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第四章:灰色の風とスズランの記憶

 空っぽの部屋の中で僕は自分の無力さに打ちひしがれていた。家財が、色が、匂いまでもあいつらは奪ったんだ。瞳から光が消える。金色に光っていた目はヘーゼル色に戻っていた。

――――暖炉に火を入れなきゃ。僕は「ファイア」と唱え、暖炉を温めた。

 師匠が唯一使える魔法を披露してくれた時が、一番嬉しかったな。それからたまに僕の魔法をここで使っては、師匠がその度に驚いてくれて。また師匠に褒めてもらおうと、ゾーイ婆さんの住む“穢れの森”で密かに練習してたんだ。夜中に黙って家を抜け出したんだけど、師匠はきっと気付いていただろうな。

「ははは、師匠。僕はね、いつまでも師匠と一緒にいたかったんだ。辛くても、師匠が笑ってくれたから頑張れたんだ」

 物語のように『いつまでも一緒に幸せに暮らしましたとさ』なんてないのは重々承知だ。でもね、突然いなくなるなんて。……違うか。師匠はここ一年、湿った咳をし、掘削作業を僕に任せていたな。あれは僕を信用してくれていたのもあるだろうけど、老いた体に肉体労働は辛かったのかもしれない。ゾーイ婆さんの渡す薬を飲む回数が多くなっていた。婆さんも心配そうに「無理はするんじゃないぞ」と言ってたな。


「セルゲイ! おるかや?」

 突然、声とともに扉を乱暴に叩く音がする。僕はふらつく足で玄関に向かう。

「おお、そんなに痩せこけて。詳しいことは婆のとこで聞く。さ、手を」

 皺の寄った手を掴み、穢れの森へと急いだ。


「それで司教に駆け込み訴えたと」

 僕はゾーイ婆さんに事のあらましを話した。

 薬草の香り漂う部屋は、師匠の家とは似ているようで違っていた。ゾーイ婆さんの背後にある大きな黒鍋からは、深緑の湯気が立ちこめている。壁には薬草が沢山干しており、本棚には魔法書(この村では禁書だ)が並んでいた。

「ええ、でも取り返せませんでした。僕は無力です」

 翡翠のネックレスが婆さんの胸で揺れる。

「アンタ、どうしたい?」

 ゾーイ婆さんの目が鋭く光った。

「全部でなくても良い、遺品を取り返したいです」

 婆さんは口を歪ませ、スツールから立ち上がる。

「婆には良いツテがある。それはアンタが見えてなかったものじゃ」

「ツテ? 見えてない?」

「ふぇふぇふぇ。アンタは気付いてないだろうけどよ、教会も領主も一筋縄ではないんじゃよ」

 訳が分からない。僕は墓守として地に足の着いた生活を送っているだけだ。

「アンタはこの村に複数の反乱分子をばら撒いたんじゃよ。思い出してみぃ、まずは教会のあの娘っ子を」

 その時、黄色の風が心を揺らし、忘れていたスズランの記憶が咲いた。


     *


「精が出ますね。私もここで祈らせて下さい」

 灰色のローブに身を包んだ見習い修道女、クララはスズランの香りを漂わせている。膝を突き、墓石に祈る姿は清廉そのものだった。ゆっくりと目を開け、セルゲイを見つめると、ふわりと微笑む。赤銅色の緩く縮れた髪を風が揺らした。

「いつもありがとう、シスタークララ。でも教会に見つかるとまずいんじゃありませんか」

「構いません。女神はユマン種を優遇しているようですが、私は他種族にもその御手をお触れになられると思っております」

 セルゲイはその言葉の意味を思案した。クララのその考えは異端に映るのではないかと危惧したのだ。しかし、クララは言葉を続ける。

「教会は神の御言葉を曲解しているのではと、疑問に思いつつあるのです。様々な文献を読んでみても『異種族に石を投げろ』とは書いておりません。過激な思想で民衆を先導し、懐を潤しているかもしれません」

 彼女の翠眼が憂いに帯びた。それは毎夜、司教の目を盗み禁書と呼ばれる魔法書を読み漁った思い出が胸にあるからだ。

「あなたはハーフエルフにもかかわらず、人間の村の衛生改善に努めてくださいました。民家に無償で閑所トイレを設置し、格安で不浄を回収してくれてますね。その奉仕を女神様は見ておられます」

