悪役聖女は王宮で紅茶を淹れる
穢れは時間の経過とともに溜まっていく。
穢れが溜まれば魔物の発生および活性化を促し、放置すればするほど、魔物が強化され、群れと化してしまうために、浄化しなければいけない。古い時代には魔物の群れにより滅んだ国もあるという。
強い浄化の力を持つ者が不定期に女神により選ばれて、穢れを払う。それが昔からのこの世界の決まりだった。必ずしも女性と決まっているわけではなく、男性も選ばれたことがあるらしい。そのときは、聖者と呼ばれていたようだ。
歴代の聖女あるいは聖者には、穢れを浄化する力を必ず有しているが、結界の力を持つ者は珍しいらしい。
しかも、葵の結界は物理的にも強固な守りとなり、さらに稀少なようだ。
そもそも、聖女が異世界から選ばれること自体も珍しいらしい。葵からすれば、異世界からじゃなくていいならわざわざ呼ばないでほしいと文句を言いたいが、女神の思し召しとやらで、どうしようもないのだとか。
大抵は、ティファーナのように聖国の貴族だったりすることが多い。何故か聖国以外からは選ばれることはないらしい。だからこそ、アースガルズ聖国は大陸において、女神の祝福を賜る聖国を冠する存在として絶大なる影響力を持ち続けているのだ。
聖女に選ばれた一族は王より栄誉を賜り、平民の場合は一代限りではあるが、爵位を授けられることになるらしい。とにかく、誇らしいことで、聖国だけでなく、大陸中に聖女の存在は知らされる。
異世界からの聖女は約百年ぶりで、そのときの聖女も浄化と結界の力をもっていたと記録に残っているようだ。
二年前には教えて貰えなかった聖女の歴史を、ギルベルトが説明してくれた。
「百年前は、この大陸で戦争が多く起きていたから、聖女の身を守るために結界の力を女神より授けられた、といわれているね」
「そうなんですね、でも今は平和ですよね?」
「まあ概ね。穢れも浄化されているからね。でもアオイが召喚されるまで、聖女不在の時期が長くてさ。穢れが大分と溜まっていたおかげで、魔物の群れも何度も発生し、周辺国の紛争やらが絶えなくなってきていたんだ」
「魔物の群れ、って、カイさんの······」
「聞いた? そう、カイの領地にも出たし、他にもたくさんの人間が犠牲になったよ」
「そうなんですか……」
思っていた以上に深刻な状態に陥っていたようだ。大神殿に籠りきりだった葵は教えて貰わなかったし、知ろうともしなかった。
「僕やカイも何度も戦いにかり出されたよ。隣国のスローンズなんて、聖女不在をこちらの責任にしようとしてさ。女神の祝福を失っただの色々と難癖をつけてきていたんだよね。まあ、それもなんとか鎮めて、総力戦には至らずに済み、そして念願の聖女が異世界から召喚されたってわけ」
その念願の聖女が、今度は教会の汚職の原因になるとか、国難続きにも程があるのではないだろうか。葵はますます申し訳ない思いを抱いてしまった。
「アオイの浄化の力もすごいよ。通常は、溜まった穢れは何年もかけて各地の教会を巡礼しながら、浄化するんだよね。でも異世界から来た聖女は、浄化の力に長けた者ばかりで、短期間で大規模な浄化を行うことができたんだって」
確かに、葵は大神殿に籠り切りで、祈っていただけだった。なので、本当に浄化されたのかよくわからないまま、終了したと女神に言われてそのまま日本へと帰還したのだ。なので、穢れを浄化した、というのがいまいち実感がない。
「そもそも、穢れって何ですか?」
「正確な原理はまだわかってないよ。この世界に生きる全ての生き物が生きているだけで生み出される負の第四元素の塊。精霊の力を弱め、魔物を活性化させる危険なもの、人心すら乱れさせるということ。そして、それは浄化の力を持つ者にしか浄化できない」
「ギルベルトさんでも無理なんですか?」
ギルベルトは右に出る者はいない、と言われるほどの魔道士らしい。そんな彼ならば、聖女なんていなくてもなんとかできそうと思ったが、彼は首を横に振って否定した。
「魔法と、君の使ってた浄化の力は根本が違うんだよ。魔法とは、魔力を精霊に供給して、精霊にお願いして、精霊が超常現象を起こしているだけ。間接的にしか干渉することはできない。浄化は、元素に直接干渉し、害のないものに変換しているんだ」
