地下三層のボス
『準備完了したよ。階層主をご招待してくれ』
脳内にダニエルの声が聞こえてくる。
俺は止めていたオールを漕ぎはじめ、
「了解……ディアーネ、ボスを見つけたら教えてくれ」
「はーい」
今、船に乗っているのは俺とディアーネだけだ。
ディアーネは船主に立ち、水面を凝視している。
ゆっくりと進みながら青緑に輝く湖底を見ていると、不意にその光が遮られた。
ボートの真下を通り過ぎた巨大な影が、のろのろと向きを変え、再びこちらに向かってきたのだ。
言うまでもなく、ボスだろう。
水面に姿を現さずとも分かる。下から照らされる光のおかげで、大きさが丸分かりだ。
「でけえ……10メートル近いか?」
「来たわね」
そいつは水面に近づき、ひょっこりと顔を出した。
その顔はナマズに見える。扁平な口と長い髭が四本。
つぶらな瞳が、俺たちをじっと見つめてくる。
縄張りに入ってきたのがゴミなのか、餌なのか、それとも敵か。
一瞬だけ〈生命探知〉でボスを見ると、それはもう盛大に燃え盛っていた。今まで見た生物で最大だ。
「おら、来いよ、かかって来いよ!」
俺はボートに積んであった石ころを掴んで、おもいっきり投げつける。
投擲術ランク2と俺の馬鹿力が加わった石ころは、オーク程度なら頭をパーンできる威力がある。
石ころは唸りをあげて飛んでいき、巨大ナマズの鼻っ柱に命中――する直前に、髭の先端から発生した水玉に迎撃された。俺の投げた石ころよりも速く、的確に命中させてきた。水玉を正面から受けた石ころは、弾き返されて俺の頭上を超えていった。
これで、俺たちは確実に敵認定を受けたはずだ。
「それ、逃げろ~!」
ディアーネの声に、俺はアクセル全開でオールを漕ぎ始める。
巨大ナマズは、ゆっくりと水中に没して船を追いかけてきた。
ダニエルの言った通りだった。
水玉に迎撃されるので、飛び道具があまり役に立たないこと。
ここのボスはスロースターターで、最初はのらりくらりとしているが、ダメージを蓄積していくと大暴れをはじめて手が付けられなくなること。
そして、ダンジョンボスの例に漏れず、決して逃げない。
俺が必死にオールをぶん回しているものの、巨大な魚から見れば大した速度ではないのだろう。余裕でついてきていた。
ときおり水面から顔を出して、漕ぎ手である俺を狙って水玉を放ってくるが、それらはすべてディアーネの鉄拳によって迎撃されていた。
ディアーネのガントレットは、前腕から指先までを鋼鉄でがっちりと覆うものだ。拳を握り込むと、ナックル部分の甲が前にせり出すようになっている。まさに、撲殺するための武器と言える。
石を弾き飛ばせるとはいえ、所詮は水だ。タイミングよく繰り出されるディアーネの拳で飛沫に粉砕されていた。もっとも、水を叩いたとは思えぬ破裂音が響いているので衝撃はかなりのものだろう。
それでもディアーネは慌てた様子はなく、まだ余裕を見せている。
追ってくるボスも同じことで、まるで遊んでいるかのように水玉を放ってくる。その気になれば、真下から船を突き上げてバラバラにできるはずなのだが、そんなそぶりすら見せない。
慢心なのか、神さまのゲーム的な味付けなのか、いずれにせよこちらにとっては策を弄する時間が稼げるというものだ。
「見えたよ。ちょっと右かな」
「あいあいさー」
左のオールを少しだけ角度を緩める。
船の進行方向、魔法陣のある中間地点にほど近い湖面上に魔灯の灯りが見えた。そこには湖底と天井を繋ぐ鍾乳石の柱が何本も水面から突き出ていた。
そちらに向かってしばらく進むと、柱と柱の間に水とは違う質感の水面が見えてきた。それは氷のような光沢を放ちつつも、岩のような黒さも併せ持ったものだった。
俺はその妙な色の水面に船を全速力で突っ込む。
ジャリッと船底から音が鳴って、水面下から緩やかなスロープを描いていた硬い水面に乗り上げた
「お待たせー!」
俺は船から飛び降り、同じように飛び降りたディアーネと一緒になって、舳先を掴んで走る。
この硬い水面は、ダニエルとミーシャによる合作だ。
ミーシャの土魔法で、湖面に突き出た鍾乳石の柱の間を繋ぐように格子状に床を形成。格子の間の水をダニエルが凍結させたものだ。高さは海抜3センチぐらい。岩と氷で作った水上特設リングといったところか。
言うまでもなく、リングにご招待するのはボスだ。挑戦者は俺たち。
今までは同じ場所にダニエルが氷の床を張っていたらしいが、ボスが暴れ始めると氷が割れてしまい、修復もままならず撤退をするはめになっていたという。だが、今回はミーシャの土魔法による補強入りだ。かなりの強度があるはずだ。
土魔法は攻撃にも防御にも使える便利な魔法だが、一つ致命的な制限がある。
それは「土がないところでは発動しない」というものだ。空中や水中では使えない。近くにある土ないしは岩を借りてきて、使役しているとも言える。
今回は水底から天井まで繋がっている鍾乳石の柱を素材として、リングを設営したのだ。
俺とディアーネの怪力コンビで船をガリガリと引きずって、リングの奥へと運ぶ。
入れ替わるようにダニエルが前に出て、水面から顔を出したボスに向けて氷魔法をぶっ放した。
「さあ、今日こそ、その首を置いていってもらうよ!」
ダニエルの手から放たれた太く長い氷の槍がボスに飛んでいく。
ボスは髭の先端から水玉を発射、迎撃を行った。
氷の槍に水玉が命中し、穂先が折れて斜め上方に飛んでいった。
だが、折れ飛んだのは前半分だけで、後ろ半分はそのまま直進してボスの鼻先に突き刺さった。
ギョオオオォォォッ!
