約束
ドアベルが小気味よい音を響かせ、外の喧騒と一緒になって街灯の光が薄暗い室内になだれ込んできた。
陽はとっくに沈み、夜の帳がすっかりルフリンの街を覆い隠している。
大きく開け放たれた戸口から肌寒い初冬の夜風がするりと入り込んで、竈の炎を躍らせた。
「いらっしゃい」
俺がそう言うと、相手は扉を開けたまましばし動きを止めた。
「……なんで、アンタがそっち側なのよ?」
入ってきたのはダニエルとディアーネだ。
「約束しただろ、ご馳走してやるって」
ここはラガービールが飲める小さな酒場だ。
今の俺はカウンターの内側に立っている。
「へえ……ここで待ち合わせというから、何か話でもあるのかと思ったけど」
そう言いながら、ダニエルはいつもの定位置である一番奥のスツールに座った。
「貸し切りって札がかかってたのは、アンタが料理を作るから? あ、もしかして、あのハムをまた食べさせてくれるの?」
妙にウキウキした声でディアーネがその隣に座る。
「ところで、マスターは?」
ディアーネの言葉に、俺の隣からマスターがのっそりと顔を出す。
今までカウンターの内側で座り込んでいたのだ。
「あ、いたし。てか、ミーシャは連れてこないんだね」
「いますよう! わざと言ってますよね!?」
カウンターの内側でピョンピョンしながら、ミーシャがぷりぷりしている。
この店、カウンターが高いからなあ。ミーシャの身長だと、頭の上の方しか見えない。
「アハハハ、やっぱミーシャだった。ピンクの毛玉がチョロチョロしてるから、何かなぁって思ってたんだけど。この店に来るの初めてじゃない?」
「やっとですよ、やっと! ずーっとわたしも行きたいって言ってたのに……」
俺はすかさず割り込んで、
「子供にゃまだ早い」
「って、いっつもわたしがお風呂に入っている隙にいなくなるんですよ。もう十八歳なのに!」
と、ミーシャは積年の恨みとばかりにまくしたてた。
「十八歳は、お酒を飲んでもいい歳じゃないんだよなぁ」
「それって、日本の話ですよね?」
「そうだが……」
そういえばこの子、召喚勇者マニアだったな。
言われてみれば、20歳より下で飲酒をしてもいい国は結構あったな。ドイツなんか蒸留酒じゃなきゃ16歳から飲んでいいらしいし。
それに、既にギルドの酒場で色の濃い酒をガンガン飲んでいた。今更か。
「約束、覚えてるよな? ビールは三杯までだからな」
「……あの、わたし、ビールって飲んだことないんですけど?」
「それでもだ。約束できないなら、出入り禁止な」
「はい……」
ミーシャは納得しかねるという表情を浮かべてはいるが、頷いてはくれたのでよしとしよう。
「アンタ、ほんとにビール好きねぇ。私はワインのほうが好きだけど」
「ビールは俺の燃料なの。てか、お前も飲みすぎるなよ。今日は叩ける背中が横にいないんだからな。カウンター破壊するなよ?」
「そんなこと、したことないんだけどっ!?」
ディアーネがカウンターを破壊する勢いで、掌を打ち付ける。
硬質な一枚ものの分厚い天板は、ディアーネの理不尽な暴力に耐えきった。
マスターが俺にしか聞こえない声で、ボソっと呟く。
「…………お前がこの店に来るようになってから、天板を張り替えたってマスターが言ってんだが?」
「ぇ……」
「そういえば、昔はこんな分厚い板じゃなかったねえ」
ダニエルが無慈悲な追撃をした。
「…………」
さすがのディアーネも、ついに黙るときがきた。
「ところでさ、マスターは何してんの?」
露骨なディアーネの話題逸らしに、マスターが律儀に応えてすっと立ち上がる。
そのマスターは白い毛布のようなモノを抱えていた。
「え……なにその毛布……てか、アルバじゃん」
白い毛玉改め白い毛布は、尻尾をわさわさ振りながらハッハとディアーネにご機嫌な顔を向けた。
俺が保護したときから比べると、アルバはびっくりするぐらい大きくなった。
最初なんて俺のウェストポーチに収まる程度の毛玉だったのに、今ではミーシャの掛け布団になるレベルだ。わずか一カ月でこんなに育つとは思ってもみなかった。日本スピッツだと思ってたら、サモエドだったでござる状態だ。
