エピソード2
~紫乃川団地~
瑠衣が徘徊してた場所。
(多分、瑠衣を誑かしたやつがいるわね。顔色は良くなったけど、あの会った時の顔色は誰かに操られていた感じだわね。はぁあ。べ・・・別に、心配はしているわけじゃないわ。メリーとして動くだけよ。)
コツコツ。
ー紫乃川団地ー
過去にいくつかの奇妙な出来事があったと噂されており、夜になると人影もまばらになるため、どこか不気味な雰囲気が漂っている。一部の住人はその噂を恐れているが、長年住んでいる住人たちは特に気にしていない。ネット上などでは心霊スポットとしても囁かれている。曰く、
* 深夜の足音: 「夜中の3時になると、誰もいないはずの廊下から、ゆっくりと引きずるような足音が聞こえるらしい。特に雨の降る夜はハッキリと聞こえるんだって。」
* 消えた住人: 「昔、この団地に住んでいた家族が、ある日突然いなくなったらしい。引っ越しの挨拶も何もなくて、まるで最初からいなかったみたいだって。」
* 赤い花壇: 「団地の中庭にある花壇の赤い花は、決して枯れないらしい。誰かが手入れをしているわけでもないのに、いつも鮮やかに咲いているんだって。」
* 無人のブランコ: 「夜になると、誰もいないはずの公園のブランコが、ギィ…、ギィ…とゆっくり揺れているらしい。近づいて見ても誰もいなくて、風もないのに揺れているんだって。」
『はぁ。絶対老朽化して音が鳴っているだけのような気がするのだけど。』
夕方。誰もいない団地、人の話し声がきこえることなくシーンとしている。
(夕方だっていうのに少し不気味だわね・・・・)
「そこのお嬢さん」
しわがれた声がしてメリーはビクッと肩をあげた。
振り向くと、何処か影のある、顔立ちの整った男性が立っていた。
『あら、何かしら』
メリーはあくまで「お嬢さん」のフリをしてその男性に返事をした。
「よかったら・・・・お茶『嫌よ』
メリーは男の言葉に被せた。
『知らない人には着いていかないのは鉄則よ。』
「青木 大智、姫川 瑠衣」
『・・・なっ!』
「俺は、この2人の幼なじみだ。」
『で、貴方は誰かしら?』
メリーは警戒を解かずに尋ねた。
「俺は影山 千景。昔、青木と姫川はこの団地に住んでいて、よく一緒に遊んでいたんだ」
影山はそう言うと、メリーに目で合図し、自分の家に来るように促した。彼の部屋は団地の角にあり、中に入ると、生活に必要な最低限のものしかない質素な空間だった。冷蔵庫と小さなテレビが置かれ、窓には厚手のカーテンが閉められているため、室内は薄暗い。
「こんなものしか出せないが……」
影山がメリーに差し出したのは、自動販売機で買ったらしい温かい緑茶のペットボトルだった。
(ふむ。警戒はしているようだけれど、敵意はなさそうね)
メリーは無言でそれを受け取った。
「さて、どこから話たらよいのか・・・・」
(まさか、こんな場所で「お嬢さん」と言葉を交わすことになるとはな……)
影山は、メリーが自動販売機で買った緑茶のペットボトルを、どこか所在なさげに手にしている様子を静かに観察していた。あのお人形が、単なる無機質な存在ではないと感じたのは、初めて彼女を見た時からだ。あの、周囲とは明らかに異なる、静かで強い存在感。団地に漂う、言葉にはできない澱んだ空気。住人たちの心の奥底に渦巻く、切実な願いや拭いきれない後悔。長年この場所で暮らしていると、そういった日常の裏側に潜む、目に見えない何かの気配を 敏感に感じ取ることができるようになるのだ。
(大ちゃんも、瑠衣ちゃんも……昔から、どうにも この世ではない何かに引き寄せられるようなところがあった)
例えば、子供の頃、大ちゃんが裏山の祠で不思議な光を見たとか、瑠衣ちゃんが夜中に誰もいないはずの公園で声を聞いたとか、そんな話は一度や二度ではなかった。瑠衣ちゃんが性別適合手術を受ける前、女姿で夜の団地を彷徨っていた時も、彼女の周りには、 まる で粘着質な影のようなものがまとわりついていたのを、 感じていた。そして今、このお嬢さんから感じる微かな 気配 は、あの時の影が持っていた あの黒い影と、どこか 違っているように感じるのだ。
(「お嬢さん」は、いったい何者なのだろうな……)
ただの精巧な作りの人形ではない。人の心の機微を理解し、何らかの形で影響を与える力を持っているのは、あの団地の一室で 顔を合わせただけでも、 影山の話を理解できた。そして、今、彼女は自らこの場所へやって来た。何か目的があってのことなのだろうか。それとも、単なる導きのようなものに誘われただけなのだろうか。
(まあ、焦る必要はないか)
影山は、膝の上で 丸まっている飼い猫の梅の柔らかな毛並みをゆっくりと撫でた。梅は喉をゴロゴロと鳴らし、彼の 心 に応えているようだ。
(じっくりと、この目で確かめさせてもらおう。「お嬢さん」という 非現実的な存在が、この町に、一体どんな変化をもたらすのかをな……)
『それで、貴方は、あの二人の幼なじみって言ったわね』
メリーは、影山の言葉を改めて確認するように問いかけた。
「ああ。よく三人で遊んだよ。大智はいつも元気いっぱいのわんぱく坊主で、瑠衣ちゃんは小さくて、それはそれは可愛らしかった。俺は、いつも二人を後ろから見守っているような、大人しい子供だったな」
