第六章:執事の記録と解かれた鍵
妖精の笑い声が止んだと同時に、映像が霧のように溶けた。
「今のは一体……?」
シスタークララが驚きの色を見せる。
「さっきのは妖精のイタズラじゃろうな。婆も初めて見たわい」
ゾーイ婆さんは大きな目を更に大きく見開き、答える。
「ティターニア、あなたはホントに気まぐれだな」
僕がそう呟くと、婆さんは更に驚く。
「ティターニア! かの伝承の妖精女王かえ? 実在しておったんだね」
僕は神秘的な出会いを二人に言うか言わまいか迷った。が、先に口を開いたのは婆さんだった。
「……アンタ、このまま教会に乗り込む気かい?」
「そうするつもりです。師匠の遺品を取り戻したい。せめてキセルと眼鏡だけでも」
シスタークララは固唾をのんで僕を見る。
「無策で乗り込むのは危険が伴います。セルゲイ様の身に、もしものことがあったら……」
シスターの疑問は当然だろう。あと一歩、なにかしらの後ろ盾がほしい。
ゾーイ婆さんが胸元のネックレスを弄びながら言う。
「婆のツテの出番かね。どうれ、そろそろ……」
婆さんが窓の外の小さな城を見やる。暗くて分かりにくいが、二つの尖塔の上の旗が風にたなびいているのが分かる。突然、ノックもなしに木扉が静かに開かれた。
「ゾーイ殿、お待たせしましたか?」
凛とした低い声とともにその場にお辞儀する紳士は、疲れた顔をしている。右目のモノクルが知的な印象だ。
「待ってないよ、丁度よい折に来なすったね」
怪しく笑う婆さんに、白髪混じりの紳士はニコリと笑い、僕に向き直った。見れば見るほど、この粗末な小屋には似つかわしくない身なりと振る舞いだ。
「墓守のセルゲイ殿、お初にお目にかかります。私はスミス。この村の領主、ベルナール・ド・クレマン男爵の執事頭としてお仕えしている身です」
僕は驚きを隠せず立ち上がる。
「執事さんが何故ここに?」
「この方がゾーイ様のツテ、でしょうか?」
スミスさんは静かに微笑み、モノクルを調整した。
「私はこの領地の記録係でもあります。貴殿の行い――閑所の設置による衛生改善、野菜くずを肥料として活用など――が村の死亡率を下げた事実を記録しました。ベルナール様は認めませんがね」
その時、スミスさんの周りに青色の風が渦巻いた。三人には見えていない様子だ。スミスさんが言葉を紡ぐたび、風は炎のように揺らめいている。彼の静かな怒りがスミス自身の魔力と呼応するかのようだった。
「……魔法を使えるのですか? 僕には青い炎が見えます」
スミスさんは首を傾げ、不敵に笑う。
「ええ、貴殿には特別な力があるようですね。エルフや他のハーフエルフにもない特性です」
妖精達がまた僕らの周りを飛び交う。「知りたい?」「教えてあげようか?」と囁く。僕が頷き、妖精が応える。
スミスさんの足元からツタとローズマリーが生えてくる。彼を包み込むように伸びるとスミスさんはたじろぐ。
「これは、一体?」
「スミスさん、あなたの記憶を覗かせて」
僕はスミスさんに手を捧げる。僕の黄色い魔力と彼の魔力が溶け合い、絡む。具現化した霧が男の子の横顔を映した。
*
スミスは下級貴族の次男という出自を持っていた。小さな頃の疑問は大人には難解で「本に頼りなさい」と言われて育つ。本はなんでも知っていた。スミスはやがて学者になるのだと、父や妹に言って回るようになる。
妹が「お兄様ならなれますわ」と言い、父は「兄のように領地は継がなくてもいい。したいようにやりなさい」と言われ、家庭教師や本を与えられた。
だが、家は没落した。父が領主に逆らい、税を滞らせたせいだった。十二歳になった頃、屋敷を差し押さえられる。母は病で死んだ。父は酒に溺れ、妹とスミスは村の端で飢えを凌ぐ日々。
十五歳になったスミスはボロ布を纏った妹の手を引き、市場を歩いてた。彼女は咳き込みながら「お腹空いた」と呟く。スミスは盗んだパン屑を渡し、「我慢しろ」と自分を責めた。