乳歯とはいえ牙もすっかり生え揃い、〈強靭外皮〉をかけていないとうっかり食い破られそうになるほどだ。もっとも、噛み癖はミーシャと老婦人がうまく躾てくれたようで、誰彼かまわず噛むことはなくなった。ただ、俺の手だけは例外のようで、いつも美味そうにガジガジやっている。たぶんだが、お気に入りの鞄と同じように、お気に入りの骨状態なのだろう。叱らない俺のせいでもあるんだが、カワイイんだからしょうがない。
マスターは説明は終わったとばかりに、再びしゃがみ込む。
しゃがんで何をしているのかというと、ひたすらアルバを撫でくりまわしている。
「いいの? ここ、一応、飲食店よね?」
ディアーネにしては珍しく常識的なことを言った。
「今日、ここを借りる条件なんだよ」
「へ……?」
「マスターがさ、貸し切りにしてやるから、アルバ連れてこいってさ」
俺の説明に、ディアーネは「ああ……」と納得した様子で苦笑いを浮かべた。
「マスター、犬好きだもんねぇ」
むしろ、今回の件はマスター的には渡りに船だったらしい。
ちょいちょいここでアルバのことを話題に出していたので、ずっと気になっていたそうだ。
「それじゃあ、僕はいつもの」
「私もー!」
兄妹が揃って声を上げたので、俺はダニエルの前に赤ワインの瓶をドンと置く。
「ほいよ、勝手にやっといてくれ」
「接客がなってないぞー、アハハ」
ケタケタ笑うディアーネの前にグラスを置き、
「お客さん、うちじゃそういうの扱ってないんでー」
「んじゃ、何を扱ってんのさ?」
「こういうのさ――」
兄妹の間に、赤と緑と黄色で鮮やかに彩られた皿を置く。
「お? 何コレ、綺麗……」
「チーズの生ハム巻きな。酒のお供としては申し分ない」
モッツァレラチーズを生ハムでくるっと包んで――以上!
仕上げにオリーブオイルとバジル、胡椒をパラパラっと。
簡単だが、ビールとの相性は抜群だ。日本でもビール片手に作りながら食ったものだ。
味見で一口食っただけだが、生ハムが絶品すぎて思わず笑いが出たほどだ。
「ちなみに、盛り付けはミーシャな。料理スキル持ちはやっぱ半端ねえわ」
「マジ……ミーシャって、そんなすごいスキル持ってんだ……」
「すごくはないですよ、まだランクは1ですから。それに、作ったのはご主人様ですし……」
ミーシャが片手でぽんぽこ卵を割りながらそう言うと、ディアーネは微妙な表情を浮かべた。
「……料理スキル持ってるのがすごいっての」
ちなみに、ルフリンの市場に鶏卵は普通に売っている。
地下水資源が膨大で広大な農地を抱えるルフリンは、農産物や畜産品が豊富だ。牛乳も肉も卵も、加工食品も安価で手に入る。しかも、日本と違って手作り無添加だ。その分、足が早いので買ったらすぐに使いきるのが基本だ。
「こんなに簡単に卵が手に入るんなら、オムライスとか作ってもよかったな」
「オムライス! 食べてみたいです!!」
俺の独り言のようなセリフに、ミーシャがおもいっきり食いついてきた。
「……なんで? あ、もしかして、召喚勇者がらみか?」
「ですです、かなりの頻度で出てくる料理の名前なんですけど、卵を使うぐらいしか判明してなくて」
「判明もなにも、卵とケチャップがありゃ……そうか、ケチャップがねえわ……」
少なくともルフリン界隈では、トマトケチャップやそれに類するものは見つけられなかった。
ルフリンでは、トマトは高級野菜だ。作付している農家が少なく、収量も少ないせいだ。気温が十度を切ると育たなくなるので、比較的寒冷なワドワ連合王国では育てにくい作物だろう。
「そうですか、残念です……」
「暖かい国に行けば、手に入るかもな」
「卵の料理なの?」とディアーネ。
「そうだぞ。卵とご飯だ」
ディアーネがキョトンとした顔で、首を傾げる。
「卵と……ご飯? 合うの?」
干飯が売ってるぐらいなので、ルフリン界隈の冒険者は普通に「ご飯」は食っている。とはいえ、基本はスープに放り込むだけなので、炊いた飯をそのまま食うという文化はない。
「合うぞ。興味があるんなら、今度作ってやるよ。ケチャップがないから、リーキ入りのチャーハンになるけどな」
俺がそう言うと、ディアーネはそっぽを向いて、
「ふーん……私が作らなくていいんなら、食べてあげるわ」
「ディアーネは、卵を割るのも一苦労だからねえ……」
ダニエルがどこか遠い目をして言った。
