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赤い瞳

 氷の彫像と化してピクリとも動かなかったボスが、プルプルと震えていた。

 ピシッと鳴ったと思った瞬間、ボスがまとっていた氷が一気に弾け飛んだ。そして、体中から盛大に血を吹き出した。

 凍ってるから血が出なかっただけで、体中ボッコボコだし鰭なんか全部とれちゃってるし。


 ギョギョーッ!!


 そりゃそうだよな。魚も驚くってもんだ。

 それにしてもタフなボスだ。

 あれだけ血を吹き出してるのにまだ暴れている。

 だが、第二形態になってすぐの時ほどの激しさはもうない。動きも緩慢になってきたし、再生ペースも落ちている。根本からなくなっていたはずの鰭も、じわじわと再生しており二割ほどの長さまで再生していたが、そこからはあまり伸びていない。


 一気にかたをつけるために加勢したいところだが、まだ〈瞬脚〉を使えるほどには回復していない。ただ、ポーションの不味さのかいあって、膝の痛みは一気に引いていった。どんな怪我でもすぐに治してしてしまう人狼の再生能力だが、ポーションや魔法のサポートがあればさらに加速するようだ。

 もう少しだ、もう少し。

 というか、このまま勝てそうなんだが……。


 ボスがついに動きを止めた。

 ぐったりと頭を床につけ、鰭が脱力してだらりと垂れた。

 まるで、疲れ果ててその場に寝そべっているかのような姿だ。


「やった、のか……?」


 ダニエルがポツリと呟いた。

 だが、離れた場所から全体を見ていた俺は気づいた。


「違う! 電撃が来るぞ、避けろ!!」


 電撃の前兆。

 鰭と顎を床につけ、そして、尻尾が上に向いていた。

 脱力して抵抗しなくなったのは、油断を誘う擬態だったのだ。

 皆は慌てて回避行動を取る。


 バチンッ!


 ボスが発光して紫電がリング上を這いまわった。

 ダニエルとディアーネは高く跳躍し、ミーシャは足元から岩壁を出してその慣性でちょっとジャンプしていた。とろくさいミーシャにしては上出来だろう。俺はそもそも遠く離れているのでたいしたことはない。座り込んでいるせいで、接地面積が大きいのでピリッときたが痛みを感じるほどではなかった。


 全員が無事に電撃をやり過ごし、反撃を行おうとして――。


 何故、ボスは姿勢をまったく変えていない?


「待てっ! もう一回、電撃が――」


 バチン!


 俺の言葉よりも早く、ボスが電撃を放った。

 一回目の電撃よりもかなり弱いものだったが、反撃の体勢に入っていた皆は回避する余裕がなかった。

 全員がモロに電撃を受けて硬直した。

 この局面で、二連続の電撃とか魚のくせに狡猾すぎる。

 ただ、ダニエルとディアーネの復活は早かった。すぐさまバックステップをして、ボスから距離を取った。あの黒い姿だと、耐性が高いのかもしれない。

 ミーシャは――駄目だ。

 尻餅をついて、プルプルしていた。

 そして、ボスはミーシャをターゲットに選んだ。


「あばばばばば……」


 痺れてるんだか、悲鳴なんだか分からない声を上げて、ミーシャがじたばたしていた。逃げようとしているんだろう。たぶん。

 こりゃ膝が痛いとか年寄り臭いこと言ってられないな。


「〈瞬脚〉っ!」


 幸いにしてミーシャは後衛だ。ボスからは若干遠いし、俺からは近い。

 一瞬でミーシャの前に到達した俺は、突っ込んでくるボスを迎え撃つ。

 膝が悲鳴を上げて床をペロペロする前に、スキルをぶっ放す。


「〈空震〉!!」


 地下二層の巨大スケルトンから奪ったスキルだ。

 ボスの顎をかち上げるように、下から戦斧を振り抜く。タイミングは完璧だ。


 ズドンッ!!


 見えざるハンマーで強烈なアッパーを食らったボスは、跳ね返るように頭を打ち上げられた。そのまま尻尾で直立するように体を垂直に持ち上げ、ゆっくりと背中からリングにダウンした。

 あれほどの衝撃波をぶっ放しておきながら、俺には一切の反動も余波もなかった。やっぱスキルってデタラメな能力だよなあ。

 とはいえ、膝が回復しきる前に〈瞬脚〉からの〈空震〉なんか使っちゃったから、俺も背中からぶっ倒れましたけども。

 ダブルノックダウンってやつかな。ちょっとテンカウントでは立ち上がれそうにないが。


 背中からリングに叩きつけられたボスは、陸に打ち上げられた魚のようにビチビチと跳ねていた。実際は、ズダンズダダンという轟音なのだが。

 まんま魚だよなあ。ていうか、そうだ魚だよこいつ。

 定期的に水に戻っている以上、肺呼吸でないのは明らかだ。なのに、陸上でそこそこ動けているのは、酸素を含んだ水をどこかに貯めているからだ。地球でも、そういう魚がいたはずだ。トビハゼとかムツゴロウとか、たしかあいつらは――。


「ダニエル、(えら)を凍らせるんだ!」

『えら……とは……?』


 案外、こういう知識って知らない人多いんだよな。

 そもそも、情報が溢れてる現代日本とは違うもんな。しかも、この国って海無し国家だし、鮮魚なんかほとんど見ない。地底湖の魚は貴重品らしく、お高い店に吸われて市場には出てこない。


