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満月の夜

 荒涼とした大地に太陽が沈みつつあった。

 俺の眼前には、二週間ほど前この世界にやってきた時と同じような風景が広がっている。

 辺りに人の息吹を感じられるものはなく、唯一の人工物は規格品のコンクリートブロックで舗装された街道だけだ。


 日中はまだまだ温かいが、日が暮れると途端に寒くなる。日本と違って湿度が低いからだろう。

 俺は街道わきの木立の下で焚火に手をかざす。

 焚火というか、薪を立てて中心に火を付けたスウェディッシュトーチと呼ばれるものだ。ポイントは中央に空間をつくることと、適度に隙間を開けて組むことだ。こいつの利点は、小さな鍋ぐらいならそのまま上に載せられるところだ。雑なお一人キャンプの火力としては手軽でいい。ちなみに、薪はミーシャが切ったものだ。いつのまにか薪割りプロになっていた。


 オレンジ色の火に炙られた小鍋から、湯気が上がってきた。この小鍋、実はテンレス製だ。

 意外とこの世界、アウトドアグッズが発展している。

 俺が背負っている四角くて巨大な鞄は、ぶっちゃけ登山用のバックパックに近い。元々は領兵に支給されていた規格品が払い下げられたものらしい。分厚い麻布を革のベルトで補強した相当にしっかりとしたもので、軍用というだけあって実用性と頑丈さに全振りしたスタイルだ。背嚢(はいのう)と呼ぶほうがしっくりくる。

 あと、火打石(フリント)や寝袋は普通に売っているし、アルコールランプもある。もっと明るい光源が必要なら、カーバイドに水をたらすアセチレンランプすらある。飯盒や折り畳み式のロケットストーブなんてものまであるのだ。しかも素材はステンレス。この辺りを考案したのは召喚勇者らしく、その子孫が事業として継続しているそうだ。だと思ったよ……。

 アルコール度数五十を超えた蒸留酒も売られており、これ一本持っておけば晩酌にも燃料にも使える。飲むときはもちろんお湯割りだ。

 だが、今はまだ仕事があるので、飲みはしない。


 ステンレスの小鍋に入れていた水が温まってきたので、干し肉をナイフで削って入れていく。小鍋には既にキノコの干物を削ったものが入っている。ポルチーニ茸っぽい香りのいいキノコだ。干しキノコは水から戻したほうが味が良い。

 固形コンソメとかあるといいんだが、ルフリンの街には売っていなかった。ただ王都にある召喚勇者系列の店なら売っているそうだ。召喚勇者系列て……。

 煮立ってきたので、火から少し離して干飯(ほしい)を放り込む。

 普通に干飯が売っていて驚いた。米はジャポニカ種によく似た丸いものだ。産地が遠いらしく、日本ほどお安く手に入らないのが痛い。

 米がほぐれてきたところで、かっちかちの干しチーズをナイフで削り入れ、乾燥ネギをぱらぱらと振りかける。仕上げは砕いた黒胡椒だ。塩味はたぶん干し肉の塩で問題ないだろう。

 火から離して小鍋に蓋をしてしばらく蒸す。

 やっつけ雑炊の出来上がりだ。ていうか、おじやか。今度は生米からリゾットでも作ってみようかな。


 世界が黄昏色に染まる中、俺はおじやをすすりながら東の空に目を向ける。

 草原の向こうから、沈みゆく太陽を追いかけるように丸い月が顔を出しつつあった。

 この世界にも、地球と同じように月がある。数は一つだ。

 少しばかり大きい気もするが見慣れた景色だ。


「まだ、何も起こらないか……」


 しばし、東の空に昇ってくる月を眺める。

 俺が一人でここに座り込んでいるのは、夜盗の討伐依頼を受けたからだ。

 つい先日、とある隊商が襲撃を受けた。ルフリンの街からそこそこ離れたこんな辺鄙な場所でだ。

 ずいぶんと前から、野営している隊商を夜襲する盗賊団がいることは知られていた。

 だが、その夜盗はボイム一家がルフリン一帯で幅をきかせはじめると、とたんに現れなくなった。別の場所を襲撃するようになったのだ。

 そんな夜盗が戻ってきた。

 言うまでもなく、ボイム一家が討伐されたと知ったからだろう。

 奴らは夜にしか襲ってこない。

 頭目の名前は不明、数も不明。捕まった下手人もゼロ。とにかく徹底して慎重な盗賊なのだ。

 森の中にある隠し砦を根城にしているらしい――という噂ぐらいしかない。

 せめてもの救いがあるとすれば、襲撃頻度が低いことと、人死にを出さないことぐらいだ。

 もっとも、派手にやりすぎると、侯爵さまが私兵を動員して根こそぎやられかねないから、ギリギリのラインを攻めているともとれる。

 いずれにせよ、盗賊のくせに頭が回る厄介な手合いだ。


 奴らは夜になると街道を静かに近づいてきて、手っ取り早く積み荷を強奪。ルフリンの街から十分に離れたところで深淵の森に入る……というところまでは分かっている。

 ただ、それ以降の手がかりがなさすぎて、衛兵隊も警邏騎兵隊も途方にくれている状態だ。勝手の知らない深淵の森に入るのは危険だし、そもそも森の中で痕跡を見つけるのはかなり難しい。追っ手をまくために、夜盗の連中は痕跡を消しながら移動しているらしく、追跡は早々に手詰まりとなった。

