薬師の店
その店はとても薬屋には見えなかった。
とてもボロく、幅が狭くて背の高い建物だ。城壁内部の建物に共通する特徴ではあるが、ちょっと手入れを怠りすぎだと思う。
道路を挟んだすぐ南側には城壁が迫っており、年中日当たりの悪い場所だということは、一目で分かった。というか、陽の高い午前中だというのに陰に沈んでいる。
軋む扉を押し開けて、ダニエルとディアーネが中に入っていった。俺とミーシャも後に続く。
「マルギッタさん、いるかな?」
店の中は外観とは裏腹に小奇麗に片付いており、カラフルな瓶が整然と並んだ棚には埃一つ積もっていない。
薬師の店と聞いて、強烈な臭さを覚悟していたが、思いのほか鼻につかない。とはいえ、様々な匂いがそこかしこから漂ってきており、かいだことのないものもあった。全体的に刺激の強いものはなく、どれも優しい香りを放っていた。
「はいはい、今行くよ……」
カウンターの奥の開け放たれた扉をくぐって出てきたのは、痩せた婆さんだった。顔は婆さんだが、背筋は真っ直ぐで、歩く姿も矍鑠としたものだ。
そして、耳が長い。髪が薄い灰色で、肌の色は薄いチョコレート色。
思わず、ダークエルフか――と言いそうになった。
「おや、坊ちゃん。久しぶりじゃないかい」
「ご無沙汰してます」
ちらっと俺を見るダークエルフの婆さん――マルギッタとダニエルは呼んでいたか。その瞳には、かすかな警戒の色がある。
視線を受けて、軽く頭を下げる。
「……お仲間かい?」
ダニエルが頷き、
「僕の友人でもあり、パーティのリーダー、ジンだ。こちら側の人間だから、安心してほしい」
「そうかい、そりゃ何よりだね」
マルギッタが目に見えて肩の力を抜いた。
俺の頭の上からつま先まで、二往復ほど視線を巡らせて、
「ふうん……そのガタイと、獣臭……人狼かい?」
「よく分かったな。なんか、特徴でもあるの?」
マルギッタはケタケタと笑った。婆さんのくせに妙に可愛い。
「こっち側の人間なんだろ。吸血鬼か人狼か、どっちかしかないんだから、獣臭まとってんなら人狼に決まってる」
そりゃそうか、と納得しつつも、マルギッタからは死臭も獣臭も漂ってこない。酒場のマスターと同じ類の人だろうか。
「マルギッタさんは、人間だよな? 身内が、どっちかなのか?」
「人間というか、エルフだけどさ……」
やっぱエルフだった。エルフ、エルフ!
エロくはないけど。
「私はヴィシンゼクで生まれ育っただけだよ。もっとも、幼馴染は人外ばっかだったけどね」
と言って、マルギッタはまたケタケタ笑った。そこに後ろ暗さや潜める感じはない。彼女にとっては、それが日常だったのだろう。
マルギッタの先祖は、かつて吸血病に罹患して、流れ流れてヴィシンゼク伯爵の領地に流れ着いたのだという。それも二百年も前の話らしく、彼女にしてみれば、生まれ育った故郷がそういう場所だったというだけでしかないと語った。
ルフリンに店を構えているのは、薬の素材が豊富な深淵の森に近く、薬の需要もある場所だから。陽当りが悪い場所に店を構えているのは、温度変化が少なく薬草や薬の品質を保つ上で都合がいいからだそうだ。なんとも至極真っ当な理由だった。
「そんで、今日はどうしたんだい? 薬でも入り用かい?」
マルギッタの問いにダニエルは頷き、鞄から金庫のような箱を取り出して開いた。
中には、羅紗でくるまれた小瓶。薄い緑色の液体が入ったそれは、ヒムロからぶん盗った薬だ。
「この薬を鑑定してほしい」
「ほう……これは、初めて見るね……どれどれ」
じっと小瓶を見つめたマルギッタは、口の中でもごもごと何かを言った。
「……これは『解呪の妙薬』って薬だねえ。効能は、あらゆる呪いを解く……ってさ。ダンジョンで出たのかい?」
ダニエルの顔が真っ白だ。
「……妙薬? 白紙の神薬じゃないのかい?」
「違うよ。私が読み取れたのは、さっき言った、解呪の妙薬だった」
「!? もう一度、鑑定してくれないか!」
怪訝な顔をしてダニエルを見返すマルギッタだったが、鬼気迫る様子のダニエルを見て、口をつぐんで再び鑑定を行った。
だが、結果は変わらず。
「嘘……嘘だ……そんなはずは……」
血の気の失せた顔のダニエルから、小瓶が滑り落ちた。
「おっと……」
咄嗟に空中で掴み取る。
窓の光に透かして見るも、俺には薬の効能なんて分かるはずも……。
『ヒムロ、見えるか?』
『……ほう、そこは錬金術師の工房か? なかなか興味深い見てくれであるな』
長々と喋りはじめたヒムロを遮り、
『この薬の効能、分かるか?』
『……ん? 鑑定ほど正確ではないが、滲み出る性質から予想はできる。その程度のことでいいのか?』
『ああ、頼む』
途端、俺の視界に様々な色の流れが見え始める。
小瓶からは白い靄と黄色い稲妻、そして、黒と紫の糸が飛び出しているように見える。
