神秘の宝剣・エビソード
目が覚めたらカニが居た。
「うわっ」
「おお、おめざめだ」
カニが喋った。
上体を起こした格好でぽかんとするわたしのまわりには、カニが居る。それも沢山。
なにガニだろう? くわしくないからわからないんだけど、赤くなくて、なんか茶色? 緑っぽい茶色、みたいな色だ。所謂「カニ」だけど、はさみはそこまで大きく見えない。
っていうか、体そのものが大きいんだけど。
そのカニ……カニのおばけ? みたいなのは、小型犬くらいのサイズから大型犬くらいのサイズまで、まちまちだけど、わたしが片手で掴んで持ち上げられそうなサイズのはひとりも居なかった。
「あの~」
多分、夢なのだと思う。カニだし、大きいし、喋るし。
そんで、ここはわたしの家じゃない。わたしの寝室じゃない。
「あなた達は……?」
わたしが丁寧に喋りかけたのが功を奏したのか、わたしからそれなりに距離をとっていたカニ達が、おずおずと近付いてきた。むむ、このサイズだと、かなり迫力のある顔してる。……あの部分って顔でいいのかな?
「ご挨拶が遅れまして、申し訳ありません、勇者さま」
勇者。
「えっ」
「わたくしはこの国の王でございます」
「妻でございます」
「長男で王太子です」
「その妻です」
なんだかぞろぞろと自己紹介は続いていった。王さまの奥さんのはとこの親友辺りまで連鎖したところで、わたしはストップをかける。
「ちょっと待った!」
「はい、なんでしょうか、勇者さま」
「その勇者って云うの、なんですか」
「は……勇者さまは、勇者さまです」
カニの王さまは、困ったみたいに右側に体重をかけて傾いた。人間で云うなら、首を傾げているような感じだろう。多分。
「この国に危機が訪れた時、みんなでお祈りすれば、勇者さまがいらしてくれると云い伝えられております」
「はあ……」
王さまは片方のはさみを口許へ持っていった。
「もしや、勇者さまには迷惑なことだったでしょうか」
「え? いや、えっと」
カニ達がみんな、意気消沈したように見えたので、わたしは慌てて手を振った。「いえ、驚いただけです。あの、寝てたから」
「おやすみのところを」
「いえいえ、いいです。あの、困りごとって? わたしにできることなら、手助けしますよ」
どうしてそんな言葉が口から出たのかわからなかったけれど、気付いたらそう云っていた。云ってしまったことはとりけせないし、仕方ない。
カニの王さまが深刻そうに頷いた……っていうか、体を一瞬前へ傾けた。ほかのカニ達は安堵したみたいで、ざわざわと低声のお喋りが聴こえる。
「実は……」
「実は?」
「……我が国に伝わる宝剣、「エビソード」がなくなってしまったのです」
「え? カニじゃなくてエビ?」
王さまの奥さんなど、王家の女性達がぞろぞろと近付いてきて、わたしの前になにか置いていく。丁寧に頭を下げてなにかを置き、頭を下げてさがっていくので、わたしもお辞儀を返した。
彼女達が置いていったのは、布地だ。とりあげてみると、服とわかる。普段、わたしが通勤の時に着ているものによく似た、シャツと灰色のスーツ、それに黒いパンプスもある。後は見たこともないような、綺麗なレースのリボンだ。
それらが置かれる間、王さまは困ったみたいな調子で喋っている。
「我らは、平和な国をこうやって維持しているのですが……川の上流に、荒くれ者の集団が居るのです」
え、ここって川のなかなの?
