第三章:灰色の風と師匠の影(後編)
遠くから教会の人間が棺桶を運んでくるのが見える。彼らは豪華な衣装を身にまとい、金のアクセサリーで着飾っていた。そして僕の尖った耳を一瞥する。
「ナイフ耳めが、死体でも漁りに来たのか?」
ギラついた刃物のような言葉を投げかけた。
「こいつぁワシの後継者だ。お前さんらが人を寄越さねぇからワシが拾ってきた。名前はセルゲイ。今後ともよろしくやってくれ」
師匠は淡々と紹介する。それは僕を守ってくれたように感じた。尚も睨み続ける権威の象徴達に僕は儀式的に一礼をする。
「それは良かった。モーリスさん、彼を“よろしく”頼みますよ」
“よろしく”とは村の秩序を守るように、僕が何かしでかさないよう監視の意味があったのだろう。彼等に反抗しないよう指導しろよと短い言葉で暗に示したのだ。
「今日はこの一体だけです。報酬は……これでいいでしょう」
修道士が鈍く光る銅貨を師匠に放り投げる。ズロタ銅貨一枚。それが今回の報酬だった。地面に落ちた銅貨を拾い上げる。
「……神に感謝いたします」
師匠の顔にはなんの感情も読み取れなかった。ハラハラと見つめると僕に悲しく笑いかける。
「慣れじゃ、慣れ。そんな顔をするでない」
修道士の後ろ姿が見えなくなるまで僕らは佇んでいた。吹き抜ける風がサワサワと草木を揺らす。
「さぁて、棺桶を墓穴に入れるぞ。次は土を被せる。それで仕事は一段落じゃ」
明るく振る舞う師匠に合わせて僕も明るく努めた。「はい、師匠!」と元気に返事をし、仕事をこなしてみせた。白百合を棺桶の上に置き、土を被せる。
「……上出来だ」
師匠はニヤリと笑った。
師匠はパンッと手を叩き、すっかり高くなった陽を仰ぐ。
「腹が減ったな、昼食にしよう。今日はお前さんの初仕事記念にチーズを持ってきたぞ。パンに載せて食うと格別じゃでな」
僕達は墓地の所々に生える木の側で食事を摂る事にした。
「いただきます!」
チーズの載せた固いパンを噛みちぎると、乳製品の甘みが口内を支配した。僕の口とパンを繋ぐように伸びたチーズがだらりとぶら下がってる。地面に落ちるのではと伸びたチーズを指に絡め口に運ぶ。濃厚な香りに口も鼻も喜んだ。
「ごちそうさまでした!」
五分で食べ終わった昼食は森でのサバイバル生活ではなかった温かさがあった。墓地は肥料を撒いた土の匂いに満ちているのに今では気にならない。人と食べる食事の有り難さがそこにはあった。
「食べ終わったな。それじゃあ村の方を案内するか」
立ち上がり、簡単に土埃を叩く。師匠が僕を上から下までマジマジと観察している。視線に気付き「なんですか?」と尋ねた。
「……セルゲイ、外套のフードを被っとけ。いずれバレるだろうが、ゆっくり案内したいでな」
「? はい、分かりました」
師匠の態度に疑問を抱きつつフードを被る。尖った耳が手に当たった。そうか、異種族だと悟らせたくないんだなと師匠の小さな気遣いに胸が熱くなる。同時に申し訳ない気持ちも込み上げてきた。
「……ありがとうございます」
師匠に気付かれないよう呟いた。
師匠が先導して歩く。僕はスコップを肩に担ぎ、後ろをついていった。ユルゲン村は小さいけれど、人口は密集しているように感じる。木と石でできた家々が建ち並び、屋根には藁や板が載っている。通りには鶏がコッコッと歩いていて、時々子どもが泥だらけの手で遊んでいるのが見える。
村の中央にそびえ立つ教会は、この村の権威の象徴だ。空気が重苦しく澱んでいる。墓地に来た修道士の服装は、苔に覆われ崩れそうな尖塔という教会の外見と正反対だった。服装に気を遣うより建物をなんとかした方がいいのではないかと考えたものの、よそ者の僕には口を出す権利もないだろう。
師匠は足を止め、教会をじっと見上げた。
「用事でもない限り、教会には近づくんじゃないぞ」
師匠は低い声で呟く。その視線は遠い昔に思いを馳せているようだった。
