのだ。ただ、マナは見えない。この世界にマナはないのだ。

 視界から〈指揮〉の項目を消して、溜息をつく。


「……情報が無さすぎる」


 ここは間違いなく、俺が生まれ育って死んだ日本だ。

 では何故、戻ってきたのか?

 俺が死に瀕して、戻りたいと願ったのだろうか。だとしても、ミーシャ共々、あの自販機の横に放り出された理由が分からない。神さまは、戻れるようなことなど一言も言ってなかった。そもそも、俺は死んだはずだ。神さまも「死んだ」と明言していたし、俺も地面とチューしたあの状況からの生還は無理だと思う。

 とにかく分からない。分からないが、俺の背中にはミーシャの命が乗っかっている。安易な行動は慎むべきだろう。死人がうろついているなんて知られたら、面倒なことになるのは間違いない。


「うん、まてよ……? この部屋がそのまんまってことは、俺が死んだって、誰も知らないのか?」


 考えられるとしたら、俺の頭をホームランしたヒョロ長とニキビ跡の金髪野郎が、死体をどこかに隠した。海に沈めたか、山の中に埋めたのか。だとすれば、社会的には「行方不明」状態だ。

 それはそれで、外に出るのがためらわれるな。

 大家さんに見つかったら、大騒ぎだろう。その後で、俺の死体が出てきたらどうなるんだろうか。

 どう考えても、お昼のワイドショーネタになる。


「明日からどうすっかな……」


 茫洋とした不安がのしかかってくる。

 こういうときは、すぐに達成できる小さなことから処理していくべし――新入りの頃におやっさんに教わった「会社で生き残る秘訣」その二か三だ。

 よし、まずはミーシャの服をなんとかしよう。俺の服もたいがいだがミーシャほどではない。

 問題は、服を買いに行く服がない。

 つっても、変な目で見られるのも一度だけだろうし、そこは開き直ってジャージ&サンダルで乗り込んじまえばいいか。財布もスマホも見当たらなかったが、普段使いしてなかったクレジットカードが引き出しに入っているはずなので買い物は大丈夫だろう。銀行口座にはそれなりの額がまだ残っているはずだ。

 明日は、大家さんの目につかないように、窓から行ってきますだな。

 なんとかなりそうだ、と安心した途端、抗いようのない睡魔が襲ってきた。


 「ご主人様?」という声が聞こえたが、俺は声を返すことすらできなかった。


お読みいただき、ありがとうございます。

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