『癒し、解放……呪い、だな……。それ以外は読み取れん。解呪の薬であろう』
ヒムロの言葉で、俺だけでは竜眼の力を使いこなせないことに気づいた。
竜眼で見ることができても、それが何を意味するのか、俺には知識がなさすぎて理解ができないのだ。
『……やっぱそうか。助かった。礼を言う』
『礼には及ばん。貴殿との契約である。だが、その薬、触れない方がいいぞ』
『なんでだ?』
『貴殿、呪いを受けているであろう?』
ちょっとだけ考えて、すぐに思い出した。
忘れちゃいけない呪いだった。
『あー、転狼の呪いかー。満月の呪いもあるな』
『うむ、それらの呪いは貴殿の変身能力と不可分のものだ。呪いを消せば、変身能力も消えるぞ』
『マジか!? ヤベぇ……むちゃ劇薬じゃねえかコレ……』
薬瓶の蓋がちゃんと締まっているか、慌てて確認した。
『ところで……物は相談であるが、しばらくこの場所を見ていたいのだが、構わぬか?』
なかなか抜け目がない。むしろ、好奇心旺盛な子供のような素直さだ。
少しばかり、ほっこりした俺はヒムロに許可を与える。
『ああいいぞ。今日は俺が寝るまで、ルフリンを見てるがいいさ』
『マジで言っておるか? 後になって、やっぱ無しとか言われたら、吾輩は百年ほど不貞腐れるぞ?』
『いいぞ』
『むっはー!』
こいつ、ほんとにドラゴンかよ。
むっはー、って何だよ。むっはーって。
とりあえず、ガッカリドラゴンは頭の片隅に追いやって、ダニエルに向く。
「ダニエル、竜眼で見たが鑑定結果と同じだった。これは解呪の薬だ。ヒムロ……アイスドラゴンがそう判定した」
俺の言葉に目を見張ったダニエルは、溜息をついて肩を落とした。
「……本当に、無駄足だった、ようだね……こんな、役に立たない薬のために……」
初めて見るダニエルの落ち込んだ姿に、胸の辺りが苦しくなる。
「無駄なんかじゃない。少なくとも俺は、銀騎士団に追われなくてすんだし、ルフリンダンジョンを踏破できた。それは、ダニエル、お前がルフリンに居てくれたおかげなんだ」
一瞬だけ呆けた顔をしたダニエルが、儚げな笑みを浮かべた。
「……君の前で言うべき言葉じゃなかったね」
俺は首を横に振る。
「かまわねえさ。それに、神薬だって存在するはずなんだろ。だったら、ルフリンダンジョンには無かった、っていう結果を得たじゃないか」
「そうだね……君の言う通りだ。無駄なんかじゃなかった」
そう言って、ダニエルは天井を向いて盛大に息を吐いた。しばし瞑目し、再び目を開いて俺を見据える。
「皆の頑張りを貶めるようなことを言ってしまったね。ごめんよ……」
「いや、もっと言え。ディアーネなんて、文句ばっかり垂れてるじゃないか。ダニエルは本音を隠しすぎだ」
無言でディアーネに脛を蹴られた。
俺はダニエルの肩を掴んで、彼の目を正面から覗き込む。
「一人で何でもやろうとするな、抱え込むな。四人でなんとかする。パーティだろ」
泣きそうな顔でダニエルが笑った。
「ありがとう……おかげで、少しはやる気が戻ってきたよ。それでも……これから、どうしようかね……」
「何か、他にあてはあるのか?」
「ないね。女召喚勇者の伝説を呼んで、これだと思いこんでしまったから。それ以外には脇目もふらずだったよ……」
「そうか……結局、カエルに姿を変えられたのは呪いだったってことなんだよな」
「うん。僕の落ち度は、その呪いを解いた薬と、別の書物に書いてあった白紙の神薬を、裏付けなしに結び付けてしまったことだね」
「その書物ってのは、どこで見たんだ?」
「王都の図書館だね。古今遺物総覧という辞書みたいな本で、十年に一回ぐらい新版が出てる」
「辞書レベルか……」
あの手の本は、端的な情報しか載っていない。誰が何処で手に入れたかなんて記載されていないだろう。ダニエルだって、そんな情報があればルフリンダンジョンに突撃なんかしなかったはずだ。
ダニエルが自嘲気味の苦笑いを浮かべた。
「神にでもすがるしかないのかもね」
「神さまなぁ……」
この世界の神さまは拝み倒したら望みを叶えてくれそうな雰囲気があるしな。
神さまがらみといえば――ふと、何かの記憶が俺の意識に引っかかった。
なんだったけかな……。
『貴殿は神の紐付きであろうが。功績に応じて賜るものが、あるのではないか?』
ヒムロの呆れたような声で、思い出した。
「あ! 神さマイル!」
俺の突然の叫びに、その場の全員がのけぞった。
皆の動揺などお構いなしにステータスウィンドウを開く。そして、「神さマイル」のタブからアイテムリストを表示する。
「……消耗品ってカテゴリかな…………あったわ、『白紙の神薬』」
「「は……!?」」
俺の漏らした言葉に、ダニエルとディアーネが口をあんぐりと開けていた。
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