逃亡生活2
私生活がバタバタしており、まったく手が付けられませんでした。これからものんびりペースでの投稿となります。
ほんの3日前の回想を終えたリーフェは、彼自身が大工のように見事に改装したキッチンでせっせとスープを作っている悪魔を、ため息をつきながらただ見つめていた。
あちこち傷んでいたこの小屋の屋根も柱も床も、彼が木を物理的に倒して砕いて、驚異的なスピードで直した。
なぜそのようなことができるのかと聞けば、リーフェの中にある記憶を読んだからだという。
リーフェは貴族からは嫌われていたが、そもそも魔力がなく色の選別がない平民からは特段何の感情を持たれないので、孤児院などの慈善活動に精を出していた(まあやれといわれてやっていただけともいうが)。だから平民の仕事ぶりもよく見ていたのだ。朽ちそうな教会を直していた大工も確かに見たことがあるし、修道女たちが子供たちに食事を作る過程も見ていた。
ちなみにすでにテーブルの上にあるパンは今日も貴族女性にねだって買ってもらったそうだ。
魔力を持つ貴族は、同じ色の魔力を持つ異性を常に狙っている。より強い魔力を血に入れるためだ。
そのため、近親婚も多いのがこの国の特徴だった。
ジルヴェストは自身の髪と神と瞳の色を自在に変え、毎回違う女性をひっかけているのだ。
この美しい顔立ちの男が好みの色をしているのだから面白いように引っかかるのだという。
同じ顔のはずなのに、色が違うだけで同じ男だとすぐに判断されないことに、ジルヴェストは酷く唇をゆがめて笑っていた。
ーーー人間っていうのは何も見ちゃいないんだな、と。
「ほら」
ぼんやりとしていたリーフェの前に、ほかほかとあたたかな湯気の出ているスープが目の前に並べられる。
「………ありがとう」
「どういたしまして」
何の力も与えてくれないジルヴェストに苛立つが、それ以上に準王族として、そして厄介者として、お役目以外に何もせずに生きてきたリーフェは役立たずだ。
ジルヴェストがいなければ直ちに野垂れ死ぬといっても過言ではない。
だからなんとなく釈然としない思いはあるものの、施してもらったことにはきちんとお礼を言う。
手に負えなくなり結局は自分の意思を押さえつけられたとはいえ、大司祭はきちんとリーフェにしつけを施していたのである。薄緑の髪と不思議な光をたたえる緑の瞳の老人を思い出し、リーフェはきゅっと胸の奥が痛いかのような気持ちになった。
『かわいそうに。闇の精霊に魅入られたのはおぬしのせいではないのにの』
彼は厳しかったが、しかし、温かかった。
彼はリーフェ自身を奪ったが、しかし、それを誰より悔やんでいた。
うすぼんやりとした記憶の中で、リーフェは老人の後悔を、嘆きを、幾度となく聞いた。
『この世界がこんな制度でなければ。いやしかし、そうしたらこの国はどうなるのだ…』
結界を守るために大司祭は、ずっと早く老人になったのだという。魔力は寿命だからだ。
膨大な魔力を持つと選ばれ、幼い頃に城に連れてこられ、結界に魔力を吸われ続けて彼は人の3倍は早く老化し、そして死んだ。
ただひたすら国のために尽くすだけに生きた。家族もなく、一人ぼっちで。
それを犠牲と言わずしてなんというのだろうか。
大司祭であると、その御霊は英雄であると、死後にたたえられることに何の意味があるというのだろうか。
「リーフェ?食べないのか?お前の嫌いなピーマンは入ってないぞ」
「食べるわよ!だいたいピーマンって何よ!?」
どこに向けたらいいのかわからない感情にとらわれて、リーフェはじっと目の前のスープをにらんでいたらしい。
ふるり、首を振って、リーフェはスプーンを口に運んだ。
薄い味だが、温かいというだけで知らずに肩に入っていた力が抜けた。
「そうなのか。ピーマン食べられるようになったのか」
「いい大人が好き嫌いするわけないでしょう。そりゃ昔は嫌いだったけど・・・昔?」
リーフェが好きだ嫌いだなどと判断できるわけがない。
なぜなら自我を奪われていたからだ。
ではピーマンが嫌いだった頃というのはいつなのか。
リーフェ自身が混乱してしまった。
そもそもなぜそれをこの男が口にするのか。
「なぜ、あなたがそんなことを知っているの?」
「……あっ、いや」
「ねえ、なにを隠しているの?」
リーフェの黒い瞳がキッと吊り上がった。
「悪魔、あなた、私を何か騙そうとしているの?」
「してない!契約者には忠誠を誓うことになるからだ。誓って騙したりしない!」
「じゃあなんで私の昔を知っているのよ?!言いなさいよ!」
じろっとにらんで命令すると、ジルヴェストははぁっとため息をついて、何度かその赤い唇を開いたり閉じたりし、そして、「言いたくない」とのたまった。