「兄ちゃんは余計なこと言わないで」
「うん、これは美味しいね!」
殺気のこもった妹の視線を受け流し、ダニエルが満足そうに笑みを浮かべた。
「……あ、マジで美味しい。お酒に合うね、これ」
兄をジト目で睨みながらディアーネが生ハム巻きに舌鼓を打つ。
「お次は、ルッコラとトマトの生ハムサラダでござい」
バルサミコ酢にニンニクすりおろしとオレガノみじん切りをどぼん。塩と砂糖をぱぱっと入れておりゃーっと混ぜる。
塩と砂糖が溶けきったら、オリーブオイルを入れつつ混ぜ混ぜ。砂糖を少し入れることで酸味のきつさがマイルドになり、味に深みが出る。ポイントはオリーブオイルは塩と砂糖を溶かしきってから入れることだ。オイルを入れちゃうと、塩が溶けなくなっちゃうからな。
それを、綺麗に盛られたルッコラとトマト、生ハムの上にドバっとかける。美味い。
ウマウマと前菜を頬張る兄妹を横目に、銅のフライパンに大皿で蓋をしてひっくり返す。
黄色いふっくらとした盛り上がりに、きつね色に焼き目の付いたハムが張り付いている。
「こんなもんかな……お次は、ジャガイモたっぷりオムレツにこんがりハムを添えて、だ」
片腹痛いネーミングをしてはいるが、要はスペイン風オムレツだ。
玉ねぎとジャガイモをたっぷりのオリーブオイルでじっくりと炒めて、卵でとじる。焼き色がついたあたりで一度皿に出して、空いたフライパンに生ハムのスライスを敷き詰める。その上に焼けていない面を下にして、卵に再度焼きを入れる。コツは、ずっと弱火だ。
じっくりと火が通った玉ねぎとジャガイモがホクホクでとても美味い。
この世界、ケチャップが手軽に手に入らないので、下味をガッツリ付けている。多めの塩胡椒に隠し味のクミンとコリアンダー。クミンは風味が強いので入れすぎは禁物だ。
酸味が足らない気がするので、ハードタイプのチーズをすりおろしたものも用意した。
このチーズ、ルフリン産であり、ここの名物となっているものだ。
驚いたことにダンジョンで熟成を行っているという。行ったことはないが、地下一層の大部屋が確保されているのだそうだ。人が近くにいるかぎり魔物は湧かないしアイテムや死体が消えることもない、という特性を逆手に取った低温貯蔵庫だ。常に一定の温度で湿度も一定、風が吹くこともない。熟成庫としては理想的だ。チーズの熟成を促すために湿度を高めに維持するのが大変だとは言っていたが、水の豊富なルフリンなら大したコストはかからないだろう。
芳ばしい香りをまとったボリュームのある料理の出現に、「ヒャッハー!」と雄叫びをあげんばかりに兄妹が襲い掛かる。
「うんまぁ!」
「………………」
ディアーネは雄叫びを上げ、ダニエルは無言ではふはふ。どちらも口角を上げ、幸せそうに顔をほころばせていた。
釣られて俺も笑みがこぼれる。
やはり、自分が作ったもので笑顔になってくれるのは嬉しい。
そうして、あっという間にオムレツが消えた。
そこそこ大きめに作ったのだが、大喰らいの兄妹にかかれば瞬殺であった。
「……食うのが早ぇよ」
「だって……」
「美味しいからね。しょうがないね」
うむうむとワイングラス片手に兄妹が頷く。
「しばらく飲んでてくれ」
俺はそう言いながら、茹で上がったパスタを大きめのスキレットに放り込む。
オリーブオイルを一かけして、混ぜ混ぜ。その上に、生ハムのスライスを乗せていく。
「ミーシャ、仕上げを頼む」
「はい!」
ミーシャの手から、青い炎が吹き出て生ハムを火炙りの刑に処す。
俺はバーナー魔法と呼んでいる。そもそも、ミーシャはこの手の魔法を使ったことはないそうだ。理屈は簡単なので、炎の噴き出す強さと送り込む空気の量を意識するだけですぐに再現できた。ミーシャの才能もあるのだろうが、やっぱ魔法ってなんでもアリだなあと実感する。そもそも、何が燃えてるんだろうか。
理屈はともかく、道具なしでいつでもどこでも火起こしできるのは、凄まじく便利だとは思う。
カリッと炙られたハムの上に、バジルとほんの少しだけ炭の粉を振る。微かな苦みとこくが味の深みを増してくれるので、俺は好んで使っている。バーナー魔法で炙るとガス臭がなくて、とてもクリーンな仕上がりになるのだが、そこが逆に物足りないとも感じたからだ。