 村の臭気の原因だったトイレ問題。セルゲイはこれをわずか数カ月で解消したのだ。クララはその時期から『女神の教え』と『教会の教義』について考えるようになった。

「シスタークララ、それ以上はいけません。あなたが異端審問にかけられる恐れがあります」

 セルゲイは彼女が危険に晒されるのを抑えた。端正な顔は土で汚れ、少し日焼けしている。

「それでも私はあなたを見つめています。今は試練の時かもしれませんが、いつかセルゲイ様の行いは実を結ぶでしょう」

 純粋な翠色の瞳はセルゲイ真っ直ぐ見据えている。彼の理解者としてここに存在していた。


     *


「ふぇふぇふぇ、スズランとな。アンタ、シスタークララのことを好いとるのかえ?」

 ゾーイ婆さんの言葉に尖った耳が熱くなる。その瞬間、足元のスズランが枯れ、塵となって消えた。


「婆はな、アンタを知ってるヤツをよーく観察しとる。ほれ、あの吟遊詩人はどうじゃ?」

 思い当たる人物は最近、村の酒場で歌を披露している吟遊詩人――ガイルンの事か。彼は四年ほど前から師匠と僕が仕事をしている時に話しかけてきては、カラカラと笑っていたな。なんでも「君がこの村に変革をもたらしたんだ。この後、広場で歌を歌うから聴いていってくれよ!」と言ってたっけ。僕らは行けなかったが。

「酒場にまで行ってたんですか……。相当気に入られたんですね」

 その後、何年も時折墓地を訪れては、僕らと談笑しては市場に向かっていたな。村人の目なんて気にしてない様子だった。

「『酒と風の守り手』だなんて持ち上げてさ、『便所作って神を出し抜く』なんて歌詞で皆が腹抱えて笑ったらしいよ。頑なな連中は『ハーフエルフを英雄扱いとはけしからん』って顔しかめてたが、若い奴らは杯掲げて『セルゲイに乾杯!』なんて騒いでたってさ。店主も気に入ったのか、その詩人にエールを奢って『また来い』って。アンタの知らん間に、名前が村に響いたよ」

「そんな事が……でも村人達は変わらない様子でしたが」

 ゾーイ婆さんは慈愛と憂愁の目を浮かべて僕を見据える。

「そりゃアンタ、領主や教会の目があるからさね。大手を振ってアンタを褒めやしないさ。その代わり、食べ物には困らんかったろう?」

 時折、墓守小屋の玄関に野菜や干し肉が置いてあったのはそういう事か。農民や肉屋の中にはアイツらに不満を持った者もいたんだな。僕の目頭がじんわり熱くなる。

「婆の所にもガイルンは来てな。貧民のために安く売った薬を手放しで褒めておったよ。なんでも『ばあちゃんの薬は神の奇跡を越えてるよ!』とな。そのお陰か、婆の玄関にも野菜やら干し肉やらが置かれておった」

 大きな鷲鼻を高くあげ、ふふんと笑った。認められことが誇らしいのだろう。


 木扉が静かに来訪者を告げる。

「セルゲイ様はこちらにおられませんか?」

 その声は甘やかでハチミツのようだ。ほのかにスズランの香りもする。

――――シスタークララだ。

 オイルランプを片手に携えた彼女の息はあがっている。急いでここに来たのだろうか。

「ゾーイ様、夜分遅くに申し訳ありません。墓守小屋にセルゲイ様はおられず、こちらを訪ねた次第です」

「まぁまぁ、こっちへおいで、可愛いシスターさん。ちょうどアンタの話をしとったとこでな」

 婆さんが目線をこちらに向ける。その視線は僕をからかっているようだ。

「シスタークララ、如何されました? 僕にご用があるって一体……」

 僕の手をシスターの両手が包み込む。

「教会に家財を奪われたと聞きました。大丈夫……ではありませんよね。モーリス様の遺品はまだ教会の中にあります。なんとか時間を稼いでみせますので、ご安心下さい」

 そのやり取りを見ていた婆さんは僕を冷やかす。

「ふぇふぇふぇ、色男だねぇセルゲイや。浮いた話もないと思ったら……こんなとこにスズランが咲いておったのかえ」

「ゾーイ婆さんは黙ってて!」

 頬も耳も熱い。シスターにこの熱が伝わりませんようにと祈った。彼女を見ると伏せた顔は赤かった。

「可愛いシスターさん。アンタはセルゲイの味方を見つけておらんか?」

「そうですね、一番村人達の反応があったのはガイルン様でしょうか。あの方の歌には不思議な魅力があります。私が初めてお見かけした日はセルゲイ様を讃える歌を広場で歌っておりました」


 吟遊詩人の低く張りのある声がしたように思えた。明るく温かな光が、リュートの奏でる旋律と共に僕らを包んだ。

 四年前のある日、僕が墓地で土を掘っていると、リュートを抱えた青年が現れた。その様子が映像として僕らの前に現れる。不思議がる僕らの様子に、妖精が笑っていた。

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