第三十二話 ガリウス
男は闇夜の森を全力で駆けていた。夜目が効くとはいえ、墨で塗りつぶしたような濃い闇の前に意味は無い。
だが、男は木々を躱し、跳ねながら疾駆する。
(なんだなんだ!? なんだ、あのガキ!!)
ガリウスは暗殺を生業とする毒蟲だった。
幼い頃からそう成るべく育てられてきたため、腕には自信があった。たしかに組頭をしているビャクレンの才には及ばないが、それでも並みの冒険者なら何人相手でも負ける気がしなかった。
(なんだったんだ、あの魔力……)
魔力感知でおおざっぱな状況は把握していた。自分を襲撃したと思われる子供が、ビャクレンに向けてなにかを投げようとしたのだ。その瞬間、魔力感知がかき消される魔力が放出された。
(バケモノ……)
魔力感知で状況を把握するのが常となっているカーナにとって、あの閃光の如き魔力は悪夢以外の何物でもない。
不意に草の摺れる音がした。ガリウスはナイフを構えながら視線を向ける。
「ガリウス……か……」
ボロボロになったビャクレンに思わず駆け寄る。
「ビャクレン様! 御無事でしたか!?」
「いや、してやられた……なんだ、あのガキ……」
両腕は真っ赤に染まり、ダラリと垂れ下がっていた。治癒魔術で応急処置を施されてはいるが……。
「動きますか?」
「痛みはするが、どうにかな……」
ビャクレンは己の持つ特殊天慶によって他者からの魔術を自動的に打ち消してしまう。だが、それは同時に他者からの治癒魔術を受け付けないことを意味した。そのため、己の魔術のみで治すしかない。
「運よく神経はやられてないらしい。一応、動くが……元に戻るのは一月はかかるな……」
「ジルギは?」
ビャクレンは無感情に首を横に振った。
「わからん。ここに来なければ、死んでいるだろう……」
ガリウスは哀しみを置いていくように口を開く。
「どうしますか? あのガキ、明らかに……」
「たしか、テオドール・シュタイナーと書かれていたな……西部から流れてきた元騎士見習いということだが……」
「テオドール……もしや……」
「……露骨すぎてありえんとは思っていたが、あのアルベイン伯爵本人かもしれん」
ガリウスはビャクレンを見ながら熟考する。
(あれがテオドール・アルベインだと知っていながら情報を共有されなかった? いや、ビャクレン様が知っていたら、こんな戦力では動いていない……ビャクレン様も知らなかったということか……)
情報が隠された理由は、蟲同士の争いを避けるためだろう。
西部の蟲は中央にも深く食い込んでおり、お互いに持ちつ持たれつで情報を共有しあっている。そして、西部の蟲はアルベイン家と縁が深い。普通、蟲は利で結ばれる。騎士のような名誉などクソの役にも立たない、と考える節があった。
だが、西部の蟲は利ではなく、忠義でアルベイン家とつながっていた。
(西部の蟲との関係上、アルベイン伯爵に対して攻撃するとわかれば問題になりかねん)
だからこそ、頭領たちは、標的であるアシュレイ・ボードウィンのみを討ち取るよう厳命してきたのだろう。被害を最小限に抑えるよう口添えて。
熟慮を終えたビャクレンが短く笑った。
「西部の噂話は全て尾ひれがついていると思っていたが、アレは本物だな。まともにやって勝てる相手ではない」
鍛え上げられた騎士は人の形をした兵器であり、雑兵や平民が束になったところで倒せるモノではない。
テオドール・アルベインは、たった一人で戦場の趨勢を変えるレベルの兵器だったと噂されていた。
「ガリウス、貴様……あのバケモノとやりあって、よく生きていたな?」
「自分でも不思議ですよ。意識を奪われたのにトドメを刺されなかったんですから……」
「情報を引き出すつもりだったのかもしれんな……」
そのままビャクレンは再び沈思してしまう。
「蝶はどうしますか?」
蝶とは暗殺対象の符牒である。
ガリウスの問いかけにビャクレンはため息をついた。
「やるしかあるまい」
「しかし……」
「なに、やりようはある。業腹だが、アルベイン伯爵を殺す必要は無い。それに、こちらが正体に気づいたと気取られるのも危険だ」
そう言いながらビャクレンは右手を開いたり閉じたりしていた。
今後のことを考えるならば、あくまで知らなかった、を貫き通すしかない。
「だが、蝶を狩るにしても、ジルギが死んだとなれば手が足りん」
「……俺が用立てますか?」
ガリウスならば、いくらでも兵士を用意できる。だが、秘密裡に且つ被害は最小限に、と上からは命令されていた。
「……手段を選んでいる余裕は無い。派手にやってもいいだろう」
「ですが、証拠隠滅が難しいかと……」
「終わったら全て燃やしてしまえばいい。なに、ダンジョンの中なら、どんな事故や災害が起きても不思議じゃない」
「了解しました。ですが、アルベイン伯爵相手に使える駒があるとは思えません」
「駒を戦力と考えなくていい。アレ相手に、まともに戦える者など、組織にもいるかどうか……なに、やりようはいくらでもある」
たしかにガリウスの特殊天慶とビャクレンの特殊天慶があれば、戦いようはある。
「ジルギを失ったのが痛手ですね……」
ジルギも特殊天慶を持っていた。かなり強力な能力だったが、それを使う前に排除されたのだろう。
「痛手ではあるが、奴の死には意味がある」
「そうですね」
天才ビャクレンはその特殊天慶により、仲間の死から力を得ることができた。だからこそ、ガリウスも己の死を恐れずに済むのだ。
「だからと言って、ガリウス、お前も簡単には死ぬなよ」
「わかっています。ですが、俺が死んだ後は……うまく使ってください」
「……そうならんことを祈るよ」
次の瞬間、ビャクレンの姿が忽然と消えた。
ガリウスはジルギが死んだのだと確信せざるをえなかった。




