悪役聖女は働きたい
「おお、こわい。お前がそこまで不機嫌を露にするとは、珍しいものを見た」
余計なお世話だと言わんばかりに、ねめつけるカイに、アウレーリウスは大げさに肩をすくめてみせた。
「王太子殿下。執務はどうなさったのです」
「堅いことを言うな。晩餐会の翌日だぞ、息抜きは大切だ」
ここは王城にある、カイの執務室である。王太子の執務室とは宮も離れているのだが、抜け出してきたのだろうか。
入るなり揶揄するような言葉を吐いたかと思えば、まるで自分の部屋のようにソファに座って寛ぎだす。カイの副官達は気をつかって部屋を出て行ってしまった。
暫く居座る気の王太子の態度にカイも諦めたのか、執務の手を止める。
「お前の不機嫌は、前代聖女のわがままに手を焼いているからだと囁かれているぞ。いいのか?」
「……よくないですね。まったく、不遜な輩が多くて困ります」
「噂好きの暇人が多いというのもあるが、人前には姿を現さなかった前代聖女がようやく公の場へと出向いたのだ。しかもお前という注目の的が伴ってな。人々が動向を気にするのもやむを得まい」
「私のことはともかく、アオイを侮辱するような噂は止めさせるべきでしょう。これ以上許せば、不敬な輩が何をするかわかりません」
「だからこそ、王家主催の晩餐会にアオイを招待したのだ。王家とお前の庇護下にあって不用意に手を出そうとする輩はいないだろう。それでも、手を出そうとするということは……」
「ええ、昨夜時点で、怪しい動きをしたものはおりませんでした」
「まあそうだろうな。しばらく様子を見るしかあるまい」
「しかし、まだ今回の召喚について、女神の意図もわかっておりませんし……」
どこか焦っている様子のカイを物珍しそうにアウレーリウスは眺めた。
「何をいまさら。我らが女神は気まぐれな御方だ。急いてもご機嫌を損ねるだけだぞ。女性の取り扱いは注意せねば」
茶化すような態度のアウレーリウスに大きなため息をついてみせる。
「ふむ、お前の不機嫌の理由はそれだけではあるまい?」
申してみよ、と言うアウレーリウスの目には明らかに好奇の色が混じっている。カイはうんざりしたが、こうなると彼は気の済むまでここから動かないことは長年の付き合いからよくわかっていた。
「……アオイの様子が少しおかしいのです。晩餐会で何かがあったようですが」
「おかしいとはどういう風に? ジーンがついていただろう」
「ジーンの報告によると、王女殿下と数名の令嬢に取り囲まれていたようです。王女もいたので、不測の事態には陥らず、アオイもなんとか対応できていたようですが。その後、明らかによそよそしくなり、理由も話してくれません」
「ほう。我が妹とその取り巻きにも負けぬか」
感心したように呟くアウレーリウスは続けた。
「昨晩、ご令嬢達の反感を買っていたからな。参ってしまうのも仕方ない。大方、お前に不用意に近づくのは危ないと感じたのだろうよ」
「……」
不本意そうなカイに、アウレーリウスはくつくつとおかしそうに笑う。
「お前でも思い通りにいかぬことがあるのだな」
「どういう意味ですか」
「アオイに避けられて、ショックなんだろう」
「……」
押し黙ったカイに、アウレーリウスは思わず目を見開く。
「なんと、図星か。これは驚いた。さすがは女神のつれてきた異世界の聖女だ」
「そろそろ執務にお戻りください」
まだ何か言おうとしたアウレーリウスを遮って、カイが話を中断させた。王太子は、笑いを噛み殺して、ソファから立ち上がり、「今宵の酒は美味そうだ」と捨て台詞を残して出て行った。
* * *
「働きたい、ですか」
屋敷に戻ったカイと夕食を一緒に囲んでいたとき、葵は意を決して、考えていたことを切り出してみた。
意表を突かれたようなカイの表情に、葵は後ろめたく思いながらも頷く。
「どうして、働きたいと考えたのですか?」
「えっと、まだ女神より何も役目をいただいてないですし、いつもらえるかわかりませんし、このままずっと何もしないままいるのは、申し訳なくて」
「貴女が申し訳なく思う必要はありません」
「で、でも、それじゃ、わたしの気がすみません」
すぐにこの話題を切り上げられそうな気配がして、慌てて葵は続けた。
「悪評がたってますから、何かで役に立てれば、ちょっとは噂もマシになるかなぁって。でも、私の出来ることって給仕ぐらいしかないですけど」
前回は大神殿に引きこもってはいたが、聖女として役目を葵なりに果たしていたので、世話になることにそれほど抵抗はなかったのだ。しかし今回の役目はまだ女神からの接触がないのでわからないし、現状に至るまで何もしていない。日本だとひきこもりのニート状態である。
単に屋敷で綺麗なドレスを着ておいしい紅茶やご飯を食べて過ごしてるだけだ。何の役にもたっていない、ただ厄介になっているだけなのが、なんというか居心地が悪い。
そして悪評を少しでも減らしたいという下心もある。
働いていれば、少しは見直されるのでは?
