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後編

喧騒と暗がりが幸いして、エリーを抱えて裏道を走るルーエは見とがめられることなくジャスミン館に着いた。

先にもどったカタリナが店の客を追い出してくれていた。

一番高い部屋の浴室にエリーを運び込み、カタリナが破れた服も泥で汚れた身体も綺麗にしてくれた。

ルーエがしたことはエリーを運ぶことだった。

その間もエリーは無表情だ。目は開いているが表情はない。一言も声を出さないし、動くこともない。

ルーエは、カタリナの服を着せたエリーをそっと寝台にねかせた。

染粉を落とされて亜麻色に戻ったエリーの髪に少しだけ触れた。

ルーエはそれ以上、触れることは無かった。ただ見ているだけ。

カタリナが大きくため息をついた。

「センセイと、何もないの?」

「ないよ。」

「なんで?」

「…。」

ルーエがエリーから少し離れた。

「ええとね、ルーエ、」カタリナが口ごもる。

「ん?」

「さっき、センセイの・・・」

(言えないわね… 背中の傷なんて)

カタリナが黙ってしまった。

「あのさ、カタリナ、」

「なに?」

ルーエの代わりにカタリナがエリーに付き添った。

「お前、店に出たの、いくつの時だ?」

「…十六かな。十四で売られてきたけど。

ほら、王都じゃこの手の店は十六をすぎないとまずいから。」

「うん…。

センセイさ、十歳だったんだ。」

「え?」

「人買いに攫われて、売られて、」

「?」

「…客をとらされたそうだ。」

「!

