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前編


 「隣国になんて逃すわけないだろう」


 仮初の恋人設定だったはずなのに、ウィリアムは逃さないと言わんばかりに冷たく笑っている。後ろにはドス黒いオーラが見える気がする。


 「大丈夫、全部、全部僕に任せてくれればいいよ」


 驚いて何も言えないでいるリチアをぎゅうと強く抱きしめると、先ほどまでいた部屋に転移して戻される。リチアをベッドへと寝かせる。

 怒られるかと思ったけどウィリアムは黙って部屋から出て行った。その代わり、そして扉と窓、外に通じる全てに『ガチャリ』と強力な魔法付きの外鍵をかけられる音がした。


 ーーどうしてこうなったの……。


 リチアは呆然と扉を見つめることしかできなかった。



*** 


 リチア・アドラーは平民の生まれである。母親は有名な娼婦。父親はアドラー伯爵と聞いている。けど本当のところは知らない。アリスというかわいい妹がいる。


 母マリアは娼館でリチアとアリスを産み、娼館の中で育てた。マナーや読み書きは母や娼館のお姉様たちから教わった。

 娼館にはいろんなお姉様がいてみんな優しい。リチアにとって平和で大きな、ちょっと変わった実家。リチアはこの娼館が大好きだ。


 リチアが10歳になる頃、母マリアが急逝した。重い病気を隠していたらしい。少し体調を崩したかと思えば、あっという間に逝ってしまった。

 妹は7歳。母が死んで、二人で涙が枯れそうになるくらいに泣いた。


 ささやかに弔って、泣いて、部屋に戻って泣いて、眠って、泣いて。二人で母親の私物を整理しながら気持ちを落ち着けていった。


 母が死んでひと月経った頃にはリチアは冷静になっていた。そしてこれからのことを考えた。


 ーーアリスと生きて行くにはお金が必要だ。

 

 母はいくらかの遺産を残してくれてはいたものの、先々を考えると足りなかった。

 娼婦として働くには年齢が足りない。だとすれば下働きをするか、でもアリスと一緒に暮らして行けるだけ稼げるだろうか。


 どうしたものかと考えていた時に、娼館にアドラー伯爵がやってきた。リチアと同じく銀の髪色に紫の瞳をした、胡散臭い男だった。

 リチアは娼館で手伝いをしながら色んな人を見てきた。人を見る目には自信があった。一目でわかる、この人は悪い大人だ。


 伯爵は娼館を訪れるなり、リチアを強引に連れ去った。その日のうちにアドラー伯爵家の養女にしてしまった。


 リチアは当然得体の知れない貴族の養女になることを嫌がった。すると伯爵はアリスを人質にとった。リチアを押さえつけ、目の前でアリスに毒を飲ませた。解毒して欲しければ養女になり従えと。 


 リチアは伯爵家の養女になるしかなかった。


 妹の住居は娼館のまま、アドラー伯爵家の監視が付けられた。離れ離れになってしまった。

 リチアが反抗的な態度を取れば妹が危ないぞ、と常に脅した。その時のリチアには、立ち向かえるだけの力がなかった。


 ーー娼婦から生まれた平民なんて養女にしてどうするつもり? 


 リチアにとっては疑問でしかなかったが、伯爵は早々に引き取った理由をリチアに伝えた。


 「お前は魔力もあるし、母親に似て見た目がいい。年頃になれば多くの貴族から求婚されるだろう。妻との間に娘がいるが、アレはあまり出来がよくない。お前は高く売れる。心配するな、お前を嫁がせる時はお前の妹は使用人として連れていってやろう」


 上機嫌に話す伯爵に対して、諦めたふりをして「承知しました」と返事をした。


 内心ではふざけるなクソジジイと大いに罵った。どうして本当に父親かもわからない男の金稼ぎのために、可愛い妹と離れ離れにならなければいけないのか。

 理不尽だ。腹がたつ。

 

 リチアは将来この男を出し抜くことを誓った。絶対に思い通りになどなってやるものか。アリスと一緒にまた平和に暮らしてみせると心に誓った。

 そのためなら従順なフリでも、お勉強でも、魔法でも、なんでもしてやろう。

 手に負えないくらい優秀になって、出し抜いてやるのだ。


 伯爵家ではマナーだの、歴史だの、算術だの、魔法だの、とにかく勉強漬けの毎日だった。日常の面倒は見ないくせに、貴族としての価値を高めるためにやたらと教師が送り込まれてきた。

