第七章:白百合と導きの光
みんなと別れた後、僕は師匠の墓石の前に佇んでいた。
――――墓守モーリス、ここに眠る。
真新しい墓石を撫でると、師匠との思い出が蘇ってくる。
アンデッドが出た時、ルーネの冒険者ギルドに依頼を出しに行った。そこのエールが美味しかったっけ。他種族も入り混じり活気に満ちた良い街だった。でも帰り道、ユルゲン村が近づくと、閉鎖的な雰囲気になんだか胸が温かくなったんだ。
それに師匠が好きな白百合の花の香り。墓地の側で白百合を育て、死者が運ばれる度に供えたんだ。花を愛でるしわくちゃの手は優しく自愛に満ちていた。
『今度こそ助ける』
師匠の言葉が頭の中で反響する。老墓守が僕を助ける理由を改めて考える。自分が見てしまった人の命を、この手で救いたかったんだ。そして僕が死にかけていた。救えなかった命を僕に重ねてみていたんだろう。
師匠との思い出が空っぽの家に帰りたくない。僕は泣きながら墓石に縋り付き、夜を明かした。
翌朝、孤独感が募る中、吟遊詩人の歌が聞こえる。朝からなんだか様子がおかしいような……。
遠くからいつもと違う喧騒が聞こえた。市場の方だ。聞き耳をたてるとガイルンの低く張りのある声が風に乗ってくる。
「おお、セルゲイ、土と風の守り手!」
若者たちが決起し、広場に集まっているようだ。昨夜、僕らが教会から遺品を奪ったことが司教の耳に入ったらしい。朝から修道士が村を駆け回り、「ハーフエルフが神を冒涜した」と触れまわっているみたい。僕は目を閉じ、師匠の眼鏡を握りつぶしそうになる。墓守として生きる意味を僕はまだ見つけられていない。ガイルンの歌を聞き、決めた。僕が師匠の意志を継ぎ、村を救うんだ。
村から叫び声も聞こえる。ただならぬ気配を感じ、僕は市場の方へ顔を向ける。
村の方角から火の手があがっている。修道士が火矢を放ったのだろう。橙の灯りが喧騒を強めた。煙が上がり、不穏な雰囲気だ。
僕は師匠の墓石にキセルと眼鏡を置き、「師匠、行ってきます」と挨拶して駆けた。
木々の間を抜けると市場のざわめきが近づく。風が冷たくなり、埃に混じる焦げた臭いが鼻をついた。遠くで橙の光がちらつく。走りながら師匠の葉たばこの箱がポケットで揺れる。僕に出来ることは何か。答えを探しに行くしかない。
ガイルンの歌に叫び声が混じる。――やはり様子がおかしい。
村に戻ると空気が重い。市場には武装した修道士の姿も見える。教会の尖塔から司教が叫ぶ。
「ハーフエルフを捕えろ! 神への冒涜だ!」
司教の声が響き、武装した男たちが市場に流れ込む。ガイルンの歌を叫ぶ若者たちが石を投げ衝突が始まる。市場でガイルンを見かけた時、スミスさんが渡した帳簿を手に持っていた。
「領主と司教の不正の証拠だ!」
帳簿を掲げ、即興で『帳簿が語る不正の真実』を歌う。
「不正だ! やはり噂は本当だったんだ」
若者が叫び、石を握りつぶす。歌が彼らの怒りに火をつけ、市場が一気に燃え上がった。
僕は立ち尽くし、風が周りで荒々しく渦巻くのを感じた。その時、フェアリーリングの紫煙が脳裏をよぎった。あの時から僕を見ていたのか――その気配が近づく。
「今宵は人間共の騒乱が隣人の国まで届いておるな」
突然、甘い花の香りと共に妖精女王、ティターニアが現れた。白金が月光に揺れ、琥珀の瞳が僕を射抜く。
村人たちはこの幻想的な光景に見向きもしない。喧騒の中に彼女の声が響く。
「わたくしの美しい子、お前の魂が波を起こした。どうだ、満足か?」
僕は言葉に詰まり、首を振る。
「いいや、まだだ」
彼女は小さく笑い、指先に光の粒を纏わせる。光は僕の黄色い魔力と混じり合い、僕を包んだ。
「なら、これで続けなさい。――『道を照らせ』だが、全ては導く力ではない」
一瞬で消えた彼女の声が、耳に残った。ティターニアは僕をこの世界に呼び、『幸せを探せ』と言った。今、村の混乱を見て笑うのは、僕が選んだ道を試しているのか?