単純かもしれないが、葵はそう考えた。
ずっとこのまま、うじうじ悩んでいるだけは嫌だった。過去は消えないし、きっと二年前も葵が自分からもっと動けばよかったんだろう。二度目の失敗は繰り返したくない。
何より、葵はできるだけカイと離れる時間をつくったほうがいいと思った。屋敷にこもりきりだから、カイも気を遣って、遠乗りや街の案内を申し出てくれるのだろう。ただでさえ忙しいだろうに、寛げるであろう自宅で、葵の面倒まで見ないといけないなんて、時間外労働だ。いわゆるブラック労働である。
何もすることがなく、屋敷で過ごしていると色んなことを考えてしまって、それも精神的によくない。
葵は日本では学生の年齢だが、まさか異世界でまで学校に行くわけにもいかないし。そうなると、やはり何らかの労働をするしかないのだ。
「あ、でも、まだ、浄化の力は試してないですが、結界の力は残ってるようですし、それで何かお役に立てないでしょうか」
良い案だと思ってカイを見ると、一瞬顔をしかめたように見えた。
何か悪いことを言ったかと考えたが、カイの表情からは何も読み取れない。
この世界の人は、考えていることが読めない人が多い。とくに貴族や王族といった身分が高くなればなるほど、感情というものを隠してしまう気がする。
表面上は微笑を浮かべているのだが、目が笑っていないことが多くて、葵は苦手だ。
王女や晩餐会に出会った貴族のご令嬢達や、王太子や国王もそう。
腹芸など無用な世界で暮らしていた葵にとって、感情の読めない相手と対峙するのはどうしても緊張してしまうのだった。
「······どうしても働きたいと?」
どこか否定してほしそうな様子のカイに葵も負けじと「はい、どうしても」と力強く頷いた。
カイは少し考え込んでいて、沙汰を待つかのごとく、葵はじっと待っていた。
「そうですね……あなたの今の立場であの食堂に行かせることはできませんが、違うところでなら働いても良いですよ」
「ほ、本当ですか?」
許可が出て葵は驚いた。正直、駄目もとだったのだ。軍部からしてみれば、悪名高き前代聖女にはできる限り大人しくしてもらっていた方がいいだろう。
それでも、葵はこのままこの屋敷にこもりきりには耐えられそうになかった。セレンや他の侍女達、ギュンター先生も執事長のハンスも葵に優しい。よくしてくれるからこそ、葵は汚名を少しは返上したかった。
「ええ。王城になりますが、いいですか」
「えっ、王城?」
そうして、葵は王城で働くことになった。
数日後、早速、葵は王城へと出向くことになった。
葵に与えられた仕事は二つ。
一つはカイの侍女みたいな仕事。
もう一つは、魔道研究所が城のすぐ傍にあり、そこで葵の結界の力を調べることに協力する、というものだ。
なんでも、以前から葵の結界の力に興味を持つひとがいるらしい。
その人物の名は、ギルベルト。
魔道士達を束ねる魔道士長であり、研究所の責任者でもあるらしい。幼少より、膨大な魔力と魔道の才をもち、カイとともに戦場で何度も活躍したという。
伯爵家の次男でカイとはそこそこ長い付き合いのようだ。
「へえ、君が異世界から来た聖女なの」
興味津々に頭から足元まで見下ろされる。遠慮のない視線に、葵は思わず一歩引いた。
「葵と申します、よろしくお願いします」
とりあえず挨拶は大切だ。
ギルベルトも目つきは悪いが、整った顔立ちをしていた。耳にかけた水色の髪は肩で切り揃えられ、こちらを見下ろす瞳は琥珀の色だ。
「うん、二年前も教会に打診したけど、なしのつぶてでさ。まさか今になって希望が叶うなんて、嬉しいなぁ」
「ギルベルト、わかってるとは思いますが、くれぐれもアオイに無茶な真似は」
「もう、何度念を押せば気が済むわけ。大丈夫だって。いくら僕でも聖女を実験台になんてしないよ」
「理解しているなら安心しました」
実験台、という不穏な言葉は聞かなかったことにしよう。
気安いやりとりをしている二人を眺めながら、葵はそう思った。
ギルベルトは少し変わったひとだった。
飄々として、掴みにくい性格で、興味のあることには物凄い集中力を発揮するが、無いものに対しては、たとえお偉方の依頼でも無視するらしい。それでも彼が魔道士長という確固たる立場にいれるのは、彼に敵う魔道士が聖国どころか大陸でいないかららしい。
貴族だが休日もずっと研究室に籠り、社交界には滅多に出ないようだ。
あと部屋が汚い。
葵もそこまで綺麗好きというわけではないが、最初にカイにつれられて、彼の研究室に入ったときはカオスすぎて引いてしまった。不気味な植物や毒々しい色の薬品類、呪われそうな怪しげなものがそこらへんに無造作に置かれていて、ギルベルトのいる奥まで辿り着くのにすら注意が必要なのだ。臭いも様々なものがブレンドされて刺激的すぎる。
いわゆる異世界版汚部屋だ。
掃除を申し出たが、ギルベルトには「えっ、ちゃんと掃除してるから必要ないよ?」と不思議そうに言われたので、やめておくことにした。