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骨折り姫

 俺は宿の部屋に新しく買いそろえた物を放り込み、階段を下りる。

 明日は、新しい依頼を受けたので少しばかり遠出だ。

 少なくとも二日に渡ることは明白なので、燃料を補給するために夜の街に繰り出すことにした。


「ジンくん、お出かけ?」

「はい、ちょっと飲んできます」

「気を付けてね……なんてジンくんに言ってもしょうがないわね。手加減はしてあげてね」

「ええ、エディオスの世話にならないように気を付けます。ミーシャは、何やってます?」

「お風呂に入ってますよ」


 俺は頷きを返し、上品な老婦人に見送られて宿を出る。

 エディオスお勧めの「安くはないが、良い宿」と言われて転がりこんだ宿だ。

 一言で言うなら、「当たり」だった。

 エディオスの紹介があったとはいえ、みすぼらしい服装に両手斧を担いで現れた俺を何の詮索もせずに泊めてくれただけでも感謝しかない。

 

 老夫婦が経営するこぢんまりとした宿だが、建物は古い割にしっかりしており、すきま風などそよとも吹かない。しかも、飯は老婦人が手間をかけて作った極上の品々が並び、清潔なシーツやカーテンは染み一つない。人通りの多い歓楽街からは離れており、下品な輩が寄り付かない静かな場所というのもポイントが高い。

 しかも、宿には風呂があった。

 風呂ですよ風呂。

 ルフリンはダンジョン水源のおかげで水が豊富であり、ちゃんとした宿ならほぼ間違いなく風呂があるのだという。

 共同風呂ではあるが、俺が大の字に広がれるほどの浴槽があり不満はまったくない。しかも、当たり前のようにラベンダーの香りがする石鹸と、リンス代わりのレモン水が置いてある。

 ぶっちゃけ、日本で住んでたマンションより快適だ。

 それはもう神さまに感謝した。


 無口な旦那さんと、おっとりとしていながらも言うべきことは言ってくれる夫人。

 静かで落ち着いた、どこか懐かしすら感じる空間だった。祖父母の家にやっかいになっているような気すらしている。祖父母なんて会ったこともないけどさ。

 今はそこにミーシャも加わって、アットホーム感が半端ない。


 奴隷であるミーシャを連れ帰った日、俺は旦那と老婦人にことの起こりから、すべてを話した。

 その上で、奴隷とはいえ男女が同じ部屋に泊まることを拒否されれば、出ていくつもりだった。エディオスから、女の奴隷と同伴の客はかなり嫌がられると聞かされていたからだ。理由は……まあ聞くまでもない。

 ミーシャの身の上を聞いた老婦人は涙を流しながら「ここを我が家と思ってくれていい」と受け入れてくれた。おまけとして、「お婆ちゃん」と呼ばせる条件がついたが。

 普段は口を開かない旦那さんが、「うちの小間使いとして雇えばいい」と提案してくれた。要するに、ミーシャを客として扱わないかわりに、従業員として宿に寝泊まりすることを許してくれたのだ。本来なら、この宿は奴隷同伴の客を泊めないのだろう。

 ミーシャは客室ではない小部屋を与えられた。嫁に行ってしまった老夫婦の娘さんが使っていた部屋だそうだ。


 こうして、ミーシャは俺が冒険に出ている間、老夫婦を手伝うことになった。

 特に料理。

 元王女さまだけに、包丁など持ったこともなかったようだが、そこはドワーフ。あっという間に基礎的なことを習熟してしまった。手先が器用とか作成系の作業に適性を持つというのは本当だったようだ。

 今では宿の料理はほとんどがミーシャの仕込みによるものだ。

 味付けや微妙な風味の統一などは、まだまだ老婦人に一日の長があるようで、ミーシャは何度も味見をしていた。

 「丸々」になってしまった原因は、味見であるとミーシャは言い張っている。

 だが、俺は知っている。午後のお茶の時間に出る、老婦人お手製お菓子をモリモリ食っていたことを。

 痩せていたときはシュッとした柴犬みたいな精悍さがあったのだが、今のミーシャは肥えたコーギーのようだ。まるで、樽に手足が生えた……。こんなことを考えていると、銀のナイフを手に持ったミーシャがニコニコしながら後ろに立っていたので、思考を無にしたのは言うまでもない。

