第一章:墓守の土と白百合の香り
いつものように土を掘る。これが僕の日常だ。掘り返した土から自然の香りがする。その香りを嗅ぐと、生を実感するのだ。
「やーい非民ー!」
僕の頭に痛みが走る。足元に落ちた血のついた石。どうやらまた子どもに石をぶつけられたらしい。これも日常の一コマだ。
子どもを一瞥することもなく作業を再開する。
ザクザクと自分の身長分の穴を掘り終えると、次は墓石と反対方向に掘っていく。こんな時代なので毎日棺桶が運ばれてくる。冒険者の遺体は数知れず。孤児や飢えに堪えられず亡くなった者もそれなりにいる。皆等しく同じサイズの棺桶に運ばれてくる。どんな者にも死は平等にやってくるのだと思わされるのだ。
しかし、今回の仕事は僕にとって特別なものだ。
血混じりの汗を拭うと教会の人間がやってきた。その視線は冷たく、僕は自分がここのニンゲンではないと思い知らされる。
教会の人間は僕の耳を見て「ナイフ耳めが」とぽつりと言った。僕の耳が良いのだろう。その言葉はニンゲンには聞こえなくても、ハーフエルフの僕にはよく聞こえる。形式的に会釈をし、後ろ姿を見送った。
そうだ。僕の村での処遇はかなり悪い方だろう。
この村(というよりこの世界が正しいのかも知れない)に来て五年、まだまだ僕は外部の人間で他種族だ。
でもこの村の差別は可愛いもので、エルフの村での生活は一日と持たなかったので、ニンゲンしかいないここはまだマシなのだ。
エルフの村を追われ、この村の近くの森で餓死寸前のところを墓守のおじいさんが助けてくれたのだ。
世話になったお礼と、この村での自活という名の後継者育成を兼ねて僕を家においてくれたのだ。おじいさんこと師匠がいうには
「ハーフエルフというのはエルフよりは短命でも、ニンゲンよりは長命と聞く。老い先短いワシの後継者にはぴったりだろう!」
なるほど、タダより怖いものはないなと思った。あっけらかんと師匠はいうが、この村に縛り付けたいというのだ。末恐ろしい。
しかし、墓守という重労働に加え、差別や死者と向き合うという精神的苦痛を長年経験してきたせいか、僕に他のニンゲンと変わりなく接してくれた。
過去形なのは一週間前に師匠は僕に看取られながら息を引き取ったからだ。
僕は師匠の遺体を丁重に扱うよう教会に進言した。どこまできちんと扱ってくれたかは分からないが、師匠の棺桶はここにある。
先ほど掘っていた穴は師匠のための墓穴だ。
“末恐ろしい”と悪態をついたが、僕にとって師匠は師匠足り得る人物だ。ニンゲンにとってエルフやドワーフというのは冒険者や商人でもない限り、出会うことのない人種だ。知らないものと交流するのはニンゲン同士であっても怖いものらしい。特にこの辺境にある村では。
領主はニンゲンに対しては良い人物に映るだろうが、他種族に対しては偏見の目を向ける。
「ドワーフは鉱山で仕事をしていろ」
「長命種など気味が悪い。昔のことをネチネチと小煩い」
「獣人などタダのペットであろう。せいぜい人間の奴隷がお似合いだ」
などひどい暴言が市井にまで伝わっている。それを良しとするのが領地民だった。
*
師匠が眠っている棺桶を、慣れた手つきで墓穴に入れる。彼のために参列する者は僕以外ない。師匠が好きだった白百合の小さな花束を一緒に埋めようと思う。棺桶の中には師匠がいつも使っていた眼鏡、キセル、いつもの安い葉たばこを供えている。これで天国に行っても不便でないと良いのだが。
花束を棺桶の上にそっと置くと、土を被せた。これから長くなるであろう、僕の人生初の手向けは、思っていたものより事務的だった。
それでも丁寧に土を被せたつもりだ。師匠との思い出を噛み締めてるうちに少しだけ手が止まった。土の匂い、キセル独特の匂い、お茶を煮出す仕草。その何気ない生活が次々に頭を過ぎる。それらがかけがいのないものだったのだと、身に沁みているみたいだ。
今日の大事な仕事はこれでおしまい。あとは各家屋に溜まった糞尿を運ぶだけだな。
この村は各家屋にトイレのある。実に文化的だと思う。旅人が村が糞尿臭くないと称賛していたのを聞いた。村人は僕を指差し「それはあいつが来てからかもしれない」と鼻高々に話していた。まるで自分の手柄かのように言うのだ。旅人は少し困惑した様子で相槌を打っていた。
どうしてもこの世界の臭いに慣れなかった僕は一念発起し、各家屋を回りトイレと糞尿置き場を設置したのだ。
「そんなものなくったってアタシたちは暮らしてた」
「非民の考えることは変だな」