「次は市場じゃ。ここがユルゲン村で一番賑わっている場所じゃろうな」
市場は狭い広場に露店がいくつか並んでいるだけだが、魚の匂いはしない。川はあるけど汚れていて、魚なんてほとんど獲れないんだろう。
村人たちが僕をチラチラ見ている。その視線が刺さるようで、居心地が悪い。僕は悟られないよう懸命に隠した。
「黒パンにジャガイモ、人参……。肉やチーズもあるが臨時収入があれば買うくらいかの。この村で採れる物が主で、たまに旅商人が広場に店を出店しておるな。ワシには手も足も出ないがの」
昼食のチーズは僕への労いだったんだなと顔が綻んだ。
昨日から気になってる事がある。辺りを見渡しても“ソレ”はなかった。
「あの……この村には共同トイレはないのですか? 村の中心に来てからその臭いが……言いにくいのですが、気になって」
野菜売りから商品を受け取る師匠に疑問を投げかける。
辺りに広がる鼻につくこの臭いは、前世での記憶にある仮設トイレを思い出す。糞尿が発酵する臭いだ。思わずえずきそうになるが、口元を押さえる事でなんとか耐えた。
「共同トイレだぁ? そんな上等なモン、都会にしかねぇさ。領主様にお願いしても叶わねぇだろうな」
師匠はあからさまに不機嫌だ。野菜売りの男も呆れたように僕に言い放つ。
「違ぇねぇ。領主様をアテにはしない方がいいぜ、美男子さん」
お釣りを乱暴に師匠に投げつけ、「毎度あり」とだけ言うと他の客の相手をしている。
「ボサっとするんじゃない。さっさと帰るぞ」
村人達から逃げるように広場を後にする。ここにはあまり滞在したくないようだ。ひそひそ話をする村人から「非民が美男子を連れてる。変な組み合わせだ」「どうせロクなモンじゃないよ。ほらフードを目深に被って……如何にもじゃないか」と声がする。耳を隠そうが関係ないのかもしれない。
僕が項垂れていると師匠が励ましてくれた。
「今日はお前さんの存在をあやつらに知ってもらうだけの日じゃ。異種族と分かると、こうはゆっくり観光出来なかったろう」
師匠の背中が大きく逞しく見えた。やがて人が少なくなり、僕らの足音だけが辺りを支配する。そして僕ら以外の人影が見当たらなくなった。僕はようやくフードを外し、師匠の影に追いついた。
「荷物、持ちます。今日はありがとうございました」
帰り道、墓地の側を通りかかると、野菜くずが捨てられているのを見かけた。
「セルゲイ、ちっとばかし急な仕事が入ったようじゃ」
そう言うと野菜くずを箒でかき集め、こんもりとした山にした。懐からマッチを取り出し、その山に火をつける。黒い煙が立ち上ると辺りに焦げた臭いが立ちこめた。
師匠と僕は火の側に座っている。
「時々、村の連中がゴミを墓地に放るんじゃ」
その言葉に『不法投棄』という文言が浮かぶ。しかし、野菜くずを放置するなんて……少し勿体ないと思ってしまった。
「魔法が使えるお前さんのことじゃ、マッチなんて古臭いモンだと思うだろうがな、この村は女神様の加護を受けた有り難い村なんでな。魔法はご法度なんじゃよ」
「女神様、ですか。どういった神様なんですか?」
「このお方じゃ」
腰に携えたポーチの中から小さな本を取り出す。フィールドワーク用のポケット図鑑のようなサイズ感だ。
本を開き、とあるページ一面に描かれた女神様は頭にベールを纏い、丈の長い衣服を召していた。伏せられた瞳は周りに傅く者へ向けられいる。仏像の慈愛に満ちた瞳を思い出した。
「女神マリテ様じゃ。マリテ様の背後にある丸いのは後光とされておる」
「それと魔法になんの関係があるんです?」
当然の疑問だ。
「マリテ様の御手は信仰を誓ったユマン種、つまり人間のみ救うんじゃ。他の亜人や獣人は含まれておらん」
「人間至上主義、ですか。僕が信仰を誓っても救ってくれないと?」
師匠は肯定の頷きを返す。