現代日本には精霊などいない。葵には魔法も浄化も一緒でファンタジーだなぁという感想しか浮かばないのだが、彼にとってはまったく違うもののようだった。
「じゃあ結界の力も、魔法とは違うんですか?」
「それはこれから調べるんだ」
ギルベルトは楽しそうに笑った。
王太子の執務室では、カイが葵の登城について報告をしていた。
「お前が許可を出すとは」
書類から顔を上げたアウレーリウスは、意外そうな表情だ。机を挟んで直立しているカイはやや肩を竦める。
「仕方ないでしょう、アオイが強く望んだのですから」
「王太子である俺が提案した際は危険だと却下したのにか?」
「殿下はアオイを囮にするおつもりでしたからね」
「今回は違うと?」
「あくまで、アオイの為です。何も働いていないのが堪えていたようですから」
アウレーリウスは椅子に凭れて、興味深そうに顎先に手をやった。
「ふむ。働かない方が堪える、か。ますます、あの悪逆の聖女なのかと思うくらい、別人だな」
「だから噂は噂だと申し上げているでしょう」
「実際に確認するまでは、わからぬだろう? 私はお前のような力を有しておらぬゆえ。まあ晩餐会で話してみた限りでは、お前の言う通りだったと認めるが」
晩餐会で話した葵の様子を思い返したのか、アウレーリウスは笑みを零していた。
「それにしても、お前が見れぬ間はギルベルトのところとは、意外とお前も過保護だな。しかも、屋敷ではギュンターが教師としているのだろう。あのギュンターが教師とは、面白いことを思いつく」
くつくつと心底愉快そうにアウレーリウスは笑う。最近、こういった表情をよくぶつけられるな、と思いながら、カイは返した。
「他にありますか? まさか大神殿に近づけるわけにはいかないでしょう」
「大司教はそうは思っておらぬようだぞ? 結界の力がまだ残っていると知られているのだ。聖女の立場を回復させるために、今代聖女とともに教会巡礼をしてはどうかと陛下に進言された。結界の力を今代聖女を守るために使わせよ、と」
カイは表情に不快の色を滲ませた。
「今代聖女の護衛は、我々軍部の仕事でしょう。アオイの務めではありません、アオイの結界の力は女神が彼女を守るために授けたものです」
「だが民衆の印象を回復させるためにはある意味、良いかもしれぬ。何より、大司教も焦っているからな。教会の復権のために、アオイを表舞台に引っ張り出すやもしれん」
「······私は反対です」
確かに、葵の持つ力を今代聖女のために使えば、印象は上がるのだろう。しかし、そのために葵の身を危険に晒すことにつながり、カイは抵抗を覚えた。
そんなカイの様子を興味深そうに見ながら、アウレーリウスは続ける。
「陛下は迷っておられた。聖祭も近いからな。今代聖女であるティファーナの守りを強化せねばならん、と」
「ならば、ティファーナの守りは私が引き受けます」
「アオイの守りはどうするのだ」
「聖祭中はジーンとギルベルトに任せます」
「……ギルベルトもか? 結界の力もあるし、ジーンだけでも十分では」
ギルベルトはこの大陸でも右に出る者はいないといわれるほどの魔道士なのだ。カイと並んで、周辺国にその名を轟かせ、抑止力としても優秀な存在である。そんな存在を葵一人に割く、というのはアウレーリウスの中では天秤に釣り合わない。不満を述べるが、カイは取り合おうとはしなかった。
「結界の力も万能ではありません。それに葵は騎士とは違い、普通の少女ですよ。手練れを相手に身を守ることはできません。聖祭は各国から様々な人間が集まりますから用心はどれだけしても足りないでしょう」
「……やはり、お前は過保護だぞ」
* * *
「セレン、お茶の入れ方を教えてほしいの」
「アオイ様がですか?」
不思議そうなセレンに葵は経緯を説明した。
「うん、王城でカイさんやギルベルトさんのお手伝いをすることになったんだけど、大したことはできなくて、せめてお茶くらい淹れたいな、と思って」
「まあ、そうでしたの。ですが私がアオイ様にお教えするなど差し出がましくて……」
