悪役聖女は女神に問い質したい
今日の迎えの護衛はジーンだった。
最近、ジーンが迎えに来ることが多いように思う。
前よりは大分と態度も和らいできたので、アオイはむしろ彼で安心するようにまでなった。
「あの、ジーンさん。少し寄りたいところがあるんですけど」
「どこだ?」
「大神殿の大祭壇の間に行きたくて」
「……何の用でそんなところへ行くんだ」
怪訝そうに目を細める。元が目つきが悪いので怒っているように見えて葵は最初こそビビったが、実際は見た目ほど怒っているわけではないようだ。素が無愛想でそっけないだけだと思う。年齢も葵に近いのもあって、感情を読み取りやすく、葵は慣れると逆に親近感まで抱くようになった。
「女神のお告げがないから……もしかしたらそこへ行ったら、聞けるかなって……」
二年前と今回召喚された場所。そこで女神の声を聞いたのだ。
今回は何も聞けなかったけれど、もう一度そこへ行って呼びかけてみたら、返事があるかもしれない。そう思った葵は、大神殿に近づくのをよしとされていないという空気は感じていたけれど、試したくなったのだ。
「……わかった」
「ありがとうございます!」
最近はこうやって会話も成り立つし、しぶしぶといったかんじだがお願いも聞いてくれるようになった。大分と前進したのではないだろうか。
ジーンのように、少しずつ誤解が解けるといいな、と願う。
結局、葵は王女への無礼を咎められることはなかった。
あのあと小心者な葵はびくびくしていたのだが、王城から呼び出しされることもなく、カイに何かを言われることもなかった。噂にもなっていなくて、葵は胸を撫で下ろしたのだ。しかし、帰りたい気持ちだけはますます膨れあがり、なんとか女神に接触をとる方法を考えた。
しかし二年前も女神からの一方的な接触のみで葵から接触できたことはないし、しようと思ったこともないので自信はないのだが。
大祭壇の間に着くと、葵は女神像に近寄っていく。ジーンは葵を視線で追いながら、後ろで手を組み、扉の前で直立していた。
二年前にしていたように、両膝をついて胸の前で両手をあわせ、目を瞑る。
どうか、今回の役目を教えてください。
今回の召喚の意味が知りたい。早く役目を果たして日本へ帰りたい。
二年前よりずっと熱心に、葵は願った。
しかし、その願いが届くことはなくて、大祭壇の間は静寂が降りたままだ。
「……やっぱり駄目かぁ……」
一縷の望みをかけて来たけれど、女神の反応は一切無くて葵はがっかりした。
「どうだ?」
「すみません……何も聞けなかったです……」
わざわざ頼んで時間をつぶしてしまって、申し訳ないことをした。いたたまれない心地で謝るとジーンは、
「別にいい。期待はしていなかったからな」
と余計な一言までくれた。
「それはそれで空しいんですけど」
むっとした葵が口を尖らすと、ジーンは気に留めることなく、「さあ、戻るぞ」と先に行ってしまった。
「あれ、レナ、いない……」
ランチの約束をしていたのだが、待ち合わせ場所にレナはいなかった。
急に仕事が入ったのだろうか。
それとも遅れてくるのだろうか。
こういうとき、携帯がないこの世界は不便だなと葵は思う。日本なら、メールや電話ですぐに聞けるのに。
「どうした?」
「ジーンさん、ええと、一緒にランチの約束をしていたんですが、急用かで、いなくて。どうしようかなって」
レナは騎士が苦手なので、今まではかち合わせないように待ち合わせ場所から少し離れた場所まで送ってもらっていたのだ。だからもう戻ったと思っていたジーンがすぐ後ろにいて、葵はびっくりした。
おそらく先日に襲撃された為だろう、ランチ中も見えないところで護衛してくれているらしい。
申し訳なく思う。王城に上がること自体を止めた方が良いのだろうが、止めてしまってまた屋敷に引きこもり状態になるのも避けたかったのだ。それではきっと二年前と変わらない。
「それならカイ様の執務室へ戻るぞ」
「はい」
レナと会えないのは残念だが仕方ない。ジーンをこれ以上待たせるわけにもいかないので、葵も戻ることにした。
「これはアオイ様、奇遇ですね」
「ディートリヒ様!?」
戻ろうとした葵の前方から、ディートリヒがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。彼に苦手意識を持っている葵は思わず表情に表れてしまう。そんな葵の反応を気に留めることなく、ディートリヒはご機嫌な様子だった。
「ちょうどお会いしたいと思っていたのです。ご一緒にお茶でもいかがでしょうか」
「え」
唐突な誘いに葵は困惑する。
どうしよう。断ったら、失礼になるのかな? また悪く思われてしまう?