云われてみれば、なんとなく体が重いし、ずっと風みたいなものを感じていた。もしかして、水流なのかな、この「圧」みたいなものは。
多分、彼らにとっては川のなかに居るのは自然なことなんだろう。だから、訊いてもわからないだろうし、訊かなかった。それに、女性達へのお辞儀で忙しかったしね。
「その荒くれ者達は、我らとは異なる世界からやってきたのです。どこかの誰かが彼らの祖先をこの世界へ招き、それなのに迫害した為に、悪事をなすようになってしまった」
ふうん。わたしみたいに、お祈りで呼び出されたひとなのかな。
王太子の奥さんが、失礼しますと断って、わたしの髪にリボンを結び付けた。はさみなのにとても器用だ。
「その末裔達が、上流であらたな国をつくろうとしているのです」
女性達が全員、人垣……カニ垣? へ消えていった。
わたしはカニの王さまを見る。
「そのひと達を退治しろ……とか、云いませんよね?」
「そのようなことは……」
王さまはもごもごと言葉を濁す。
王さまの奥さんがその隣に駈け寄った。彼女はけなげに夫を支える。
「勇者さま、本来、このようなことを頼めた立場ではないのですが、どうぞお願いです。夫の為に、エビソードをとりもどしてください」
「はあ……」
「エビソードは我が国の宝剣。あれがなくては、夫は王位を失ってしまうのです」
なんとなく、深刻な話だというのはわかってきた。
エビソードは、この国が生まれた時に、「勇者」が最初の王さまに与えたものらしい。
とても綺麗で、芸術的なものだそうで、剣としての切れ味は正直ない。
でも王権の象徴だ。それを持っているひとが王さまになるって云うのが、カニの国の決まり。
上流の荒くれ者達は、しばらく前に攻め込んできて、宝物殿に這入りこみ、そのエビソードを奪っていった。
「我らも抗戦したのですが、力及ばず……」
わたしの前には、将軍や近衛兵達がずらりと並んでいた。なかには脚やはさみが少ないカニも居る。激しい戦いがあったのだろう。
「子ども達に被害を出す訳にいかないと、そちらを優先するあまりに、エビソードのまもりがうすくなってしまって」
「将軍、お前は悪くない。子ども達が無事だったのはお前のおかげだ」
王さまが将軍をなぐさめる。カニがカニの甲羅を撫でてる……。
ぼーっとしてしまっていた。近衛兵のひとりが口のまわりを拭う。
「勇者さま、自分達もつれていってください」
「ならん」王さまが重々しく云った。「勇者さまには、あの者達との交渉役になって戴きたいのだ。戦いに行くのではない」
「しかし、陛下」
「あちらにも少なからず被害は出ている。ここで断ち切らねば、無駄な争いが続いてしまう。わたし達は彼らと和平を結ぶしかない……」
王さまはしかつめらしい調子で云い、項垂れた。随分穏健派らしい。
わたしは片手をあげる。
「それで、どうしてわたしが? 誰か、交渉役をやれるひとが居るんじゃないですか」
「それがだめなのです。わたし達は、エビソードの所有者には絶対服従なので……」
ああ、そのエビソードが向こうにあるんだった。
わたしは頷く。それは、エビソードとこのカニ達との関係性を承知した、という意味だったのだけれど、カニ達はそう捉えなかった。
「勇者さま!」
「交渉してきてくださるのですね!」
「ありがとうございます!」
あ……ああー。もう、いいか。
多分夢だろう。
王家の女性達が置いていったものは、「勇者の装備」らしい。わたしは洗いすぎてペラペラになったTシャツとコットンのずぼんという寝間着から、通勤スタイルにきがえた。カニ達は男女問わずわたしのきがえを見ていた。というか、拝んでいる。勇者のきがえというのは縁起がいいものらしい。
交渉がうまくってもいかなくても、わたしがもとの世界へ戻れるよう、みんなでお祈りしてくれるそうだ。勇者達は、そうやってもとの世界へ戻っていったんだって。
わたしがスカートの皺をぱたぱたしていると、王さまの奥さんが棒を持ってきた。「これを……護身用です」
「あ、どうも」
うけとったが、どうにも頼りない棒だ。笹でできているみたいで、しなる。虫取り網の棒よりも頼りない。
わたしがそれを試しに振ると、カニ達がおおっとわいた。
「さすが、勇者さまだ」
「体が大きいから迫力が凄いな」
それはこちらのせりふなんだけどね。
紐のついた小さなつぼと、まるい木の実みたいなものをもらった。紐を肩にななめにかける。
「これは?」
「咽が渇いた時、おなかがすいた時に、どうぞ」
「ああ、ありがとうございます」