ある冬、領主の重税で食料がつき、妹は熱にうなされ息を引き取った。凍える土に妹を埋め、呟いた。
「こんな世の中、間違っている。後世にこの事実を残さねば」
決意を新たに放浪するスミス。様々な学問を独学で学び、二十歳で執事見習いとしてベルナールに拾われた。スミスの知識を買ったのだ。執事見習いとして改めて行儀見習いを学び、執事としてのあり方を叩き込まれた。
やがて執事頭として記録係を任されるようになり、男爵の言動に疑問を抱くようになる。その目は教会にも向けられていた。
妹を死なせたのはこんな領主や教会だったのかもしれない。スミスを突き動かしたのは妹の死だった。
ある日、いつものように領地の記録に目を落とすと、ユルゲン村の数字に違和感を覚える。三村の中で際立って死亡率が低い。部下の見習いをユルゲン村に何人か派遣し、村の実態を調査すると、ハーフエルフの墓守が領主の許可なく閑所を設置したというのだ。
そこで村の厄介者であるゾーイと接触した。老婆の人脈は豊富だった。教会や領主の愚痴を、薬を渡すと共に村人から聞かされるのだろう。同じく差別対象の肉屋や、墓守を差別する農民、村人から「粉を誤魔化してないか」と疑われている粉引き屋。果ては領主や教会のご機嫌取りをする村長まで。彼らの歪な社会構造はスミスのような貴族に準じるものに通じていた。貧民生活を強いられた過去を持つスミスは涙を禁じ得なかった。
シスタークララ(厳密には見習いなのでシスターは過大な評価だが)への接触は容易なものだった。彼女は信徒への奉仕と称して村の中でよく見かけた。勿論、ゾーイの小屋にも。彼女は自分の信仰に疑問を持っていた。女神の御手に触れられるのはユマン種のみという教会の教義に、純粋な心で疑問を抱いたのだ。クララは見習いという立場を利用しながら、司教の不正を記録していた。一介の見習いにここまで行動を起こさせるセルゲイに俄然、興味が湧く。彼の衛生改善がここまで実を結んだのだ。
村の酒場は吟遊詩人ガイルンの独壇場だ。彼は低く張りのある声で領主の横柄さや、教会への皮肉をユーモラスに歌い上げる。この酒場での定番曲『セルゲイの酒場歌』は客のお気に入りなようで、飲めや歌えやの大騒ぎ。彼の歌には魔力でも込められているのか。スミスには分からなかった。彼には領主の不正を暴くための布石になってもらおう。
今、スミスは執務室にいる。手元の羊皮紙には周辺都市の上級貴族への密告書。 具体的には自身がつけた帳簿、シスタークララの手紙、男爵の封印付き書簡、教会の寄進記録の偽造票、男爵の私印。これに老墓守の家財があれば完璧だ。
今宵は周辺都市の上級貴族を交えたパーティだ。今ならセルゲイに接触できるだろう。ベルナールの国王や上級貴族への信頼度は低い。反旗を翻す絶好のチャンスと言えるだろう。
大広間のシャンデリアが燭台の光を反射し、葡萄酒の香りが漂っていた。男爵ベルナール・ド・クレマンが中央に立ち、上級貴族たちに杯を掲げる。
「諸君、周辺都市との連携こそ我が領地の未来だ。獣人の奴隷を安く仕入れ、鉱山で働かせれば利益は倍増する」
彼の笑顔は脂ぎっていた。 貴族の一人、ルーヴェン伯爵が鼻で笑う。
「ベルナール卿、いつも金のことばかりだな。司教がいれば神の名の下に浄化でもしてくれるのか?」
別の貴族が続ける。
「今夜は教会抜きか。信頼を得たいなら、もっとマシな提案が欲しいものだ」 スミスは壁際に立ち、モノクル越しにその光景を見据えた。袖のインク染みが葡萄酒の赤に隠れる。
男爵が彼に目配せし、「スミス、なにか良い案はないか?」とぶっきらぼうに尋ねるが、彼は小さく首を傾げるだけだ。――司教が不在で、貴族たちも冷ややか。今が好機だ。
スミスは部下に「少し出かけてくる」と告げ、マントを翻して裏門へ向かった。背後で貴族の嘲笑と男爵の強がりが混じり合い、彼の青い風が一瞬だけ揺れた。