 そんな俺の思考を読んだのか、さすがに自分でもマズイと思ったのか、ミーシャは間食を控え、率先して外の作業をやるようになった。

 薪割りとか、樽運びとか。

 いや、女の子なんだけどね……ドワーフだと軽々とやれてしまうようだった。



    ○



 俺は狭い通りに店がひしめく歓楽街を通り抜け、場末の酒場に入った。

 カウンター席しかない小さな酒場だが、ダニエルにお勧めされた店だ。金級冒険者お勧めの店だけあって、値段は張るが酒も料理も上質だ。

 ここには、この二週間ほど入り浸っている。

 ギルド併設の酒場は遅くまでやっていないので、夜に飲むとなるとここに来るしかないのだ。


 ここにはいつも一人で来ている。

 まだ17歳のミーシャを酒場に連れてくることに抵抗があるからだ。

 この国の成人は16歳と聞かされてはいるが、やはり見た目がどうしても気になってしまう。体つきはともかく、背が低すぎてなあ。

 もっとも、見た目でいうとダメっぽい子が、ここに入り浸ってはいるのだが……。


 ここがお気に入りになった最大の理由は、「ラガービール」があるからだ。

 まさか、異世界に来て何の苦労もなくビールを味わえるとは思っていなかっただけに、良い意味で裏切られた。

 なんでも、先々代のマスターが召喚勇者から製法を教わり、苦労して作り上げたものだそうだ。ビールが完成してからは、件の召喚勇者はここに毎日入り浸っていたという。

 その気持ちは良く分かる。俺もほぼ毎日来てるしな。

 ただ、製造条件が厳しいことと、ビールの苦みと喉ごしはこの世界の人には馴染まなかったようで、一般化はしなかったらしい。とはいえ、好事家や召喚勇者の子孫の家系からは継続的な購入をされているようで、近々醸造所を拡張するとも言っていた。実はこの店のマスター、けっこうな資産家でもある。この小さな店はマスターの趣味みたいなものなのだとか。

 ともあれ、ここを紹介してくれたダニエルには靴にキスしてもいいほど感謝している。


 とか思いながら入り口のドアをくぐると、ダニエルと目が合った。

 一番奥のスツール。ダニエルの定位置だ。いつ来ても、あそこに座っている。当然、隣には妹ちゃんのディアーネ。


「やあ、いらっしゃい」


 と店のマスターが口を開く前にダニエルが言った。

 お前はここの店主か。


「また来たの? アンタもここ気に入ったんだ」


 見た目がダメっぽい子――ディアーネだ。

 もっとも、この娘さんは見た目は女子高生級で言動もギャルっぽいが、所作は大人びている。落ち着きがあるとも言える。ミーシャから感じられる、若さ故の危うさをあまり感じることがない。とはいえ、年齢を聞く気はない。聞いてはならない、と俺の直観が告げている。

 ディアーネがまだフニャフニャになっていないところを見ると、二人もさっき来たばかりなのだろう。

 無口なマスターに軽く頭を下げると、マスターは笑みを浮かべて頷いてくれた。

 聞けば応えてくれるが、こちらから話しかけないかぎり、口を開かない人なのだ。

 お気に入りの理由、その二でもある。

 俺は酒は好きだし、日本に住んでいたころも酒場にはちょくちょく行っていた。ただ、やたらに話しかけてくる店主が居る店は苦手だったのだ。

 そして俺も定位置に座る。

 奥から三番目。ディアーネの隣だ。

 ここに座らないとディアーネが臍を曲げるので仕方なくだ。仕方がないのだ。

 ただ今日は、初めて見る客がいた。


「おう? 蛮族王子じゃねえか」


 誰だよ、それは。

 俺はその言葉を華麗にスルーして、スツールへと腰を下ろす。


「マスター、ビールを大ジョッキで」


 一桁温度のキープが必要なラガーをどうやって仕込んでいるのかは謎だが、過去の召喚勇者がなんとかしたのだろう。ダンジョンの地底湖から低温の水が引ける地の利のおかげかもしれない。


「すまん、口が滑った。ジンはここにはよく来るのか?」

「ここ最近入り浸ってるな」


 俺はエディオスに顔を向けずそう答え、ジョッキをあおる。

 一息でジョッキの半分を腹に流し込む。冷えたビールが五臓六腑に染みわたった。


「俺らはたまにしか来れないからなあ。金余りの自由業の奴はいいよな」

「俺はここのビールが好きなんだよ」

「へえ、意外。もっと女っ気の多いとこに行くキャラだと思ってた」


 と言ったのは、エディオスの隣に座っている茶髪のほっそりとしたイケメンだ。

 ぴっちりしたパンツに革のジャケットをスマートに着こなした若者だった。


「風評被害!」


 ていうか、この兄ちゃんは誰だ?