「はあぁあああ?!?!何よ、言いたくないって!」
「言ったら負けな気がする」
「何言ってるのよっ?」
「とにかく俺は言わない」
「忠誠を誓っているんじゃないの?!」
「忠誠を誓っても言いたくないことは言わなくていいんだ」
「何よそれ!信用できるわけないでしょっ」
無茶苦茶な理屈にリーフェはバンっとテーブルを平手で叩いた。
激情してしまうと手が出るのは、素のリーフェの気が強すぎるからである。
ラーヴェルの影響はもうないはずなので、リーフェの性格の問題だ。
「やっぱり悪魔なんて信用できない!何を隠しているの?!実は力を使えないなんて嘘なんでしょ?!こんなになんでも物理的にはできてなんで力が使えないっていうのよ!おかしいじゃない!」
「だから、俺には力が使えるんだ。外に出せないだけで」
「そんなのどうやって信じたらいいのよ!」
「信じたらって・・・」
「私の願いをかなえてくれる気がないんでしょっ?!うやむやにして魂だけ食べようって狙ってるんでしょ!最低っっ!!」
「そんなことはしないッ!」
粗末な椅子から立ち上がったリーフェの腕をジルヴェストが掴む。
そのままぐいっと引き寄せられて、頬を両側からつかみ取られ、真っ赤な瞳がリーフェの黒い瞳を覗き込んだ。
「何をどうしたらいいのか俺にもわからないが、俺はお前を騙してなどいない。魂の契約を結んだ。俺はお前の不利益になることは絶対にしない。お前の味方だ。信じてほしい」
「…じゃあ、言いかけたことを言ってよ」
「……それは嫌だ」
「何よそれ!?」
「お前に、自分で思い出してほしいんだっ!」
「え、思い出してほしいって…」
何を?
ジルヴェストの顔が苦虫を嚙み潰したような不機嫌なものになる。
「俺だけ、なんて悔しいだろ」
「だから何が??」
「言いたくない」
「はあっ?もういいわよ!はなして!!」
わけがわからないことを繰り返すジルヴェストをリーフェはどんっと突き飛ばした。
怒って、自室のドアをバンっと力任せに閉める。
残されたジルヴェストは、貴族女性としてはありえないほどに気性が荒いリーフェの残像を名残惜しそうに、切なく見つめた。
「あの爺さんが死んだらすぐに術も解けると思っていたのに」
その呟きは、リーフェの耳に入ることなく、空気に消えた。
****
「ーーーん、う、ぅう……lぷは、は、はぁ…っ!」
夜半過ぎにリーフェは自らのうめき声で目を覚ました。
息が止まっていたようで、ぜいぜいと胸が大きく上下をする。
しばらく、どどどどっという自分の心臓の音だけが聞こえてきていたが、やがて静まり返っている暗闇にほぅっと息を吐きなおす。
(ああ・・・はやくしなきゃ・・・)
のそり、と起き上がったリーフェは、冷や汗に濡れた額を手の甲でぬぐった。
『人の子よ』
耳の奥にこだまする声なのかもわからない、地響きのような低い声。
『人の子よ、我が命をつなげてくれた人の子よ。そなただけには伝えよう。彼の地に……』
それは夢ではない。記憶だ。
あの金色の結界の中で、リーフェは確かに聞いていた。
生き物の声を。
『早く、逃げなさい。我では防げない』
その忠告を。
(私一人が逃げるなんてできっこないわ)
たとえ、従順であれと国に尽くすように意思を奪われた状態でなくても。
リーフェは、この国にいる罪もない人々を見捨てられやしない。
(なぜかしら?私は闇令嬢であって、極悪非道で冷酷な悪役のはずなのに?)
自分のことだけ考えて、ずるく、残酷に立ち回るのが闇の精霊だ。
その加護を受けて生まれたリーフェなのに、ラーヴェルとは考え方が一度として似なかった。
リーフェを蔑んだ王族貴族たちは大嫌いだしどうでもいいと思うところはラーヴェル譲りかもしれない。でも、リーフェににこにこと笑ってくれた孤児院や教会の神父や修道女、子供たちは見捨てられはしない。それはリーフェの意思だ。
でも、リーフェ一人が何を言ったって、国全体を動かすことなんてできない。
まして、魔物のスタンピードが発生し結界を超えられるだなんて一体だれが信じるのだ。
リーフェがその先導をしたと疑われ、殺られるだけだ。
だから、リーフェは悪魔の力を手に入れようとした。魔物に対抗できる力を手に入れようと思った。
ーーーこの国の”人”を守りたいと思ったから。
でも悪魔にこんな「偽善的」で「崇高な」願いなど願っても面白おかしく一笑に付されるだけだろう。
だからリーフェは嘘をついた。
”復讐”してやるのだと。
ラーヴェルと悪魔の好きそうな言葉を並べて、闇令嬢らしく、力を手に入れようと思った。
のに。
(なんでほんとポンコツ悪魔と契約しちゃったのかしら!?!?)