 幸いなことに、どうやらリチアが娼館で受けてきた教育は思いのほか高度であったらしい。多少の努力は必要だったが、教師もリチアも、お互いが思っていたよりもスムーズに教育が進んだ。


 加えてリチアは勉強が嫌いではなかったようだ。それも功を奏した。

 いろんな教師がとんでもない量の宿題を残して帰っていったが、リチアは粛々と日々それをこなした。


 教師以外はリチアの元を誰も訪れなかった。

 リチアは敷地の隅にある別館で生活していた。あまり手入れもされていなかったようで、最初に放り込まれたときにはかなり埃っぽかった。


 使用人も誰も来ない。

 幸い、平民暮らしなこともあり身の回りのことは自分でできた。食料に関しては、倉庫から勝手に拝借したり、別館裏に畑を作ったり、狩りに出るなどしてなんとかした。狩りはそれなりに楽しかった。


 もしかしたら、普通の人間なら挫けていたかもしれないし、逃げ出していたかもしれない。が、リチアは意外と楽しいんでさえいた。

 教育が進むほど、生活は楽になって行った。特に洗濯は魔法を覚えて解決した。掃除も然り。思ったよりもちょろいな、ぐらいにまで思っていた。


 上手く育てて高く売ると言ってた割に全然育てないじゃん、とも思ってはいたが。


 ーー絶対にこの屋敷から逃げ出してアリスと一緒に平和に暮らしてやるわ。


 リチアにとって妹は特別である。

 血がつながった唯一の家族ということもある。


 妹とは、人生そのものだった。


 人気の娼婦である母の代わりにずっと妹の面倒を見てきた。生まれた時から伯爵と出会うまで。妹の食事はリチアが用意したし、文字を教えたのも、最低限のマナーを教えたのも、初めて一緒に娼館の外に出たのも、全てリチアだ。

 リチアは妹が可愛くてしょうがかなかった。


 自分が伯爵家に引き取られる時、「私のことは気にしないで」と不安そうにする妹を見て、リチアは必ず妹との平和な日常を取り返すと自分に誓ったのだ。


 伯爵家の事情なんぞ知るか。

 アリスとの生活を取り戻すことだけをを心に誓って。でも決してその決意がバレないように、リチアは過ごした。



***


 貴族の子供は15歳になると学園への入学を義務付けられている。

 もちろん、リチアもだ。


 学園に入学する頃には、リチアはすっかり美しく成長していた。

 年を重ねるごとに髪と瞳の色以外は母親に似ていった。娼館のお姉様と並んでも違和感がないくらい美しく、そして身体も出るとこが出ていた。

 黙っていれば高位貴族の令嬢たちよりもずっと美しく上品で神々しさすら覚えるくらいに。

 

 一つ残念だったのはリチアの出自が知れ渡っていたことだ。

 

 リチア自身は自分が貴族の間で有名だということは知らなかった。


 それもそうだ。別邸で勉強漬けの日々。

 貴族との交流どころか、本邸の人間とすら関わりがない。

 どうやら自分の義理の妹、アドラー伯爵の正妻の娘がリチアのことを言いふらしていたらしい。


 『魔力が多いだけの、卑しいアバズレが来た』と。


 とんでもない悪口である。でも仕方がない。貴族から見た娼婦の娘なんぞそんなものだろうとリチアは諦めていた。

 でも、そういう評価が広まると、リチアはどうなるか。


 「リチア嬢、僕と遊んでみませんか?」


 そう、遊びたい令息たちに目をつけられるのである。結構面倒である。

 リチアは入学してから数ヶ月間、いろんな生徒に遊びに誘われていた。もちろん遊びというのはいやらしい意味だ。


 「遊びません」

 「そう遠慮なさらずに」

 「遠慮はしていないです」

 「そうは言っても、男が欲しいんだろう?」


 欲しいわけあるかよ。

 お前が女欲しいだけだろ。


 表情は変えないままに心の中で罵った。見た目はすっかり淑女でも、心の中は平民のままであった。

 今日の男はしつこかった。

 

 鼻の下を伸ばしてぐいぐいと近づいてくる。目線が顔と胸を交互に見てくるのも不愉快だ。

 