しかし、この人は王女に嘘を吹き込んだ前歴がある。
不用意に近づいて、また変な嘘を吹き込まれてしまっては、今度こそ王女の怒りは爆発してしまうかもしれない。
「すみません、すぐに戻らないといけないので……」
「そのようなつれないことは言わないでほしいな。 この前、話をしようと約束したじゃないか」
約束なんてしていない。一方的にディートリヒが言い残していっただけだ、と訴えたいが、小心者な葵は心中で吐くのみだ。逃げ道を塞ぐように、にっこりと笑顔で押してきた。葵はどういう反応をするのが正解かわからなくて、身動きができない。
「畏れながら、ディートリヒ様、アオイ様はこれからカイ様のもとへ戻らねばなりません」
困っているとジーンが葵を背に庇うようにして間に入ってくれた。カイの名前を出して牽制したが、ディートリヒは引くどころか、逆にそれまで葵に向けていた優しげな声色をがらりと変える。
「不遜だぞ、たかが、黒龍公の腰巾着が私に意見すると? 下がれ」
「できません。前代聖女の安全を守るのが我々軍部の役目ですから」
「ほう、私の元ではアオイの安全は守れないと言いたいのか?」
微笑を浮かべているが、怒りと挑発の空気を感じる。葵ははらはらしながら二人のやりとりを見ていた。
ジーンは葵に対しての態度とはまるきり違っていて、感情を覆い隠した無表情のまま、慇懃無礼な態度でディートリヒと対峙する。ジーンも貴族なのだが、相手のディートリヒは王族なのだ。そんな態度をとっても大丈夫なのだろうか、と葵は心配になった。
「先日の襲撃の黒幕も未だ判明していない状態です。いくらディートリヒ様といえど、そんな状況でアオイ様の御身をお預けすることはできません。議会でも前代聖女の護衛は軍部がすべて請け負うと決定した筈です」
「……黒龍公だけでなく、龍の魔道士まで引っ張り出されては、強固に反意を表すような者はいないからね。しかし、アオイをお茶に誘うのすら駄目だとは、騎士というものはつくづく無粋な生き物だと思わない? ねえ、アオイ」
「えっ」
矛先がこちらに向いて葵は狼狽える。しかし、葵の気持ちは最初から決まっているのだ。
「ごめんなさい、ディートリヒ様。私は戻ります」
彼にのこのこついていって、ろくなことにならないのは葵でも容易に想像がつく。断るチャンスをくれたジーンに感謝しながら、葵ははっきりと断った。
ディートリヒは大仰に溜め息をついた。その姿すら、妙な色香が漂っている。
「仕方ないね。アオイ本人にふられてしまっては、引き下がるしかない」
またね、と一言残して彼は立ち去った。
姿が見えなくなったのを確認して、葵は庇ってくれたジーンにお礼を言う。
「ありがとうございます。助かりました……あの、議会って?」
ジーンがいなければ、危なかった。葵一人ではディートリヒに拒否しきれなかっただろう。彼に感謝を伝えると同時に、気になっていたことを尋ねた。
「議会を知らないのか?」
いまだ警戒を解かないまま、ジーンは眉尻を吊り上げる。
「いや、議会の意味はわかりますけど。あと、龍の魔道士って」
さすがに議会がどういうものかくらいはわかる。知りたいのは、議会とやらで葵の話題が上がっていた詳細を知りたいのだ。そして黒龍公はカイの異名だが、龍の魔道士とは初めて聞いた。誰のことを指しているのだろうか。
「ギルベルト様のことだ」
「あ、成る程」
カイと同じく、ギルベルトは"龍に連なる者"だと聞いた。きっとそこから来ているのだろう。
「って、えっ! あのギルベルトさんが議会に出たんですか?」
研究室以外にギルベルトがいるイメージがつかなくて、葵は驚いた。社交界はもちろん、お偉方の呼び出しもしょっちゅう「忙しい」と言って拒否してるのに。家にも帰らず研究室に日々寝泊まりしているような人だ。議会なんて面倒そうな場所、彼なら絶対に参加しそうにないのだが。
「カイ様がギルベルト様に頼んだからだ。お前を守る為に」
「私を? どういうことですか」
ジーンを見ると、つい口が滑ったのか、しまったという表情を浮かべていた。葵はじっと視線を強めて彼の返事を促す。
「……詳しくは言えんが、議会でお前を軍部から引き離そうとする動きがあったらしい。ギルベルト様にも協力頂いて阻止はできたようだが、まだ油断はするな」