「人間が魔法なんぞ使おうと思ったらなぁ、まず魔導書って分厚い本を引っ張り出してくるんだ。魔力の感じ方だとか、妖精にどうやってお愛想するかだとか、そんな小難しいことがぎっしり書いてあるらしい。それを頭に叩き込んで、やっと使えるってぇ寸法さ。マリテ様に誓った連中は違うけどな。聖書の文言をブツブツ唱えて祈りゃ、奇跡がポンと出る。冒険者みてぇな奴らにゃ僧侶って呼ばれてるのがそれよ。よそじゃ魔法使いや獣人なんかと仲良く旅してるらしいが、この村じゃそんなの夢のまた夢だ。森に魔獣が出たり、墓地にアンデットがウロついた時は便利がって使うくせに、普段は鼻つまみもの扱いだからな」
「でも行商人などの旅人もこの村を訪れるでしょう。村に宿屋なんかはないのですか?」
ふむ、と一呼吸おきキセルに手を伸ばす。
「宿屋なんぞない。マリテ教の信徒は教会に宿泊するが、そうでない場合は村長の家にでも泊まっておるのだろうよ」
村人が旅人を歓迎する情景が浮かばない。きっと墓地の側の森で野営でもするのかも。
「もっと外部の人と仲良くした方が得なのに、不思議ですね」
師匠は鼻を鳴らし、遠くに見える小さな城を眺めた。
「領主様はマリテ教の敬虔な信者じゃ。やれ『ドワーフは鉱山でも仕事しろ』だの『長命種は気味悪い、昔のことを煩く言う』だの、果ては『獣人など人間の奴隷がお似合いだの』と口癖のように言っておるらしい。ひどいものじゃよ」
やれやれと肩を落とし、消えた焚き火を足で踏みならす。よいこらせと腰を上げ、僕の手を掴んだ。
「ワシはな、ユマン種でないお前さんを助けたい。今度こそは助けてみせるんじゃよ」
師匠は消え入りそうな声でそう呟いた。
夕暮れが墓地を茜色に染めていた。師匠は墓石に腰かけ、キセルを手に紫煙を吐き出してる。僕はその隣で、白百合を摘みながら土の匂いを嗅いでた。風が冷たくなってきて、耳が少し疼く。
「師匠、さっき言ってた『今度こそ助ける』って、どういう意味なんですか?」
僕の声に、師匠の手が一瞬止まった。煙が細く揺れて、夕陽の中で消えていく。
「ふぉっ、聞き耳立ててたのか。お前さん、耳がいいなぁ。」
誤魔化すように笑うけど、その目はどこか遠くを見てる。キセルを膝に置いて、師匠は小さく息をついた。
「昔な、ワシにもお前さんみてぇな奴がいたよ。旅の途中で行き倒れてた獣人の若造だ。毛むくじゃらで、尻尾がピンピン跳ねてた。村の外れで拾ったはいいが、連れて帰る前につまみ出された。」
師匠は指で地面を軽く叩く。土がパラパラと崩れて、靴に落ちた。
「ワシはなぁ、『まぁいいか』って思っちまったんだ。どうせ村の連中が許さねぇし、ワシ一人じゃどうにもならねぇってさ。そいつ、教会の連中に引きずられて森の外に放り出されたよ。次の日、野営の跡に血と毛が散らばってた。狼か何かにつかまったんだろうな。」
声が低くなって、キセルの先で墓石をコツコツ叩く音が響く。僕の手が止まって、白百合が膝に落ちた。
「助けりゃ良かったって、後で思ったよ。ワシがもっとゴネてりゃ、せめて一晩でも匿ってやれたかもしれねぇ。じゃが、怖かったんだ。村人に睨まれるのが、教会に逆らうのがな。今でも夢に見る。あの毛むくじゃらの尻尾が、血だらけで揺れてるのを。」
師匠は顔を上げて、夕陽に目を細めた。しわだらけの頬に光が当たって、いつもより老けて見えた。
「お前さんを見て、そいつを思い出した。ユマン種じゃねぇお前さんを放っておけねぇ。今度こそは、ワシの手で助けてみせるって、そう思っただけさ。」
僕は黙って白百合を握り潰した。師匠の言葉が胸に刺さって、喉が詰まる。
「師匠は悪くないですよ。僕だって、逃げてばかりだったから……。」
師匠はフンと鼻を鳴らし、キセルに火を灯し直した。
「悪くねぇも何も、終わった話だ。ほれ、百合が潰れちまってるぞ。明日また摘み直せ。」
煙がまた立ち上って、師匠の顔を隠す。僕はその背中を見ながら、初めてこの老人がどれだけ重いものを背負ってるのか分かった気がした。