 さすがに訓練を受けた警察犬などいるわけもなく、森に入っての捜索は断念されたのだ。


 だが、俺なら追える。

 普段から鼻が利くし、転狼すればさらに鼻が良くなる。

 なにより、奪われた積み荷の中には香辛料もあった。それも俺の良く知る黒胡椒。

 さらに、護衛が抵抗した際に、何人かに手傷を負わせたとも聞いた。人間、獣、魔物、すべて血のニオイが違う。俺の鼻が人間の血のニオイを間違えるはずもない。

 香辛料と人血のニオイ。どちらも強いニオイだ。

 ここは先日、件の夜盗に隊商が襲われた場所だ。血のニオイと黒胡椒の香りは感じている。問題なく追跡できるだろう。

 言うなれば、今回の仕事はボイム一家という抑止力を失った盗賊共に対する、俺なりのケジメだ。

 この仕事を受けた理由の一つでもある。


 もう一つの理由、それは――今日は満月の夜。

 この世界にやってきて、初めての満月だ。

 神さまから、「満月の夜は避けようのない呪いの発動がある」と言われていた。

 しかしながら、具体的に何がどうなるとは教えてくれなかった。自分で学習しろということなのだろう。

 満月と呪い。

 ある程度の予想はできる。

 さすがに、人が居るような場所で満月の夜を迎えたくはなかった。

 当然、ミーシャは宿においてきた。最後までぐずっていたが、今回だけは連れてくるわけにはいかなかった。


 俺の視線の先で、満月が丸い輪郭のすべてを夜空に晒した。

 突然だった。


「うおっ!」


 体中の血が沸騰した。

 俺の意志とは無関係に筋肉が盛り上がり、黒い体毛が体表を覆っていく。

 世紀末救世主のように、服が弾け飛んだ。

 どうしようもない破壊衝動と飢えが押し寄せてくる。


 ――喰いたい。肉を。すすりたい。血を。


 体内に充満した渇望が、腹からせり出し口から溢れる。


「アオオオオォォォーンッ!」


 満月の空に狼の遠吠えが轟く。

 理性が雄叫びと共に吹き飛んでいった。

 俺は本能の赴くまま、獲物のニオイを辿って街道を駆け出した。



    ○



 香辛料と血のニオイを追って、深淵の森に入って数時間。

 細々とした欺瞞工作のせいで、無駄に時間を使わされてしまった。

 盗賊風情のくせに、実に徹底した隠滅処理をしていた。

 ついた足跡の上を後退して、横の藪に飛びこむ「止め足」。小川に入って足跡を消し、上がった場所が分からないよう岩を登る、等々。熊かな。

 ただ、黒胡椒を奪ったのが運のつきだ。

 何度か足跡と血のニオイをロストしつつも、かすかに漂う香りのおかげで人のニオイが集まる場所に辿り着けた。

 狼の血は獲物のニオイを嗅ぎつけて、さらに沸き立った。


 木立の中に、灰色の石壁が見えてきた。

 半ば森と同化したように見える石壁は、ずいぶんと古い物に見える。

 ルフリンの城壁のように切り揃えられた石材ではなく、不揃いな石を積み上げて作ったものだったからだ。

 ただ、規模は大きなものではない。せいぜい、砦といったレベルのものだ。

 かつての前線基地であった砦がうち捨てられた末に、深淵の森に飲み込まれてしまったのだろう。

 この辺りは、ルフリンよりも北にある。言うなれば、王都に近い場所だ。

 城郭都市ルフリンは深淵の森を切り開く橋頭堡ではあるが、その影響範囲は限定的だ。ルフリンから東西に離れるほど、深淵の森が食い込んできている。

 本来ならこの辺りを治める領主の責任なのだが、手が回らないのだろう。そうでなければ、盗賊共の根城になどならないはずだ。

 もっとも、深淵の森とはいえルフリンほどマナの匂いは濃くない。魔物はほとんど出ないだろう。


 頭の中で冷静に目の前の状況を把握しながらも、体は勝手に動いている。

 勝手に、というのは語弊があるか。

 突っ走っている状態はよくないな、と思いつつも違和感は感じていない。

 やりたいと思うことを、思うままにやっている。衝動に身を任せるというのは、気持ちのいいものだ。


 朽ち果てた砦の手前で〈生命探知〉を発動。

 外に四人、建物の中に四人を感じとれた。最低で八人はいるということか。もっと奥にいる奴らは察知できないから、十人は居ると覚悟しておいたほうがよさそうだ。

 そう頭で考えながらも、見つけた獲物に最短で迫る。


 半分崩壊した石壁の上に一息で飛び上がり、獲物が気づく前に首筋にかぶりつく。

 芳醇な血の味が脳髄を痺れさせる。