そう首をひねっては口々に呟く。わからなくてもいずれ分かるだろうと僕は聞こえないふりをした。
その結果、村の衛生状態はだいぶ改善され、疾病が流行ることも少なくなった。その事実に村人や領主は気付いているのだろうか。疑問だ。
そしてある噂が流れ出した。
「あの非民は贖罪のために糞尿を運んだり、墓守をしているんだ」
なんてことだろう。ニンゲンはわずか数年で記憶がなくなるのか。……違うな。知っている。彼らは誰かを自分たちより“下”に置きたいのだ。先に言った通り領主も人間至上主義だし、出処はここだろうな。
「……領地内全体を見ましても、作物は例年より多く収穫されております。また、ユルゲン村の領民達の死亡率が年々減少していることにも注目しておいた方が良いでしょう」
「ふむ、やはりあのナイフ耳が来てからとスミス、お前は言っていたな。エルフの村ではあのようなものは一般的なのか?」
「……といいますと?」
「トイレだ、トイレ。あいつら下民共の家にはなかっただろう。視察の時もあの下民独特の臭いがなかった」
「はい。墓守のハーフエルフ、セルゲイの働きのおかげかと思われます。それとエルフ族はハーフエルフを人間より嫌いますので同じように扱ってはよろしくないかと……」
「だまれ! 一介の執事風情がこのベルナール・ド・クレマンに口答えをするな! お前はワシの質問に答えるだけで良いのだ!」
「……はい、申し訳ありませんでした。以後、発言に気をつけます。先程のエルフ族の村の風習ですが、トイレを各家屋に設置はしておらず、村の何ヶ所かに公衆トイレを設置し、回収するというシステムであるとのことです」
「ふん、ナイフ耳め、マメなことをしおって。しかし、なぜ各家屋に設置した?」
「それは解りかねます」
「あやつ、なにやら企んでおるのではないか? なにせ長命種だからな。あいつらは油断ならん。うむむ……」
*
魔法、それは不思議なものだ。ここにやってきてから師匠に色々教えてもらった。エルフの村を追い出された時も火の玉やら水の玉が飛んできていた。懐かしい。
「セルゲイ、魔法は見たことがあるか?」
肯定の頷きを師匠に向ける。
「ふぉふぉ、さすがにあるか。ここの村の者は魔法を使えん者が多い。エルフの村にいた事があるなら魔法を使える者が大半だっただろうな」
「師匠、僕はたった一日でエルフの村を追われたんですよ? 観光もできなかったくらいです」
わざとらしく肩を落として見せる。師匠はしわくちゃの顔を緩め、キセルに火を落とす。フーっと紫煙を燻らせ、たっぷり蓄えた顎髭に手を添えた。
「実はな、ワシは魔法を使えるんじゃ」
「ええ? 師匠からは何も感じませんが……」
ハーフエルフの特性なのか僕は他人の魔力を肌で感じることが出来る。それはまるで風が色を帯びているかのようだった。
「まぁ分からないのもさもありなん。ワシの魔力はほんの僅かじゃからな。そぉら!」
――ふわり。
葉たばこが入った小さな木箱が浮いた。そしてふよふよと灰色の風と共に空中を揺蕩い、僕の手元に来た。
「……このくらいの小さいものしか浮かせられないがの」
師匠は照れくさそうに笑い、僕から目を逸らした。
「十分すごいです! 鍛錬次第では色んな魔法も使えるんじゃないですか? それに冒険者に」
「ワシには冒険者は向かんよ」
僕の発言を遮る。
「それにワシがいなかったらこの村の墓守がおらんようになる。ワシは縁にも恵まれず、この通り、子をなさなかったしな」
「…………」
しばしの沈黙を破ったのは師匠だった。
「じゃがセルゲイ、ワシにはお前がおる」
墓守の担い手などいるわけもない。僕を恩で縛るくらいしかなかったのだ。それだって負い目があるだろう。なんだか師匠の背中が小さく見えた。
「まぁなんだ。話は変わるがお前さん、前世の記憶があるとな」
「ええ。こことはまったく違う別の世界の記憶があります」
ふむ、と師匠は考え込む。
「セルゲイ、森で目を覚ました時、何か変わった物を見なかったか」
「……そう言われましても。あ、フェアリーリングがありました。毒々しい煙を吐いて不気味でしたね」
師匠はその言葉に目を見開く。
「それじゃ! フェアリーリング、確か冒険者の中には“チェンジリング”とも言われておったな」
――――チェンジリング。それは前世でも聞いたことのある単語だった。確か人間の子どもと妖精の子どもを取り替えられる不思議な伝承だったはずだ。
「あれは踏むと体を変貌させ、魂を入れ替えるのだと」