*
スミスさんに絡みついた植物が枯れて塵になっていく。
「妖精女王の奇跡、二度も見られるとはね。もう婆はいつ死んでも良いぞよ」
ゾーイ婆さんがイタズラっぽく笑う。スミスさんは尻もちをつき、シスタークララは祈りを捧げている。
幻影は消え、妖精の笑い声も霧散した。
「執事さんや、アンタの心を映し出したようじゃな。さて、どうする?」
シスタークララは祈りを止め、口を開く。
「それなら私に良い考えがあります。教会の裏庭に隠し扉があって、そこにモーリス様の遺品が保管されています。鍵はここにはありませんが……」
「私も持ってないですね。男爵が厳重に保管しているので」
僕はスミスさんの言葉に考え込む。一同が僕を見つめる中、言葉を紡ぐ。
「僕の魔法をここで役に立てず、どこで役に立ちますか? ここは僕に任せて下さい」
「ふぇふぇふぇ、男前だねぇ。さて、急ごうかえ。まったく、老いぼれに鞭を打つなんて……この借りは高く付くぞ」
婆さんの言葉に僕らの足は教会へと急いだ。
「まずは婆の出番かね」
ゾーイ婆さんが茂みから顔を出す。教会の敷地内には修道士達が数人、見回りをしていた。ポイッと懐から巾着を放ると、煙が辺りを包んだ。その煙を吸った修道士達はその場に倒れる。
「強力な眠り薬さね。吸わんように気をつけるのじゃぞ」
コクリと頷き、煙を嗅がないよう袖で鼻を押さえる。僕らは慎重に教会の裏庭へ向かう。
「セルゲイ様、こちらです!」
裏庭の地面に鉄の扉が落ち葉に雑に隠されていた。落ち葉を除けると頑丈な鍵がついている。
(鍵を開けるイメージ、中の機構を動かすイメージ……)
「アンロック!」
黄色い風が錆びた鍵に巻き付き、ガチャリと開いた。スミスが静かに見守っている。
「妹のためにも、これが正しい」
小さな呟きが僕の耳に届いた。
中は埃っぽく、思わず咳き込むシスター。みんなで手分けして老墓守の遺品を探した。
「これです!」
シスターが師匠のキセルと眼鏡を取り出した。棺桶の中に入れていたはずなのになぜここに? 疑問は二の次に、持てるだけの遺品をそれぞれ持ち帰る事にした。
「これで充分でしょう」
スミスさんは満足そうに頷く。
「執事さんや、これはガイルンへの土産でええかね?」
ゾーイ婆さんは墓守の杖と祈祷書の断片を掲げた。その問いにスミスさんの右目のモノクルが妖しく光った。
「ええ、彼には布石になってもらいませんと」
僕らは遺品を抱え、隠し扉を抜け出した。ゾーイ婆さんが
「急げ、煙が薄れてきたぞ」
と急かす。クララが祈りを呟きながら後方を警戒する。
遠くから修道士の叫び声が聞こえる。
「侵入者だ! 司教様に知らせろ!」
スミスが冷静に囁く。
「裏道を通れ。私が足止めする」
彼はマントを翻し、修道士へ歩み寄った。
「執事頭だ。誤解だ、落ち着け」
と声を張る。
僕らは茂みに隠れ、スミスの背中を見送った。灰色の風が揺れ、彼の青い風が一瞬強く揺らめ、消えた。
*
男爵が貴族たちに葡萄酒を勧める。
「司教は今夜、教会で祈りを捧げている。我々に邪魔は入らん」
ルーヴェン伯爵が目を細める。
「邪魔がないのは結構だが、卿の領地は貧民ばかりだ。連携する価値があるのか?」
男爵が顔を紅潮させ、「ユルゲン村の作物は増えている!」と反論するも、貴族たちは冷笑を浮かべる。
スミスは城に戻り、ベルナールに報告した。
「教会が荒らされ、墓守が遺品を奪ったようです」
男爵が嘲笑する。
「愚かなナイフ耳めが。司教に知らせ、見せしめに吊るせ。上級貴族にも我が力を見せつけてやれ」
スミスは頷きつつ、マントの下で羊皮紙を握り潰した。そこには奴隷計画、教会の偽造記録、クララの手紙が隠されている。彼は執務室を出ると、市場へ向かった。
酒場の裏で待つ若者に証拠を手渡す。
「吟遊詩人ガイルンに届けろ。彼の歌なら周辺都市に広まる」
若者が頷き、闇に消えた。