 「私は用事がありますので」

 「何の用事?俺もついて行くよ」

 「結構です。授業に間に合わなくなりますよ」

 「一つぐらい授業をサボってもいいだろう。ほら、あっちにあまり人の通らない教室があるんだ」

 「そうですか。……手を離していただけますか?」

 「お前がウブなふりをやめたら離してやろう」


 まるで話の通じない男にイライラしてくる。

 望み通りウブなふりはやめてやろうか。魔法で吹っ飛ばしたくなる。


 学園内での魔法使用は禁止されているものの、魔法発動を検知する仕組みがないことをリチアは知っていた。要は見られなければいいシステムである。


 男から離れるために魔法を発動しようと準備をしていたところで。


 「ああ、リチア、こんなところにいたのか」


 急に現れた男に肩を抱かれた。



****



 「……ッアベリア公爵令息」


 肩を抱いてきた男をチラリと見上げて「いや、お前も誰だよ」と思ったが、どうやらこの人はアベリア公爵令息らしい。


 ーーアベリア公爵令息。


 友達がおらず学園の噂話に疎いリチアでも知っている。アベリア公爵令息が通れば大体女子学生から黄色い声が上がるし、通り過ぎた後はその美貌や才能や人となりについて乙女たちが騒ぎ立てるから。

 

 ーー美麗の令息。顔良し、家柄よし、頭脳良し、魔法良し、剣術良しの欠点のない完璧な王子様。


 確かに顔は整っていると思う。

 娼館育ちで美しいお姉様たちをみて育ったリチアがそう思うのだから、相当に顔は綺麗だと思う。 

 

 「ロペ男爵令息が、私のリチアに何のご用かな?」

 「私のリチア?……ご冗談を。この女は平民、それも娼婦の娘ですよ。公爵令息のお相手が務まるような人間ではありません」


 リチアが黙っているのをいいことに話が変な方向に向かっている。急に現れて「私のリチア」扱いする男に思うところがないでもなかったが、それよりも目の前の男爵令息が面倒だったため、リチアは黙って二人のやりとりを見守ることにした。


 いつも思うけれど、どうして娼婦から生まれただけでこうも言われなければいけないんだろう。その娼婦の女にわざわざ金を払って会いにくるのも、種子を撒き散らすのも、貴族の男だっていうのに。変な話だ。

 学園に入学して飽きるほど言われてきた言葉にもはや怒りは沸かない。まあ平民で娼婦の娘というのは事実で隠してもいないので怒るところでもないのだけど。


 「平民で娼婦から生まれたとして、それが何か問題があるのかな?」

 「な……っ!」

 「彼女は正式に伯爵家の養女に迎えられているし、魔法適性も高い。成績も上位5位以内だしマナーも問題ない。ああ、君は成績も魔力も下の方だから彼女の凄さがわからないか……」


 ふ、と公爵令息はバカにしたように笑う。

 貴族は怖いなあ。


 男ーーロペ男爵令息は顔を真っ赤にして、言葉にならない音をいくつか漏らしたのちに早足で去っていった。軍配は公爵令息に上がったようだ。


 走り去っていく男爵令息にリチアは仕返しにささやかな魔法をかけてあげる。うん、これでしばらく言い寄ってくることはないだろう。


 「助けていただきありがとうございました。では」

 「まってまってまって」


 公爵令息なんて面倒くさそうなのと関わりたくないので早々に立ち去ろうとしたところ、腕を掴まれ呼び止められる。


 「……」

 「ごめんって、急に腕を掴んで悪かったからそんなに睨まないでよ。気づいてないかもしれないけど、もう授業が始まって随分経ってるしこのまま二人で戻っても目立つから。……よければ少し話さない?」

 

 疑いの目でリチアは令息を見る。


 「とりあえずここだと誰かに見られるかもしれないから、移動しよう。こっち」


 腕を掴まれたままなるべく人気のない道を通りながら移動する。おとなしく一緒に移動しているのは、確かにこの令息と一緒に授業に行こうものなら確実に面倒ごとになると思ったからだ。

 確かに一緒にサボって解散した方が幾分かマシそうだった。さっきの男のようにいやらしい目つきもしていない。

 