 声は聴いたことがあるから、冒険者ギルドの関係者なんだろうが。

 もしかしたら、ミーシャをギルドに連れて行ったときに見られたか。


「そう? あの子の目、本気だったけどなあ。アレは、浮気性な彼氏のせいで刃傷沙汰起こすタイプだわ」

「目って……え!?」


 突然、背中が叩かれた。

 かなり痛い。


「ねえ、浮気性ってアンタのことなワケ?」


 ディアーネが半眼で俺を見据えてきた。

 当然、ディアーネが居るのを見た時点で〈強靭外皮〉はかけている。


「へんなとこに誘爆した!」

「くわしく……」


 ディアーネの視線が痛い。


「追いはぎに捕まってた奴隷を助けただけだ。死にそうだったから、俺が引き取った」

「奴隷……?」

「こいつ、この見た目で、女子供には妙に優しいんだよなあ。ルフリンに来る前だって……」

「だまらっしゃい!」


 余計なことを口走り始めたエディオスの口に、枝豆を鞘ごとねじ込む。


「治安維持の責任者が個人のプライバシーを軽々しく口にしてどうすんだよ。打ち首だ、打ち首!」

「わー、蛮族怒らせたーたすけてー」

「あははは!」


 俺がエディオスの口に枝豆をぎうぎう詰め込むと、茶髪のイケメンがケラケラ笑った。

 ディアーネは何か思うところがあったようで、ワイングラスを傾け、つぶやくように言った。


「ふうん……助けた子ね……そういうことかぁ。じゃあ、今度連れてきなさいよね」

「たぶん、すぐに顔を合わせると思うぞ。体動かしたほうがよさそうだし……物理的に」

「ナニソレ?」

「こっちの話……てか、アンタは……?」


 とエディオスの隣に座る茶髪のイケメンを見る。

 こいつのせいで、妙な勘ぐりを受けてしまった。


「あ、やっぱり気づいてないかぁ……」


 俺の怪訝な表情を見て、そのイケメンは革のジャケットの内側から長い茶髪を引っ張り出して顔の左右に垂らした。

 その顔は、いつもギルドで顔を合わせている受付嬢だった。


「え? ミロなの!?」

「正解~」

「この格好で気づけってほうが無理だよなあ」


 とエディオス。

 俺はむしろ、髪を垂らす前の姿に衝撃を受けていた。


「なあ、もしかして、ミロって……」

「生まれたときは、男だったみたいよ?」

「今もだろうが……名前もミロスワフだし」


 美人スマイルを俺に向けてくるミロ。エディオスが言ったのはミロの本名だろう。たしかに女性っぽい名前ではない。

 だがちょっと待て。ギルドに居る時は女性の制服だし、口調も女性っぽいものだったろ。

 ていうか、今も口調は変わってない。

 ということは……。

 俺はなんとも言えない顔をするしかできなかった。


「にゃはははは! やっぱねえ!」


 ディアーネが俺の背中をバンバン叩きながら笑っていた。


「なんだよ、ディアーネは初見で気づけたのかよ?」

「当たり前じゃん? てか、アンタも鼻がいいんだから気づけるでしょ?」

「……分からん」


 ディアーネは匂いで気づいたということなんだろうが、男女の匂いの差なんて生まれてこのかた感じたことがない。

 てか、比較できるほど女性の匂いなんてかいだことありませんし。

 ミーシャは助けたときの糞尿の悪臭しか覚えていない。宿に入ってからはそもそも部屋が別なので、彼女の体臭を意識したこともなかった。

 強いて言うなら、お前だけだぞ――とディアーネに面と向かって言えるほどの胆力は持っていない。


「あれぇ? もしかして、アンタって、女の匂いを知らないとかぁ? 奴隷の子を助けたんじゃないのぉ?」

「……酔ってもいねえのに、そんな話できるかよ」


 俺の苦しい誤魔化しは、ディアーネには通用しなかった。

 ディアーネは「くひゅひゅ」と面妖な笑い声を出して、俺に顔を寄せてきた。


「じゃあ、酔ったら話してくれるワケ?」


