弟2話 厨房の中
客用に置かれている長机の前に座り、前掛けを脱ぎ捨てて大福の入ったざるかごは机の下に投げ入れる。うーんとペナが伸びをしていると
「おはよう、ペナ。今日の調子どう?」
ペナと同じ年くらいの娘が2つの膳を持ってきた。
「ん、いつも通り」
「そっか、それじゃあ今日も売れ行きは好調ってことね、お疲れ様、ペナ」
笑いながらペナの前に温かい白米と味噌汁が乗った盆を置く。
「あんがとね、たけ。今日もたけ達の腕は変わらんと美味いなぁ」
「まぁね、ありがとう」
たけも笑ってペナの隣に座り朝食を食べ始める。あぐらをかいて食べるペナとは違い、たけは正座をして背筋をピンと伸ばして上品に少しずつ米を口に運んでいく。
一方、ペナはたけが食べ出した頃にはあらかた食べ終わっていた。
「ごちそうさん」
食べ終えると、ペナは足を放り出し、手を後ろについた楽な格好でたけが食べ終わるのを待つ。
外にしょっちゅう出て焼けているペナと比べて、厨房で働くたけの肌は白い。元々目元がはっきりしているので、女のペナが見つめてしまうほどの美人だ。
厨房から店先に出てくるまで、熱い蒸気の中で大福をつくっていたのだろ、頬はほんのりと赤みがかり、顔にクルリとかかって曲がった黒髪が引き立っている。
しかも小豆の良い匂いがする。匂いによって我慢出来なくなったペナは机の下から大福を取り出した。
「たけも食べん、本当に美味しいわー」
手持ち無沙汰になったペナはまた大福をのんきに食べる。
「もう、さっきおかみさんに怒られたばかりでしょう。私達だって作ってる時に盗み食いなんかしないよ」
たけは呆れながら可愛く笑う。そして、食べ終わった食器を重ねて立ち上がった。ペナの盗み食いは日常茶飯事なので、誰も殊更に騒ぎ立てたり告げ口したりしない。
「いつか本当に追い出されるわよ」
たけは食器を片付けに厨房へ戻ろうと背を向けた。
「あ、待ってウチも行くわ。本当にいらんの?」
「いりません」
こんなに美味しいのにと、連れないたけに残念そうに大福を見る。たけの為に取った大福だが、続けて3つも食べたらさすがに太ってしまう、そう思ってそっと机の下にもどした。
「待って、たけ~」
ペナは空のお椀を急いで持って厨房に走った。
稲屋の家の中のもう1つ目ののれんをくぐった先に、煙立ち込める厨房がある。
「すんごい熱気」
顔から湯気が立ち上るのを感じてペナが飛び跳ねる。厨房内を走り出しそうな勢いのペナの前に手を出してたけが制止する。
「ほら、食器置いて」
厨房に慣れていて入り口に入ったくらいで火照ったりしないたけだが、ペナの向こう見ずな行動にはいつも手を焼く。
興奮するペナを抑え、二人で食器を布巾で拭く。そしてきれいにしたお椀を重ねるのだか、ペナの上気した赤い顔はすでに厨房しか見えていない。そそっかしいペナの手つきをやれやれといった様子でたけは手助けする。
「太助さーん、今日も美味しかったよー」
頭にタオルを巻いて小豆が入った小鍋を力強くかき回している男はペナの声に顔を上げる。
「ほんなら良かったのぉ」
気の良さそうな太助は豪快に笑う。年は30代手前くらいで、稲屋の厨房のリーダーだ。
筋肉がついている細身の健康的な体で、穏やかな空気を纏っている。けれど職人に対しては厳しい人だ。
「たけ、朝メシ終わったんか、はよ来い」
「はい、おやっさん」
一度肩を上下させて、ペナに振り返ってまたねと笑って小さく手を振ると、すぐさま、たけは急いで裾を縛り直しながら草履をはき、土床の厨房に小走りで太助の元に行った。
今からもう少しして昼下がりになれば、一番の書き入れ時が来る。仕込みをするのに、夕方まで、ずっと厨房は忙しい。活気の絶えない場所にいると、力がみなぎる。
ペナは店先で脱いだ草履を走ってとってきて履き、厨房の中を歩き回る。
「おつかれさん、頑張ってんね。リズム崩して手打たん?」
ペナは2人組でもちをついてこねる屈強な男達に話しかけた。疲労で顔がゆがみながらも、餅をつくリズムは力強いまま変わらない。