「最後は、生ハムこんがりペペロンチーノだ。いまさらだけど、辛いのは平気だよな?」
山と盛られたパスタをスキレットごと二人の間に置くと、兄妹は揃って首を上下に振った。
生ハムとオリーブオイルだらけだが、そこはまあ男の作る簡単料理なので勘弁してほしい。
とりあえず、約束の「生ハムをご馳走してやる」は果たしたと思う。
「……アンタたちは食べなくて平気なの?」
パスタをかっこんだディアーネがワインで一息ついて言った。
「食べてまふよう」
カウンターの裏で、パスタをもっふもっふ食っているミーシャが返事をした。低い丸椅子に座ってるから、外側からは見えないだろう。
ちなみに、マスターも同じモノを食っている。後で今日作った料理のレシピを教える、というのも貸し切りの条件の一つだったりする。
アルバは塩抜きした生ハム原木の骨をガジガジやっている。とても満足そうだ。
「俺らの分はちゃんと取り分けてあるから大丈夫だ」
「そう……えっと、とても美味しかった。ありがとう」
「どういたしまして。てか、言ってるセリフと表情が合ってないんだが……?」
ディアーネの顔は、悔しさに歯噛みしているようにしか見えない。
「ジンが美味しい料理を作っちゃったからね、しょうがないね」
「何がどうしょうがないんだよ……」
解せぬ。
「さて、とても素晴らしい御馳走をありがとう。お礼というわけではないけど、はいこれ」
と言って、ダニエルがカウンターの上に小さな麻袋を二つ置いた。
置いたときに、ジャリっという音が鳴ったので、中身は金だろう。
「……何の金だ? 今日のお代ってわけでもなさそうだし」
悪そうな笑みを浮かべるダニエル。
「僕たちの努力の結晶さ。形のあるモノじゃないけど、高く売れたよ」
随分と遠回しな言いようだが、すぐにピンときた。
「三層ボスの攻略情報か」
「そう。冒険者ギルドが高値で買ってくれてね」
「売りつけた、の間違いじゃ?」
「そうとも言うかな」
と言って、悪びれた様子もなくフフッと笑った。
元が美人さんだけに、思わず見とれてしまった。なんか悔しい。
「袋が二つということは、四等分にしてくれたんだな?」
「そうだよ。共に苦難を乗り越えたんだから、当然だよ」
「感謝する」
俺はダニエルに頭を下げ、小袋を一つミーシャに手渡す。
「ミーシャ、分け前だぞ」
「え……?」
ミーシャはキョトンとした顔で首を傾げた。
「あの、わたし、奴隷身分ですけど……」
「そんなの関係ない。ダニエルも言ってただろ。仲間なんだよ」
本来なら、俺の財産であるミーシャは報酬の分配を受け取ることはできない。俺の装備扱いなのだから。通常なら、上がりを山分けするにしても三等分だ。
ミーシャは困惑の表情を浮かべた。
「でも……」
「受け取り拒否は許さないぞ?」
ミーシャのことだから遠慮するに決まっていると思ったので、言葉を遮って少し強めに命令調で言う。〈隷属の呪い〉のおかげだろう、それ以上ミーシャは断るような素振りは見せなかった。
「あの……ありがとう、ございます! そのお気持ちが、とても、嬉しいです」
はにかんだ笑みを浮かべたミーシャの目には涙が浮かんでいた。
「その金はミーシャのものだからな。後で俺に渡そうとしても、受け取らないからな?」
「……ぇ」
ミーシャは少しばかり驚いた顔をする。
機先を制しておいてよかった。宿に帰ったら、俺に渡すつもりだったのだろう。
「だからといって、酒は飲みすぎるなよ?」
「飲みませんよぅ……ちょっとしか……」
飲む気だったようだ。
恥ずかしそうに俯いた顔が、ほんのりと赤くなっていた。
「あ、本当に今更だけども……」
とダニエルが何かを思い出したように言った。
「乾杯の一つもしていなかったね」
「そういやそうだ。このパーティは食い気が強すぎるな」
「アンタがいきなり美味しい料理をだしたからでしょ」
言われてみれば、そうかもしれないと思った。
料理を作ることに意識を取られすぎていたな、と少々反省。
「んじゃ、遅ればせながら……三層突破、お疲れー! うぇーい!」
ミーシャと俺はビール、兄妹はワインの入ったグラスを掲げた。
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