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グラッジ・ロード

 意識がはっきりしたとき、一命をとりとめたのだとわかった。記憶は混濁していて、状況はつかめない。それでも体は動いた。痛みもない。


 燃えて黒くなった残骸に手をかけ、体を起こそうとする。頭に生えた立派なツノが引っかかり、手間取る。

 

 亜人の中にも、種類があり、氏族がある。マーコール族のレジー、それが名前だった。


 レジーは、積みかさなる残骸が、想定よりも軽いことをいぶかった。スルスルと持ち上がる。かけ布団をどかすように、横におしやり、それはドスッと鈍い音をたてた。

 

 光が差しこんだ。まぶしさは感じなかった。手をつき、立ち上がる。

「生きてるやつがいたのか……」


 レジーは声のしたほうを見た。武装した兵士がレジーを見つめ、おろおろと動揺している。その姿を見た瞬間のことだった。

 

 人間の兵士を目にした瞬間、なにかがレジーの中で膨れ上がった。その異変は一瞬のできごとで、爆発的だった。

 

 レジーの意識が遠のく。視界がブラックアウトし、頭が割れるように痛んだ。


 怒りがわき、憎悪が膨れ上がった。五臓六腑がわななく。全身の細胞が、一糸乱れず、兵士を殺せと喚き散らす。吐く息は、青黒く染まっていた。

 レジーが兵士を視界に入れて、5秒と経っていない。

 

 身に覚えのない憎悪、それなのに、体が片々に砕けそうなくらい強烈な憎悪が、はち切れた。

 

 ブラックアウトがやみ、今ではしっかり兵士が見えた。兵士は後退った。体が勝手に掴みかかりそうになるのを、レジーは意思の力で抑え込む。

 

 自分の中に、得体のしれないなにかがいる。レジーは必死に体をおさえつけ、今度こそ全身がバラバラに飛び散ってしまうのを覚悟した。それほどの殺人衝動だった。

 なにがなんだかわからないが、ぶち殺してやりたかった。


 兵士が一目散に逃げている。後ろ姿を目で追う。みすみす獲物を逃している気分だった。悔しさに歯を噛みしめた。レジーは叫ぶ。

 

 馬のいななきと、赤ん坊の泣き声が混ざったような声。聞いた者の心胆を奪う。

 とても自分の体から出た音だとは思えなかった。


 兵士が見えなくなるや否や、レジーは膝をついた。ガタガタと震えている。恐怖では決してなかった。だれでもいいから殺したくてたまらず、震えがとまってくれない。

 

 荒く深呼吸をした。頭をかかえ、膝をついてじっとしていると、少し落ち着いたようだった。


「なんなんだ……これ……」


 レジーは辺りを見た。さっきの兵士と同じ革鎧を着た数名が、遠巻きにこちらを眺めていた。話し声が聞こえた。話の内容まではわからない。

 

 兵士たちは、レジーに背を向けることなく、じりじりと距離を離していく。レジーは、ほっとした。

 目を覚ます前なら、それは自分の身を心配しての安堵だったと思う。複数の兵士に囲まれれば、為す術もなく殺されるはずだからだ。


 それがいまや、自分の命が危ぶまれているなどとは一切思えなかった。命を拾ったのは、じりじりと逃げていく兵士たちだ。レジーはそう直感している。




 レジーも彼らから目を離した。今、レジーの体の中では、誰のものともしれない憎悪が煮えたぎっている。いつ、また爆発するともしれない。


 ひとまず呼吸を整える。自分が埋もれていた場所に目をやる。

 倒壊した家々。木材の焼けたにおい。そして、鼻の曲がるようなにおい。亜人の骨が、中途半端に広場に残されていた。

 

 混乱していた頭が秩序立ち、ここでなにが起きたのかを思い出した。


「そう、そうだ、あいつらが攻めてきて、俺はこんな目にあってるんだ。殺してやりたいのは当然じゃないか……」生唾を飲み込んだ。身を焦がすような憎悪に、逆らう理由がなくなったからだ。そうと知るや否や、頭がスッと軽くなった。


「みんな死んだ。あいつらのせいだ。俺がおかしくなったのもそうだ」


 レジーは家の中で怯えていた。火の手が上がっても、外に出られなかった。抵抗する人々の雄叫びや、悲鳴、命乞いの声が途切れたのを見計らう頃には、息ができなくなっていた。

 

 記憶が濁流のように流れる。不安と緊張が高まる。ハッ、ハッ、ハッと犬のようなリズムで呼吸する。


 過度なストレスがレジーにのしかかり、膨らむ怒りや憎悪が、自分のものだと思い始める。


 兵士を目にしてからずっと、割れるように痛む頭。さながら、麻薬中毒者の禁断症状かのような手先の震え。歯止めのきいてくれない殺人衝動を解き放ち、身を任せれば、全部解決するように思えた。