 妙に絡んでくるなと思ったら、ディアーネの前には空になったワイングラスがピラミッドを築いていた。

 こいつもう出来上がってやがる。

 酒が好きなくせに、すぐに酔うタイプだ。しかも絡み酒。たちの悪い酒飲みだな。


「……ベッドの上でなら話してやるよ」


 何も言い返せないのも悔しいので、出力120%の強がりを言ってみた。

 正直、日本で言ったらセクハラ事案で立件待ったなしだ。

 俺の精神的にもかなり限界突破のセリフだ。


「にゃ!?」


 ディアーネは妙な声を出して、のけぞった。赤ら顔をさらに赤くして、そっぽを向く。

 俺の放ったヤケクソなテレフォンパンチが思いのほか効いたようだ。ぐいぐい来るわりには、男と付き合ったことはないのかもしれない。


「はははっ、ディアーネも人のことは言えないだろうに」


 ダニエルが笑いながらそんなことを言った。

 そう言われたディアーネは、親をも殺しそうな視線を兄に向ける。


「…………兄ちゃん?」

「僕は何も言っていないよ……」


 明らかに動揺をして額に汗の玉を浮かべたダニエルが慌てて視線を逸らす。

 あんなダニエルを見たのは初めてだ。

 どうやら、ディアーネに「そういう話」は禁忌のようだ。

 てか、ディアーネの年齢は高めに見積もっても二十歳がいいとこだ。そんな女の子に浮いた話があるとかないとか、まだ気にすることではないように思うのだが。


「くくく、氷の貴公子も、骨折り姫にはかなわないか」

「ああん? エディオス、アンタも折られたいワケ?」

「おっと、口が滑った」

「あんたそのよく滑る口をなんとかしないと、ほんとに死ぬわよ?」


 笑ったエディオスにディアーネが凄み、ミロが呆れている。


「なんだ、その二つ名は?」


 氷の貴公子は分かる。どう考えてもダニエルだ。

 骨折り姫って、ディアーネのことだとは思うが、あれで近接職だったりするのか。

 俺の素朴な疑問に答えてくれたのはダニエルだった。


「ここの冒険者はみんな知っていることだから教えてあげるよ。僕は氷魔法のスキル持ちなんだ」

「まあ、そんなイメージだよな。ディアーネは?」

「……教えたげない」


 唇を尖らせてそっぽを向くディアーネ。


「ディアーネの場合は……スキル由来じゃないんだ……」

「言い寄ってくる男の背骨を片っ端からへし折ったからよね」


 言いにくそうな兄貴にかわって、ミロが教えてくれた。

 なんだその物騒な由来は。背骨折るとかやばくない?


「ちょっと、言わないでよ!」

「そう? みんな知ってるわよ?」

「そうだけど……そうだけどさ……」


 ディアーネは俺の顔を一瞬だけ見て、すぐに顔を逸らした。


「わざとじゃないしっ……すぐに治癒魔法かけたし、後遺症なんてないでしょ?」

「まあ、問題にはならなかったけどねえ……」

「ほう、治癒魔法を持ってるのか」


 ディアーネはそっぽを向いたままだ。

 てか、怪力で治癒魔法って、まんまモンクじゃね……。


「ジン、君には感謝してるんだ。ディアーネの隣に座り続けることができて、会話をしてくれるのはもう君だけなんだ……」


 胡乱な眼をして、しみじみとダニエルがそんなことを言う。

 こいつも酔ってんな。


「なるほどなあ……そりゃ、物騒な二つ名もつくってもんだ」

「うっさいわね!」


 バシコーン!


 とても良い音が後ろから聞こえた。言うまでもなく俺の背中だ。

 振り向いたディアーネが、俺の背に掌を打ち付けたのだ。

 今までで一番強烈な一撃だった。

 とても、とても痛い。


『〈強靭外皮〉がランクアップ! 強靭外皮 II になりました』


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