「そんなことないよ、セレンの淹れるお茶は本当に美味しいから、知りたいの。嫌かな?」
「いいえ、光栄なお言葉です。アオイ様が望まれるのでしたら、喜んで」
「うん!」
聖国では紅茶が主流のようで、様々な種類の茶葉があった。現代日本でもコーヒーより紅茶派な葵には地味に嬉しい。ちなみにコーヒーはもっと南方の国にあるみたいだ。緑茶や抹茶はまだ見かけたことがないのだが、もっと遠い国ではあったりするのだろうか。
ともかく、お茶会でも紅茶がメインで供されるわけで、こだわる人は多いらしい。葵は紅茶派といっても、もっばらティーパックで飲んでいたので入れ方等に詳しくない。カイやギルベルトは上級貴族だし紅茶を日々嗜んでいるわけだから、せめて飲める程度には淹れられるようになりたいのだ。
セレンは最初は葵のするような仕事ではないといった様子だったが、カイやギルベルトに出すと知った途端、快く承諾してくれた。
湯の温度や淹れ方、お菓子の選び方、出し方などを優しく丁寧に教えてもらう。葵に姉はいないけれど、理想の姉そのものだった。
そのあと、ハンスも呼んで、三人でお茶会もどきを開いたりして楽しい時間を過ごした。
「ギュンター先生、紅茶はいかがですか」
「おお、アオイ様のいれたお茶を飲めるなど、身に余る光栄ですな」
「セレンの淹れる紅茶に比べたら全然だめだけど……ギュンター先生にお礼したいと思っていて、よかったらどうぞ」
セレンに一通り教えてもらったあと、ギュンターによる家庭教師の時間があったので、彼にも何かしたいと思っていた葵は、早速、紅茶を手ずから淹れてみたのだ。
恰幅の良い白い髭を顎にたくわえた老人は、朗らかに笑って、飲んでくれた。
「なんと美味しい。アオイ様、このような老人にまでそのような心配り、感激いたしましたぞ」
「へへ、おおげさですよ。でも嬉しい」
ギュンターはよく笑い、小さなことでもよく褒めてくれるので、葵は照れながらも嬉しくて笑顔になる。
「いやはや、アオイ様にここまでしてもらえて、カイが羨ましいですな」
「えっなんで、カイさんが出てくるの」
「おや? カイに紅茶を飲んでほしくて、頑張っていたのでは?」
片目を瞑ってこちらを見るギュンターには、葵の気持ちは見透かされているようで、つい頬が紅潮してしまう。慌てて葵は取り繕った。
「カイさんだけじゃないですよ。ギルベルトさんにも飲んでもらいますよ。ギュンター先生にも飲んでもらいたかったのは本当だし」
言い訳がましい葵を、ギュンターは優しい笑顔で返した。
「そういえば、アオイ様は王城で働いていらっしゃると伺いましたな。どうですかな、王城は」
「はい、なんとか、やっています。大した仕事はできてないですけど……何かしないとなって思っていて。私の評判、相変わらず悪いみたいですし」
紅茶の入ったティーポットを見つめながら、葵はそう返す。
まだまだ王宮内の葵に対する印象は悪くて、怪訝そうな、不快そうな視線を投げられることは多い。それでも直接何かを言われることがないのは、カイのおかげなのだろう。
「ふむ……アオイ様と直に接すれば、いかに鈍い者でも気づけるでしょう。何より、そのひたむきさが素晴らしきもの。きっとうまくいきますぞ」
「ギュンター先生、ありがとうございます」
ギュンターの言葉は力強く、葵は勇気をもらえた。
最初、葵はてっきり、大神殿や教会で働くのかと思っていた。
今代聖女のティファーナも下町の教会を巡ったりしているようだ。そのお手伝いとかかな、とぼんやりと想像していた。それに前代聖女として、結界の力は残っていた。二年前は司祭の言う通りに、大神殿を強化したのだ。今回もそれくらいならできそうだ、と思って言い出したのだが、実際はまったく関係のない場所で働くことになってしまった。
やはり腐敗を正し一新されたといっても、前代聖女である葵が教会や大神殿に近付くのは、警戒されているのだろうか。
ついネガティブ思考に陥って、葵はしゅんとする。
しかも、カイと接する時間を減らしたくて働こうと思ったのに、まさかカイの侍女みたいなことをするはめになるとは。
これはまずいのでは?