魚らしい叫びを上げて、ボスが頭を振り乱す。
一本の槍に見えたが、二本連続で放っていたようだ。水玉の迎撃を織り込んだしたたかな攻撃だ。
「やはり、階層主は経験の蓄積がないね」
引きずった船をリングの逆側の湖面に浮かべ終えたた俺は、ダニエルの横に並ぶ。
「こっちの戦法を覚えてないのか」
「そうだね。毎回、最初にこの攻撃は通るんだ。でも、次からは迎撃が二段構えになるよ」
「そのぶん、こっちに飛んでくる水が減るな」
「うん。しかも今回は、遠距離攻撃ができる人がもう一人いる。いけるんじゃないかな?」
「いけるいける。ナマズなんざ、三枚におろしてやる。俺に任せとけ」
根拠はまったくない。が、最初から敗北なんか意識しない。全力で勝ちにいく。
ダニエルの肩をポンと叩いて、さらに前に出る。
ボスは怒り心頭といった顔で、リングに上がってきた。
巨大な魚だ。全長は10メートルほどか。顔や体はナマズだが、体の左右から大きな鰭が生えていた。その数は四つ。鰭の形はウミガメによく似ており、器用に動かしてのしのしと床の上を歩いてくる。意外と地上でもそれなりに活動できそうだ。
鼻先に刺さっていた氷の槍はすでに抜けていた。血が止まっている上に、傷もほぼ塞がっている。
聞いてはいたが、マジで反則だよなあ。
ボスで自動再生とか、ゲームだったら「火力の足切りがひどい!」と運営に苦情が出るレベルだろう。ダニエルたちが二人で討伐できなかった最も大きな原因だ。
「ほんとに再生持ちなんだな。長丁場になりそうだ」
「実際、討伐に成功したパーティも休みなく攻撃を続けて、失血死させたらしいからね」
「傷は塞がっても、流れた血は戻らないか……」
そのへんは、俺と同じなんだな。
とか思っていると、ボスが髭をこちらに向けた。一秒と経たず髭の先端に水が集まり、テニスボールぐらいの大きさになったと思った瞬間、飛んできた。
かなりの速度だ。貫通力はないだろうが、直撃したら俺ですら転倒しそうだ。
とはいえクロスボウのボルトよりは遅い。技の出も分かりやすいし、避けるのはそう難しくはない。
「んじゃ、ナマズの活造りといこうか!」
俺は水玉を避け、ボスに肉薄する。
さらに水玉が飛んできたが、するりと避ける。
そのまま突っ込んで鼻っ柱に戦斧を叩きこもうとしたとろこで、ボスが大きく口を開いた。そして、俺をマルカジリにしようと、巨大な口を開け突進してきたのだ。
「……おっと」
咄嗟に横っ飛びで回避。
ボスの口の中には、ノコギリのように三角に尖った歯が二列も並んでいた。
あんなのにマルカジリされたら、再生もへったくれもない。即ミンチだ。
回避した俺に向かって水玉が飛んできたので避けると、避けた先で巨大な尻尾にお出迎えされた。避ける方向を誘導されたのだと気づいたが、後の祭りだ。
「ぐほっ!!」
巨大な尻尾にビターンされた俺は派手に吹っ飛んで、池ポチャしてしまった。
「ご主人様!」
「ジン!!」
むしろ派手に吹っ飛んで池ポチャしたおかげか、ダメージはほぼない。死ぬほど痛いだけだ。
ライフジャケットのおかげで沈むこともなく、すぐに水面上に顔が出た。
「逃げてっ!」
ディアーネの叫びが聞こえた。
そっちに視線を向けると、ディアーネの顔ではなく、大口を開けたボスの顔が見えた。ボスが俺に向かってダイブしてきたのだ。
「のわあああ!」
慌てて犬かきで逃げる。
ぎりぎりマルカジリされることは回避できたが、巨大な頭に弾かれ、さらに盛大な波でもみくちゃにされて特設リングの端に頭をぶつけてしまった。
「痛えぇ……」
狼ヘッドのおかげで出血は免れたようだ。
頭をぶつけたものの、幸いにしてすぐにリングに戻ることができた。あのまま水の中にいたらヤバかった。水中で巨大な魚と戦うとか無理だから。
「ジン、階層主は水に落ちた人間を優先的に狙うんだ。気を付けてくれ」
ダニエルが俺を引っ張り上げながらそう言った。
「みたいだな……」
俺がリングに上がるとほぼ同時に、ボスが水面から顔を出した
まるで食い損ねた獲物に舌打ちするかのように、俺をじっと見つめてきた。
ボスから距離を取るようにリングの反対側へと移動すると、俺たちを追ってボスは再びリングへと上がってきた。
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