「顔の横に大きくスリットが開いてるだろ。魚はそこに水を通して呼吸するんだよ。種類によっちゃ、そこに水を溜めて陸上で活動できる魚もいるんだ!」

『なるほど、了解だよ!』


 黒い髪のダニエルは素早くボスに肉薄した。ボスは鰭が再生しきってないせいでうまく体を起こせないようで、ウゴウゴのたうっていた。

 ダニエルの手から白い霧が噴き出し、ボスの鰓を氷漬けにしていく。ボスは慌てたように体を起こしたが、執拗に白い霧を放ち続ける。

 ものの数秒でボスの動きが緩慢になり、攻撃すら放棄してリングの外を目指して動きだした。

 〈生命探知〉で見ると、生命の炎はほぼ消えかかっていた。


「ミーシャ、ボスが湖に戻れないように足止めしてくれ。ここが正念場だ! 勝てるぞ!!」

「は、はいっ!」


 慌てて立ち上がったミーシャがボスとの距離を詰める。どうやら電撃による痺れからは回復できたようだ。ただ、素早くないミーシャには危険な間合いだ。

 それでも、ボスを湖に逃がすわけにはいかない。


 ボスの真横に走り込んだミーシャが掌を床に付けて、


「硬き玄、鋭き銀、貪欲なる(あぎと)で喰らいつけ――『岩牙』!」


 途端、ミーシャの前方から、太くて鋭い岩の杭が床から斜めに何本も飛び出した。それも二列だ。角度の違う杭の列がボスの脇腹に喰らいついた。まさに顎といった感じだ。

 初めて見る魔法だった。遠距離から撃っていた石の槍よりもかなり太く、数も多い。手を床につけていたので、近距離攻撃魔法なのだろう。威力は強烈だが、手を地面に付けなければいけないし射程が短いので、使いどころが難しい魔法だと思う。ミーシャは素早さに問題があるしな……。


 ギョボボオーッ!


 ボスは這いずるようにリングの外に出ようとしていたが、腹を岩の顎に食いつかれて動きを止めた。


「いいかげん、くたばれっ!」


 目を赤く輝かせ、艶やかな黒髪をたなびかせて、止めとばかりにディアーネが上空から蹴りを頭に打ち込んだ。

 鋼鉄のグリーブがボスの頭蓋にめり込み、ミシリという音が鳴る。

 ボスはビクンと体を揺らして、くたりと尻尾を垂らした。


 ――やったか!?


 声に出して言わない。言ってはならない呪いの言葉だからだ。


 その場の全員が、動きを止めた。

 息すらしていないのではないかと思えるほどの静寂。

 ボスはピクリとも動かない。

 その目は、死んだ魚のような……ていうか、死んでるわこれ。

 〈生命探知〉で確認してみたが、生命の炎はマッチの火ほども見えなかった。


「……勝ったぞ」


 ダニエルとディアーネが、ミーシャが、その場にへたり込む。言葉を忘れたように、息を吸って、吐いた。

 俺は逆に膝が治ってきたので立ち上がる。

 さすがに〈瞬脚〉は使えそうにないが、歩くぐらいなら問題ないレベルには回復できた。やっぱ、自動再生ってチートだよなあ。

 てか、最後の最後にベンチを暖めててスミマセン……。


「ミーシャ、頑張ったな」


 水に濡れた床に座りこんでいたミーシャを腕で抱え上げて、


「〈水砲〉!」


 リングの外に向けて、水玉を放つ。


「え……? どうして、って、ええええ!?」


 俺の腕の中で、自分の体をペタペタ触るミーシャが驚愕の表情を浮かべている。


「服が乾いたろ?」

「は、はい……もしかして、さっきのスキルって、水を集める性質があるんですか?」

「あれだけで分かるのか、大正解だ」

「やっぱり! いいですね、脱水スキル。お洗濯のときに手伝ってください!」

「そっちかぁ……」


 ミーシャは変な方向にスキルの使い道を見出したようだ。

 攻撃スキルだと思うんですけども。だって、砲ですよ、砲。武器じゃないですか。


「んしょ、んしょ……」


 服が乾いたので降ろそうとしたのだが、ミーシャは俺の体をよじよじと登っていき右の肩に腰を下ろした。ナポサ村に行ってから、その場所が定位置になったようだ。

 てか、ほぼ腕の力だけで登ったな、この子。

 小柄でぽやんとした女の子なんだが、片手懸垂ができるんだよなあ。訓練をつけてもらっている日に、ディアーネと一緒になって嬉々としてやっていたものだ。その様を見た男性冒険者諸君が愕然としていた。その後、ルフリンの冒険者界隈で筋トレが流行ったらしい。


 仕方がないので、ミーシャを肩に載せたままディアーネの元へと歩く。

 彼女も疲れ果てた様子で、ペタンと座り込んでいた。


「ディアーネ、お疲れ。お前も脱水するか?」


 俺が声をかけると、朦朧とした表情のディアーネが顔を上げた。

 漆黒の髪に、赤く爛々と輝く瞳。

 普段の色合いとほぼ真逆の姿に、ちょっとドキリとした。


 ――この子は、誰なんだ?


 一瞬だが、目の前に居る女の子が、よく知るディアーネなのか不安になった。

 それぐらい様子が違っていた。

 涙に濡れたように妖しく光る赤い瞳。同じように赤く染まった頬。いつもは色の薄い唇も紅をさしたように赤い。

 せわしなく口で息をして、肺腑から溢れ出る吐息は熱を帯びていた。


「おい、大丈夫か……?」


 俺が手を伸ばすと、ディアーネが両手で掴んできた。

 その手は小刻みに震え、まるで何かに耐えているかのような――。


「もう、無理……我慢できない……」


 ディアーネがそう呟き――


 ガブッ。


 俺の掌に噛み付いた。

 膝がまだ完治していないので、俺は転狼したままだ。全身は黒の剛毛で覆われているのだが、掌だけは例外だ。

 掌に二つの小さな穴が穿たれる。


 チウチウ。


 そして、血を吸われた。


お読みいただき、ありがとうございます。

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