貴族のご令嬢や王女殿下に知られたら、反感を買いそうである。イケメンに色仕掛け云々の噂がもっとひどくなりそうで、葵はどうしようかと悩んだ。しかし、働くという許可をもらえただけでも僥倖なのだ。なんとかこの状況で葵の評判を上げれるようになればいいのだが。
何だかんだ理由をつけつつも、結局、心の底では、カイのそばにいれることが嬉しかった。
黒龍騎士団将軍たるカイの執務室は、騎士団の訓練場や厩舎がすぐ傍にある建物の中にあった。
黒龍騎士団のほかにもいくつか騎士団があり、アウレーリウスが統帥権を持つ近衛の赤龍騎士団、青龍騎士団、黄龍騎士団が存在しているらしい。一番の花形は近衛でもある赤龍騎士団なのだが、実戦で最前線で戦うのは他の三騎士団であり、数年前の魔物の大群の討伐では、黒龍騎士団が大活躍したらしく、民衆には一番名が知れ渡っているようだ。
執務室にはカイの副官が数名いた。ジーンは知っているが、それ以外の副官は初めて会う人ばかりで、初日にカイから紹介してもらった。ジーンのように敵意溢れる人ばかりだったらどうしようかと思ったがそれは杞憂で、葵に対して友好的だった。父親ほどの年齢の男性ばかりだということもあるのだろう。ともかく、針の筵状態にならずに済んで、心からほっとしたのだった。
「カイ様、お茶をどうぞ」
「ありがとうございます」
セレンに教わった通りに、紅茶をいれて、カイの執務机の上に置く。カイはいつもの穏やかな笑顔でお礼を言ってくれた。
大丈夫だろうか。せめて普通に飲める程度にはなっていてほしい。
内心どきどきしながら、葵はカイが紅茶を口につけるのを待つ。
「とても美味しいですよ」
「よかった……」
思わず安堵の言葉が出てきてしまい、葵は慌てて、他の副官達の分もいれて差し出した。そしてそそくさと「片付けてきますね」と部屋を出て行く。
「……素直な少女ですね、カイ様」
「そうでしょう、グレン」
副官の一人であるグレンが目尻の皺を深くして、微笑ましそうに葵の去った扉を見ていた。
「娘を思い出します」
「グレンの娘というと、確か……」
「今年で五歳になりました。可愛い盛りです」
「五歳ですか……」
王宮で勤めている身としては、あれだけ素直で感情豊かな存在は珍しいのだろう。だが、それは葵の目の前では口にしない方がよさそうだ、とカイは心中で呟いた。
執務室は珍しく穏やかな空気が流れ、葵のいれた紅茶を飲んでいたが、ただ一人だけ、苦い表情で紅茶を見下ろしている存在がいた。
「お前は不満のようだな、ジーン」
不満を隠さない若い副官にカイは苦笑を漏らす。
「カイ様、俺は正直反対です。なぜ、王城にあの娘を……」
「お前まで、あんな噂を信じるのか? 少しはアオイと接してみたはずだが、それでも尚噂の方を信じると?」
「……今は大人しく猫をかぶっているだけです。実際に、聴取した侍女や司祭は皆口をそろえて、聖女に従ったと白状しているではないですか」
「それだけ、女神の恩寵を無下に扱う愚か者どもの巣窟になっていたということだ。お前も噂に惑わされずに己の目で見て判断しろ」
尚も不服そうなジーンにカイは何かに思い当たる。直情傾向な部分がある男だ。これだけの不満を抱えて、漏らさない筈がない。
彼が葵とカイのいない間に接触したのは晩餐会のみ。
そして葵が一人で泣いていたのはそのあとだ。
「……晩餐会の夜、お前は、アオイに何かを言ったな?」
言い当てられ、ジーンは目をそらす。正直すぎる反応にカイは呆れた。グレンや他の副官もやれやれといったように肩をすくめている。まさか噂を鵜呑みにしたあげくに短慮な行動をとっていた者がこんなに近くにいたとは、カイは頭が痛くなる。
「アオイは一人で泣いていたようだ。お前の言う噂通りの聖女ならば、真っ先に私にお前の無礼を報告し、何らかの処分を要求するだろう。だが、彼女は私には何も言わなかった」
ジーンははっとする。ようやく、彼も自分の目がどれだけ曇っていたのか理解したのだろう。
「最後の忠告だ。今後、彼女への無礼は許さん」
「……重々、承知いたしました」
冷たい怒りが滲んだ声にジーンは頭を深く下げて、恭順の意を示した。