スミスさんが修道士を足止めし、シスタークララが教会内で司教の目を眩ませた。僕の背後で彼らが道を開いてくれたんだ。
武装集団が迫る中、僕は「道を照らせ」と呟くと黄色い光が広がった。若者たちの恐怖を癒やし、希望に変えた。ティターニアは僕に命を与え、今、試練の中で『幸せ』を問うている。
最初は戸惑う若者たちだったが、ガイルンが「英雄セルゲイだ! 土と風の守り手だぞ!」と叫ぶと、目が覚めたように輝く。今度は僕が行動で示す番だ!
「僕が師匠、モーリスの意志を継ぐ!」
僕の言葉に若者が頷き、他の村人と顔を見合わせる。
「村を変えたのはこいつだ!」
若者の声に圧され、修道士は一瞬たじろぐ。だが、他の若者も負けてはいない。
「セルゲイは俺たちの墓守だ!」
「そうだそうだ!」
若者たちは僕を取り囲み、剣先に立ちはだかる。ガイルンの歌が再び響く。
「司教たちに真実を突きつけようぜ!」
ガイルンが若者たちを先導する。リュートをかき鳴らしながら、行進を始めた。
「おお、セルゲイ、土と風の守り手
墓の静寂に命を灯す
差別の冷たさに背を向けて
村に希望の水を流す
老婆の薬草、秘めたる癒し
神の奇跡を笑うように
セルゲイは歌わず、ただ進む
臭気なき村を未来へ繋ぐ」
村人たちは『セルゲイの歌』を合唱する。武装した修道士が抵抗するも数に圧される。
「暴徒共め、女神の怒りを知るが良い!」
司教が修道士に命じ、祈りの文言を唱える。
「慈愛深き女神マリテ様、我が祈りを聞き届け給え。聖なる光を矢に宿し、罪を焼き尽くすさん。天より降り注ぐ焔よ、今こそその力を示せ!『火矢よ、飛べ!』」
修道士の祈りが終わるや、空から幾重もの火の矢が降り注いだ。
藁葺きの屋根が燃え、辺りを舐め回す。熱気に煽られた村人の顔が紅潮していた。
「信徒に攻撃をするのか!」
「やはり教会は間違っている!」
様子見していた村の老人たちが行進に加わった。石を握り、修道士たちに投げる。
「これは本当に女神の意思なのか?」
修道士の一人が呟き、剣を下ろす。他の者が司教を振り返り、混乱が広がる。信仰の盾が砕けた瞬間だった。その隙を群衆は見抜き、勢いで修道士を圧倒した。
やがて教会の正門に辿り着く群衆。木こりの男が大きな丸太を抱え、群衆の波を割って入った。
「モーリスの遺品を返せ!」
木こりの言葉に賛同する村人たち。
「不当な接収は許さない!」
その時、裏門の方角から馬のいななきが響き、「司教様、どちらへ!」と修道士の叫び声が聞こえた。司教が数名の修道士を連れて馬で逃げ出したらしい。
木こりの男が教会の門を大きな丸太で叩き開けると、シスタークララが待っていた。
「お待ちしておりました。モーリス様の家財は裏庭の隠し扉の中にあります」
シスタークララは息を切らしている。裏庭から逃げた後、修道士たちを引き付けていたのだろう。
その言葉に裏庭へと向かう僕らの背中を、慈愛に満ちたシスタークララの笑顔が見送った。
「みんな、こっち!」
僕が先導して群衆を案内する。みんなは続々と扉の中に入り、タンスやベッドを運び出す。村人の中には「今まですまなかった。もっと早くに助けるべきだった」と僕に謝罪する者もいた。