 「僕のこと知ってる?」

 「アベリア公爵令息様ですよね」

 「そうなんだけど、うーん、硬いな。僕はウィリアム・アベリアっていうんだ。ウィリアムって呼んでよ。僕も君のことリチアって呼んじゃったし」

 「……気が向いたらお呼びします」


 学園で彼をウィリアムと呼んでいる人なんて高位貴族くらいしか見たことがない。平民上がりのリチアがウィリアムなんて呼んだらものすごい睨まれる気がする。できればご遠慮したい。


 「そういえば男爵令息になにか魔法をかけたでしょ。あれ、なにかけたの」

 「……よくわかりましたね」


 今までバレたことなかったのに。


 「ちょっと魔法に敏感なんだ。弱いけど何かかけたよね。見たことない魔法だったから気になっちゃって」

 「……貴族の方に言うのは憚られるんですけど」

 「うん」


 うんじゃない。

 あんまり言いたくない。特に男性には。


 けれどウィリアムはリチアの続きを待っているようだ。リチアは小さくため息をつく。


 「他言無用を約束してくれますか?」

 「いいよ。約束破ったら僕にその魔法をかけたっていい。多分いい作用のする魔法じゃないでしょ」

 

 あまり聞かれたくないので念の為まわりを見渡す。授業中なので誰もいない。


 「……さっきかけたのは、三ヶ月ほど石にしか欲情しなくなる魔法です」

 「……ん??」

 「ですから、石にしか勃たなくなる魔法です。ああやって娼婦の娘だからって絡んでくる人にはいつもそういう魔法をプレゼントしてるんです。そうすればしばらくは絡んでこないから。大丈夫、ちゃんと効果は3ヶ月で切れますよ」


 なぜなら元々は娼館でお姉様たちに付きまとうような迷惑客にも使っていた魔法だ。効果も期間も実証済みである。

 

 リチアの回答を聞いてウィリアムは黙り込んでしまった。

 やはり貴族の方にはあまりにも低俗すぎる魔法だったかしら、なんて心配していると、よく見ればウィリアムは小さく肩を震わしている。


 「もしかして笑ってますか?」


 前を歩いているので、ウィリアムが笑っているかわからず直接聞いてしまう。・


 「……ふふ、いや、…ふ、そりゃ笑うでしょ」


 よかった笑ってもらえた。公爵令息もこんな低俗な話で笑うのか。


 「もしかして結構色んな人にかけた?」

 「あー、どうでしょう。最初の方はああいう人が多かったので結構かけちゃったかも。でも最近は減ってきました」

 「今頃君に声をかけた男たちは真剣に自分の性癖に悩んでいると思うよ…ふ、…くく」

 「一応、毎回石だと面白くないので、階段にしてみたり大木にしてみたり車輪にしてみたりしています」

 「あはは!そこ変えられるんだ。あー、おかしい。はは、どうりで一部の乱れた低位貴族連中が静かになったと思った」


 そ、そんな効果があったのか。


 友達のいないリチアはその辺の状況をよくわかっていなかった。学園は社交界と繋がっているから交友関係には力を入れるように、とは伯爵に言われたが無視していた。


 学園在学中は寮生活で伯爵からの監視が緩むので、その間にギルドで任務を受けて、妹との逃亡資金を貯めるなどしていた。

 平日の休み時間や放課後は勉強や魔法の習得に費やし、週末の間は変装してギルドに行ったり、娼館へ帰って妹やお姉様たちに会ったりしていた。社交をする時間は全くない。


 「はい、ついた。ここで過ごそう」


 ウィリアムに連れてこられたのは長らく使われていない教室だった。締め切った教室特有の古い空気の匂いがする。


 「ここは幽霊が出るってもっぱら噂でね。誰もこないんだ。僕は大抵ここに避難してる。はい、ここに座って」


 促された椅子には上品なクッションが強いてある


 「一応先生には許可をもらってるよ。原状回復できるなら多少は居心地をよくしてもいいって」

 「そんな許可出るんですね」

 「先生方は僕が普段追いかけ回されて疲れているのを知っているからね」


 確かに追いかけ回されるとどこかに逃げたくなる気持ちはわかる。リチアも追いかけられる立場だから。リチアの場合はしれっと2階から飛び降りたり、逆に魔法で屋上まで飛んだりして撒いている。貴族は普通そんなことしないので、確実に撒けている。