 気づかれることなく外にいた三人を血の海に沈めたところで、四人目が気づいた。

 一瞬目を見張った後に、首から吊っていた笛のようなものを吹こうとした。

 〈瞬脚〉で迫り、爪を振るう。

 首が胴体から離れて笛は吹けなくなった。


 次いで、朽ちた石積みの壁に手作りの屋根を無理やり乗せたような家屋に迫る。

 中に四人いることは分かっている。

 先ほどから〈生命探知〉をかけ続けてはいるが、特に気づかれた様子はない。

 視界に映る生命の炎は、冒険者ギルドで見慣れたドングリよりも小さい。

 慎重を期すなら、小さな物音でも立てて、様子を見に来た奴を一人ずつ始末していくのがいいだろう。

 だが、俺は正面から乗り込む。


 ――だって、面倒くさいんだもん。


 わずかに残った冷静な思考が「ちょっとマズいな」と思った。

 そもそも、満月が出てからこっち、自分の意志では狼状態を解除できないのだ。

 神さまが「かなりきつい呪い」と言っていたが、本当の意味をようやく理解できた。

 破壊衝動が激しくなり、アホの子になり、自分の意志ではどうにもできない変身をしてしまう……並べてみるとかなりヤバイ呪いだな、おい。


 しかしまあ、安全策をとって街を出ておいて良かった。

 無策で街にいたら、今ごろ「人狼だ! 出会え出会え!」とエディオスをはじめとした顔なじみの衛兵たちに囲まれていただろう。たぶん、ダニエルやディアーネたちも俺に刃を向けることになる。

 それは、とても悲しいことだと思う。


 頭の中ではそんなことを考えながらも、体は欲望のままに獲物がいる建物へと向かう。

 ごく自然に建付けの悪い扉を開けた。


「おい、まだ交代には早ぇぞ」

「寒いぞ、早く閉めろ」


 こちらに顔すら向けない男たちが、暖炉の前のテーブルでカードゲームに興じていた。

 ちょうど扉に向いて座っていた一人が俺に視線を上げる。

 俺と目が合った。


「は……?」


 怪訝な顔をしたままの首が飛び、テーブルの上に落ちた。

 四つの首がテーブル上に並んだところで、


「じ、人狼だー!」


 地下に続く階段がこの部屋の奥にあった。

 そこから顔を出した男が叫んだのだ。

 すぐさまそいつは黙らせたが、響いた声をなかったことにはできない。


 俺は一気に階段を駆け降りる。

 奴らに態勢を整えさせる時間を与えない。

 人のニオイ、黒胡椒の匂いが地下から立ち昇ってくる。

 この先の地下が奴らの本丸なのだ。


 階段を降り切ったところで、板金鎧に身を固めた騎士とかちあった。

 反射的に爪を振るおうとしたが、すぐに気づいた。

 飾られているだけの鎧だった。


 そのせいで、反応が遅れた。

 斜め後方から、弦を弾く音が複数鳴った。

 弓の音にしては高く、硬い音だ。

 振り向きざま、矢を叩き落とそうとしたが、できなかった。

 ご丁寧に矢が黒く塗られており、しかも短かったのだ。


 弓じゃない。クロスボウだ。

 飛んできた三本のうち、一本はギリギリ避けることができた。甲高い音を鳴らして、飾られた板金鎧をボルトが貫通した。

 だが、避けそこなった二本のボルトが俺の胸と腹に刺さった。


「ぐおおおおお!」


 めちゃくちゃ痛い。

 生まれてこのかた、クロスボウに撃たれたことなどなかっただけに、知らない痛みに文字通り悲鳴を上げた。

 慌ててボルトを引っこ抜く。

 鏃に返しがついていないのが幸いした。そもそも、鏃に返しがついているのは狩猟用の矢ぐらいだ。


「やったか!?」


 通路の向こうからそんな声が聞こえてきた。


「やってない」


 〈瞬脚〉で一気に距離を詰め、飾られた板金鎧の方を見ていた三人の首を飛ばす。

 痛みに怒りを誘発された俺は、さらにその三人の体を三枚におろしてしまった。傷を受けたことで、破壊衝動がますます強くなっている。

 さすがにこれはマズいか、と心が慌てはじめたが衝動に駆られた体は前へ前へと進む。

 ボルトに穿たれた傷はもうほとんど塞がっている。板金鎧を貫通するほどの威力を受けながらも、ボルトは三分の一ほどしか刺さっていなかった。黒い剛毛と〈強靭外皮〉のランクが上がったおかげだろう。


 突き当りの扉を蹴破る。

 と同時に、鋭い斬撃が真正面から迫ってきた。



お読みいただき、ありがとうございます。

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