そして汗をダラダラと流しながら眼光は鋭く力がみなぎっている。ペナは感心して手元を見つめる。
「こんなに力強く打つと、臼ときねの木の匂いが餅に移りそうやなぁ。あぁ、白くてはねる餅が輝いてんね、魂を込めてついとるから、きっと力が宿ってるんだねぇ。そんな餅やから、食べると、元気がでるんやろ。これ、ひっくり返してるのには意味あるの?いつも思うんやけど、何でやるのかねぇ。なにか手につけといて、まんべんなく餅に絡ませとんの?それやったら、ウチは魔法の粉とかつけると良いと思うよ、キラキラ光る粉が餅と絡まって、きぬと当たるときに力が弾けて魔法のキラキラが飛び散るの。素敵やない?--あ、出来たん!」
男はきねを置いて、ふぅと息を吐き出す。
その間、もう一人の餅をこねていた男が臼からつきたてのもちを取り出すと、隣の別の職人に渡す。渡された男は台の上に餅を広げて、熱々のもちをきゅっとにぎってちぎり取っては丸めていく。
「毎日、毎日うるさいやっちゃな」
「ほや、俺らのついた餅につばが入るやろ、あっちいけ、しっしっ」
男達は次の餅を打ちにかかろうと動きながら、ペナを睨む
「うちのつばもやけど、あんさんらの汗もめっちゃ入っとるやないかい。稲屋の隠しスパイスやからな」
強面にもにっと笑って、頑張ってと手を振ると、ペナはついた餅を渡されて丸めている一人の男の所にスキップで移った。
「おつかれさん、伊助、熱くないん?ウチも手伝おうか?」
「別に、大丈夫やし。後、お前触るなよ」
手際よく餅を丸め続ける伊助は、顔を上げないまま、不機嫌そうに応じる。つい、昨日、ペナが手伝うと言って伊助が慌てて止めるのも聞かず、つきたてのもちをつかみ、熱さのあまり伊助の顔に投げつけたのだ。
「あんな前の事、忘れたわ。あれはよけんかった伊助が悪いんじゃ」
「はぁ?なにいっとんや、お前、第一俺は目が見えんのやぞ」
「根性でよけんかい」
「ふざけんな」
伊助がペナに頭突きをくらわした。
「いっつー!あはは、バレた?」
伊助と話ている間、ペナは段々顔を伊助に近づけていた。
「ばか」
「あれぇ、顔が赤くなってるんやない?」
体を抱えてペナが笑う。同じ年くらいの伊助はからかいがいがあって、楽しいのだ。
伊助は無言で餅を丸め続ける。ペナと話始めたときから、ずっと伊助の手は止まらない。さっき上げた頭も、今はもう下を向いている。
「頑張ってな」
楽しい気分のまま、ペナは小豆を煮ているたけのところに歩いていく。太助と2人でたけは大福に入れるあんこをつくっている。鍋から目を離さず、ペナが近くにいることにも気づかないほどの真剣さだ。
「おつかれさん、たけ」
ペナはたけの隣に立って、鍋をのぞく。
「あぁ、ペナ、びっくりした。仕事いかなくていいの?」
「今はそんなお客さんえんし、大丈夫やよ」
適当にペナがこたえて、たけは苦笑する。だが、喋っていてあんこを台無しにすることは出来ないので、慎重に鍋を見続けている。
ペナは邪魔をしたくなかったので、たけの側から離れて、近くにいる太助の所に行った。太助は鍋を火から下ろしていた。
「あれ、太助さん、もしかしてあんこ、完成したん?」
「おぉ、ペナ、今丁度、出来立てやで」
汗をたらしながら太助が笑う。太助の持っている鍋をのぞきこんで、まだ熱を持った鍋から立ち上る湯気がペナの顔をつつみ、幸せな気持ちになる。
「甘い匂いやなぁ、ウチは一番あんこが好きやけど、すんごい美味しそうやわ。口の中で想像しきれないような旨さが---」
「ほんなら、ペナ、これあっちに持っててくれんか、俺はたけをみとるから」
「えぇよ!」
ペナは太助から出来立てのあんこが入った鍋を受け取り、顔を見上げて笑う。
これは、少しなら食べていいってことだ。嬉しくて笑みが止まらない。さっそく言われた場所に持っていって、すくうものがないか辺りを見回す。
あぁ、はやく食べたくて焦れったい。いっそこのまま指ですくって食べようとしたとき
「ペナ―――、どこにいるんだい!」
おかみさんの大声が店に響いた。