だって、お姫様でしょう?」

「…。」ルーエが目を伏せた。

「…酷いわね。」

カタリナがエリーの頬に触れた。

エリーの目がカタリナの方に向いた。

「ごめん! センセイ!」

エリーの手がカタリナの指を掴んだ。力は弱い。

「お姉さん… 終わった?」

エリーの声はか細い。

「え?」

「言われた通りにしたの。黙って、じっとしてたの。嫌なこと、早く終わるように。」

「な、何言ってるの?」

「エリー、」

ルーエがエリーを覗き込んだ。

「お客さん、ごめんなさい。もう動けないの。明日になったら、ちゃんとします…」

ルーエの手がエリーのほっぺたを包む。

「わかったよ。だから、今日はお休み…」

ほっとした顔をしてエリーが目を伏せた。今度は眠りに落ちたようだ。

「ルーエ、今の・・・」

「ん、これは小さいエリー様だ。」

「?」

「心がいっぱいいっぱいになったら、子供に戻ってしまう。」

「何で?」

「…わからない。

子供の頃の辛さに捕まったままなんだ…」

ルーエがエリーの頬から手を離す。

「…何もできないだろ。」

部屋の扉が叩かれた。

「ルーエさん、お客さん…」

そっと顔を出したのは店の娼妓だ。

その扉を大きく開けて二人、入ってきた。

二人とも背の高い人物。黒いフードを深くかぶっている。

先頭の人物がまっすぐエリーの元に向かう。その迫力に道を開けてしまった。

フードの人物は寝台のエリーのそばに身をかがめた。

静かにフードを取った。

エリーと同じ亜麻色の髪を一つに編んで垂らしている。

「マ、」思わずルーエがその名を呼ぼうとしたが、もう一人のフードの人物に睨まれて口を閉じてしまった。

マリーの手が眠っている妹の頬に触れた。

「迎えに来たよ。おうちに帰ろう。」

マリー・ケリー・アナスンは連れのフードの人物に顔を向けた。

「馬車へ。」

ルーエが運ぼうとエリーに手を伸ばすとフードの人物に強く払いのけられた。それにルーエが動けなくなる。

フードの人物は、エリーの身体をそっと抱き上げると部屋を出て行った。

マリーはルーエの顔をちらりと見たが何もいわなかった。

彼女は内ポケットから小さな巾着を取り出すとカタリナの手に握らせた。

カタリナも驚いて固まってしまう。

「助けてもらった礼だ。受け取ってくれ。」

マリーは微笑んでそう言うと部屋を後にした。

「ル、ルーエ、どうしよう?」

「…貰っとけ。口止め料だ。」

「え…。」

ルーエは、俯いて唇を噛んだ。


◇◇◇


休んだのは翌日だけだった。

その次の日からは、エリーは診察に出ていた。

あの夜のことは、よく覚えていない。

カタリナに薬茶の処方箋を渡しに行って店を出てから人込みで気分が悪くなった。

そして、記憶があやふやになって目が覚めたら屋敷の自分の部屋にいた。

マリーが言うには、『具合が悪くなった知らせをもらって、義兄を迎えに行かせた』なのだが。

食欲もなくて、今日の昼休みは中庭のベンチに一人でいた。

穏やかな陽差しに少しだけほっとしている。

「センセイ、こんにちは。」

かけられた声の方に顔を向けた。カタリナが笑顔を見せていた。

「カタリナさん…」

「今日はね、センセイにお礼を言いに来たの。」

「え、」

カタリナがエリーの前にしゃがみ込んだ。

「薬茶の処方箋、ありがとうございました!」

「い、いえ。」

「おかげさまで調子いいのよ。効いたのね。

患者でもないのに、センセイ、私のために店に来てくれて…。

なのに、あんな目に合わせちゃって、すみませんでした!」

カタリナが頭を下げた。

「そ、そんなこと、顔を上げてください!

謝ってもらうことは何も無いんです。」

エリーが慌ててカタリナの顔を上げさせた。

カタリナが笑った。だが、少し涙目だ。

「センセイなら許してくれるって、

ルーエが言った通りね。」

「…。」

「アタシのつまらないやきもちでセンセイを傷つけちゃった。」

「…。

私もです…。」

「センセイ?」

「…カタリナさんと仲良くしているの、嫌だったのかもしれません。」

フフとカタリナが笑った。

「アタシたち、一緒?」

エリーもすこし表情が和らいだ。

「…あの、カタリナさん、あの夜…」言葉に詰まった。

「センセイ?」

「…覚えていないんです。」

「そっか…、

覚えてないんなら、たいしたこと起こってないのよ!

人込みで気持ち悪くなっただけだって! 

うちの店の近くだったから、うちに運ばれただけだし。」

またカタリナが笑った。

「そういうことよ!」

だが、カタリナの顔が少し固くなった。

「でね、センセイ、ルーエの事なんだけど。」

「…。」

「なんかやらかしたらしくてね、謹慎中なのよ!」

「え!?」

「暇があったら、顔見せてやって。」

「え、私…」

「ルーエね、センセイを心配してた。

センセイが元気な顔を見せれば、あいつも元気になるから。」

「カタリナさん…」

カタリナが自分のスカートの襞の間から小さな包みを取り出した。

それをエリーに握らせる。

「カタリナさん?」

「コンフェイト。

安物でごめんね。

昔ね、アタシの大切な人が教えてくれたの。

コンフェイト食べると元気になるんだって。」

エリーが手の中の包みを見た。小さな星が数粒。

「じゃ、アタシ、いくわ。」

「カタリナさん…」

「今度は元気な時に、うちの店に遊びに来てよ。

女の子だって、うちは大歓迎!

女の子には、女の子の楽しみがあるものね!」

カタリナの笑顔にエリーも笑顔を返した。

カタリナを見送って、エリーは手の中のコンフェイトを一粒、口に入れた。

安物だと言われたが、とても甘くておいしかった。


◇◇◇


拭き終わったグラスを伏せて、ルーエは溜息をついた。

(今日はもう終いだな。)

客の帰った店内にもう一度溜息をついた。

『左翼』を叩きのめして、三か月の減俸と十日の謹慎処分を食らっていた。

上司のジェイド・ヴェズレイ卿は『左翼』の副団長に随分と嫌味を言われたらしいが、『左翼』の司令部を出たとたん、舌打ちをしていたので気にはしていないのだろう。だが、表向きは責任を取らなければならないので、当事者のルーエが罰を受けている。