リーフェはぐしゃぐしゃと美しい黒髪を掻きむしった。
ちなみに、髪の手入れもなぜかジルヴェストが嬉々としてやってくるので、こんな粗末な小屋にいるのにつやつやである。秘伝?のあの髪の保湿剤を売ったら大層儲かるに違いない。
(そういうのは求めてないの!!欲しいのは圧倒的な力なの!!)
リーフェは、仕方なく匿名でスタンピードについて騎士団や魔法団に手紙で伝えてみたが、当然のことながら無視である。彼らが動く気配はまったくない。
だいたい、リーフェだって「いつ」それが起こるかをはっきりと聞いたわけでもないのだ。
(ああ、どうしましょう、どうしたらいいのかしら・・・)
焦りに胸が詰まる。
「リーフェ?起きているのか?」
「きゃあ、なんでいるのよ?!」
寝台のうえでうんうん唸っていると、ジルヴェストがいつの間にか目の前に立っていた。
驚きすぎてリーフェの心臓が止まりかける。
うっかりしたことを独り言で声に出していないかもとっさに心配した。
「うなされていたのが聞こえたから。大丈夫か?顔色が・・・」
「大丈夫よ!それよりジルは早く私に力を与える方法を考えてよ!いつまでもポンコツだったら困るのよ!だから私だって、不安で、夢見が悪いんだわ!ジルのせいよ!」
伸ばされた手を振り払い、リーフェはジルヴェストの心配そうな表情に、ついきつい口調で返した。
「そうか……困ったな」
ジルヴェストの赤い瞳が本当に困ったように揺らめく。
考え込む様子に、言い過ぎた、とリーフェはすぐに後悔した。
「い、いえ、…、ま、まあ、ジルもわざとではないのでしょうし」
「さっきは俺の力が使えないのは嘘じゃないかって怒ってなかったか?」
「あっ、そ、そうだったわね。…やっぱり、そうなの?」
忘れていた。そういえば、それで怒って食事もろくにしなかったのだった。
なんとなく気まずくてリーフェは本当は答えがわかっている質問をした。
「いや、わざとではない」
「そう、よね…」
謎の隠し事はするジルヴェストだが、なんとなくこの話が嘘でないことはリーフェもわかっていた。
せっせと物理的に世話を楽しそうに買って出るジルヴェストが、楽しそうすぎて謎であるが、まあ、真実を言っているのだと思っていた。
「すまない。俺の力が使えていたら、リーフェを不安にさせないのに」
「ーーーっ」
ジルヴェストが寝台に腰掛け、ぎゅっと突然リーフェを胸に抱きしめた。
「本当に、なんでもしてやれるのに。安眠の術もかけてやれた」
「ジ、ジル!!離して!!」
広い胸板に顔をうずめる結果となったリーフェはバタバタと暴れるが、ジルヴェストは意に介さない。
「せめて一緒にいてやるから」
「はあっ!?」
なぜそうなった。
しかしジルヴェストは悲しそうな顔をしたまま、リーフェを寝台に横たえ、その隣に潜り込む。
「ちょ、ちょ、ちょっ?!」
これでも嫁入り前の娘である。
いくら相手が悪魔とはいえ、同衾はない。絶対にない。
何せ男性である。絶世の美青年である。見た目は。
「出て!お願いだから出ていってっ!」
「いやだ。リーフェがうなされたらすぐに起こしてやるから」
「大丈夫だから!もう大丈夫だからぁ!」
「心配するな。手は出さない。…まだ」
「…まだ?」
なにか不穏な言葉が聞こえた気がする。
しかし、ジルヴェストはふふっと笑っただけだった。
「俺は人間じゃないし、気にするな」
「そ、そうかもしれないけど!ひっ、ちょっと!どこ触って」
「リーフェはいい匂いがする。…うまそう」
「ひぃっ」
くんくんと首筋に鼻先を押し付けられている。
貞操の危機ではなく、魂の危機であるのか。
「やめ、やめてっ!」
「ああ、まあ、ここでは…」
「ここではっ?!」
「いや、まだリーフェの願いを叶えてえてないから我慢する」
本当なのか。
うっかり寝てしまったらぱくりと魂を食べられていたなんてことはないのか。
顔を青ざめさせたリーフェは必死に出ていけと男を追い出そうとしたが、物理力マックスのこの男はびくともしなかった。
やがて疲れ果てて、「ほらもうあきらめて寝ろよ」という男の言葉にリーフェはうっかり目を閉じてしまった。
「ーーーおやすみ、俺の” ”」
またわからない古語を呟き、ジルヴェストがリーフェの瞼に口づけたのが分かったが、もはや抵抗する気力がなかった。