 「リチアにお願いがあるんだけど」

 「断ってもいいやつですか?」

 「まってまって、全部聞いて」


 できれば断りたい。人のお願いを聞いている時間はない。


 「僕の恋人になってほしいんだよ。……もちろん君にもメリットを用意してある。君、お金が好きでしょう。報酬としていっぱいお金あげるよ」

 「……一旦全部聞きましょう」


 お金、と言う言葉につい反応してしまう。お金がもらえるんだろうか、できれば大金がいい。妹と自分の身分を用意できるくらいのお金がほしい。


 「まず、僕はありとあらゆる貴族に媚を売られて困ってる。男女問わず。そして僕は媚を売られるのが嫌いだし過激な好意も嫌いだ。学園に在学中は勉学に集中したいけれどそれもままならない。正直困っている。なので魔除けがしたい」

 「魔除け」

 「リチアは僕に興味がないよね?不敬にならないから正直に言って」

 「……はあ、まあ、あまり」

 

 というか興味を向ける暇がない。


 「だからリチアが僕の恋人になって、魔除けになって欲しい」

 「私は平民で、娼婦の娘なんですけど、それでも魔除けになりますかね?」

 「なるよ。というかそういう出自で見下すやつらも正直気に食わない。別に君が娼婦から生まれようが犬から生まれようが、君は美しくて頭も良くて魔法も得意、何が問題なのか意味がわからない」


 貴族にもこんな考えの人がいるんだ。


 「じゃあ私が恋人になれば追いかけ回されなくなってハッピーってことですか?」

 「そうだね。追いかけられないための理由づくりができる」

 「私のメリットはなんですか?」

 「君が僕と恋人の間は給与を払おう。恋人としての贈り物とは別だ。伯爵家であまりいい待遇を受けてないと聞く。だから僕が支援しよう」

 「いっぱいお金もらえるってことですか」

 「まあ、ストレートにいえばそうだね。お金あげる」

 「どれくらい…?」


 そうして提示された額は、週末にギルドで稼ぐ額と同等だった。平日も稼げると思えば悪くない気がしてくる。

 リチアにとってデメリットがあるとすれば、他の貴族からのやっかみが増えることだろうか。もしかしたらいじめもあるかもしれない。

 ……でもそれって現状と何も変わらないのでは?

 ただでさえ娼婦の娘だからと変なのが寄ってくるし、令嬢たちにはひそひそされてまともに会話もしてもらえていない。

 ウィリアムの評判が下がることはあっても自分の評判はこれ以上、下がりようはないのでは……。


 そこまで考えると、心は決まった。


 「やります」


 リチアが答えると一瞬驚いたような表情をして、それから満開の笑みになる。


 「本当?」

 「はい。でもできれば学園にいる間だけがいいです。週末は予定が入ってることが多いので」

 「いいよ。でも恋人なのに学園の外で会わないのも不自然だから、週末誘う時には特別手当を出すっていうのはどう?」

 「ぐう……完璧です……!」


 これでギルドで任務が受けられなくても安心……!

 自分が金の亡者になった気分だけれど仕方ない。実際お金は大量に必要なわけだし。


 「じゃあ、今から恋人ってことでよろしく」

 「こちらこそ」


 二人は誰もいない教室でがっちりと握手を交わした。



 それからのウィリアムは早かった。さすが成績一位の公爵令息は仕事ができる。


 授業が終わると昼休みに入り、リチアの手を引きながら食堂へ向かった。(当然昼ごはんはご馳走になった)

 顔を引き攣らせながら恐る恐る近づいてきた令嬢に向かって、満面の笑みで「僕たちは恋人になったんだ。くれぐれもよろしく頼むね」と言ってのけた。リチアもリチアで、授業をサボっている間に身だしなみを整えて、ウィリアムに合わせて綺麗な笑みを作ってみせた。こちとら娼館育ちだ。自分を美しく見せる方法はお姉様たちに小さい頃から叩き込まれている。

 男子学生たちが何人か見惚れる気配がしたが、無視した。声をかけてこようものなら例の三ヶ月間特殊性癖になる魔法をかけてやるつもりだ。


 「ウィリアム様は彼女の出自をご存知なのですか?」

 「もちろん。何か問題でも?」

 「問題しかないと思うのですが」


 令嬢は極めて冷たい目でリチアを見下ろした。そんな目線、リチアには何の効果もないのだが。


 「僕が誰か知ってる?」

 「もちろんですわ。アベリア公爵令息様」

 「そう、アベリア公爵家なんだよ。別に彼女の出自に不満があるわけではないけど、その気になればたとえリチアが罪人で合ったとしても、公爵家ではなかったことにできるし、恋人に足る身分を与えることができる。そしてそれに対して文句をいう家門も黙らせることもできる」