それより『センセイ』を守れなかったことが情けなくて仕方がなかった。

カタリナのところで、ジェイド卿に手を払いのけられたのにも動揺した。

もう『センセイ』には会えないのかもしれない…。

店の鈴が鳴った。

ルーエが入り口を見た。

茶黒い髪を一本の三つ編みにして肩の前に垂らした姿でエリーが入ってきた。白の『治療院』の制服に濃い茶色のコートを着ていた。

強張った表情でエリーがカウンターに歩いてきた。

「いらっしゃいませ。」

ルーエが声をかけた。

エリーがカウンターの席に着く。

「何にいたしましょう?」ルーエが小声で尋ねる。

「テキラを。」

ルーエはエリーの前に小さなグラスを置くとテキラを注いだ。

それを前にしてエリーがルーエを見上げた。

思わず、ルーエが目をそらす。

「この前は、ありがとうございました。」

「…オレは何もしていません。」

「…私、何も覚えていないんです。

何があったのか教えていただけませんか?」

エリーが俯いた。

「皆、本当のことを教えてくれません。」

「…。」

「私の事なのに、私が一番、何も知らないんです。」

「…知って、どうなさいます?」

「…自分を叱ります! 考えなしで浅はかな愚かさを!」

エリーがテキラを煽った。むせて咳き込んでしまう。

思わずルーエがエリーの背中をさすった。

「無茶な飲み方をしてはいけません。」

エリーの咳が落ち着いて、ルーエが手を離した。

「センセイ、カタリナの店に薬茶の処方箋、届けてくださったでしょ?」

エリーが顔を上げた。

「俺とカタリナを見て、怒って帰っちゃいましたね。」

「あ、」

「俺、拒まれたと思いました。それで、護衛騎士の役目を果たしませんでした。」

「ルーエさん、」

「センセイが、人混みが苦手なのを知っていたくせに… 

すぐ思い直して、追いかけました。見つけたときには、」

「…。」

「男たちに…、」ルーエがうな垂れた。

「服を破られて乱暴されそうになっていました。が、未遂です。それが本当です!」

エリーが俯いた。

「…ありがとうございます。」

声が震えていた。

「…姉の監視がとても厳しくて、仕事の行きも帰りも義兄が付き添っています。だから、ただ事ではなかったのだと思っていました。」

「…。」

「誰にも聞けなくて。訊くのも怖くて…。

でも、ルーエさんはいつも本当のことを言ってくださるので、頑張ってお聞きしました。」

「…。」

「ご迷惑ばかりかけて申し訳ありませんでした。」

エリーの頭が深く垂れた。

「…浅はかな行為が皆を不幸にするのを私が一番知っているのに。」

「…そうですね。

次はちゃんと護衛をお連れ下さい。浅はかな行為ではなく、準備不足が問題です。」

「…。」

エリーが顔を上げた。ヘイゼルの瞳が濡れている。

彼女はコートのポケットから財布を出し、中の銀貨を一枚、カウンターに置いた。

「ごちそうさまでした。」

ルーエがため息をついた。

「…困ります、お客様。これじゃ、おつりが出せません。」

「ルーエさん。」

「銅貨、ありませんか? 銅貨7枚でいいんですが。」

言われてエリーは財布の中から銅貨を取り出して並べた。

「…あの、六枚しかありません。おつりはいいので、銀貨を、」

「じゃ、ある分の六枚いただきます。」

「一枚足りないです。」

「足りない分は今度お見えの時に持ってきてください。」

「今度? また来てもいいのですか!」

エリーのヘイゼルの瞳が明るくなった。

「俺は、お得意様を手放すほど、下手な商売人ではないつもりです。」

ルーエが微笑んだ。

「お得意様ですか?」

「ええ。」ルーエが穏やかに言った。

エリーが笑顔になる。

(ああ、いつものセンセイの顔だ。)

「はい、今度必ずお持ちします。」

エリーが立ち上がった。

「外で、待たせてしまっているので行きます。」

「はい。」

エリーが頭を下げると足早に店を出て行った。

ルーエは、エリーの使ったグラスを両手で包み込んだ。

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