「そんなことが……わかりました。ありがとうございます」
また葵の知らない間に色々なことが起きているようで、心が騒いだ。誰にも迷惑をかけたくないのに、きっと他にも葵の知らないところでもカイ達は動いてくれているのだろう。
そのあと、カイの執務室へ戻った葵は昼食をとり、グレンの書類の整理を手伝っていた。見たことのない文字が並んでいるが、何故か葵には意味がわかる。召喚時の特典みたいなものだろう。それはともかく、騎士団というと、訓練や実戦のイメージしかなかったが、予想以上に書類仕事があって葵は意外に思っていた。聞くと、カイだけでなくグレンら副官が一日中机に座ったままの日もあるという。
ただカイは軍部の幹部として騎士団を纏める以外にも、王太子の側近的立場でもあり、議会にも参加しているので、そちらの書類も多いようだ。
「グレン、ジーン、あとは頼みます」
「はい、カイ様」
席を立ったカイは外套を羽織りながらそう言うと、グレンとジーンが低頭する。
どこかに出かけるのかな、と思った葵は「いってらっしゃい」と声をかけようとカイの姿を追う。すると、振り向いたカイの視線と正面からぶつかった。
「アオイ、ついてきてください」
「え、は、はい」
突然呼ばれた葵は疑問に思いながらも、素直にカイのあとをついていった。
屋敷に帰るにはいつもより早い時間だ。何か用事があるのだろうか。
アオイをつれて、ということは聖女の役目の件で何かわかったことがあるとか?
色々と思いを巡らせていると、いつのまにやら王城からは出てしまった。
「城下町へ降りるんですか?」
「ええ、そうです」
城下町に一体何の用事があるのだろう。見当もつかない葵の頭は疑問符だらけだ。
「えっ」
ごく自然に手をつながれて、葵はびっくりして声を上げる。
「はぐれるといけませんので、離さないでくださいね」
葵の動揺など気にしていないのか、カイは穏やかに笑ってそう言った。
手袋越しとはいえ、異性と手をつなぐことも初めてで、葵の神経すべてが右手にいったかのように感じた。
婚約者がいるのに、手を繋いで良いのだろうか。いやでも、ここは外国みたいなもんだし、手を繋ぐ程度で騒ぐ方が大袈裟かもしれない。恋愛経験がない葵には自意識過剰なのかどうか、判断できない。どっちにしろ、葵は日本へ帰る人間だ。カイだってそれはよくわかってるのだから、きっとこれは保護者的な扱いなのだろう。言葉通りの意味しかなくて、いちいち意識してしまう葵が自意識過剰なのだ。そう自分に無理やり言い聞かせて、舞い上がりそうな心を押し込める。
大通りの賑わいに、葵は改めて驚く。
召喚初日にも思ったが、聖都の中心をまっすぐに通る大通りはとくに馬車や人々の往来が多く、活気に満ちていた。
ただあのときと違うのは、あちこちに旗がはためいていたり、家の装飾も派手になっている。屋台らしき骨組を組み立てたりしていて、現代日本でも、祭りの前のような、パレードが始まるみたいな装いだ。
「なんだか、前と様子が違いますね」
「ええ、聖祭がまもなく始まりますから」
「聖祭……」
大司教の言葉を思い出した葵はどきりと心臓が鳴った。
「毎年あるのですが、女神を祝うお祭りです。主に大神殿が中心となって開催されますね。この大通りが聖都でも賑わいが一番なのですが、ここで聖女のお披露目のためのパレードを開催します」
「……ティファーナ様がここで? 私は出ないといけないのでしょうか?」
「参加の義務は今代聖女であるティファーナのみです。……アオイは参加したいですか?」
「……できれば、一般人としていたいです」
悪名高き前代聖女として大勢の前で注目を浴びたくない。絶対にろくなことは起きないだろう。大司教の言葉を脳裏に浮かべながらも、葵が小さな声で辞退をする。カイは心なしか、ほっとした表情を浮かべたように見えた。
「そうですか。では、聖祭中はギルベルトかジーンの傍にいるようにしてください」
「……カイさんは?」
「私は聖祭中はティファーナの護衛の指揮をとらねばならない為、アオイの傍にいることができません。申し訳ありません」
カイの口からティファーナの名前が飛び出すたびに、葵の心は勝手に揺れてしまう。