カニの王さまはわたしに頭を下げる。「勇者さま、怪我のないように祈っています」
お祈りでわたしを呼び出したのだ。彼らのお祈りには効力があるだろう。だからわたしは、お願いしますねと笑いながら頼んでおいた。
カニ達の環が崩れ、かすかに風が吹いてくるような感じがする方向へ向かう。青臭い香りがした。藻かな。
近衛兵達や、色が少しうすくて体の小さい子ども達が追いすがってきたが、大きな岩をまわりこむまでだった。そこから先は、ひとりで歩くしかない。
やけにごつごつした地面だ。川底なのかもしれない。その辺に石がごろごろころがっているし、大きな岩も散見された。
三十分くらいで、足が痛くなってきたので、休憩をとった。手頃な石に腰掛けて、木の実をかじる。木苺みたいな味がした。
周囲を見た。なんというか、緑の色つきがらすを通して世界を見ているみたいな、不思議なところだ。上を向くと、光があるので、昼間なんだろう。しかし、光源がどの方向なのかははっきりしない。全体的にきらきらと白い。
わたしは伸びをしてから、また歩いた。
護身用の棒は頼りないが、杖がわりにするのには丁度よかった。太さがいい感じなので、地面につきやすい。
そんなふうにえっちらおっちら歩いて、体に感じる風のような圧が強くなったところで、右方向からなにかがわたしにぶつかってきた。
倒れることはなかったけれど、吃驚して棒を振りまわした。「なに?!」
悲鳴みたいなものが聴こえ、足許になにかが落ちる。
……。
「……ザリガニだ」
わたしにぶつかり、そしてわたしの棒でノック・アウトされたのは、ザリガニだった。かなりのサイズの。
ザリガニはカニ達よりも大きい。子ども用の自転車くらいはあるんじゃないかな。
だけれど、わたしが持っている棒でも充分な威力だったらしく、意識を失っていた。死んだのかもしれない。
なんとなく申し訳ない気分になって、わたしはザリガニをおぶった。放置しておくのは気がひけたのだ。
しばらく行ってから、荒くれ者達がザリガニも敵視していたらどうしよう、と思ったものの、後の祭りだった。
「誰だ!」
「ここは俺達の縄張りだぞ!」
わたしは荒くれ者達の縄張りに到着したのだ。
ぴょんっと、わたしの前に出てきたのは、ザリガニ達だった。
うん?
「お前、見ない顔だな。……兄者!」
「てめえ、兄者になにをした!」
「え?」
ザリガニのはさみが迫ってくる。わたしは悲鳴をあげてしゃがみこんだ。「ええい、ちょこまかと!」
「兄者、今助けてやるからな!」
「ちょ、ちょっと、まって」
わたしは近場の岩のかげに隠れる。しかし、そちらには別のザリガニが居て、わたしに向かってきた。
叫びながらそこをはなれ、走る。ザリガニが居ないほうへと走っていく。上流へ向かっていた。下流へ逃げれば、カニ達が助けてくれるかもしれないのに。
要するにわたしは、ザリガニ達に誘導されていたのだ。
広場みたいなところに出た。石がごろごろした地面に、半透明の、灰色っぽいものが、斜めに刺さっている。
「もう逃げられないぞ!」
「兄者!」
ザリガニ達がわたしをとりかこむ。わたしは泣きそうになりながら、片手で棒を振りまわした。
やっぱり、頼りないのに棒は絶大な威力を発揮した。ザリガニがふたり、わっと云ってふっとぶ。
「こ、こいつ、強いぞ!」
強くない。単純に、わたしの力が彼らと比べたら強いと云うだけだろう。
だがザリガニ達は勇敢で、わたしが手を停めるとまた近付いてきた。どうしたらいいの……。
「わたし、カニ達に云われて、交渉に来ただけです」
「あいつら、用心棒を雇ったのか」
「そうじゃなくって、あなた達と和平を結びたいって……エビソードを返してくれたら」
「あれはあいつらに云うことをきかせる大事な道具だ!」
「そうだ!」
「返せない!」
「そんな……」
いよいよ涙が出そうになった時、わたしの背後で声がした。
「待て、お前ら」
ずっとせなかに背負っていた、あのザリガニだ。
ザリガニ達がはっとする。わたしのせなかから、ザリガニが滑り降りた。
「騒ぐんじゃねえ」
「兄者……」
「けどよお」
「俺はこのひとに負けた」
さっきまで気を失っていたザリガニは、頭を振る。
「ここの頭領として情けない。不意を突いたのに、かなわなかった」
「兄者が……」
「兄者が勝てなかったのか」
「おい、お前、勇者だろう」
「はい」
反射的に答える。
ザリガニの頭領は頷いた。
「あいつらはいざとなったら勇者を呼べるんだってな。ほんとだったんだな」
「ああ……そうみたいですね?」
「あんたには負けた。エビソード、持って帰ってくれ」
やった!