 「……ッ」

 「流石に学生という未熟な身分の相手に対してそんなことは、……よっぽどがない限りしないよ。でも覚えていて欲しいな。僕はリチアを恋人にした。そしてそれを害する人を許す気はないってこと」

 「……承知、いたしました」


 令嬢は悔しそうに、それでもリチアをひと睨みして去って行った。


 「ごめんねリチア、食べよう」

 「うん。初めて来たけど食堂のごはん、おいしいね」

 「そうなの?いつもお昼はどうしてるの?」

 「食べないか作ってる」

 「リチアって寮生だよね?」

 「うん、申請すればキッチンを貸してもらえるの」


 申請してきた学生は数年ぶりだと言われたが。

 そりゃそうだ。自炊する貴族はかなり珍しいだろう。


 「僕も食べたいって言ったらどうする?」

 「え、私のお弁当?」

 「そう。もちろん材料費は払うよ」

 「いいよ、その代わりたまにでいいから公爵家のお弁当も食べてみたい。あ、公爵家はお弁当なんて持たないか」

 「ううん、頼めば弁当くらいいくらでも用意してくれるよ。僕もよく弁当を持参してるし。やった、じゃあ今度一緒に食べよう」

 「わかった」


 食堂にいるほとんどの生徒が二人の会話に聞き耳を立てているなんてリチアは気づかず、おいしいおいしいと言いながら食堂ランチを楽しんだ。



***



 二人は恋人らしいことをたくさんした。

 毎日ランチを一緒に食べたし、放課後も一緒に過ごした。リチアは恋人生活に満足していた。何より学園に入学して初めて平和になった。

 男子学生に絡まれることがなくなった。

 女子生徒には何度か小言を言われたような気がするが、付き纏われるのに比べればなんてことはなかったし、貴族の上品な小言では平民育ちのリチアには刺さらなかった。


 周りが静かになるとますます勉強と魔法の習得に時間を費やせるようになった。

 ウィリアムに高度な魔法を教えてもらったり、逆にリチアの考えた変な魔法を教えたりした。うっかり成績が上がってしまい、テストでは二人で首位争いをするようにまでなってしまった。

 そこまでくる頃には流石に誰も何も言わなくなった。


 リチアは週末になると冒険者ギルドで依頼をこなしているから、ウィリアムに攻撃と防御の魔法を教われるのはすごくありがたかった。高難易度の依頼も受けられるほどに強くなった。


 ウィリアムにもらったお金も、自分で稼いだお金も全て貯めた。


 卒業までに二人分の身分を買うお金と、隣国への渡航費、それから当分の生活費を用意しておく必要があるからだ。

 妹のいる娼館には月に一度くらいの頻度で帰った。お姉様たちの健康診断と治療、それから厄介な客にこっそり不能の魔法をかけるのはリチアの仕事だから。そしてその働き分が妹の家賃だから。

 妹には監視付きではあるものの、会えている。あれ以来毒は飲まされていない。


 「お姉ちゃん、私のために無理はしないでね」

 「何言ってんの、アリスのためにしか無理できないのに」

 「私にはお姉ちゃんしかいないんだから」

 「私にだってアリスしかいないよ」


 アリスはむう、と頬を膨らます。妹のアリスが可愛くて仕方がない。生まれた時からそうだったけど母親が死んでからはより一層に。

 唯一の家族。私だけの唯一のかわいい家族。やわらかくて、清くて脆い、宝物。


 アリスもまた、リチアと同じく日に日に美しく成長していった。いつ誰かに見染められて攫われるかわからないとすら思っていた。皮肉にも、伯爵がアリスにつけた監視が護衛の役割になっていた。

 何度か街を歩いていて、危ない目に遭ったと聞いている。そりゃこんな光り輝く美少女が歩いていたら欲しくなるだろう。

 その度に、伯爵がつけた監視がアリスを守ってくれていたようだ。

 伯爵としてはアリスが唯一リチアを縛る手段だからだろう。


 ありがとう監視。でも絶対伯爵からは逃げてみせるからな。

 監視の女性をチラリと見れば、彼女は何も言わずに静かに目を伏せた。

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