「まさか、師匠はそのような話を信じるのですか?」
僕は師匠の突拍子もない話に笑って流す。しかし僕を見つめる眼差しは真剣そのものだった。その様子に思わずゴクリと喉を鳴らす。
「セルゲイ、お前はハーフエルフなのにエルフのような佇まいをしておる。純血のエルフは雰囲気が違うものじゃよ。一度だけ旅をする純血のエルフを見たことがある。ワシはお前さんを見た時、その旅人を思い出したんじゃよ。あのきのこのリングを踏んだ時、何か違和感はなかったか?」
「……言われてみれば、でも僕は、半端者です」
絞り出した声は自分でも驚くほど小さかった。俯く僕の肩を叩き、師匠は優しく微笑んだ。
「お前さんは墓守の仕事を全うしておる。それはワシが保証しよう。村人たちはお前さんを良く思ってなくとも、見ている者はちゃんとおる」
「そうでしょうか……。僕には師匠しか理解してくれる人はいないと思っています」
「ワシも最初はそう思っておった。若いのう、ふぉふぉふぉ」
ケラケラ笑う師匠の声が部屋の中にいつまでも響いていた。
*
「どうして……」
仕事を終えて家に帰ると待っていたのは伽藍堂の部屋だった。あんなに物が散乱し、狭かったはずの部屋がこの有り様だ。壁にかかったミモザのドライフラワーも、たくさんあった瓶も、スキレットも何もかもなかった。帰ってから食べるはずだった黒パンやスープの入った鍋さえも。
だらんとぶら下がった腕の先の拳に力が入る。
――――こんなことするのはあいつらしかいない。
僕はおもむろに家を飛び出した。
「ちくしょう! ちくしょうめが!」
僕にはなかった言葉を口にする。僕の周りには橙色の風が荒々しく纏っている。今、気付いた。僕には感情が、想いがあったんだ。ただそれを押し殺して生きてきただけなんだ。それに気付かせてくれた師匠に改めて感謝した。
「どういうことだ!」
扉を乱暴に開けたと同時に叫んだ。
「おやおや墓守さん、夜分にどうしたんです? そんなに急いて……喉も渇いたのでは? 今、お水を持ってこさせましょう」
にたりと笑う司教に僕はますます顔を紅潮させた。
「決まってるだろう、僕の……師匠モーリスの家をどうかしただろう!」
「ふふふ……。『埋葬は自分がするから“丁重に”扱ってくれ』とそうおっしゃいましたよね。なのでそれ相応の対価を払ってもらっただけですよ。いやぁ、苦労しましたよ。年寄りは物を溜め込みがちで……。修道士まで総出で運び出しましたよ」
司教はキャソック(司教の平服)の袖で口元を隠しながら笑いを抑えている。
「ええ、もちろん葬儀は“丁重に”しましたとも。平民のしかも墓守ごときのためにね。入堂式は誰もおりませんでしたが粛々と進めました。言葉の典礼も感謝の典礼もそれはそれは丁寧に行いましたとも。そうそう、聖歌隊もお呼びしましたよ。モーリスさんのためにね。」
司教の目は三日月の形に歪み、僕を捉える。蔑みの眼差しだろう。それは村人やエルフ達が向けてきた視線だ。今はそれが僕の心に火を灯す。キッと金色に光る瞳で睨みつけると司教はわざとらしく怯えてみせた。
「おお、怖い。魔力の風など纏わせて……。才能のない私にも見えるほど激昂してらっしゃるのかな? この悪魔の手先めが。やはり他種族はなにをしでかすか分かりませんなぁ」
……隙を見せてしまった。うなだれた先に震える脚が見えた。あれほど熱かった頭がキンと冷えた。手足がじわじわ冷たくなり、痛感した。僕の弱みは師匠だったのだ。
足元には水滴が落ちている。頬に伝う熱い涙を拭うことも出来ず、その場に突っ伏した。
「しかし、葬儀代は先に支払ったはずだ」
司教のクククっと漏れ声が聖堂に静かに響く。
「いえ、ですから“丁重に”扱った結果、足りなかったのですよ。教会もただでは運営できませんからね。それとも今すぐ五ペネ聖金貨支払えるのでしょうか?」
「聖金貨……。“丁重に”か……ふふふふふ」
顎をしゃくらせた司教は恭しくお辞儀をし、聖堂の扉を手で指した。
「さぁお帰りはあちらです。夜も冷えますからご自愛下さいませ」
慇懃無礼な司教の言葉に素直に従うしかなかった。
「なにも出来なかった……。師匠、僕はまだ無力です」
家財道具のなくなった部屋に帰ると、僕は玄関でへたり込んでしまった。神様、僕に何を成せというのですか? あの時の不思議な声を思い出す。
『ならば自分なりの幸せを探してみるがいい』
あの声が神様だとしたらあまりにも試練が重すぎやしないか。僕は何も無い部屋の隅にうずくまり、五年前の不思議な出来事に思いを馳せた。