そう語る影山の表情は、どこか遠い昔を懐かしむようで、その雰囲気がふわりと優しくなった。
(なるほど。この人、瑠衣のことが……)
メリーは、影山の優しい眼差しと、語り口のわずかな変化から、彼が瑠衣に対して単なる幼なじみ以上の感情を抱いていることを察した。
「タバコ吸っていいかな?」
影山はそう言って、ポケットから煙草とライターを取り出した。
『どうぞ』
メリーは特に気にする様子もなく答えた。
カチッ、とライターの火が灯り、影山は煙草に火をつけた。紫煙がゆっくりと立ち上り、薄暗い部屋に漂う。影山は、ふぅーっと煙を長く吐き出した。その表情は、煙のように、どこか物憂げだった。
(何か、言いたいことがあるのかしら)
メリーは、煙を見つめながら、影山の次の言葉を待った。ゆらゆらと立ち上る煙を見つめながら、影山は静かに、しかしはっきりと告げた。
「俺は、瑠衣のことが好きだったんだ」
『………………』
メリーは、その言葉に何も答えなかった。ただ、その無機質な瞳で、煙の向こうの影山を見つめている。彼の言葉の重さと、そこに込められた複雑な感情が、静かにメリーの心に響いた。
(やはり、そうだったのね)
メリーは、先ほどの優しい眼差しや、懐かしむような語り口から、影山が瑠衣に特別な感情を抱いていることを感じ取っていた。しかし、こうして 言葉にされると、改めてその想いの深さを実感する。
部屋には、煙の匂いと、静かな沈黙だけが流れていた。
「あの二人が付き合ったって聞いたとき、正直、ショックだった。心から『おめでとう』って、どうしても言えなかったんだ」
物憂げに、影山はゆっくりと煙を吐き出した。その表情には、隠しきれない 悲しいさが滲んでいる。
「一度、別れたと聞いた時は、俺にもチャンス があるんじゃないかって、そう思ったんだ。だから、瑠衣ちゃんがこの団地に戻ってきた時、思い切って告白したんだ。ずっと、好きだったって。だけど……」
影山の言葉は、そこで 話が 途切れた。少し間を置いて、彼は アンニュイ な笑みを浮かべながら続けた。
「……綺麗に断られたよ。『ごめんね、ちぃ君まだ、大ちゃんのことが好きなの』って・・・・」
グイッとお茶を飲み干した。
「まさか、お嬢さんとあって瑠衣ちゃんが立ち直って性別適合手術を受けてまた復縁したと聴いたときはびっくりしたなぁ。」
影山は、差し出した緑茶のペットボトルを グイッと傾け、喉を潤した。
「まさか、こんなところで、お嬢さんと会うことになるとはなぁ……」
彼は、煙をゆっくりと吐き出しながら、どこか感心したようにメリーを見つめた。
「瑠衣ちゃんが、あの後、立ち直って性別適合手術を受けて、また大ちゃんと復縁したって聞いた時は、本当にびっくりしたよ。あの時、団地で 変な仮面をつけて いた瑠衣ちゃんが、まるで別人みたいに輝いていて……」
影山の視線は、メリーの無機質な瞳に注がれる。
「……お嬢さんと何か、あったんだろうなぁ、きっと」
彼は、確信を持っているような、それでいて探るような、複雑な表情でそう呟いた。
『私は何もしていないわ。本人がそうしたいことを手伝っただけ。それより、どうして瑠衣があんな女性の仮面をつけて歩いていたのを知っているの?』
メリーの冷たい視線が、影山を射抜く。その問いかけに、影山はギョッとした様子を見せたが、すぐに平静を装った。
「い……いや、その。瑠衣ちゃんのことが、心配で……。時々、変なことをしているって聞いていたから……」
影山は、目を泳がせながら、しどろもどろに答えた。
『ふぅん。格好悪いわね』
メリーは、何の感情も込めずに、冷たく言い放った。
「ぐはっ!」
その一言は、まるで鋭い刃物のように影山の胸に突き刺さったらしい。彼は、実際に 衝撃を受けたかのように、肩を落とし、激しく落ち込んだ。
「そりゃあ、俺だって格好悪いとは思っていますよ……」
影山は、消え入りそうな声で呟いた。
『言い訳はいらないわ!どうして、もっと早く彼女を気遣って、自分のものにしなかったの?』
メリーの冷たい追及に、影山はますます肩を落とした。
「だ……だって、瑠衣ちゃんは大ちゃんのことしか見ていない……」
彼の声は、先ほどよりもさらに小さく、自信なさげだった。まるで、自分に言い聞かせているかのようだ。
(まったく、この男は……)
メリーは、影山の煮え切らない態度に、内心で小さくため息をついた。好意を抱いている相手が おかしな行動をしているのを知りながら、何もできなかった。そして、今もなお、相手の気持ちばかりを気にしている。
部屋には、重い沈黙が漂った。影山は、煙草の火を見つめながら、深く落ち込んでいる様子だった。
『あー、もどかしい!』
メリーは、冷たい声で言い放った。
「えっ?」
影山は、 メリーの強い口調に、 タジタジだ。膝の上にいた老猫の梅は、「ふぁぁ」と 無関心なあくびをした。
『ぐずぐずして、本当にうっとうしいわ!さっさと瑠衣に言いたいことを言いなさいよ!』
「えっ?あっ?えっ?」
影山は、ドギマギしながらも言葉を探している。
『今から一日だけ時間をあげるわ!言いたいことをちゃんとまとめて、瑠衣に伝えなさい!』
「えっ? 一日じゃ無理ですよ……」
影山の声は不満げ だ。