「ううん、いつも野菜や肉をありがとう。おかげで救われたよ」
僕は目一杯の笑顔で応える。
「すまねぇ、すまねぇ……」
若者は涙ながらに僕に縋り付く。困り果てた僕にゾーイ婆さんが割って入る。いつの間にいたんだろう。
「これからこの村は変わる。アンタらはその中でじっくり変わればいいさ」
しわくちゃの手が若者の背中をさする。
墓守小屋に荷物を運び終えると、ガイルンが歌で群衆を励ます。
「もうすっかり夜だなぁ。みんな、おつかれ! 聞いてくれ、『白百合の村の夜』!」
「 おお、ユルゲンよ、夜が明けるぞ
墓の静寂が希望に変わる
セルゲイの手が土を切り開き
白百合咲かせ、闇を払った
(リフレイン) 歌えよ、皆、白百合の村で
石を投げ合った手が今繋がる
差別の風を笑いものにし
未来を共に築こうぜ今夜!
帳簿が暴いた司教の嘘を
若者たちが石で打ち砕く
老婆の薬が癒しを届け
モーリスの魂が俺らを見守る
(リフレイン) 歌えよ、皆、白百合の村で
石を投げ合った手が今繋がる
差別の風を笑いものにし
未来を共に築こうぜ今夜!
火矢が燃やした藁の灰さえ
明日には土に還るさ
ガイルンが歌う、セルゲイの名を
この村はもう、誰も置かねえ!」
みな一様に満足げな顔を浮かべている。僕も村人と肩を組み、ガイルンの歌を歌う。群衆が「歌えよ、皆!」と合唱し、疲れを忘れる。
一時の安堵はスミスさんの登場で消えた。
「領主の犬がなぜここに?」
「そうだ、領主の不正も暴かないと!」
スミスさんに矛先が向かないよう僕は村人たちを窘める。
「みんな、聞いてくれ。この執事さんは僕らの味方だ!」
群衆のざわめきをスミスさんが落ち着かせた。
「私がルーヴェンス伯爵に証拠を届けました。これを――」
と羊皮紙を掲げ、
「市場でガイルンに託した。男爵の不正が貴族や国王に知れ渡るのも時間の問題です」
その言葉に木こりの男が叫ぶ。
「司教だけじゃねぇ! 領主の搾取も許さねぇ! モーリスの遺品を奪ったのはあいつらの結託だ!」
若者たちが修道士から奪った剣を手に、老人たちが鎌や斧を握る。
「教会は女神を裏切り、領主は我々を苦しめた。共に立ち上がろう!」
僕が頷き、声を上げる。
「次は領主の城だ! みんなで真実を突きつけよう!」
夜が明ける頃、数十人の群衆が墓守小屋から動き出し、ガイルンの歌が背中を押す。遠くに見えるベルナールの城へは衛兵の松明がまばらに揺れていた。
スミスさんが僕に耳打ちする。
「今なら防備が薄いでしょう。領主を倒すなら今が好機です」
コクリと頷き、群衆に向けて詠唱する。
「道を照らせ!」
黄色い光がみんなを包み込み、群衆の疲れた顔が一気に晴れる。
「魔法ってのはすごいね、疲れが吹っ飛んじまったよ!」
若者に背中を強く叩かれ、思わず咳き込む。初めて見る女神の加護以外の魔法に群衆は息を呑んだ。
遠くで馬蹄の音が響き、朝焼けに映る黒い影がいくつも揺れた。ゾーイ婆さんが目を細めて呟く。
「ふぇふぇ、伯爵の軍が動いたねぇ。司教を追っているのかい?」
朝焼けが群衆を包み、行進を後押しする。導きの光が新たな道を開いた。