喜ぶわたしと対照的に、ザリガニ達は悲鳴をあげた。
「そんな!」
「苦労して手にいれたのに!」
「兄者、あんまりだ!」
「これで俺達もまともな暮らしができると思ったのによ!」
「黙れ!」
頭領が声を張り上げる。
皆、黙った。
「……もとはといえば、この世界のやつらに呼ばれたご先祖さまの不運だ。俺達は静かに生きていくしかない」
「兄者……」
「でも……」
「あの?」
片手をあげる。
頭領がこちらを向いた。
「なんだ」
「あの、あなた達のご先祖さまの世界へ、あなた達を戻せるかもしれないんだけど」
わたしはエビソードを持って、ザリガニ達と下流へ向かっていた。
あの、広場みたいなところに刺さっていたのが、エビソードだった。エビソードって云うくらいだから、おせちのエビみたいな立派なものを想像していたんだけど、これは多分ヌマエビだ。
半透明で、クリスタルみたいなものでできているらしい。鍔もなにもなく、剣には見えないけれど、綺麗だった。
「お嬢さん、さっきの話、本当かい」
「多分……できるかどうか、訊いてみます」
「ああ、頼む……」
「あ、王さま達だ」
大きな岩の傍に、王さまと数人のカニが立っていた。将軍や王太子も居る。
わたしがエビソードを振り上げると、彼らは歓声を上げて駈け寄ってきた。
ザリガニの頭領が、エビソード強奪の件について謝罪すると、王さまは深く頷いてゆるした。お互い、少なからぬ被害が出たし、両成敗でいいだろうということになったのだ。エビソードを穏便に返したしね。
「それで、王さま、お願いがあるんです」
「勇者さまのお願いでしたら、なんでも」
「あの、このひと達がもとの世界へ戻れるように、お祈りしてくれませんか」
ザリガニの頭領が心配そうにカニの王さまを見ている。
王さまは頷いた。
「できるかどうかはわかりませんが……やってみましょう」
ザリガニ達が沸き立った。
カニ達が呼び出した訳ではないから、お祈りをするにも手順があって、その準備に時間がかかるそう。その前に、わたしのお祈りをする。
でもそれよりも前に、宴会をしようと云うことになった。
カニ達もザリガニ達も、わたしに精一杯のご馳走をくれた。お花の蜜を集めたものや、藻のサラダ、見たこともないきのこ、くだものが自然に発酵してできた、あまくておいしいお酒など。
空、というか、水面のきらきらがうすくなってきて、突然夜が来た。でも、水のなかはまだ明るい。そこかしこに光を反射するものがあるのだ。石や、多分がらす片なんかだろう。
「勇者さま。ありがとうございます」
エビソードを持った王さまがお辞儀した。王家のひと達、将軍や近衛兵、ほかのカニ達も続く。ザリガニ達もお辞儀をくれた
「皆で祈ろう」王さまがみんなに云う。「勇者さまが、もとの世界へ戻れますように……」
わたしは寝間着に戻っていた。勇者の装備は、次の勇者が来た時の為に、宝物殿に戻してあるそうだ。
カニ達が喋っている。一斉にお祈りしている。それは心地よい音になって、わたしの体を包んだ。あぶくがふうわふうわと上へのぼっていく。
王さまがエビソードを掲げた。
「……変な夢」
ベッドの上で上体を起こす。
カニの国と、あらくれザリガニ達の戦いの、交渉役。なんておかしな夢だろう。疲れてるのかな。
でも、楽しかった。
欠伸をしながら、すぐ近くにあるローテーブルを見ると、マニキュアの壜くらいの小さいつぼが置いてあった。それの口のところには、紐が結んである。
「なにこれ」
手を伸ばし、掴む。
栓はキルクだった。それをぬいて、匂いを嗅ぐ。
甘いお酒の香りがした。
もしかしたら、もしかして、あれは本当のことだったのかもしれない。