「ううん、気にしないでください。むしろ、ギルベルトさんやジーンさんにも申し訳ないので、私一人でも大丈夫です、大人しくしています」
「いいえ、必ずどちらかとはいるようにしてください」
遠慮したのだが、カイは強い口調で否定した。有無を言わさぬ様子に、葵は大人しく頷いた。
「では、大通りを少し歩きましょうか。美味しい店があるようですよ」
カイの視線の先を辿ると、甘い匂いが漂ってきた。クレープのようなスイーツのお店みたいだ。思わず、葵の目が輝く。
他にもたくさんおいしそうな香りが漂っていて、葵がその誘惑につられきょろきょろしていると、いつのまにか買ってきてくれて「どうぞ」と言って葵に差し出してきた。かぐわしい誘惑に逆らえず、つい受け取ってしまう。
「甘くて美味しい……!」
ふわふわな生地の中にカスタードクリームと甘酸っぱいベリーのソースが入っていて、スイーツが大好きな葵の舌は歓喜した。甘い物はいつだって正義である。カイはそんな葵をずっと見詰めている。それに気づいた葵が、自分だけ食べている状況に慌てた。
「あ、カイさんもどうぞ?」
口のつけていない部分を割って差し出す。
瞬きをしたカイに、行儀が悪いかな、と手を引っ込めようとした。けれどその前に、カイの顔が近づいてきて、ぱくりと口にしてしまった。
「甘いですね」
「そ、そうですね……」
これって、あーん?ってやつじゃなかろうか。
まさか、葵の手から直接口にされると思わず、不意にその言葉が浮かんで、葵は固まる。じわじわと頬が紅潮してしまう。
やっぱりイケメンってこわい、と心底感じた葵だった。
それからもカイは、大通りの色んな店につれていってくれたりした。さすがの葵も途中でカイの意図に気付く。
「もしかして、カイさん……大通りの案内につれてきてくれたんですか」
遠乗りに連れて行ってくれたとき、大通りに興味を示す葵に案内してくれると言ってくれたのだ。それを覚えていて、こうして実行してくれたのだろうか。一度断ってしまったというのに、わざわざ仕事を早くに切り上げてまで。
「ええ。気晴らしになりませんでしたか?」
「いいえ、なりました……ありがとうございます」
ずるいなぁ、と思いながらも、葵は嬉しい気持ちを認めるしかなかった。
そして、やっぱり、と葵は思い直した。
ちゃんと、もっと役に立ちたいと思った。
こんな自分のためにここまで気をつかってくれるカイのためにも。
「カイさん、やっぱり私は聖祭に出ます」
葵の言葉に、カイは動きを止めた。
どういうことかと碧の視線が強くなる。
「ごめんなさい、大司教様から聞いていました。ティファーナ様を守るために、私の力が必要だって」
「大司教に会ったのですか? 王宮ですか?」
さすがのカイも把握していなかったようで、眉根を寄せて聞いてきた。
「はい……いきなり声をかけられてびっくりしましたけど、でも全然役に立てていませんし、噂はひどくなるばかりだから、聖祭で役に立ったら噂もマシになるかもしれませんし」
「……あの狸爺め」
必死に言い募る葵にカイのその呟きは届かなかった。
「浄化の力はなくなったけど、結界の力は残ってたということは、きっとこの力を役立てろってことですよね。だから、役に立てるなら、使いたいです」
ずっと葵は悩んでいた。参加するべきかしないべきか。結界の力を使って役に立ちたいという気持ちと、参加して問題が起きて迷惑をかけてしまうのが嫌な気持ちが常にせめぎ合っていて、どちらにすればよいのか自分では判断がつかなかったからだ。どちらを選んでも迷惑しかかけなくて、後悔しそうな気すらしていた。けれど、二年前とは違って、自分から動きたい気持ちの方が勝った。
カイを見上げると複雑そうな表情を浮かべている。歓迎できないといったかんじだ。
「……前代聖女として、嫌な目に遭うかもしれませんよ」
「わかっています。でも、頑張ります。役目について、何かわかるかもしれませんし」
カイの懸念は葵にとっては些細なことなのだ。一番苦しいのは何もしないまま後悔することなのだろう。
カイはまだ言葉を探していたが、結局は葵の意思を尊重することにしたようだ。
渋い表情をしていたが、諦めたように溜息を吐く。
「何かあれば、必ず私の名を呼んでください」