 逡巡しているうちに、また記憶がフラッシュバックする。火の手が上がる。悲痛な断末魔が耳から離れない。呼吸は荒くなっていく一方だった。


 視界がブラックアウトしていく。全身がわななく。今ではもう、自分の中に渦巻く欲求を抑えることができなかった。とにかく、ぶち殺してやるだけだった。


 吐く息が青黒くなった。レジーの体から、青と黒のおどろおどろしい炎が噴出した。炎といっても、それは質量を持ち、汚泥のようにどろどろしている。


 苦悶の表情を浮かべた無数の人面が、炎の表面に浮かびあがり、流動を繰り返している。


 辺り一面の瓦礫を飲み込みながら、それはどんどん広がっていった。都市の外縁にたどり着いても、それは尽きることがなく、底が見えなかった。


 都市一帯が青黒い炎に覆われた。倒壊した家々も、焼け残った亜人の骨も、なにもかも見えなくなった。都市だったことを示す痕跡は、すべて飲み込まれた。城や塔、外壁さえ、面影は輪郭だけになり、時を待たず崩壊した。


 一面に、悲痛な面持ちをした人面がびっしりと並んでいる。身の毛もよだつようなおぞましい光景だった。

 

 レジーは、その上を歩いた。ぐちゃっ、ぐちゃっと人面を足蹴にする。凄まじい高温だったが、レジーにはわからなかった。頭痛や手先の震えは、治まっていた。快感さえあった。


 遠目に、走っている馬が見える。革鎧を着た兵士が一人、乗っていた。一番はじめに見た兵士だった。ぐんぐんと距離があいていく。時折こちらを振り返っては、必死の形相で馬を走らせている。

 

 足がなにかに引っかかった。皮膚の焼けただれた頭蓋骨。顔から下は青黒い炎に飲み込まれている。おそらく駐屯していた兵士のものだ。なんとなくそう感じた。亜人の死体が、皮膚の残った状態で放置されていたとは思えなかったから。

 

 怨念体グラッジを生まないために、死体は徹底的に焼却するのが常だ。


 レジーは深く息を吸った。頭の上で手を組み、背筋を伸ばした。改めて周囲を見る。自分の故郷。おぞましい人面の群れに飲まれ、見る影もない。地獄のような凄惨な光景が広がっている。

 この地獄を生み出したのが自分だということも、信じられない。

 

 ただ、どれもこれも、今のレジーにはどうでもよかった。冷たい目で足元の兵士を見る。むき出しの頭蓋骨をかかとで踏み砕き、ブルッと身を震わせる。快感だった。これまでに感じたことのない、未知の快感。

 レジーという人間の構造が、根本的に変わってしまったことを自覚する。

 

 「そうか。グラッジになったのか、俺」


 ◯


 街道を走る馬があった。リックは馬が潰れないよう心を配りつつ、限界まで酷使していた。

 この世の地獄は戦場ではなかった。脳裏には、都市一帯を覆う人面と、為す術もなくそれらに飲まれていった仲間たちの悲鳴がこだましている。

 

 動悸が収まらない。だれかにこのことを報告しなければならないが、そんなことは命の次だ。リックの頭からつま先までを支配しているのは、責任感ではなく生存本能だった。


 街道を疾駆する途中、亜人の都市や村々が目に入った。リックたちに滅ぼされたあとだ。

 残骸と閉塞感以外に、残っているものはなかった。鉄と魔法が入り乱れる凄惨な経験が思い起こされる。


 抵抗する亜人を惨殺し、ゴミのように焼き払った。正義だなんだのとのたまい、数年にわたって繰り返された大量虐殺の結果が、()()だ。


 怨念体グラッジには、個体差がある。ただの死に損ないのような個体から、「国崩し」とよばれる個体まで、千差万別だ。記録されている国崩しの情報と照らし合わせても、さきほどのグラッジは、それを遥かに上回る規格外だと判断せざるを得なかった。


 リックは、地平線の先に、行軍している友軍を見た。居残り組に先んじて、帰国途上にある連中だった。

 

 厄介だ。とっさにそう感じた。

 

 リックは、一刻もはやく件のグラッジから距離を離したかった。また、一刻もはやくその脅威を本国に伝えたかった。友軍に合流すれば、リックの行動が制限されかねない。本国に早馬を走らせる役目も、リック以外から選ばれる恐れがある。

 

 軍集団の行軍速度は信じられないほどに遅い。あんな薄鈍い集団に囚われてしまっては、グラッジが追いついてこないとも限らない。


 迂回しなくてはならなかった。差別主義者のクソッタレどもが、我先にと早馬の部隊を率い、リックがあの場で槍やらを担いでノロノロと歩く羽目になることを思えば、合流はありえない。


 リックは道を外れた。整備の行き届いていない丘陵地帯だ。馬を降りた。小走りで斜面を駆け上る。おおよその方角を頼りに、本国までの直線距離を突っ切るつもりだった。

 

 馬に提げているわずかな糧食。おぼろげな周辺地理。グラッジが追跡してきた場合の、友軍の安否。不安に苛まれる。それでも、生き残るためだった。躊躇はない。


 リックは我知らず、歯を食いしばった。


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